第十話 お姉ちゃんだから
「……ユウリ、いる?」
閉会の後、私とフィッチ先生は、ユウリの部屋の前に足を運んでいた。
扉をノックしてみるが、返事はない。
「…………」
けれど、中にユウリがいる気配はある。
沈黙を保ってはいるが、なんとなく、耳をそばだてているのではないかと思った。
きっと、この声は届いている。
そう思って、私は扉越しにユウリへ語りかける。
「私ね、わからなかったんだ。ユウリがどうして、出てきてくれないのか」
「…………」
「傷は、ちゃんと治してもらったんだよ。痕も残ってない。だから、ユウリが気にすることなんて何もないのにって、ずっと思ってた」
「…………」
「……でも、フィッチ先生にも相談して……ユウリが気にしてることは、ちょっと違うのかもって、そう思ったの」
「…………」
ユウリは相変わらず沈黙を保っている。
けれど、僅かに室内の空気が揺らいだような気がした。
「ユウリはこれから先も、自分の魔法で私を傷つけるかもしれないって、そう思ったの? だから部屋から出てきてくれないの?」
「…………っ」
「――だから、私を遠ざけようとするの?」
「……っ!」
部屋の中から、かすかに声が漏れる。
それは間違いなく、ユウリの耳に私の声が届いた証左だった。
「……こわいんだ」
ポツリと。
扉越しに、ユウリの声が届いた。
「じぶんのなかから、すごくくろくておおきなものがあふれてきて……ぼくなんかじゃ、あれをなんとかするなんて、できないよ……」
「……ユウリ」
ユウリの中の魔力は、それほどまでに巨大なものなのか。
同じ感覚を共有できない私には、それがどれほど絶望的なことなのか、うまく想像ができなかった。
「まほうをつかおうとして……つかおうとしなくても、なかからあふれてきそうになるんだ……。このままじゃ、アン姉さんまで……」
「――――」
知らなかった。
ユウリが一人で、それほど思い詰めていたなんて、知らなかった。
「……でも、うれしい」
「……え?」
私の口から出た言葉に、ユウリの口から困惑の声が漏れる。
「だってそうでしょ? ユウリは私が大切だから、傷つけたくないから、わざと自分から距離をとってたんだよね。えへへ、うれしいなぁ」
「それは……」
原作のユウリを知る私だからこそ、わかる。
ゲームでのユウリなら、たとえどんなに大きな悩み事があったところで、姉であるアンニに相談しようとは思わないだろう。
まして、姉を大切に思う感情など、無いに等しかったに違いない。
「ありがとね、ユウリ。お姉ちゃんのことを、大切に想ってくれて」
だから、私の口から一番先に出た言葉は、感謝だった。
「……でも、ぼくはアン姉さんをきずつけたんだよ!? あんなひどいけが、もしかしたらなおらなかったかもしれないのに……!!」
「いいのよ。私が、ユウリを助けたかったから、結果的に怪我しちゃっただけ。ユウリのせいじゃないわ」
これは本心からの言葉だ。
結局、私だってベターな選択はできたと自負しているが、ベストな選択ができたとは考えていない。
自分が怪我をしたのだって、別にユウリのせいではない。私の頭が足りなかったせいだ。
あの時、あの瞬間にできる中にも、もっといい方法があったかもしれないのだから。
「でも――」
「私の怪我も治った! ユウリも怪我してない! 屋敷もちゃんと元に戻ったし、何も問題ないのよ!」
「…………」
ユウリはまた、口ごもる。
まだ、心の底からは納得できていないのかもしれない。
だから、私の気持ちもちゃんと、伝えなければ。
「……あのね、ユウリ。ユウリはお姉ちゃんのことを大切に思ってくれてるけど……それは、私も同じなんだよ?」
「え?」
本気で困惑している、というようなニュアンスが伝わってくる声色に、私は苦笑する。
もしかしなくても、そういう風には考えていなかったのだろう。
「私だって、ユウリのことが大切で、傷ついてほしくなくて……。だから、ユウリが困ってたら助けたいし、悩んでたら相談に乗ってあげたいって思うのよ」
「……どうして?」
本気で不思議そうなユウリの声に、私は自信満々に答えた。
「どうして、って……私が、ユウリのお姉ちゃんだからに決まってるじゃない!!」
「――――」
扉の奥から、息を呑む声が聞こえた。
「ユウリは私の大切な家族なの。弟なの。だからお姉ちゃんは、ユウリのためならだいたいなんでもできるわ! だいたいね!」
私個人の能力は、たかが知れている。
なんでもできるとは口が裂けても言えない。
できないことはできないが、それでもなんとかしようと尽力するだろう。
「お姉ちゃんはかわいい弟を助けるものなの。だから絶対、見捨てたりなんかしないんだから!」
それが結論。変わらない、私の答えだ。
優しいユウリをこのままにはしておけないし、しておくつもりもない。
だから、何としてでも部屋から出てきてもらわなければ。
「……アン姉さんのきもちは、わかったよ。すごく、うれしい」
扉越しのユウリの言葉からは、確かに喜色がにじみ出ていた。
けれどそこには、それだけでない、複雑な感情の色も混じっていて。
「でも、だめなんだ。ぼくは、まりょくがうまくコントロールできない。まりょくが……!」
「――ユウリ様。少しよろしいでしょうか?」
「……フィッチ先生?」
「ええ、そうです」
私の隣で沈黙を保っていたフィッチ先生が、突然ユウリに話しかけた。
「何をするつもりなの?」と目で問いかけるが、「まあ見ててください」と言わんばかりの態度で目を逸らされた。
「つまり、ユウリ様が魔力をコントロールできるようになれば良いのでしょう。なら、私がユウリ様を猛特訓しましょう」
「「え?」」
二人の声が同時に響く。
その提案は私にとっても、寝耳に水だった。
「魔力のコントロールの上手さは生まれ持った素質も影響しますが、その大部分は、訓練すれば鍛えられる部分です。
ユウリ様がしっかりと励めば、どれだけ膨大な魔力を秘めていようとも、魔力の暴走などということは起こらなくなりますよ」
「……ほ、本当に?」
ユウリの声に、今までになかった色が混ざる。
それは紛れもなく、一筋の光明が差した人間の声色だった。
「私はこれでも、魔法学院ではそれなりの成績でしたし、魔力の操作なら問題なく教えられます。あとは、ユウリ様次第です」
「ぼ、ぼくは……」
扉の向こう側で、ユウリの身体が震えているのがわかった。
「…………」
「ユウリ……」
そして、扉が開かれた。
出てきたユウリは真剣な顔で、私とフィッチ先生の顔を見つめて、
「……ぼく、やるよ。にどと、アン姉さんやみんなをきずつけないようにする。それで、こんどはぼくがみんなを守るんだ」
「ええ。ユウリ様なら大丈夫です。きっと、皆さんを護れるくらい強くなれますよ」
「うん!!」
フィッチ先生の言葉に、ユウリは大きく頷いた。
「……アン姉さん。ごめんなさい。ごめんなさい……」
「いいのよ。大丈夫。大丈夫だからね……」
ぽろぽろと涙をこぼすユウリにつられて、私ももらい泣きしてしまった。
こうして、ユウリの引きこもり事件は収束を迎えたのだった。




