第三十一話 とんでもない場面
「……なんだか、とんでもない場面で戻って来ちゃった気がするわ」
大変なことになっている会場の空気に包まれながら、私は周囲の様子を伺う。
とてもではないが、バイキング形式の食事を楽しめる雰囲気ではない。
一体、何がどうなっているのか。
「ねえ、いま婚約解消がどうとか言ってた気がするんだけど、聞き間違いかしら?」
「いや、僕もそう聞こえたけど……」
「そうよね……?」
同じように困惑している愛しの義弟の様子から察するに、どうやら私の空耳という線は消えた。
それはいい、いや良くはないのだが。
ネル姉様は今日十歳の誕生日を迎えた。
この国の慣習では、この祝いの席で正式な婚約発表がなされることも多い。
推測するに、ネル姉様はつい先ほど婚約の発表をしてーー今この場で婚約破棄を突きつけられたということだ。
「ーーーーーーーー」
壇上に立つネル姉様は、その顔に驚愕を貼り付けたまま硬直している。
無理もない。まさかこんなことになるなんて、誰が想像できるだろうか。
さすがのネル姉様も、この事態は想定していなかったに違いない。
「…………」
ヘイルも難しそうな顔で、件の発言者の方を見つめている。
他の貴族たちの視線も、その発言者の元に釘付けになっていた。
「……ん?」
というか、そう、その発言者も問題だった。
「シュルト……?」
その姿には見覚えがある。
見覚えがあるというか、つい先刻私が助けたエルフの少女だ。
「んんん……?」
シュルトが、ネル姉様の婚約者だった、ということだろうか。
この場に呼ばれている時点で、シュルトも相応に高貴な家柄なのだろうから、ネル姉様と婚約すること自体はそれほど疑問はない。
問題はーー、
「……理由を、お伺いしても? わたしに何か、至らない点がありましたか?」
私の思考を遮るように、ネル姉様の声が漏れる。
その声は、わずかに震えているような、そんな気がした。
一方のシュルトは、「いえいえ」と首を横に振り、
「ネルレリア様に至らない点があったわけではありません。ただーー」
「ただ?」
ネル姉様の疑問の声に、シュルトは片目を閉じながら、
「僕は理想の人を見つけてしまったのです。だから、貴方の手を取ることはできなくなってしまった。ただ、それだけの話です」
「ーーーーーー」
ネル姉様の瞳に、複雑な色が混じる。
それが悲しみなのか嘆きなのか怒りなのか、はたまた別の感情か、私には推測することすらできない。
それでも、私にも理解できることがある。
それは、
「婚約破棄だと……? 随分と舐めた真似を……!」
「やはり蛮族、神聖な王族の婚姻を汚すなど、あってはならぬことだ……!」
「ヴォルジーナの皇族だかなんだか知らんが、無事に帰れるとは思っているまいな?」
「やばい。みんなめちゃくちゃキレてる……」
周囲から漂う憤怒の気配に、わたしは頭を抱える。
というかシュルトよ。悪いことは言わんからネル姉様を選びなさい。
その方より素晴らしい方なんて、世界中探してもあんまりいないと思いますよ。
「……一つ、よろしいでしょうか?」
「なんでしょう、ネルレリア様」
ネル姉様の静かな問いに、シュルトが軽快に応じる。
まるで自分に非など一切ないとでも言うかのようなその態度は、ツウォルクォーツ貴族たちの怒りを加速させているが、本人はどこ吹く風だ。
「理想の方……というのは?」
「ああ! そうですよね! それを言わないと始まりません!」
合点がいったとでも言うかのような様子で、シュルトが大袈裟に頷いた。
そして、会場の中をキョロキョロと見回し、
「僕にとっての理想の女性、それはーー」
彼の視線が、とある一点に注がれる。
というか、気のせいでなければ、それはーー、
「ーージョレット・アンニ・スタグレーゼ公爵令嬢。僕は貴方に婚約を申し込みます」
一点の曇りもない眼で、シュルトはそう言い切ったのだ。




