第四十二話 巻き戻された世界
しらむ目の前の空間に、知らず知らず手を伸ばす。
『いらっしゃい……よくやってくれたわ』
「……」
『わたくしはこの世界の神と呼ばれる存在です。
元は弘前康介もあのような暴挙に出る人間では
なかったのです。年月が人を変えてしまったと
いうことでしょう。そして、こちらに来る手段
を得てしまった……』
「それは、こちらには来れないという事ですか?」
『えぇ、元々は賢者でも何でもない。ただの異世
界人として召喚されただけなのです。それが…
知識を得てこちらの世界を手に入れる為に行動
するようになったのです。そのせいで何十万と
いう人が犠牲になった事か……これで向こうに
帰す事ができます』
「俺は……こちらに残してもらえないか?」
『えぇ、構いません。永遠の命が欲しいなら与え
ましょう』
「いや、それはいらない。俺を大事にいてくれる
人達と普通に生きて死にたいんだ」
『なるほど、普通を望むのですね。では、わたく
しからささやかなプレゼントを渡しましょう』
輝かしいほど光に包まれた女神と呼ばれる女性は
手をかざすと、そのまま姿が消えていった。
そして、神崎自身も意識がなくなって行った。
「おい、なんだよこの臭いは……くせ〜ぞ?」
「床に落書きしたやつは誰だよ?おい、神崎お前
服脱げよ」
「はっ?嫌だよっ……」
「おい、床を綺麗にしなきゃだろ?」
無理矢理クラスメイトの前で脱がされると、床に
落として足で擦る。
「雑巾じゃ消えねーか?」
「水かけねーとだろ?」
「違いね〜」
ケタケタと笑うと、神崎の制服を雑巾がわりにし
ていた。
そんな時に、弘前が入ってきた。
いつもならオドオドしながらこっそり入って来て
いたが、今日は堂々と長野達の前に立った。
「もうやめろよ……」
「おぉ?俺たちに楯突くのか?……あれ?何でこ
こは……」
そこは教室の一室。
そして、この後起こる事を思い出すと、全身が震
えだす。
「何で俺は生きてるんだ?いや、こいつがいるか
らかっ!」
長野が目の前の神崎を掴むと床に殴りつけると、
机を持ち上げると思いっきり叩きつけたのだった。
教室中に悲鳴が起きる。
全員の見ている前で殺人を犯したのだ。
何も言わず、ただ血まみれになって倒れる姿を弘
前は見ているしかできなかった。
そして、さっきまであったはずの魔法陣が消えて
行く。
「どうして……こんなの聞いてない…なぜだ!」
「きゃぁぁっぁぁーーーー」
クラス中が騒がしくなる。
なぜならここのいる大半はすでに自分の死を体験
しているのだ。
異世界での記憶が鮮明に浮かんでくる。
そして死んだ時の痛みも再現される。
その場に立っていられたのは弘前だけだった。
先生が教室にきた時には血まみれの動かぬ死体と
パニック障害になったクラス全員の姿だった。
一人だけただ呆然として動かない。
弘前の記憶の大半を持っていかれたせいでこちら
での記憶にも障害が出てしまっていた。
長野をはじめとする、上島や江口は意識は戻って
も、痛みが脳から消えず学生生活どころではなか
った。
その中で、もう一人だけ戻ってこない人物がいた。
猪島健人だった。
彼は向こうで死を体験せず、戻る事を拒否して異
世界に残った。
そこで、丸薬の研究に時間を費やしたのだった。
精神を壊した河北朱美はただ生きているだけの人
形となっていた。
クラスでのイジメから始まった一連の事件はたっ
た一人の犠牲と、一人の失踪者を出して幕を閉じ
たのだった。




