第10話 地下水路
むせ返るような湿度と腐臭が満ちる地下水路。まさかこれほど小汚い場所に来ることになろうとは思いもよらなかった。地下水路の探索のような汚くて地味な仕事はリーシャにやらせるつもりだったのに。
「くっさ……」
臭いのである、本当に、これでもかと言うほど、臭い。
それに魔獣の気配も尋常じゃない。大きさはそれ程ではないが、数が圧倒的だ。こんなに大量の魔獣が、よくもこんな街の地下で繁殖したものだ。
所々に魔灯があるので、完全に真っ暗ではないが、夜目が効く私にとってはどうでもいい。
リッケンバッカーから貰った、地下水路のおおまかな地図を頼りに、あてもなく探索を始めた。
「これ街中に張り巡らされているならそうとう時間掛かるんじゃ……」
すでに気分は最底辺まで落ち込み、ダラダラと歩きだす。
「せめて誰か一緒なら話しながら探索ができたというのに……」
ぶつくさ文句を垂れ流しながらひたすら歩く。
歩く歩く歩く、たまに魔獣を狩る。そしてまた歩く。
あてのない仕事というのは、こうも人を疲弊させるものなのかと再認識した。
と、ここであることに気づいた。現在、地下水路のほぼ中心部域。ここへ来てから突然魔獣の数が減ったのだ。
さらに、空気が気持ち悪い。身体にべったりとまとわり付くような、じっとり粘着するような感触がする。
「臭い上に気持ち悪いとかもう最悪ね。帰りたいわ。でも唯一正解だったのは、端から探索するのではなく、中心部へ直接向かったことね。原因は近そう」
経験値的なものが近くに何かがあると知らせる。根拠は無いが感じるのだ。
この付近で何かありそうな場所は……水質管理室。
「ここで誰かが何かを垂れ流してるんじゃないでしょうね。汚いのだと嫌ねえ」
水質管理室へ向かう途中に人の気配を感じた。一人ではなく数人。まさかこんな空気の中王都の人間がいるとは考えにくい。やはり誰かが何かをしているのか。
まぁそんなことはどうでもいい、誰かが悪さをしていれば、一発ボコれば全て解決なのだから。
「ボコって止めてみんなハッピー」
終わりが見えてきて少しテンションが上がる中、水質管理室へ到着した。
扉の奥には数人の気配。向こうも流石にこちらに気づいているだろう。
気づかれていたところでどうでもいいが。
「こんにちは!」
勢い良く扉を開け放って入室すると、中には誰もいなかった。しかし様子がおかしい。水質管理室なのだから、もっと機材等が並んでいるのではないかと感じていたのだが、何もないただの一室だ。広さはそれなりにあるが、入ってきた扉以外にもう一つ扉がある以外には何もない。
「あれ、入る部屋間違えたかしら。でも中から人の気配がしてたけど……」
「おやおや、異物が紛れ込んだと思ったらこの前のお嬢さんじゃないですか」
もう一つの扉から入室してきたのは、王都への道中遭遇した似非司祭だった。
「また会ったわね。もっとお仲間がいると思ったのだけど」
「すごいですねえ、気配で人の数がわかるのですか? どんな魔法でしょうか」
「秘密よ。いい女は秘密が沢山あるの」
「生意気な口を聞けるのも今のうちです。道中苦しかったでしょう。もう少しであなたは醜い姿で死んでいくのです。しかし神はそんなあたなでも受け入れるでしょう」
似非司祭は哀れみの表情を浮かべた。
「悪いけど死ぬつもりはないわ。それはそうとこの部屋はなに? 水質管理室にしては殺風景だけど」
「私が呼ばれている時に扉を開けましたね? それでこちらに来たのでしょう」
「こっち?」
「あなた、不法入国です」
不法入国……? そういえば、以前この似非司祭は逃げる際に変な魔法で消えていった。あれと何か関係があるのだろうか。
「あなたのような得体の知れない方がここにいられては困ります。退室してもらいましょう」
似非司祭が重い蹴りをこちらへ向けてきた。防ぎはしたものの、身体ごと入ってきた扉へ押し込められた。
扉をくぐると先程の地下水路へ戻っており、目前の扉の奥からは似非司祭が歩いてくる姿が見える。
