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第十二話 何もしなくていい説


 「ちょっとお茶を摘んできますわ」などとわけのわからないことを言い放ち、私はその場を離れ、全速力で自室へと戻っていた。

 あっけに取られたユウリとお父様の顔が頭から離れないが、今はひとまず置いておこう。


 はやる気持ちを抑えながら、机の奥にしまってある極秘ノートを掘り出した。

 特に大きなイベントもなかったので、ここ数ヶ月はまったく触っていなかったのだ。


 本当に、ちゃんと形に残しておいてよかったと思う。

 今でももう、前世のゲームの記憶はおぼろげになりつつある部分もあったから。


「あった……!」


 クロス王子の情報が記載されているページを開く。

 そこにはしっかりと、以前の私が記憶していた内容が細かく記されていた。


 ――フォネスト・クロス・ツウォルクォーツ。

 我が国、ツウォルクォーツ王国の第四王子。王位継承権は第四位。

 王位からはやや遠い位置にいる少年だ。


 年齢は私やユウリ、主人公たちと同じ。

 灰色の髪に、金色の瞳が特徴的な美男子である。


 ツウォルクォーツ王家の特徴は、基本的に全員が光属性魔法の使い手だということだ。

 クロスも例に漏れず光属性の適性があり、ゲーム中でも時折使用していた。

 とはいえ、魔法はそれほど得意というわけではなかったよう。


 ゲーム中での性格は、ザ・俺様系といった感じ。

 平民でありながら四属性の適性を持つゲーム主人公のレティシアに、最初はやっかみのような感情を持っていた。

 魔法の腕では間違いなく負けていたし、王族である自分以上に注目を集める彼女のことを、快くは思っていなかったのだ。


 しかし彼女の優しさや強さに触れ、次第に態度が変わっていく。

 クロスは次第に、レティシアに惹かれていくことになる。


 だが、邪魔者がいる。

 皆さまご存知の悪役令嬢、ジョレット・アンニ・スタグレーゼである。


 いつ頃からかは定かではなかったが、以前からアンニとクロスは婚約関係にあった。

 アンニが王族との婚姻を誇りに思う一方、作中でのクロスの態度はひたすら冷ややかなものだった。

 性格的には、とても相性が良さそうとは思えない二人ではあったが、クロスがどれだけ邪険に扱っても、ゲーム中でのアンニは照れ隠しか何かだと勘違いしていた。

 なんかもう一周回って相性がいいのでは? と思わないでもない。


 レティシアのルートでは、アンニのレティシアに対する嫌がらせや犯罪行為の諸々がバレてしまい、婚約は解消、スタグレーゼ家の地位も地に落ちることになった。

 婚約破棄したクロスは、レティシアと結ばれてハッピーエンドとなる。


「いや、いかんでしょ……」


 およそ貴族令嬢とは思えない呟きが漏れる。

 私にとっては、全然ハッピーエンドではないのだから仕方ない。


 そういえば、こんな感じの話だった。

 おぼろげになりつつある記憶が、一気に補完されていくのを感じた。


 油断していた。

 まさか、こんなに早い段階でアンニがクロスとの婚約に至っていたとは、考えもしなかった。

 婚約の話が来た段階で断ってしまえばいいと、気楽に考えていた自分を呪いたい……。

 

