一章 B
随分と年季の入った木造の家だ。ここまでずっと荒野で、植物なんて一切見かけなかったが、気付かなかっただけでおそらくこの近くに林でもあるのだろう。
素人作り感満載の簡素な家だ。耐震性なんて、一切ない。ちょっとでも地震が起きれば、たちまち端から崩れ落ちるだろう。
木材を積み木のように積み上げ、釘で固定し、ベタベタと白いペンキを塗りたくった。……そんな家だ。
面倒になったのか、それとも手が届かなかったのか。上の方は塗りが甘く、きちんと濡れていないところもあった。
一応、コンコン、と軽くノックしてみる。……返事は、ない。
拾った鍵を差すと、すんなりと奥まで入った。右にひねると、ガチャリ、と音が鳴る。
建付けが悪くて手間取ったものの、ギギギギギ、と耳障りな音を立てて扉は開いた。
「おじゃましまーすぅ」
誰もいないと分かっていても、つい習慣で口から声が出た。
家の中は、ほぼ真っ暗だった。
窓から薄っすらと月光が入っているが、それだけでは全然足りない。
「普通、明かりって玄関にあるよな……?」
手探りで床を探ると、玄関の左側にランプとマッチがあった。
ランプに火をつけ、靴を脱いで部屋に入る。持ってきた荷物を木製のテーブルに置き、周囲を見渡した。
テーブルの上には本が三冊。周囲には椅子が二つ。片方の椅子には服やポットが乗せられていて、間違いなく普段使いしていない。来客用だろう。
見た限り玄関の他に扉はないが、部屋が他に二つ、扉なしに繋がっていた。
人影はない。
「この部屋は、キッチン兼ダイニングってところか」
隅っこにある五段の棚は木製で、上の棚には木皿と調理器具が、下の棚には麻袋が幾つか置かれている。泥棒同然の行為というのは承知しているが、毒食らわば皿まで、という気持ちで袋を開けてみた。
中身は野菜だ。日本のスーパーでよく見るような、ジャガイモと玉葱によく似た野菜が大量に入っている。
棚の横にはもう一つテーブルがあったが、これは天板が非常に小さく、普通のテーブルの半分にも満たないサイズだった。木製で、その上には薄い鉄板が敷かれている。そのさらに上には、コンロが一つあった。
ガスコンロに似ているが、ガス栓に繋がっていないし、ガス缶もセットされていない。その代わりに、スマホのUSBケーブルを差し込むような、小さな穴があった。
「魔力でも流し込むのか?」
魔力。……日本では名ばかりで、実体のなかった想像上の存在。
ゲームや小説を嗜んでいた身としては、ワクワク感が止まらない。
素人目で構造をパッと見た限り、とても電気や科学的なエネルギーを使って発熱するようには見えない。きっと、この世界には魔力か、それに似た動力源が存在するのだ。
「コイツは興味深いな」
ぜひ、家主に仕組みを聞いてみたいものだ。
ガスコンロの隣は、2リットルサイズのペットボトルくらいの大きさの、白い陶器が積み上げられており、持つと重い。試しにほんの少しだけ出してみると、中身は水のようだった。
この家には水道が通っていないようだし、これで水を保管しているようだ。
そのさらに隣は流し場。中央に穴が開き、床下へと管が繋がっている。鉄ではないが……ステンレスか何か、似たような素材で木材を包んでいるみたいだ。ただ、埃がうっすらと積もっていて、頻繁には使っていないらしい。
流し場の下には大きく深い桶があった。木製の桶の中では、藍色と白が入り混じった、不思議なウロコを持つ魚が数匹泳いでいた。
その桶の中には、皿がうず高く積まれている。どうやらこの魚が皿についた食べカスを食べて、掃除してくれているらしい。流し場の近くにはタオルと瓶、刷毛があって、瓶には見たことのない文字が書かれていた。
こんなの読めない、と思ったが、
「……読めるな」
神はチート能力はくれなかったが、読み書きの知識は与えてくれたらしい。
