第9話 王都探索2
結局臭いを取っても泊めてもらえなかったので、ずぶ濡れのまま寒空の下野宿する羽目になった。
日差しが目蓋をこじ開け、気持ちのいい朝を迎えることは……、残念ながらできなかった。服は干物みたく固まっているし、髪の毛は海藻類のように乱雑に散らばっている。せめて水気を拭き取るべきだったと後悔した。
「最悪ね」
「最悪だな」
最悪な朝を迎え、とりあえずの洗顔を済ませた。
「ガチガチで気持ち悪い……」
「我慢しなさい……」
「で、今日は例の救護区画に行くんだろ? 行き方は知ってんのか?」
「昨日のうちに大体の場所は聞いておいたから大丈夫よ」
救護区画で罹患者の状態を調べれば、何か手がかりがつかめるかもしれない。今度は死体ではなく、まだ生きている筈だ。きっと有力な情報が手に入るだろう。
「でもこのままで入れんのか? 絶対門前払い食らうだろ」
「それもそうね。一度宿に戻って見た目だけでも整えましょうか」
宿屋に戻り、また門前払いされるのではと警戒していたが、一夜が明けただけで宿屋の店主はすんなりと通してくれた。
直ちに服を着替え、髪の毛を整えて、救護区画へ行く準備を進めた。
救護区画へは徒歩でも移動可能だが、馬車を使うことにした。国からの依頼なので、国内の馬車を無償で利用できる権利が付与されているので、使わない手はない。
馬車に揺られること半刻、救護区画の入り口へ到着した。
「壁の中に壁があるって不思議な感じね」
「これはアレか、病気が外部に漏れないようにするためか」
「恐らくそうね」
まったく、この街の衛生管理能力には感服する。他の街ではここまで徹底していなかった。せいぜい病死は火葬する程度だ。それに比べてこの街の救護区画は、高さ数メートルはあるだろう壁で完全に隔離されている。
そびえ立つ壁の一部には、小さな小屋が立っており、そこが出入り口となっているようだ。
小屋の中には、殺菌用と思われる薬品が置かれており、出入りの際にはそれで身体を清めなければならないというルールも定められている。
「薬品……清める……。逸話通りなら焼けて死ぬわね」
「え!? これを使うと死ぬのか!?」
「いや、前に話した吸血鬼の続きよ。清めの水が弱点なの。もちろん私達には関係ないけど」
「なんだよ、驚かせやがって」
臭いからしてアルコールの類だろうか。火があれば本当に燃えそうだ。
「それにしても、警備が一人もいないってどういうことなんだ?」
「病巣にわざわざ赴く人なんていいないからじゃないかしら」
小屋には受付に一人いるだけで、それ以外に人はいない。
「変な病気にかからなきゃいいけど……」
「恐い事言うなよ」
なんて与太話をしながら、救護区画への扉を開いた。
扉の先には幾つもの小屋が建っており、淀んだ空気が辺りを包み込んでいた。
「まずは区画本部へ向かいましょう。そこで詳しい話を聞けるそうだから」
区画の丁度中心部にある、石造りの家屋が区画本部だ。そこには、王下医療部部長が滞在しているらしい。まずはそこへ向かい情報を得る。
「こんにちは。国からの依頼で動いているリンカーの者ですが」
ドアを叩くと中から初老の男性が表れた。赤いローブを纏い、無精髭を生やしたその男は、咳をしながら中へ入るようジェスチャーを送ってきた。
「失礼、外の空気は性に合わないもので。私が王下医療部部長リッケンバッカー・アストルフです。参謀部が依頼を出していることは知っています。ここへきたのはあなた方が初めてですが」
他に依頼を受けたリンカーが少ないのだろうか。それとも既に別の手がかりを見つけているのだろうか。
「ここの状況を知りたいの。教えてくださる?」
「なんとも忙しない方だ。いいでしょう。こちらへおいでなさい」
誘導された先には、多くの書物や生体サンプルのようなものが並べられていた。
「これは……」
