第7話 道中談話
「さて、準備はこれくらいでいいかな」
王都までの準備は予定よりも早く済んだ。
といっても必要なものは馬車と食料くらいで、それ以外は既存の物でなんとか賄えた。
馬車と食料は戦時下ゆえに調達が難しいと思っていたが、どうやらこの辺は戦争の影響をあまり受けていないらしく、意外と簡単に手に入った。
「リーシャはこの街に思い入れとかは無いの?」
「ないよ。別に生まれ育ったわけでもないし、居心地が良かったからたまたま長く滞在していただけさ」
そういうものなのだろうか。私にとっては初めての街でもあるので、少し名残惜しいが。
「それじゃ行くぞ。頼むから落ちないでくれよ」
リーシャは悪態をついて馬車を走らせた。
こんな事を言われるのも、以前依頼中に私が馬車から落ちたからだ。その時は、馬車に乗ったことなどない上、さらに悪路続きだった。荷台は上下左右に揺れ、洗濯機の中に放り込まれたような有様。
物や人が飛び交い、混じり合い、崩れ解れ、それはもう悲惨だった。
耐えかねた私は新鮮な空気を求めて荷台の後部から顔を出した。するとタイミング悪く、馬車は強烈な揺れに襲われ、その衝撃で私は荷台から放り出されたのだ。
人ひとりが落ちても気付かないくらい酷い状態だったので、馬車は止まらず、数キロほど全力疾走によるマラソンを強いられた。
「あれはたまたまよ、もうあんな無様な姿は見せないわ」
見せたくもない、常に優雅で気品溢れるこの私があんな……。
「というかリーシャ、馬車の扱いができたのね。以外だわ」
「どういう意味だそれ。別に得意ってわけじゃないけど、人並みには扱えるぜ」
てっきり猪突猛進バカかと思っていたが、意外とテクニカルな事もできるのだと感心した。
リーシャの操る馬車は安定しており、馬車自体の乗り心地の悪さを除けば、全く問題ないものだった。今のところ整地された道を走っているからだろうが、それでも手慣れたものだ。
「そうだミナ、以前言っていた前の世界の話を聞かせてくれよ」
「そうねえ、経験の記憶がないから知識だけになるけど、それでもいいかしら」
「なんでもいいよ、旅は長いんだから好きなように話してくれ。でないと眠くなってしまう」
私は語った。西暦2112年までの話を。人々の暮らしは豊かであり、望むものはほぼ全て手に入った。世界には数百もの国が存在していたが、実質はひとつの機関がそれら全てを統治していた。小さな争いを除き、世界は平和だった。なぜなら争う必要がなかったから。しかし、そこへ辿り着くまでに数多くの争いがあったことも。
「なんでも手に入るって凄いな。そんな世界に行ってみたいなあ」
「この世界じゃ当分無理そうだけどね」
なにせこの世界の景観はどう見ても15世紀のヨーロッパあたりだ。きっと帝国との戦争というのも、弓矢を撃ち合い、馬の上に乗っかって全員突撃だろう。そこに魔法が加わったところで大して戦術的に変わるものでもない。
この世界の魔法は、私生活から戦争まで幅広く活用されている。例えば、湯沸かし。火の術式を埋め込んだ小石を、水の中に入れるだけで、すぐに沸騰する。使用の際には面倒な手順も必要なく、魔法が使えなくても扱える。戦闘では火球や治癒魔法が使われている。
つまり、戦闘においては純粋な魔法を、生活においては誰でも使えるように組込式の魔法を用いているのだ。
また、魔法師でなくても魔術加工の施された武具を用いることで、ある程度の魔法が使える。だがこれは非常に高価なものなので一般的ではない。持っている者は限られており、多くが軍人だ。
その中でも突出した者、わかっているだけで、公国の黒剣と白剣、帝国の天帝。それ以外にも各国に存在しているらしいが、情報が無い。また共和国に関しては軍事的な情報が一切存在しない。恐らく、魔術加工の施された武具『魔具』を使える人材は、戦略的に重要であるからだろう。
「ミナ、町が見えたんだが……」
「そりゃあ途中に町のひとつもあるでしょ。それがどうしたの?」
「いや、燃えてるっていうか、多分あれ何かに襲われてる」
荷台の前から顔を出し、前方を見渡す。
確かに町からいくつもの煙が立ち昇っている。魔獣か野盗に襲われたのだろうか。
「あまり面倒事に時間を取られるのもねえ。でも見ちゃったから行かないと寝覚め悪そう……。まぁいいわ。少し寄っていきましょう」
