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虫けらたちのララバイ  作者: 琴音♡
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1. 母の日

毎日21時に更新します。

 つまんない人生だったと思う。不幸な生い立ちとか自分の弱さとか、すべてをひっくるめて相殺しても、虫けらにも笑われるような人生だった。

 だけど言わせてくれ。


 一寸の虫にも五分の魂ってなんだよ、言われなきゃわかんないのかよ。

 虫けらだって生きてんだよ。

 踏み潰していい魂なんて、あんのかよ。


 その日は5月の第2日曜日だった。

 いつも閑散としている花屋が賑わっていた。この町で唯一の花屋なので、この時とばかりにカーネーションを求める客で活気に満ち溢れている。それを見て今日が母の日だと気が付いた。花は勿論、記念日などおおよそ縁のない僕は自転車を押しながら、その幸せそうな風景を見るともなく眺めていた。


「あっ、ごめんなさい」

 狭い通路で花屋の店員とぶつかりそうになり彼女のほうが謝った。実際にはぶつかってはいなかったが、よけた拍子に持っていた箱を落としたようだ。中のリボンが散らばって、ことのほか慌てている。いつもなら、チッと舌打ちするところだが、なぜか柄にもなく親切心が芽生えて散らばったリボンを拾ってやった。

 

 彼女は微笑みながら、「これお礼です」と白い箱から取り出した1本のカーネーションを差し出した。花なんか貰ってもと一瞬躊躇したが、断れば彼女が困るような気がして受け取ってしまった。白い箱を抱えて店に戻る彼女が振り返り、確かめるようにこっちを見てまた笑った。振り向くことなど予想もしてなくて、僕は困ったような曖昧な笑顔を返した。ちゃんと笑えていただろうかとヘンな心配をした。


 その日のうちに入院している母に、貰ったカーネーションを届けた。コーヒーの空き缶に差して、そっとサイドテーブルに置いた。眠っていたので、しばらく寝顔を眺めていたが特別な感情も浮かばなかった。

 最初で最後の母への贈り物。

「母さん、僕のことは忘れてね、僕も母さんのことは忘れるから」


 あれから花屋の前を通るときは、少し気にかけて様子を窺うが、彼女に会うことはなかった。たぶん忙しいあの日に臨時で呼ばれたアルバイトなのかもしれない。僕よりも二つか三つ年上だと思うが、クシャクシャと表情を崩す幼い笑顔が可愛かった。もう一度会いたいと何となく思っただけで、それ以外の感情などない。そのうちに花屋の彼女のことは忘れてしまった。


 トモにクレープ屋に行きたいと誘われた。男が一人でクレープを買うのは勇気がいる。トモは高校を1年で中退した僕の唯一の友達だ。彼は学年代表を務めるほどの秀才で僕とは天と地ほどにかけ離れている。だけどなぜか、ウマが合った。地元が同じなので、高校を辞めてからも時々連絡をくれる。


「悪いな、つき合わせちゃって、奢るから勘弁してよ」

「どうせ暇だし、クレープ好きだし」


 クレープ屋はいつも混んでいる。並ばずに買えた試しがない。相変わらず行列の大半は女の子で、たまに見かける男はカップルの片割れだ。お決まりのチョコバナナを手渡しながら、トモが言う。


「たまには他のを頼めばいいのに」

「いや、チョコバナナ以外の選択肢はないっしょ」

 そうやって他愛のない話をしながら、花屋の傍を通りかかった時だ。

 

 歌が聞こえた。伸びやかで晴れやかな歌声が僕を包み込んだ。その主が誰なのか、耳に届く声で想起できた。塀で隠れているがパチパチと茎を切る音で、何かの作業中だということが窺える。鼻歌にしては声が大きいが、店の裏手なので聞いている人がいるなど想像もしていないらしい。トモにも歌声は届いていた。


「きれいな声だね。うまいし、プロみたいだ。たぶんイタリア語」


「ふ~ん」


 特別、関心なさそうに横を通り過ぎる。一人だったら、声をかけられただろうか。引き返して確かめたい衝動を必死に抑えた。この先、二度と会えないかもしれないけど、会ってどうする?僕のことなんか記憶の片隅にもないのに、挨拶なんてしたって意味があるの?


 父親の失踪から3年。働き尽くめで体を壊した母と、生活のために身体を売る姉との白黒の生活の中で灰色に染まった。無機質で平坦な日常は厄介な感情を高ぶらさずに済む。僕はただ普通に生きたいだけだ。

 余計なことは考えずに進め。

 ただ前へ、不安から逃げたかったら、立ち止まらずに前へ。


 だいぶ歩いた。クレープも食べ終わり、町外れのバッティングセンターまで来ていた。まだ耳に彼女の歌声が残っている。揺れる音符のなかに身を委ね、いつまでも余韻に浸っていたかった。灰色一色のキャンバスに、ちょっと明るい色の絵の具を垂らしたような気がして心が躍った。

 

 クレープを食べた後は、バッティングセンターでひたすらバットを振るというのがお決まりのコースだ。学業に専念するために野球部を辞めたトモは夢中でバットを振る。小気味のいい快音を残してボールが小さくなっていく。それを見ながら、またあした花屋の前を通ってみようと何となく思った。

つづく

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