3話 吾輩は猫ではない
鼻歌を歌いながら自分の部屋に帰る。
そうして部屋に着き、いそいそと手紙を書く準備をした。
これでOK、準備は万全である。
といっても、紙とペンを用意して、机に向かうだけだが。
特に考えることもなく手紙を書くことにしたわけだが、何を書こう。
手紙を送るのは、父と母。
ついでに兄にも送ってやろうか。
まだ寮に入ってから少ししか経っていないが、家族のことを思い起こすだけで家に帰りたくなってくる。
いやいや、我慢だ我慢。夏休みには帰省できるんだし、それまでの辛抱だ。
あれ、そういえば。
兄の手紙はどうやって送ろう。兄は優秀な魔術師となり、都会に行ってしまったので、私には今の住所が分からない。
父と母なら流石にわかるだろうか?
兄への手紙も、二人への手紙に同封して送ってもらおう。
さて、肝心の内容を書き始めたいのだが、これが難しい。
書き出しが一番迷う。
「どうしよっかなぁー」
かたんとペンを置き、頭の後ろで腕を組み考える。
寮生活が始まってから、これといって面白いことはなかったし、というかまだまだ始まったばかりなのだから、書けることがない。
まさか、教室でのあの出来事を書くわけにはいかないし。
私の完璧な暇つぶしプランは、どうやら抜け穴まみれだったようだ。
残念無念。
仕方がない、昼寝するか、と思ったのも束の間。
かり、かりかり。
閉ざされた扉の方から、引っ掻く音が聞こえる。
気になって、扉に近寄った。
かりかりかり。
この音の主は何者だろうか。
ああ、そういえば。
このマルダン調査団学校は、すぐそばに森を所有している。
野生の魔獣の生態系を管理し、生徒の学習に生かすことを目的としている。らしい。
そのため、学校や寮の中に小型の魔獣が入ってくるのも、珍しくないと聞いた。
おそらくこの音も魔獣の仕業だろう。
このドアを開けるべきか、開けざるべきか。
決まっている。
──調査団ならば、未知のものを解明したいと思うのは当然だ!
ガチャ、とドアを開けた。
そして、そこには─
「きゃおん」
「あらかわいい」
白い犬型魔獣の子どもがいた。
見た目は完全に羽を生やした子犬である。
なんとかわいい魔獣なのだろうか、この子犬は。
「どうしたのおまえ。親犬とはぐれた?」
しゃがんで目線を合わせ、目の前の子犬に語りかける。
「きゃうん?」
魔獣は羽を小さくぱたぱた動かし、こてん、と首を傾げた。
きゅるきゅるな目をしやがって。
全く綺麗な青色のおめめである。
愛おしいやつめ。
「きゃんきゃん!」
「お?おお」
撫でろ、と言わんばかりに子犬が私の手に擦り寄る。
ふわふわとした白い毛の手触りが心地よい。しっぽを全力で振っているのもまた可愛らしい。
どうやら、かなり人馴れしているようだ。
もしや、誰かの所有する魔獣だろうか。
であればその人を探さねばなるまいが─
「きゅう〜ん♪」
小さな魔獣は、その丸い頭をぐりぐりと、私の手に擦りつけてくる。
……もうしばらく、このままでもいいかなぁ。
『バゴオォォォン!!!』
開いていた窓から、爆裂音が聞こえた。
「きゃおん!?」
「な、なにごと!?」
すぐに窓に駆け寄る。
見れば、校庭の奥の方で砂煙が上がっていた。
その煙のせいで視界が悪く、人がいるのか、いないのかも把握することはできない。
一体何が起きたのか?
なぜこんな事態が発生したのか?
学校の実験室で、何かの実験に失敗した?
学校が管理する魔獣が、何か行動を起こした?
それとも授業中の事故?
それとも──
音が聞こえた方向から吹く、強い風が頬を掠める。
ばく、ばく、ばくと。
意外なことに、私の胸は弾んでいた。
事件の予感に、心がはやる。
生唾を飲み込む。
この日、あの場所で、何があったのか?
気にならないわけが、あるだろうか?