リーシャは「はいよ」と一言返事して馬車を加速した。
恐らく行ったところで、私達にメリットは無い。
しかし目の前で困っている人を見かけたら、正義の味方でなくても助けようと思うだろう。
「私が降りるからリーシャは馬車を見ておいて」
馬車が町に入ると建物の屋根に上ることにした。高所から見渡せばなにかわかるだろう。
もし馬車が襲われても、今のリーシャなら問題なく対処が可能だ。
一応馬車まですぐに駆けつけられる範囲にはいるつもりだが。
「さて、なんでこの町は燃えているのかしら……。ああなるほど」
おおよそ予想通りの展開で納得と安心と呆れが同時に表れた。
やはり町を襲っていたのは魔獣ではなく人間だった。
集落が襲われるというのは、多くの場合敵は同じ人間だ。これは人が石できた斧を振り回してウホウホ言っていた時代から変わらない。
町を見渡すと教会前の広場に住人たちが集められていた。足元には藁を敷かれている。
そのまま地面に座らせると痛いだろうから、親切ご丁寧に藁を敷いて緩衝材にしてあげている……、わけではなさそうだ。どう考えても後で焼き殺すつもりだろう。
ただ、なぜわざわざ一度集めて、藁まで引いて焼き殺そうと思ったのか。そのまま斬り殺せばいいだけだろう。
「おいガキ、運が悪かったな。ちょっとこっちまで来てもらうか」
「……」
馬車が野盗の一味に見つかり、リーシャが絡まれ始めた。リーシャは元々短気だったが、私の教育で少しは我慢を覚えたので住人たちを開放するまでは時間を稼いでくれるだろう。
「おいなんとか言えよ、それともビビって漏らしちまったのかあ?」
「誰が何を漏らしたって!?」
リーシャにお漏らしは禁句だ。以前それを私がからかった事を根に持っている。
まさかこんなにすぐ、NGワードを引き当てるとは、運が悪い。きっとキレる。キレて暴風のように暴れまわるだろう。
「ションベン臭えガキが漏らすものって言えば決まってん――」
野盗その1がリーシャに近づいた瞬間、そいつの頭がはじけ飛んだ。脳漿をぶち撒け、地面にどちゃりと崩れ落ちた。首の切断面からはおびただしい量の血が噴出した。
「あーら、お漏らししているのはどちらかしら。頭からお漏らしなんて赤ちゃんでもしませんことよ」
クスクスと暗い笑みを浮かべて死体を見下げている。ああなるとしばらくは手がつけられない。町の人達を助けるまでもう少し冷静であってほしかった。
「さっき笑った奴ら、全員殺すから」
馬車から降りたリーシャは、周囲を眼光だけで威圧した。
リーシャが町の入り口で派手に暴れてくれているお陰で、私の予想を裏切り広場の方が手薄になった。
普通人質がいるのに相手を刺激すると一人ずつ始末されたりするのだが、どうやら彼らはおつむが緩いようで助かる。
仮に一人ずつ始末されたとしても、通りすがりの気まぐれで助ける私達にとってはあまり意味がない。それでも、被害は最小に抑えたとは考えているが。
今のうちに教会裏へ周り、後方から住人たちを開放していく。
「騒々しいですねぇ。何を騒いで……おや? おやおやおやぁ? そこのアナタ、なぜ彼らを開放しようとしているのですか? というか誰」
「あーえっと、通りすがりの者ですわ。どうぞお構いなく、オホホホ」
冗談交じりで誤魔化せそうな雰囲気ではない。
教会の中から出てきた長身の男は、司祭のような格好をしているが腕や足には甲冑を着けている。
ストレートの長髪、毛先に何か珠のようなものを付けている。見た目は小綺麗なのに目は死んだ魚のようで、吐き気を覚える眼光、存在自体が嫌悪感を持たせる男だ。
「あなた、この教会の司祭様……というわけではないわよね」
「もちろんですとも。こんなど田舎のど偏屈など汚い集落の司祭だなんて、ある意味侮辱ですよ? 住人たちを見張っていた野盗らはどこへ行ったのでしょうねぇ。見張り一つできないとは……」
ここで私は違和感を覚えた。住人たちの怯え方が異常だ。さらによく見てみると、町の規模とここにいる住人の人数が合わない。
「この人達をどうするつもりだったの? ただの物取りなら、とっくに殺しているんじゃなくて?」
「彼らを殺す? とんでもない。彼らは大事な儀式の糧です」
「それは――」
