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第十四話 やっちゃった





 ――こいつは、とんでもないクソガキだ。




 中庭でクロス王子の相手を務めながら、私は内心で悪態をつく。

 令嬢にあるまじき表現だが、今だけは許してほしい。


 私の決死のトークを退屈そうに聞き流しながら、彼はセバスが淹れた紅茶を少しずつ啜っていた。

 多少なりとも声を出して反応すればまだ良い方で、こちらの話に反応しないこともしばしばだ。

 『とにかく、この退屈な時間を終わらせたい』。

 そういう言葉が顔に書いてあるようだった。


 クロス王子と私の婚約は、どう考えても政治的なものだ。

 スタグレーゼ家にとって、この国における影響力が大きくなることは重要な意味を持つ。

 父ヘイルとしては、今回の婚約はなんとしても成婚まで持っていきたいに違いない。

 ツウォルクオーツ王家にとっても、有力貴族であるスタグレーゼ家との繋がりを強くしておく意味は大きいのだろう。


 前世の日本とは違い、この世界の貴族に恋愛結婚など許されない。

 家を継ぐ長男以外の子どもは、すべて家の繁栄に寄与すべき道具にすぎない。

 政略結婚は、より恵まれた立場に生まれた者にとって、果たさなければならない義務であると私は認識している。

 それ自体の是非はともかく、この国における貴族とはそういうものだ。


 つまり貴族の子女にとって、婚約者と良い関係を築くことは義務と言っていい。

 だというのに、目の前にいる王子は、私と仲良くする気はないらしい。

 あっ、今あくびした!