「いいや、ないね!」
好奇心は猫を殺す、とは言うが───
あいにく、私は猫ではないのだ。
私は、自分の部屋を足早に後にした。
───────
「魔獣が暴走している!!近辺の生徒は避難するように!」
何人かの生徒が、避難を呼びかけている。
そして、避難勧告をする生徒の中に、見覚えのある顔があった。
「リオン?」
「ミカ!?なんでこんなところにいるんだ!」
そこには、慌てた様子のリオンがいた。
「リオンこそ、なんでここに?」
「図書館に向かう途中で大きな音が聞こえたんだ。それで外に出てみたら、この有様でな……」
「ミカも早く逃げたほうがいい」とリオンに言われながらも、私の視線は別の方へ向かっていた。
「キーキュルルゥ゛!!クキュルゥ゛ァア!」
「おい、落ち着け!」
「動くな!大丈夫だから!」
「クギュアア゛!!!」
中型のイタチ型の魔獣が、上級生と思われる男子生徒二人に抑えつけられている。
すぐそばの少し黒ずんだ壁には大きな穴が空いており、瓦礫の山ができている様子から、あの魔獣が魔法を使って破壊したであろうことが予測できる。
おそらく、先程の爆裂音の原因は魔獣の魔法だろう。
「……先輩から聞いた話によると、普通に授業をしていた時、突然様子がおかしくなったそうだ」
魔獣を気にする私に気づいたのか、リオンが補足してくれる。
「……そうなんだ」
「ねぇリオン、魔獣が原因不明の暴走をした時の対処法第一条は?」
「……『第一に、魔獣の体力を消耗させることに専念する』」
「だよね。捕獲行動を行うのは何条?」
「第二条だな」
「……あの先輩方って、第一条の『魔獣の体力を消耗させる』、っていうの、やってた?」
「……少なくとも、私は確認していない。魔獣を発見してすぐに捕獲行動に移ったように見えた」
「順番通りじゃないと、って散々言われたよね。ペーパーテストのとき」
イタチ型の魔獣が、二人の男子生徒の拘束をほどこうと抵抗する。
「ところで、私は魔獣に好かれやすいらしいけど」
二人の男子生徒が、魔獣に振りほどかれた。
「……囮にでもなるつもりか?」
「そゆこと。察しのいい友達を持てて私は幸せ者だよ」
「はぁ……。私も手伝おう」
思わず目をぱちくりとさせる。
リオンは、そんな様子の私を見てやれやれとでも言いたげな表情をした。
「『注意その一、魔獣が暴走した時の対処は、必ず二人以上で行うこと』、だろ?」
それにミカは魔獣を捕獲できないだろ、と諭される。
「……忘れてたよ、ありがとう」
ゆらり、とイタチ型の魔獣が首をもたげた。
そして、そのまんまるな瞳孔と目が合った。
ここ1年くらいでわかったことがある。
私は魔獣に好かれる。良くも、悪くも。
つまり、君は──あの魔獣は、私を絶対に獲物に選ぶ。
さあ、鬼ごっこを始めよう。
────────
まさか、入学初日に学校の敷地内を走り回ることになろうとは。
いや、だって、それしか思いつかなかったんだって。
あの魔獣は、中型といえども、大型に近いので小回りがきかない。
右に左に曲がり道に入ったり、入らなかったりと、コーナーで差をつけて、ヘマさえしなければ追いつかれる心配はない。多分。
ちらりと後ろをのぞき見れば、魔獣の動きが少し鈍くなっているのがわかった。
うん、いい感じ。
このまま引き付けて、リオンとの合流地点に流れていけばなんとかなる。
魔獣を落ち着かせるためには、一度体力を消耗させ、攻撃性が低くなったところを抑える必要がある。
リオンは捕獲用の魔法が得意だ。
正確には、相手の動きを止める魔法だが、魔獣の捕獲には十分役に立つ。
魔獣の動きのキレが、少しずつなくなっていく。
そろそろ頃合いだ。
合流地点への道へ入る。
あの角を曲がれば、上にリオンが待機しているはず。