「おいあんた、助けてくれ。化物があっちで暴れていて手がつけられねえ。あんたの魔具でなんとかしてくれ」
突然表れた野盗の一人が、似非司祭に助けを求めだした。野盗程度ならリーシャが負けるはずがない。恐らくあちらでは一方的な虐殺が行われているだろう。
それよりも今この男、魔具がどうとか言わなかったか。
「ねぇあなた。あなたねぇ。駄目じゃない。口は災いのもと。このお口はもう駄目」
野盗の顎をを片手で掴み、宙に持ち上げた。細い腕からは想像もできない力だ。
「ああ、主はあなたのような無能ですら愛してくださいます。なんと慈悲深いことか。さあお逝きなさい。主の元へ」
みるみるうちに野盗の身体から蒸気が上がり、皮膚が破れ、沸騰した血が泡となり飛び散りだした。
干からびた野盗はもはや皮と骨だけの物体でしかなくなった。血液だけでなく、体内の水分が全て蒸発したような。
「さて、話の途中でしたね。あなたが何者かはもはやどうでも良いことで、この場を誰かに見られたことが問題なのです。なので、ここの住人と共に主の元へお逝きになってください」
「なるほど、藁の上に集められているのはそういうことなのね。あなたの信仰する宗教は火で主の元へ送るのかしら」
「ご名答です。火によって魂は天へ登り、主の元へ焚べられるのです。さあさ、遠慮せずにあなたもこちらへ」
「あいにくと火は苦手なのよ。何故かはわからないけど、どうも駄目みたい。だからあなたの主の元へは行けないわ。ついでにここの住人もね」
「はて、理解できかねます。ここの皆さんは自ら快く集まってくれたのですよ。ねえ」
どう見ても恫喝だ。住人全員怯えている。きっと見せしめに何人かさっきのように殺されたのだろう。
しかし動機がわからない。信仰のためにわざわざ町を襲うだろうか。しかも魔具を持った男がわざわざこんな僻地で。
この状況で誰が得をし、誰が損をするかというと―――
「あなた、帝国ね」
似非司祭の眉が僅かに反応した。
「なぜ、私が帝国だと?」
「現在この国は帝国と戦争中。で、この町は王国からは遠いけど、王都に続く街道に隣接しているわ。さらに殺し方が特殊でメッセージ性を感じる。つまり、王国またはその国民に対する帝国からの戦術的メッセージであると考えられるわ」
「あなたのような聡明な方がこのような僻地に、しかも私の祭事に出くわすとは、きっとあなたを焚べると神も喜ばれます。ああ、主よ、感謝します。この世はすべからくぉ!?――」
突然ぶつぶつ唱えだした似非司祭をリーシャの乗った馬車が横から轢き潰した。
「ミナ、何やってんだ。こっちは片付いたぞ。全員血祭りだ」
散々暴れて落ち着いたのか、いつもの調子のリーシャだ。ドヤ顔が少しウザイが、雑魚を始末してくれたのでいいとしよう。
それにしても容赦なく轢くとは前方不注意どころではない。
「あなたが今轢いた人と話していたのよ。とりあえず縛られている住人たちを開放してあげて。あとその似非司祭、死んでないでしょうね。聞きたいことがまだあったのに」
「司祭? そんなのどこに――」
ボロ雑巾のように横たわっていた似非司祭が突然起き上がり、リーシャの首を掴み締めた。
「神の教示を無視した挙句、この私に無様な格好をさせた罪は許せませんねぇ。楽には殺しませんよぉ。殺して四肢をもいで私の部屋に飾ってあげましょう」
「リーシャ!――」
相手の能力が未知数である以上、私は一定の距離を保っていたが、リーシャはそこまで考えが及ばなかったようだ。
ここでさっきの能力を使われたなら、死にはしないだろうがリーシャは間違いなく想像を絶する苦痛を味わうだろう。
瞬時に踏み込み、似非司祭の横腹を蹴り切った。
掴んでいたリーシャを落とし、そのまま教会の壁に叩きつけられた似非司祭は、口から血反吐を吐きながらこちらを睨みつけてくる。
「リーシャ、何かされなかった」
何をしてくるかわからない以上、似非司祭から目を離さずに問いかける。普通の人間なら死ぬであろう勢いで馬車に轢かれたにも拘らず、平然とリーシャを捕らえたのだから油断ができない。
「ゲホ、ゴホ。一瞬体の中がすごく熱くなったけど今のところ何もない。いったい何なんだあれ」
「それを聞こうとした時にあなたが突っ込んできたのよ。今度からは軽率な行動は慎みなさい。とりあえずお説教は後で、今はアレが優先よ」