「……大丈夫ですか、クロス様。少しお休みになられては?」

「ふぁーぁ……。いや、構わない。これも王族の務めだからな」


 やや誇らしげな顔でそう語るバカ王子に、「そうですか」と張り付けた笑顔で応答する。

 ほどほどに満足させて、適当なタイミングでお帰りいただこう。

 私が内心そんなことを考えていた、そのときだった。


「アン……お姉さま。こちらにいらっしゃったのですね!」


 妙に丁寧な言葉遣いで私たちの方へと近づいてきたのは、我が義弟、ユウリである。

 クロス王子は婚約者とはいえ外部の人間なので、言葉遣いに気を遣ってくれているのだろう。


「あら、それは……?」


 ユウリは手にバスケットを持っていた。

 隙間から、ほのかに甘い匂いが漂ってくる。


「クッキーを焼いてみたんです! よかったらアン姉……お姉さまとクロス殿下にも食べていただけたらと思って」

「まあ! とてもいい匂いね!」


 私の素直な感想に、ユウリは照れ臭そうに微笑んだ。


 今日は一日中クロス王子の世話をしていたせいで、大変疲れているのだ。

 早速いただくことにしよう。


 そんな私とは裏腹に、クロス王子は鋭い目つきでユウリを射抜いていた。


「……? 誰だお前は」


 彼の言葉に、私はハッとした。

 思えば、クロス王子にユウリのことは話していなかった。


「クロス王子、ご紹介いたします。私の義弟のユウリでございます」

「お、お初にお目にかかります! ゆ、ユウリと申します!」


 慌てて義弟を紹介した私に続いて、緊張気味のユウリが深々と礼をする。

 その姿を、クロス王子は訝しげな顔で眺めていたが、


「――ああ、お前が例の。噂には聞いているよ」


 突然、彼の表情が嘲るようなものへと変わった。

 それは私に向ける無関心とはかけ離れた、明確な悪意がある類のもので。


「元々はスタグレーゼ分家の妾の子だろう? うまく本家に取り入ったみたいだが……

 本来ならこの俺に拝謁することすら許されない立場だと、努々理解しておくことだ」

「そ、そんなことは……!」

「何がそんなことは、だ? こんなものまで持ち込んでおいて、白々しいんだよ」

「あっ!」


 クロス王子は、ユウリが持っていたバスケットをはたき落とす。

 軽い音と一緒に、おいしそうなクッキーが地面に散らばった。


「下賤の血が作った菓子など、食えたものではないからな。己の身分というものを弁えろ」

「…………」

「理解できたら、その散らかったモノを、しっかり掃除しておけ」

「っ……」


 ユウリは唇を噛み、静かに俯いた。

 その肩は小刻みに震えている。




 そんな可愛い義弟の姿に、私の中の何かが切れた。




「クロス様」

「ん?」




 私の呼びかけに応じたクロス王子の顔面に、渾身のストレートパンチを放った。




「ぶべゃぁっ!?」


 クソ野郎は面白い声を上げながら、椅子ごと後ろへ吹っ飛んでいった。

 ユウリとセバスは、目を点にして呆然と突っ立っている。

 何が起こったのかわからない。そう顔に書いてあるようだった。


「は……?」


 腫れ上がった自身の頬に手を当てながら、クロス王子はキッと私を睨んで、


「お……おま……お前……っ!! 自分が何をしたのか、わかってるのか……!?」

「無論です。私の義弟に対してあらぬ誤解を抱き、危害を加えた馬鹿に対して、鉄拳制裁を加えただけです」

「ご、誤解……?」


 クロス王子の呟きに、私は「そうです」と頷く。


「クロス様。ユウリは妾の子などではありません。ユウリのお母様は、スタグレーゼ分家の正妻でした。

 どこでそんな話を耳にされたのかは存じませんが、貴方様が聞いたことは間違いです」

「だからってお前……いや、それにしてもやりすぎだろうが!!」


 鼻血を流しながら叫ぶクロス王子に、側で立つユウリとセバスも無言でこくこくと頷いている。

 それはそう、とでも言いたげな態度である。

 そんな彼らを無視して、私は言葉を紡いだ。


「やりすぎではありません。王族の方が血筋で人間を差別するなど、あってはならないことです」


 残念ながら、この国にも身分による差別は存在する。

 ゲームにおけるレティシアがいじめられることになる要因の一つに、身分の低さがあったことは否定できない。

 血筋で人間を人間とも思わない仕打ちをする者たちは存在するし、それが表向きにもまかり通らない価値観も存在する。

 ただ。


「そこらの貴族であれば、私もとやかく言うことはありません。人間同士、どうしても相容れない者もいるでしょう。

 ですが、貴方は王族の方。そして私の婚約者となられるお方。

 王家の人間だというのなら、その肩書きにふさわしい人格を備えて然るべきです」

「っ……!!」


 クロス王子の顔は、ゆでだこのようになっていた。

 ここまで顔を赤くした人間は初めてお目にかかる。


「……帰る!!」

「はい。お気をつけてお帰りください」

「――覚えてろ」


 捨て台詞を吐き、急ぎ足で去っていくクロス王子の背中を、笑顔で見送る。

 どこからともなく現れたクロス王子の護衛たちが、その後を慌てて追いかけていた。


 あー、すっきりした。

 あのバカ王子も、ブラコンの怒りを思い知ったことだろう。


「あ、あの……アン姉さん」

「大丈夫よ! 悪は去ったわ!」


 私の言葉に、ユウリはなぜか苦笑いしていた。


「……ありがとう、アン姉さん。僕のために、怒ってくれたんだよね?」

「別にユウリのためじゃないわ。自分のためよ」


 ユウリのため、なんていう事を言う気はなかった。

 もしこれで婚約破棄、なんていうことになったら、ユウリが気に病むことは確定的だからだ。

 だからこれは、ただ自分がすっきりするためにやったことだ。


「……しかし、さすがにやりすぎです、アン様。婚約破棄の申し出を受けても仕方ないですぞ」

「いいのよ、あんな奴! こっちから婚約破棄してやりたいくらいだわ!」


 厳しい視線を向けるセバスに対し、私はフンと鼻を鳴らした。

 父ヘイルには悪いが、クロス王子にも問題があったと思う。

 今回は運がなかったと諦めてもらおう。


「さて。変なヤツもいなくなったことだし、お茶会の続きでもしましょうか」


 地面に落ちてしまったバスケットを拾い上げた。

 何枚かクッキーも落ちてしまっていたので、ついでにそれも拾ってみる。


 ……前世の世界では、三秒ルールというものがあった。

 床に落ちたものでも、三秒以内なら拾って食べても問題ない。


 体感時間の話にはなるが、おそらく落としてから三秒も経っていないから大丈夫だ。

 少しだけ土がついていたので、それを軽く払ってから口に入れた。


「あ、おいしい……!」


 甘さは思ったよりも控えめで、香ばしい匂いが鼻を抜けていく。

 お世辞ではなく、私が作ったものより何倍もおいしかった。


「あ、アン姉さん!? それ落ちてたやつだよね!? なんで食べちゃったの!?」

「え? だって、少し土がついたくらいで捨てるなんて、もったいないじゃない」


 ユウリはポカンと口を開けたまま硬直している。

 見ると、隣のセバスも固まっていた。

 目は閉じているように見えるが、瞼がぴくぴくと動いている。


「そんなことより、これ、すごくおいしいわ! さすがユウリね!」

「……えへへ」


 私が頭を撫でると、ユウリはくすぐったそうに目を閉じて、されるがままになっていた。


「――アン様」


 そんな姉弟水入らずの時間は、老執事の硬い声にかき消される。

 不思議な威圧感に、さすがの私もゴクリと唾を呑み込んだ。


「王族の方に説教されたのも大問題ですが……。貴方様自身も、まだまだお説教される立場におられることをご理解した方がよろしい」

「い、いいじゃない! ちょっと地面に落ちたものを食べただけでしょ。別にお花の蜜を吸ったりするのと大して変わらないわ」


 そう言った瞬間、セバスの細い瞳が妖しく光った気がした。


「……なるほど。どうやら余罪があるようですね」

「しまった!?」


 巧みな話術につられて、喋らなくていいことまで喋ってしまった。

 じりじりと近づいてくる老執事の圧に耐えられず、私はおもわず後退する。


「ユウリ様。先にお部屋にお戻りになってください。――私はアン様と、少しお話がありますので」

「やだーっ!!」


 悲痛な叫び声を上げる少女を片手で抱え、セバスは優雅に屋敷へと戻ったのだった。





 その後、私はこれまで見逃されてきた数々の所業について、長時間にわたるお説教を受けたのだった。


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