「患者から摘出した身体の一部です。研究用にと、提供してくれました」
「うえぇ」
疱瘡、裂傷、硬化、変態、多くの症状がサンプリングされている。さながら病気の博物館だ。
「当初はただの流行病だと思っていました。初期段階で対応できており、拡散も抑えられていたのです。しかし、次第に症状の変化が激しくなり、嘔吐や発熱から、皮膚の硬化に変色、出血など、今までに見たことがないような変貌を遂げる者も出てきました。我々はそれらの病に対して、有効な対応を取ることが難しくなり、もはや手の施しようがない状況下におかわているわけです。我々はこの病にこう名付けました、「変痘」と。変痘に関するデータはここにある分だけです」
机の上に置かれた一冊のファインダーにはレポート用紙が数十枚程度挟まれているだけだった。
「事実上の敗北です。我々はこの病に敗北し、自然に身を任せるしか無い」
「そういえば地下水路の話はどうなったんだ? 依頼の文面にそこが怪しいって書いていたんだが」
「そうですね、最近地下水路の方で魔獣がよく見つかるようになったという話は聞いています。それが変痘に直接関係があるかまでは……」
「なんだ、ただ繁殖期なだけなんじゃないのか」
「そうだといいのですが……」
「兎にも角にも、この区画の状況を少し見させてもらうわ。ありがとうドクター」
部下を案内に付けると言ってきたが、変にまとわりつかれても鬱陶しいだけなので断った。ただ見て周るだけなのに博物館さながらに解説員まで付いて来られてもしょうがない。
本部を出てまずは近くの家屋を周ることにした。どれも患者用の仮設家屋なのだからどこから見ようと同じだ。
「ここってなんか臭うよな。死臭っていうのか、なんか生理的に拒絶反応が出る臭いだ」
「昨日のアレよりはマシでしょ」
「まぁそうだけどさ、これ屋内に入るともっと臭いんだろ。嫌になるよ……」
「……リーシャ……あなた」
「あ゛?」
突然リーシャが目と鼻と口から出血し始めた。すぐさま額と首筋に手を当て、熱と脈を計る。
高熱と徐脈、どこかで病原菌をもらってきたのか。
「ドクター!! ドクターアストルフ!!」
感染症の疑いもあるため、すぐさまリッケンバッカーを呼び出した。幸いにも、本部からそれほど離れていなかった為、彼はすぐに駆けつけてくれた。
「これは、一体何があったのですか」
「わからないわ。突然出血しだして、高熱と徐脈を確認しているから、変痘によるものの可能性が高いわ」
「とりあえず隔離病棟へ移しましょう」
そのままリーシャは、完全防備の医師たちに担架に載せられ連れて行かれた。
「ほぼ同じ生活をしていたのになぜあの子だけ……」
普通は同じものを飲み食いして、同じ空間にいたのだから、この私も同じ症状が出ていておかしくない。それとも時間差なのか。彼女がまだ身体年齢的に幼いから。いや、私も対して変わらない。身体年齢的にはそれほど離れていないのだから。となると……。
「これは変痘なんて病原菌の仕業じゃない。それぞれ別々の病原菌が発生している」
自然とその答えに辿り着いた。今まで変な固定観念に囚われていたせいで、一つの病原菌が蔓延しているものだと思っていたが、違う。これは既存の病原菌が別々に蔓延しているだけだ。だから症状もバラバラ。そして、さっきのリーシャの症状からして……エボラ……。
さっきのドクターアストルフに案内された部屋にあったサンプルにも、疱瘡の皮膚が置かれていた、あれは天然痘。私に症状が出なかったのは、抗体を持っているからそもそも感染しなかっただけだ。そして多くの場合、病原菌の媒介となるのは、ネズミ等の下水を主な生活拠点とする生物。この倍、魔獣も含まれるか。
となると、やはり地下水路に何かしらありそうね。あまり気乗りはしないけど、サクッと終わらせて任務達成といきましょう。もちろんリーシャの為にも。