第二十四話 ネルレリア様
「ーーで、何か申し開きはあるのかな?」
「本当に申し訳ありませんでした……」
「あ、アン姉さん……」
深々と頭を下げ、素直に謝罪するのは、私、ジョレット・アンニ・スタグレーゼ。
現在、適当な理由をつけて途中で抜け出したことをしっかり詰められています。
呆れたような目を向けてくるヘイルよりも、生ぬるい視線を向けてくるユウリの方が心にくるものがあった。
どうか、この食欲に負けた卑しい姉をお許しください。
「まったく……お腹が空いていたのはわかったけれど。そもそも、後でいくらでも食べられただろうに」
「後だと残ってないかもしれないと思って……」
「ちゃんとした食いしん坊の発想だ……!」
深い反省の中にいる私の口から飛び出した言葉に、ユウリが少し笑っていた。
それだけで救われる命がここにあります。
ーーさて。
私がなぜこんな現実逃避気味な言動をしているのか。
それにはある理由がある。
「ーーお見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ありません、ネルレリア王女殿下」
「いえいえ。家族仲がよろしいようで、とても微笑ましいですよ」
ヘイルと和やかに談笑しているのは、煌びやかなドレスを身に纏った、流れるような灰色の長い髪の少女である。
状況に応じてあわあわと慌てふためく私と違って、誰と相対しても穏やかな表情を崩さない。
コロコロと控えめに笑うその姿は、まさに淑女の理想の姿そのものだ。
それもそのはず。
彼女こそが、フォネスト・ネルレリア・ツウォルクォーツ。
クロスの実姉であり、第三王女としてツウォルクォーツ王家に名を連ねるその人なのだから。
「特に、ユウリ様は色々と苦労されていたようですから……」
「僕のことを知っているんですか!?」
ユウリの驚きも無理もないことだと思う。
彼はまだ年端もいかない子どもで、ネルレリアの記憶に残るような存在ではなかったはずだ。
そうではなかったのは、彼女の人を見る目によるものなのだろうか。
「驚かせてしまったかしら。でもあの様子を見れば、さすがに心配にもなりますよ」
ネルレリアが言っているのは、おそらく以前ユウリが顔を出したことのあるパーティーでのことだろう。
母と死別し、絶望の底に落ちていたユウリは、それはひどい顔をしていたに違いないのだから。
「ありがとうございます、ネルレリア様。ですが、もう大丈夫です」
ユウリはそう言いながら、突然私の手をとり、
「僕はアン姉さんに救われました。アン姉さんがいてくれなかったら、今も僕は失意の底に沈んでいたと思います。こうして新しい家族と、屋敷の皆と、絆を深めることはできなかったと思います」
「なるほど。ふふ、そのようですね。ーー噂は噂、全くアテにならないということが、よくわかりました」
「……?」
何が可笑しかったのか、ネルレリアは薄く微笑む。
というか、私と一歳しか変わらないはずなのに、包容力がすごい。
この人と一緒にいれば大丈夫と、そう思わせるオーラのようなものを纏っている。
これもある種のカリスマなのだろう。
クロスには全く感じたことのない類の魅力である。
「ところで……とても可愛らしい方ですけれど、その方が?」
ネルレリアの視線が、私の姿をしっかりと捉える。
この私を可愛らしいと評する、彼女の態度に嘘は見られない。
本気でそう思っているらしい。
「ほら、アンニ。ネルレリア様にご挨拶を」
「は、はいですわ」
ヘイルに促され、訳のわからない口調になりながらも、
「お、お初にお目にかかります。スタグレーゼ公爵家長女、ジョレット・アンニ・スタグレーゼでございます。……恐れながら、クロス殿下とは婚約させていただいております」
「あらあら。まあまあまあ……!」
そこまで言ったところで、ネルレリアの表情がパッと明るくなった。
「そう! 色々と話は聞いているけれど、あなたが、クロスの好きな子なのね!」
「へ?」
誰が、誰を、好きだって?
クロスが、私を?
「ないです」
「ーーーーーー」
思わず真顔で即答してしまった私を見て、ネルレリアが目を丸くしている。
そして、またやらかしてしまったことに気づいた。
「あ、いえ、それはもちろん、本人同士でしかわからないことではありますけれども、そもそもクロス殿下と私の婚約は親同士が決めたことでして、別にクロスが私を好きだからとか、そういうのではないわけでしてーー」
「ーーーーぷっ」
やけに回る口に振り回されながら適当なことを喋っていると、不意にネルレリアが小さく吹き出した。
「あ、あの……?」
「ふふ、ごめんなさいね。少し、おかしかったものだから」
困惑する私をよそに、ネルレリアは微笑みながら、
「まあ、今はそういうことにしておきましょう。あまり可愛い弟をいじめるのも可哀想だものね」
そこで、ふと何かを思いついたような顔のネルレリアは言葉を切って、
「……でも、そうね。アンニちゃんがクロスのお嫁さんになるのなら、わたしはアンニちゃんのお義姉さんになるってことで、いいのよね?」
「…………はっ! 確かにそうですね!!」
理屈の上ではそうなる。今のまま、クロスと私が結婚することになればの話だが。
ただ、この世界の一般的な常識だと、貴族同士の婚約というのはほとんど覆らないらしい。
ネルレリアにとっては、ほとんど確定という感覚なのだろう。
「ほら、お姉さんですよ〜」
「っ……!」
微笑みながら、「飛び込んでおいで〜」とばかりに両手を広げるネルレリアに、私はわずかに躊躇する。
思えば、誰かに甘える機会などいつぶりだろうか。
少なくとも、最後に同じようなことをされたのを、咄嗟に思い出せないことは確かだ。
「ごくり……」
なぜか生唾を飲み込みながら、私はネルレリアの胸の中へと飛び込んでいた。
「よしよ〜し。いい子いい子〜。えらいえら〜い」
ーーなんということだ。
ネルレリアの胸の中で、私は密かに驚愕する。
まるで猫か何かを撫でているような態度で、ネルレリアは私の頭を慈しむように撫でていた。
クロスという癖の強い婚約者の特典として、こんなに素晴らしいことが起こるなんて想像もしていなかった。ありがとうクロス。
というか、なんでこんないい匂いがするのだろうか。
安心する匂いだ。
私からは絶対こんないい匂いはしない。本当に同じ人間なのだろうか。
「ね、ネルレリアお姉様……」
不意に、うっかりそんな言葉が口から漏れてしまった。
ハッとして、すぐに謝罪の言葉を言おうとして、
「ーーネル、でいいわよぉ。家族は皆、そう呼んでいるの」
ゆ、許された……!
「ね、ネルお姉様……!」
「ふふ、いい子ね」
お姉様呼びを許された上、なんと愛称呼びまで許されてしまった。
であれば、こちらとしても欲が出てくるというものだ。
「そ、それでしたら、私のこともアンと、そう呼んでおくんなまし……」
「おく……? ええ、わかったわ、アン」
「わぁ……!」
極楽だ。
この世の極楽はここにあったのだ。
数刻前までの、食べ物を漁りまくっていた暴食女に教えてやりたい。
そんなことよりもっと早く、この方に出会うべきだったと。
「私、今日からここに住む……」
「ええ!?」
「あら。あらあら。こんなに素直に甘えてくれる子はいないから、わたしも新鮮だわぁ」
本気で困ったような声を漏らしたユウリとは対照的に、ネルレリアはどこまでも穏やかに微笑んでいた。