本気でないとはいえ、私の蹴りを受けて胴体が繋がっている。それだけでアレの警戒度は高まる。
これも魔具の力なのだろうか。それとも本来の身体能力なのか。
「ねえ、あなた、帝国から何しに来たの? 魔具まで持ってきたりして」
「私はあなたほど聡明ではありません。しかし、神に愛されている。その結果がこれです。あの蹴りを受けても私は生きている」
宗教家特有の『全てにおいて神の教示』が始まった。こういう手合は話が通じない上に面倒事を起こすので、関わり合いになりたくないが。
「そうね、次は神でも救えないやつを食らわせてあげるから、その前に質問に答えてくれるかしら」
「私は”そう”はできていません。私はただの宣教師。教えを広めるだけ。まさか王国にあなたのような方がいるとは思いませんでしたが、このままではどうにも上手くいきそうにない。ここは一度手を引かせてもらいましょう」
『しかし、神の教えは広く植え付けましたが』とだけ言い残し、似非司祭は背後の空間に突如できた穴の中へ消えていった。
「せめて名前だけでも言っていけばいいのに」
聞きたいことは山ほどあったが、反応から察するに推測はほぼ当たっていたのだろう。ただ、流石にそれ以外を話すほどお人好しではなかった。
戦争とは無縁だと思っていたが、まさかこんな形で当事者になるとは。
「ミナ、とりあえず町の人達は開放し――」
ズルリとリーシャの腕が崩れた。
リーシャのが響き、辺りに血の海が広がった。
「気をしっかり持ちなさい! 大丈夫、ほんの数秒よ!」
そう、たとえ四肢がもがれようと、すぐに再生する。ただ、人の手足が崩れ落ちるという現象は見たことがない。痛みも想像を絶するものだろう。
あの一瞬で仕込んでいったか。抜け目がない。
「ハァ、ハァ。もう……大丈夫」
なんとか持ちこたえたようで、リーシャの容態が落ち着いてきた。
それにしても、今の現象はなんだったのだろう。腕の結合部が分解し、落ちた手足がそのまま液状化するほどグズグズになった。
似非司祭が野盗で見せた現象とは異なる。
これは今後のことも考え、対魔具所持者の対策をしなければならないだろう。それに残していった言葉も気になる。
「あ、あの、助けてくださりありいがとうございました」
若い男性が話しかけてきた。ところどころ打撲痕が見られるが、暴力でも振るわれたのか。
「いいのよ、たまたま通りかかっただけだし。それに思わぬ収穫もあったし」
思わぬ収穫、それは魔具に対する経験と情報だ。あれが魔具による能力かは断定できないが、情報としては非常に重要な価値を持つ。
「とりあえず、ここの長を出してくれる? それともあなたがここの長?」
彼等が襲われる前については一切情報がない、どのように現れ、どのようにしてああなったのかが知りたい。
「町長は殺されました……。司祭様と共に……」
「それは、悪いことを聞いたわね。じゃああなたに聞くわ。何があったの」
「実は――」
事の顛末はこうだ。
突然教会前の広場にあいつらが現れ、野盗共は住人を遅い、家屋を荒らし始めた。似非司祭が野盗に指示を出し、住人を教会前の広場に集めさせた。集めた住人の前で町長と司祭を、先程の野盗のように殺した。そして神の教えと言いながら、よくわからない事を口にしだした。しかし、誰もその内容を覚えていないという。
「だいたいわかったわ。ありがとう。問題も解決したし、私達は先を急ぐわ」
「ま、待ってください。せめて何かお礼だけでも」
お礼に希少なアイテムでもくれるのだろうか。そんなものはどうでもいいから、自分達の町の復興を考えるべきだろう。
「結構よ。そんなことより、町の復興に尽力なさいな」
申し訳無さそうにこちらを見る住人を尻目にリーシャの容態を確認する。
「リーシャ、体はもう大丈夫?」
「ああ、あんな痛みは二度とゴメンだよ」
「そうね。そうそう、あとでお説教がありますからね」
うんざりした顔を見せてくれた辺り、どうやら本当に大丈夫そうだ。
「では私達はこれで。しばらくは警戒したほうがいいかも」
そう言い残し、足早に馬車へ乗り込んだ。思ったよりも時間を浪費してしまったからだ。
「出して、リーシャ」
見送る住人を後ろに、私達は再度王都へ向け馬車を走らせた。