さあ、ラストスパートだ。
「おーい!イタチちゃーん!こっちだよー!」
私を見失いかけた魔獣の意識を、こちらに向ける。
私を目視した魔獣は、そのまま一目散に私の方へ駆けてきた。
それを確認して、私は真っ直ぐ道を走っていく。
そして、曲がり角を曲がった瞬間に上を見上げれば──
両腕を構えているリオンが目に入った。
「ミカ、伏せろ!」
「あいあいさー!」
即座に前に飛び出して身体を伏せる。
その瞬間に、雷のような黄色い光が頭上を通過していった。
「クキュルゥ゛!?」
後ろを振り返って見れば、バチバチと火花を散らす数本の光のツタが、檻のように魔獣を囲っていた。
「ひゅう、相変わらずいい雷魔法だね」
「はは、お褒めにあずかり光栄だ」
リオンは上から飛び降りてきて、地面に突っ伏していた私に手を貸してくれた。
それにしても、その高さから飛び降りても何の問題もない身体能力の高さが、ほんの少し羨ましく感じる。
私も、猫みたいにしなやかに動けたらいいのにな。
「キークククゥ゛……」
魔獣が威嚇音を鳴らす。
四肢でしっかりと地に着き、その瞳の瞳孔は開ききったままだ。
そうだ、魔獣が暴走した時の対処法第三条、『魔獣を捕獲しても、油断せずに魔獣の様子をうかがうこと』を忘れていた。
「リオン、ごめん」
「ああ、わかっている」
リオンがもう一度両腕を前に出し、構える。
私は魔法が使えないので、こういう時ばかりは手伝えない。
「キルルギュルア゛ァ!!!」
魔獣の出した炎が、一瞬にして雷の檻を打ち消した。
リオンが再度魔法を放とうとした、その時。
「きゃおん?」
脇の道から、ひょこりと子犬が飛び出してきた。
「……犬型魔獣?」
「エッ!?子犬ぅ!?」
「きゃんきゃおーん!」
子犬がこちらを向き、嬉しそうに吠える。
いや、きゃんきゃおーん!じゃない!
どっから来たんだこの子犬は!
私を追いかけてきたのかな?
じゃあ仕方ないね!
……仕方ないわけがない。
「ミカ、あの魔獣を知っているのか?」
「知っているっていうか、さっき見つけた迷子……かな。ついてきちゃったのかも……」
「親とでも思われているのか、全く……」
リオンが険しい顔をする。
それもそうである。
あの子犬の位置は、非常にまずい。
子犬をどうにかしてどけないと、リオンの魔法があの子犬にも降りかかってしまうかもしれない。
それは、うん、かなりというか、大変まずい。
中型の成獣向けの魔法が、幼獣にぶつかってしまった時の結果というのは、火を見るより明らかであろう。
不幸中の幸いか、イタチ型の魔獣は拘束が解かれても動こうとする気配はない。
もちろん、鬼気迫る表情に変わりはないが。
しかし、子犬をこちら側に誘導するか、イタチ型の魔獣から距離を取らせるかしてしまえば、こっちのものである。
焦ってはいけない。平常心だ。
『こいぬー!ほら、こっちおいで!なでてあげるから!』
子犬にだけ聞こえるように、小声で叫ぶ。
私の声が聞こえたのか、子犬はピクリと耳を動かし、こちらに向かってきてくれる。
てくてく歩くその姿はかわいいものだが、流石に突然の登場には肝を冷やした。
とりあえず私のもとに来てくれそうで、思わず安堵の息を吐くが──
子犬の行き先は、私が予想したものではなかった。
「……きゃおん」
子犬は、イタチ型の魔獣の目の前におすわりをした。
「こっ、子犬……!」
居ても立ってもいられず、駆け出しそうになる。が、リオンに引き戻された。
「ちょ、リオン……!」
「待て、下手に近づくと危険だ」
正しい意見にぐうの音も出ず、私はリオンの腕の中で子犬を見守ることしかできなかった。
「きゃお?」
「キーキュルクククゥ゛……!ギュルゥ゛……!」
「……きゃん」
子犬と魔獣が一つ二つ言葉を交わした後、自分の目を疑うことが起こった。