 こちらとしては、たまったものではない。

 破滅の化身が、すぐそこまでやってきているのを肌で感じる。


「――緊急アン会議の開会を宣言するわ」


 かくして、緊急アン会議が開会した。


「今回の議題は、クロス王子の襲来について」


 襲来。もはやそう呼ぶのが適切なイベントだろう。

 クロス王子の襲来は、平穏な暮らしをモットーにかかげる私にとって、百害あって一利なし。

 お父様も余計なことをしてくれたものだ。


 いや、お父様も必死なのだろう。それはわかる。

 スタグレーゼ家の地盤をより盤石なものとするための一手、そう考えているとみて間違いない。

 お父様の立場も尊重しつつ、こちらとしても色々と方策を考える必要がある。


「来るのを拒否するのは……難しいか」


 相手は王子だ。

 立場的にも、こちらから来るのを拒否するのは難しい。


 私が当日いないというのもマズイだろう。

 あくまで招待し、おもてなしする側のスタグレーゼ家に、王家側から付け入る隙を与えるのはよくない。

 婚約解消で済めばよいが、お父様の、ひいてはスタグレーゼ家の立場が悪くなるのは確定的だ。

 それは私の望むところではない。

 私は当日、完璧でなければならないと考えるべきだ。


「私としては、早めに婚約破棄はしてもらいたいのだけど……」


 レティシアと出会ってから、私との婚約を破棄する口実を探されるのは面倒だ。

 相手が相手なので、清廉潔白であればよいという話でもないだろう。

 最悪の場合、冤罪をふっかけられて婚約解消、みたいなパターンもあり得る。

 王家は怖い。

 できるなら繋がりは作りたくないというのが本音だった……。


「かといって、ものすごく嫌われるようなことをするのもリスクが高い……ああ、本当にめんどくさいわ……」


 当たり前だが、人間に嫌われるというのはそれだけでリスクが伴う。

 不用意に敵は増やすべきではないし、それが王家ともなればなおさらだ。


 私は頭を抱える。

 本当に面倒な問題を持ってきてくれたものだ。

 ストレスで胃に穴が開きそうになる。


 なぜ私がここまで悩まなければならないのか。

 いっそ、もう考えるのをやめて、流れに身を任せてしまおうか。


 ……いや、待てよ。




「――もしかして、私って、別に何もしなくてもいいのかも……?」




 冷静になって考えてみると、クロス王子関連でアンニが破滅するのは、その婚約関係にしがみついたからだ。

 それも、レティシアを追い詰めるために非合法な手段まで使って。


 仮に私とクロス王子が婚約していて、クロス王子とレティシアがいい感じの雰囲気になったとする。

 その時に引っ掻き回すようなことをせずに、素直に愛で結ばれた二人のことを祝福し、私が身を引けばいいだけの話ではないだろうか。


 大人しく身を引けば、クロス王子だって私やスタグレーゼ家を破滅させようとは思わないだろう。

 スタグレーゼ家も王家と比べれば小さなものではあるが、敵に回すのはリスクが伴う。それは相手も同じのはず。


 私自身、クロス王子と結婚したいかと言われれば、ノーだ。

 将来的に政略結婚することになるのは仕方ないにしても、もう少し心穏やかに過ごせる相手がいいと、切に思う。


 ゆえに、今の私が婚約解消を渋る理由はない。

 クロス王子の方から、いつ婚約解消を言い出されても良いように、しっかりと心の準備をしておくだけだ。


 無論、お父様は悲しむだろうが……欲をかいて破滅するよりはずっといい。

 クロス王子に心に決めた人がいる、と言えば、お父様も心はともかく頭では納得してくれるはずだ。

 そこで私との結婚を強行しても、ロクな運命は待っていないのだと。


「これだわ……! これしかないのだわ……!」


 我ながら天才と言うしかない。

 自分が出した結論を称賛しながら、私は今後の課題をノートに書き始めるのだった。







「…………何を言ってるんだろう、アン姉さん」


 僕――ユウリは、挙動不審だったアン姉さんの後を追いかけてきた。

 部屋に戻る姿が確認できたので、そろっとドアの前に陣取る。


 部屋の扉の前で、そっと耳を当てて声を聞き取ろうとするが、うまく聞き取れない。

 それでも、何やら妙な盛り上がりを見せていることだけはわかった。


「あんまり変なこと考えてないといいけど……」


 僕のアン姉さんに対する認識は、そんな感じだ。

 とはいえ、気持ちはわからないでもない。

 あの様子からして、アン姉さんは自分の婚約者が誰なのか、知らなかったようだし。


 クロス第四王子。

 この国の王族の方と結婚するとなると、それはもう僕なんかには想像もつかないほどのプレッシャーに襲われているに違いない。

 ……いや、あの姉さんのことだから、そこも何とも言えないところなのだが。


「……婚約、か」


 自分には、どこか遠い国の出来事のように思える。

 このスタグレーゼ家の跡を継ぐ以上、僕自身も政略結婚をすることになるのだろうけど。

 まだ僕には、いまいち想像ができなかった。







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