「あなたをそこで始末すれば万事解決です。晴れて神の元へ逝けますよ」
「だから何度も言うけど、そう簡単に死なないってば」
やたらと人を殺したがる司祭だ。
「あなたの能力って使い方次第で最強じゃないの? だってどこにでも移動できちゃうんでしょう? それならブラト王を直接暗殺することだってできるじゃない」
似非司祭はクスリと笑って口を開いた。
「できるわけないじゃないですか。そんなことできればとっくに終戦です。魔法は万能じゃないのですよ」
やはり魔具ではなく魔法によるものだったか。しかし意外と頭が悪そうでもっと情報を引き出せそうだ。
「案外使えないのねあたな」
「そんな安い長髪には乗りませんよ」
「きっとあなたの信じている神様も無能なんでしょうね」
「神を侮辱しますか!? あなたのような小汚い娘に言われたくはありませんね!」
見事に逆鱗に触れることができた。思ったとおり頭はそれほど良くないようだ。
似非司祭は、首筋めがけて右手を突き出てきた。
あまりにも遅いので、左の脇腹に蹴りを入れてやると、ゴムボールのように、跳ねて水路へ落ちていった。
「あなた学習しないわねえ。戦闘向きじゃないわ。どう考えても暗殺向きよ」
そのまま水路を流れていくかに思われた似非司祭の周辺から、突如水蒸気が吹き出した。
「くッ!」
辺り一面に真っ白な水蒸気が蔓延し、視界が一瞬にして奪われた。
だが水蒸気に隠れて似非司祭が近づいてくる気配はわかる。と、ここでひとつ疑問が浮かんだ。
【魔具の能力は何なのか?】
検証するためには何かを囮にしなければならない。しかし、この付近では魔獣がいないため、そんな都合のいいものは落ちてなどいない。
「腕、使うかあ」
気は乗らないが、腕を犠牲にしてあいつの攻撃を受けてみることにした。
奴は首を狙ってきているが、その前に腕を差し出し、ほぼ強制的に掴ませる。
「ハッハァ! 掴みましたよお!」
「熱っ」
腕から身体全体に熱が広がり、次第に体中の血液が沸騰するような感触を得た。ほんの数秒で腕からは蒸気が上がり、泡のように血液が溢れ出た。
瞬時に切り離した腕はグシャリと地面に崩れ落ちた。よく見ると水分が奪わミイラ化している。
しかしこれで相手の能力が判明した。魔具の能力は水分子の振動だ。
水分子の振動によって熱が発生し、それによって体内水分が沸騰する現象を引き起こしている。ただ、これだと以前リーシャが受けた攻撃の説明がつかない。あの能力は別物と捉えるか、応用と捉えるか。
仮説として、能力の適用範囲指定だ。私の場合は身体全体が発熱したが、それを手足の付け根に限定する。付け根がもろくなり、あとは自重でちぎれるという考えだが、そもそも手足はそれほどの重さを持っていない、内部の水分を蒸発させたとしても、人は皮がある。それが手足を繋ぎ止めるので、そう簡単にはいかないだろう。
ここでもう一つ仮説が浮かんだ。
あの時、似非司祭は野盗を殺した手とは逆の手でリーシャを掴んでいた、右手と左手で能力が違うのか。ということは、右が発熱、左が分解、または溶解。これが一番現実的ではないだろうか。
「肋骨が幾つか折れてしまいました。本当に馬鹿力を振るう女です」
水質管理室の扉から数人がぞろぞろと出て来る気配を感じた。考える暇はそれほど与えてはくれないようだ。
「自ら腕を切り落とすとは、まるでトカゲですね」
「女性に対してトカゲとは失礼じゃないかしら」
徐々に元の形に戻る腕をみて、扉の中から出てきたマスクを装備した完全防備の者たちは、一斉に化物を見たように固まった。その中にはもちろん似非司祭も含まれる。
「欠損部位の回復するような魔法は聞いたことがありませんが……」
「だからそう簡単に死なないって言ったじゃない、っと」
固まって動けなくなったマスク共を、断末魔を上げる暇すら与えず頭を潰す。
腕の再生分の血液もついでに頂戴する。
「次はあなたよ、似非司祭さん」
