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フォネスト・クロス・ツウォルクォーツ1




「……クソ、なんでこんなことに」

「おお、おいたわしやクロス様……。よもやあのような者と婚姻を結ばなければならないとは……」


 俺、フォネスト・クロス・ツウォルクォーツと、スタグレーゼ公爵令嬢との婚約が決定した。

 その知らせを聞いて、側近のヴァルトと共に思わず天を仰いだ俺を、責められる者などいるだろうか。




 ――ジョレット・アンニ・スタグレーゼ。




 彼女について、ヴァルトから聞く噂はロクでもないものばかりだ。

 パーティー会場で暴れ、暴力を振るい、甲高い叫び声を上げる。

 その姿を揶揄して、『野猿』などという通り名がつけられるほどらしい。


 なぜそんな女とこの俺が婚約しなければならないのか。

 第四王子とはいえ、俺はツウォルクォーツの王族。

 自分で言うのも何だが、王族としてそれほど問題があるとは思わない。


 それに対して、アンニの噂話はどれもひどいものばかり。

 とても公爵令嬢とは思えない。というより、本当に人間なのかどうかすら疑わしい。

 せめてもう少しまともな相手と……そう思ってしまうのも仕方ないことだろう。


「……父上と母上は、俺が嫌いなんだろうか」


 思わず、そんな弱気な声が漏れる。

 そんな俺を、ヴァルトはやんわりと否定した。


「そのようなことはありえませぬ。……ただ、スタグレーゼ家は長きに渡りこの国を支え続けてきた、歴史ある家系です。

 たとえ王であっても、婚約の話は無視できなかったのでしょう」

「そうか……」


 強い口調でそう言い切ってくれたヴァルトに、内心で感謝した。

 ……どれだけ文句を言ったところで、王族の婚姻に自由などない。

 とはいえ、今後もあまりにもアンニの素行に問題があるようであれば、父や母も婚約破棄に強く反対できなくなるだろう。

 将来的に自分で婚約を破棄できるようになるまでは、我慢するしかない。


「噂に聞く限り、アンニ様の素行は極めて悪いと言わざるを得ません。……あるいは、何か大きなきっかけがあれば。

 それを理由に、クロス殿下の方から婚約破棄を言い渡すことも可能でしょうが……」

「それなりの理由がなければ難しい、か。仕方ない、しばらくは我慢するしかないな」


 ヴァルトの言葉に、俺は頷く。

 こちら側から婚約破棄を言い渡すには、相応の理由が必要になる。

 父上や母上、周囲の者たちが納得するような、そんな理由が。

 現状のアンニを見てなお、父上たちが婚約を決めてしまったのだから、よほどの失点がなければ難しそうなものではあるのだが……。


「そういえば。スタグレーゼ公爵は、クロス殿下とのご婚約に乗じて、分家から跡取りを取るそうです。確か名前はユウリ様、でしたかな」

「まあ、そうなるだろうな」


 王族が貴族と婚姻を結ぶ場合、新しい家系として王家から領地の経営を任されることになる。

 つまり今のスタグレーゼ本家は、跡取りと呼べる者がいない状態になっているわけだ。

 スタグレーゼ公爵に再婚の意思がないのなら、同じ血を引く分家から養子を取るという選択肢は大いに考えられる。

 

「しかし、跡取りとして取られたその者も、資質にやや難がある、と噂されております。なにせ、彼は分家当主の妾の子なのだとか……」

「ふむ……」


 つまり、そのユウリとやらは、半分はどこの馬の骨ともわからない女の血を引いているということだ。

 そんなのを後釜に添えようとは、スタグレーゼ公爵も何を考えているのかわからない。


 ……あるいは。

 そのユウリというのはよほど、人に取り入るのが上手い子どもなのかもしれない。

 こうなってくるといよいよ、スタグレーゼという家に対するイメージは悪くなる一方だった。


「…………」


 とにかく、だ。

 ジョレット・アンニ・スタグレーゼは、俺の伴侶に相応しくない。

 どうせ、そのうち破談になるだろう。

 いつまでも破談にならなければ、そうなるように仕向ければいい。

 この時の俺は、そう考えていた。

 






 月日は流れ、俺がスタグレーゼ邸を往訪する日がやってきた。

 ……のだが。


「――この俺を待たせるとは、いい度胸だな?」


 なんとアンニは、この俺を屋敷のエントランスで待たせるという暴挙に出た。

 往訪の時間は事前に伝えていたはずなので、完全に彼女側の落ち度である。

 相手側の都合で待たされるというのは、これまでのクロスの人生の中で、一度もなかったことだった。


「ジョレット・アンニ・スタグレーゼでございます。お待たせしてしまい申し訳ありません、クロス殿下」


 思いのほか優雅な所作で一礼するアンニに、俺は鼻を鳴らす。

 不用意にこの俺を待たせた挙句、礼の一つで謝罪するだけとは、恐れ入る。第一印象は最悪の一言だった。


 ……とはいえ、見た目の印象は想像していたほど悪くはない。

 ややつり目がちで気が強そうな印象は受けるが、顔の造形はそれほど悪くはなく、話し方もそれなりにしっかりしている。

 黒を基調としたドレスは、彼女の明るい赤色の髪の印象を引き立てている。

 少なくとも、『野猿』などというあだ名がつけられるほどの悪童かと言われると、首を傾げるところではあった。

 それでも、総合的な印象としては、やはりあまり良いものではなかったが。


「フン、まあいいさ。早く案内してくれ。この後も予定が詰まってるんだ、さっさと済ませたい」

「――。はい。どうぞ、こちらですわ」

 