子犬が瞼を閉じ、優雅に佇む。
すると、子犬の周りを白い光がうねり始め、その光が大きくなったと思ったら、イタチ型の魔獣を瞬く間に包みこんでしまった。
眩しさに目を細め、それでも一部始終を観測しようとしていたら──
魔獣を包んでいた白い光は、すぐに消えてしまった。
魔獣の丸い瞳からは、もう攻撃性を感じなかった。
──────
「きゃおおん♪」
「まったく、おまえはいったいどういうやつなんだろーね……?」
私の肩に乗っかる子犬の顎を撫でてやる。
「まさか、誰の魔獣でもなかったとはな……」
あの後、職員室へと赴き、一から十まで、私とリオンが体験したことを魔獣管理係の先生に話した。
その先生に頼み込んで、校内魔獣管理名簿を確認してもらったが、子犬のような魔獣を所有する人は見当たらなかった。
おそらく野生の魔獣で間違いないだろうが、この魔獣の持ち主が見つかるか、親が見つかるまで、一ヶ月の期間、一番懐かれている私の下で保護することとした。
無事、持ち主か親が見つかればいいが。
見つからなければ──
「でもすごいね、子犬ちゃん。魔獣の暴走を一瞬で収めちゃったんでしょ?」
ルナの声で我に返る。
職員室から帰る途中で、偶然にも、他の先生の手伝いをしていたルナと出会ったのだ。
私達から事情を聞いたルナが、子犬への称賛の声を上げる。
「……うん、すごいんだけど。なんで私にこんな懐いてんだろ」
「やはり、ミカが魔獣に好かれやすいからだろうか?」
「それしか理由ないんじゃない?あたしもそれ以外思いつかないや」
ルナがこの議題から匙を投げる。
まあ、確かに考えてもわからないことだ。
なぜ子犬があんな力を持っているのか。
なぜ私にこんなにも懐っこいのか。
正直、何もわからない。
でも──
「きゃお〜♪」
この頭を擦り付けてくる子犬を、愛おしいと思うのは確かだ。
この子犬の親が見つかるまで。
いや、見つからなくても──
精一杯の愛情を持って、接してやろう。
────────
「それにしても、珍しいな」
「んえ、なにが?」
「ほら、その子犬の瞳孔、白いだろう」
言われて子犬の顔を確認する。
確かに、子犬の瞳孔は白い。
「え、ほんとじゃん!じゃあさ、」
「子犬ちゃん、ミカと目がお揃いってことじゃん!いいな〜!」
ルナの言葉で気づいた。
そうだ。
私の瞳孔も白いんだった。
そのせいで、白い瞳孔の方が珍しいというのを忘れていた。
なんなら、青いおめめもお揃いである。
「……今気づいた」
「うっそぉ、流石に鈍感すぎじゃない?」
「ミカは意外と視野が狭いからな……」
「視力は2.0超えてるからいいかなって」
「よくないでしょ」
ルナもリオンも呆れ顔になってしまった。
我が友人たちは、実に失敬なやつらである。
やれやれ、困るなぁ。
「すごい、すっごくムカつく顔してるよこの人」
「私達のことを、失礼なやつらだと思っている顔をしているな」
「リオンってエスパータイプだったっけ」
「違うに決まっとるやろがい」
「痛っ」
ルナに軽く頭をはたかれた。
冗談なのに。
(おまけ)
「そうだ、子犬に名前つけなきゃ」
「きゃうう?」
「おまえはなにがいい?」
「きゃう?」
「そうだな……ポチとか」
「んぎゃう!」
「駄目?じゃあシロ」
「んぎゃうぎゃう!」
「うーん、それなら……ブルーアイズ・スノーホワイトドラゴンは?」
「んぎゃ……。んぎゃーう!」
「迷うフェーズなかった?今」
「んぎゃう」
「違う?そうか……」
「どうしよ、子犬の名前全然決まんないや」
「きゃおん!」
「え、なに?」
「きゃおきゃお!」
「……子犬?」
「きゃおーん♪」
「うそ、子犬でいいの?随分と変わった子犬だこと……」
「んきゃーうきゃう♪」