「わかりました、次こそは徹底的に、全身グズグズになるまで分解して差し上げます」
やはりもう一つの能力は分解か。恐らく分子構造の崩壊を引き起こす能力だろう。
「もう手の内はわかったから死んでいいわよ。あ、魔具はいただくわね」
「ではこちらも本気出させてもらいます。フン!」
似非司祭の筋肉が突如隆起しだす。みるみると身体は太くなり。見事な筋肉ダルマが完成した。
「それも魔法? それとも何か薬品でも使ったのかしら」
「うるせぇ! ぶち殺してやるぁ!」
「口調が変わってるわよ―――」
突然背中に強烈な衝撃を受けた。
目の前にいたはずの似非司祭が、瞬時にして背後に周ったのだ。
空間転移の魔法を組み合わせたフットワークは少々厄介だ。
「くっ、最初から本気出しておきなさいよ」
「手の内をすべて明かすアホだと思ったか? このクソアマぁ!」
筋力も上がっているため、一撃一撃が重い。
流石に、少し本気にならざるをえないか……。力を出す以上、こいつを必ず殺さなくてはならない。情報とはそれだけ重要なのだ。
「さっきからボカスカやってくれるじゃない」
「捕まえたぁ!」
ガチりと腕を捕まれ、再び体内から熱が広がりだす。
だが瞬時に腕を引き払った。それも一瞬で。あとは物理法則で接合部の弱い方がちぎれるだけ。
「左手の魔具は頂いたわ。この手甲が魔具なのかしら」
左手を肩からもがれた似非司祭は、顔を真っ赤にしてこちらへ向かってきた。もはや先程の速度ではなく、ただの突進だ。
「返せえええ! それは神から賜った神聖なものが。貴様ごときが触れていいものではない!」
「返すわけないじゃ――」
何もない空間から腕が伸び出て、首を疲れた。まずい。
「奥の手は取っておくものなんだよ!」
「!?っ、まずった」
首に意識が集中し、熱が広がりだす。
「死いねええええ!!」
……
…………
熱の拡散が、止まった?
「ハッ!? うりゃ!」
空間から伸びた似非司祭の腕を引き抜いた。ぶちぶちと音を立てて手甲部分がねじ切れた。
「ああああああ!!」
なぜ魔具による分解が起こらなかったのだろうか。
首に意識を集中した感覚を思い出しながらちぎり取った似非司祭の腕を見る。
ゴムチューブから流れ出る水のような血が瞬時に停止した。停止するだけでなく、流れ出た空中の血液すらも。
これは魔法なのだろうか。なぜ今になって使えるようになったのだろう。もう少し研究する必要がありそうだ。
「貴様、なんなんだ! なんなんだ!!」
「なにって言われても、見たままよ。魔具も両方頂いたしもういいわ。あとはあなたから情報を聞き出すだけ」
「そう簡単には口を割るかよ」
脂汗を流しながら笑う似非司祭が虚勢を張っているとは思いにくい。逃げる気か。
「逃がさないわ」
死なない程度に股間を蹴り上げた。
似非司祭は白目をむき、鈍い音を立てて地面へ倒れ込んだ。
似非司祭を引きずりながら本当の水質管理室へ入室した。そこには今回の原因と思わしきものがあった。
「これは……、壊しにくいわね」
病原体の正体は子供だった。極度に痩せ細った子供の身体に、宝石のようなものが埋め込まれている。それが装置の本体だろうが、子供の手首から管が伸びており、それが生活用水の水路へ流れていた。
「似非司祭を起こして止め方を聞き出しましょうか……!?」
振り返ると似非司祭の巨体が消えていた。まさか気がついて逃げたか。いや、それなら気配でわかる。
こうなっては力ずくで宝石を引き剥がすしかないのか。
「!?」
子供も消えてなくなっていた。狐につままれたようだ。不測の事態が連続し困惑する。
よく見ると子供のいた場所に紙が一枚落ちている。紙にはこう書かれていた。
『ゴミはこちらで回収いたします』
気配に気づかれず一方的に二人の人間を回収する者がいる。
最大限の緊張感を持って周囲を警戒するが、やはり人の気配はない。
結局残ったのは手に持っていた魔具だけ。似非司祭からはもっと情報を引き出したかったが仕方がない。
国へ状況を説明するため、一度戻ることにした。