 こうして、俺は彼女の歓待を受けることになったわけだが。


「……大丈夫ですか、クロス様。少しお休みになられては?」

「ふぁーぁ……。いや、構わない。これも王族の務めだからな」


 アンニの話が退屈すぎて、思わず欠伸が漏れてしまった。

 俺としてはあまり無為な時間を過ごすのは憚られるのだが、腐ってもアンニは婚約者である。

 ある程度の時間は共に過ごさなければ、婚約者として最低限の義務すら果たしていないことになる。

 思うところが多いのは確かだが、俺の方から問題になるようなことを起こすのは避けたかった。


「アン……お姉さま。こちらにいらっしゃったのですね!」


 少年の声だった。


「あら、それは……?」

「クッキーを焼いてみたんです! よかったらアン姉……お姉さまとクロス殿下にも食べていただけたらと思って」

「まあ! とてもいい匂いね!」


 少年の手もとには、バスケットがある。

 親しげにアンニと話すその姿を見て、俺はなんとなく彼の正体に当たりをつけていた。


「……? 誰だお前は」


 俺の言葉に、アンニはハッとしたような顔をして、


「クロス王子、ご紹介いたします。私の義弟のユウリでございます」

「お、お初にお目にかかります! ゆ、ユウリと申します!」


 そう言って慌てて頭を下げる彼へ、俺は冷ややかな視線を向ける。


「――ああ、お前が例の。噂には聞いているよ」


 なるほど、確かにそういう類の人種だ。

 力ある者に媚びへつらい、利益を得ようとする、そういう人種に見える。

 自然と、彼を見る俺の目も厳しいものになった。


「元々はスタグレーゼ分家の妾の子だろう? うまく本家に取り入ったみたいだが……

 本来ならこの俺に拝謁することすら許されない立場だと、努々理解しておくことだ」

「そ、そんなことは……!」

「何がそんなことは、だ? こんなものまで持ち込んでおいて、白々しいんだよ」

「あっ!」


 俺は彼が持っていたバスケットを叩き落とす。

 中身のクッキーが地面に散らばるが、俺の知ったことではない。


「下賤の血が作った菓子など、食えたものではないからな。己の身分というものを弁えろ」

「…………」

「理解できたら、その散らかったモノを、しっかり掃除しておけ」

「っ……」


 俺の言葉が効いたのか、彼は俯いて下を向いている。

 ……その姿に満足していた俺は、様子がおかしくなったアンニの姿に気付かなかった。


「クロス様」

「ん?」




 次の瞬間、俺の身体は後ろへと吹き飛んでいた。




「ぶべゃぁっ!?」


 最初は何が起きたのかわからなかった。

 気付いたら、なぜか地べたに這い蹲っていた。


「は……?」


 強い頬の痛みと、全身の鈍い痛みを感じる。

 腫れ上がった自分の頬に手を当てながら、俺はアンニを睨む。


「お……おま……お前……っ!! 自分が何をしたのか、わかってるのか……!?」


 いまだかつて味わったことのないほどの強烈な怒りがこみ上げる。

 生まれてこの方、誰かに殴られたことなどなかった。

 まして、王族でも何でもない少女に王族である俺が殴り倒されるなど、あってはならないことだった。


「無論です。私の義弟に対してあらぬ誤解を抱き、危害を加えた馬鹿に対して、鉄拳制裁を加えただけです」

「ご、誤解……?」

「そうです」


 訝し気な顔をする俺に、アンニは言葉を続ける。


「クロス様。ユウリは妾の子などではありません。ユウリのお母様は、スタグレーゼ分家の正妻でした。

 どこでそんな話を耳にされたのかは存じませんが、貴方様が聞いたことは間違いです」

「だからってお前……いや、それにしてもやりすぎだろうが!!」

「やりすぎではありません。王族の方が血筋で人間を差別するなど、あってはならないことです」


 何を言っているんだ、と思った。

 下賤の血は下賤の血。王族や貴族とは違う。

 公爵家の令嬢であるアンニなら、それを理解していて然るべきだ。


「そこらの貴族であれば、私もとやかく言うことはありません。人間同士、どうしても相容れない者もいるでしょう。

 ですが、貴方は王族の方。そして私の婚約者となられるお方。

 王家の人間だというのなら、その肩書きにふさわしい人格を備えて然るべきです」

「っ……!!」


 俺が王族にふさわしくないとでも言いたげな態度に、さすがの俺も限界だった。

 自分でも顔が熱くなっているのがわかる。


「……帰る!!」

「はい。お気をつけてお帰りください」

「――覚えてろ」


 涼し気な様子で手を振るアンニに、俺は捨て台詞は吐いてその場を離れたのだった。




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