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第三話 お祝い事にはケーキが一番


「うん。これで大体回り終わったかな!」

「ありがとうございます。アン姉さん」


 思いっきり身体を伸ばしながら、私はユウリに屋敷巡りツアーの終了を告げた。

 当初、頭の中で想定していた場所は全部紹介できたはずだ。色々な場所を案内しているうちに、すっかり日も傾いてしまったが。


「あと敬語はナシよ。私が悲しくなっちゃうから!」

「あ、ごめんなさい……」


 私の言葉に、ユウリはびくりと肩を震わせた。

 その顔には、いまだに恐怖の色が見て取れる。


「…………」


 彼のそんな姿を見るたび、内側から暗い感情が湧き上がってくるのを抑えられない。

 ほんのちょっと、ほんの少し何かを言われただけで、この怯え方だ。

 いったいスタグレーゼ分家で、どんな扱いをされてきたのか。想像するだけで強い怒りを覚える。


 他人の一挙一動に怯えの色を見せるような育ち方など、一つしかない。

 ユウリは、スタグレーゼ分家で虐待を受けていた。そういうことだ。


 その小さな身体で、どれほどの悲しみを背負ってきたのか。私にはわからない。

 その心の傷をどう癒やせばいいのか、そもそも私に癒やせるようなものではないのではないか、とも思う。

 私なんかにできることは、それほど多くはないのだろう。


 でも、それでも。

 これからユウリに安心して過ごせるような環境を作ることくらいは、できるはずだ。


「いいのよ。少しずつ慣れてくれればいいからね」


 微笑みながらそう語りかけると、ユウリは少しホッとしたような顔で、


「はい。……じゃなかった、わかったよ、アン姉さん」

「うんうん。その調子ね! ーーさ、それじゃあ最後の場所に行くわよ!」

「最後の場所……ですか?」

「そうそう。ついてきて!」


 義弟を引き連れた私は、意気揚々と最後の場所へと向かう。

 困惑した様子のユウリは、ただ黙って私のあとをついてくる。


「ここよ!」

「……ここ?」


 自信満々な顔の私とは対照的に、ユウリは戸惑ったような表情を浮かべたままだ。

 それもそのはず。


「食堂、だよね? 最初に見せてもらったと思うんだけど……」


 私たちの目の前にあるのは、食堂へとつながる大きな扉だ。

 そしてそこは既に、ユウリには最初に紹介したはずの場所だった。


「ふっふっふ。まあ開けてみたまえよ、ユウリくん」

「う、うん……?」


 困惑するユウリだったが、私に言われるがまま扉に手をかける。

 そして、




「「「ーーようこそ、スタグレーゼ家へ!!」」」





「ーーーーーー……ーー……」


 ポカンとした顔のユウリが、呆気に取られた様子で目を開いている。

 完全に理解が追いついていない顔だ。


 食堂には、スタグレーゼ家の使用人のほとんどが集まっていた。

 その中には、父ヘイルや料理長のベスリルの姿もある。


 そして、長テーブルの上には、豪勢な料理が所狭しと並べられている。

 無論、名家であるスタグレーゼとはいっても、毎晩これほど豪華な料理が振る舞われることはない。


 そしてユウリの席の近くに、尋常ならざる雰囲気を纏った巨大な箱が置いてある。

 無論、それも事前にアンニが準備してもらったものだ。


「さ! 主役の到着よ! ほら、ユウリ」

「え? え?」


 大勢の拍手の中、いまだに困惑した表情のユウリの背中を押し、無理やり席へと座らせる。


「うわぁ……!」


 思わず、といった様子で、ユウリの口から感嘆の息が漏れた。

 彼の目の前には、大きなステーキが鎮座している。

 漂ってくる匂いだけで白ご飯が何杯か食べられそう、などという淑女にあるまじき感想を抱きながら、私はユウリに向き直り、


「今日は、ユウリがスタグレーゼ家にやってきた記念日! だから、盛大にお祝いしなくっちゃね! ーーベスリル!」

「ほいさ!」


 適当な返事をした料理長のベスリルが、巨大な箱を上から開ける。

 その正体は、


「…………」

「あ、こりゃ驚きすぎて固まっちまいましたかね?」


 硬直するユウリを、べスリルがそう評する。

 それも無理もないことなのかもしれない。事実として、ユウリはさっきから固まったままだ。


 彼の視線の先、巨大な箱の中に入っていたのは、文字通り巨大なケーキだった。

 というか、私が想定していたよりも随分大きい。腕を広げた子どもくらいの直径はあるのではないだろうか。

 昨日の今日で、よく間に合わせてくれたものだ。


「やっぱりお祝い事には、でっかいステーキとでっかいケーキが一番なのよ! ありがとね、ベスリル!」

「あっしにはよくわかりませんが、お嬢が頭を下げてまで頼み込んだんだ。応えるのが漢ってモンでしょうよ」


 感謝の言葉を受けたベスリルは、得意げに鼻を擦る。

 実際、彼の協力無しでは絶対に実現することはなかった計画だ。


 というか、ダメ元で昨日頼み込んだ私の要望に応えてくれたベスリルは、人が良すぎると思う。

 昨日までの私は、色々な意味で手がつけられないほどの暴れん坊だったと聞く。というか私自身の中にもその記憶が確かに存在している。

 そんな奴に急な頼まれ事をされて、内心穏やかではなかったことは間違いない。


 それでも、ベスリルは私の頼みを聞いてくれた。

 他の皆も、ユウリの歓迎会に来てほしいと私が頭を下げたら、喜んで協力してくれた。

 ……断れば何をされるかわかったものではない、という恐怖はそれほどなかったと信じたい。


「…………」

「……ユウリ?」


 ユウリは先ほどから、俯いたまま固まってしまっている。

 なんだろう。何か足りないものでもあっただろうか。

 特に何も思い当たるフシがない私があわあわしていると、


「……ひぐっ、ぐすっ……」

「ーーーーーー」


 不意に、ユウリから湿った音が漏れた。

 私は慌ててユウリに駆け寄り、


「どうしたの、ユウリ? どこか痛いの?」


 つとめて冷静に、ユウリの言葉を待つ。

 思えば、今日はずっと屋敷の案内をしていた。

 まして、ユウリは今日ここにくるのが初めてなのだ。精神的な疲労も相当に溜まっているだろう。


「……ち、違う、違うんです。僕は、だって、こんな、かんげいしてもらえるなんて、思わなくて……」

「ーーーーーーーー」


 その場にいる誰もが絶句していた。

 いつも冷静なあのヘイルでさえ、ユウリの様子には驚きを隠せないようで。

 そして、私は。


「ユウリ」

「ーーーー」


 泣きじゃくるユウリを、私はそっと抱き寄せる。

 できるだけ優しく、大切なものを扱うように、慎重に。


「ユウリ。ここが、あなたの新しいお家だから」

「ーーーーーー」

「誰もあなたに、ひどいことなんてしないから。だから、大丈夫よ」

「……うっ、ううっ……!」


 まるで幼子のように泣きじゃくるユウリの頭を、私はずっと優しく撫で続けた。






 それから。


「よかったなぁ、ユウリ様。お嬢がやんちゃなままだったら、毎日ボコされる生活になってたかもしれませんぜ」

「なんてこと言うの。やめなさい、やめなさいったらやめなさい。昔の話でしょうそれは」

「つい昨日までの話でさぁ」

「……ふふっ」


 大変失礼なベスリルや、なんとか落ち着いたユウリと談笑しながら、皆で美味しくご馳走とケーキをいただいたのだった。

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