角ばった文字で、瓶に直接黒いインクで「消毒液・塗って乾かしてご使用ください」と書かれている。どうやらこの家の持ち主は、食器洗いは魚に任せ、それをタオルで拭き、刷毛で消毒液を塗って乾かして再利用しているらしい。
「この部屋は、これで全部か」
そう思った矢先、爪先が妙な膨らみを感じ取った。しゃがむと、暗くて見逃していたが、床に小さな扉があった。取っ手を掴んで開くと、扉が真ん中で山折りになって開いた。
「うおっと」
開いた瞬間、ひんやりとした空気が顔を撫でた。地下は地上より冷たいのだ。
梯子があり、その下をランプで照らすと、畳二畳ほどの大きさのパントリーがあった。
穀物らしき物が入った袋が四つほど積み上げられ、その横には縦向きに置かれた、開封された袋がある。
木棚が四方を囲っていて、乾燥させた肉や魚、果物と、瓶や缶に詰められたフルーツや肉、野菜が所狭しと並べられている。隅っこには、茶葉らしきものもあった。
「けっこう、充実した暮らしを送ってるな」
ギギ、と音を立てて戸を閉める。さて。
「人はいなかったが、そこそこ情報が集まったな」
家を見れば、その人の暮らしぶりがだいたい分かる。日本で暮らしていた時、夏休みにはよく祖父母や親戚連中の家をたらい回しにされていたから、そのことはよく分かっている。
幼い頃は家に母がいない上に、父が長期出張の多い仕事をしていることを恨めしく思うことも多かったが……まさかこうして、その経験が役立つ日が来るとは思わなかった。
「木皿の使い方を見る限り、この家の持ち主は一人暮らしだ。……自給自足にしては、食料が揃いすぎているな」
おそらく、どこかから仕入れているのだろう。
大量にあったジャガイモやタマネギが、そうに違いない。この二つは常温でも長持ちする。
残りの野菜は畑で採ったのだと思う。……そしてそこで気になるのは、移動手段だ。
こうも霧が濃くては、移動の一つをとっても難儀するはず。霧は一時的なものなのか、あるいは霧を克服する道具か魔術を、この家の主は持っているのだろう。例えば超音波や熱源感知、ワープだとか。
魔法らしきものがある以上、不可能という概念は捨てていい。ここには、未知の自然法則があるのだ、きっと。
「水もふんだんにある。川が近いに違いない」
この家を作るのに使った木材も、きっとそこで切ったのだ。水があるなら、植物も育つはず。
この荒野には草木の一本も生えていないのだから、そう考えるのが自然だ。
「問題は、なぜそんなことをした? ……ということか」
いちいち運ぶのは手間だ。そのままその森に住めばいいのに。
「そこで気になるのが、この魚か」
食器に付着した食べカスを魚に食べてもらう……というのは、ネットかどこかで見たことがある。ただ、こんな不思議な模様の魚ではなかったと思う。
生態系が、自分の知っている世界のものと違うのは間違いない。――この近くにあるその森には、何か危険なモンスターでも出るのかもしれない。
「……例えば、ゴブリンとか」
モブキャラがゴブリンに撲殺される……近頃の小説で、しばしばある展開だ。
「…………」
思わず、閉めたばかりの扉を見た。
――唐突に、扉が叩かれる。それも乱暴に、何度も、何度も。
思わず悲鳴が漏れる。扉が破られ、滑らかな緑色の肌をした、小柄な集団――ゴブリンがやってくる。
多勢に無勢、武器持ちと手ぶら。勝ち目はなく、なすすべなく撲殺されて再び人生終了。
「――終わり」
パン、と手を叩き、恐ろしい妄想を断ち切る。
「ここで、ずっと誰かが住んでいたんだから。……きっと、ここなら大丈夫なんだ」
ただ、もし危険な場所だとしたら、この家の持ち主は無事だろうか。
俺がこの家を占拠して、帰るに帰れず困っているはずだ。
家主は怒っていないだろうか、いや、怒っているに違いない。
……狂暴な人だったらどうしよう。
流石に不安だ。でも……。
「俺のせいで死なれちゃ、寝覚めが悪すぎるよなぁ」
ロックしていた扉の鍵を解除する。開いていることが分かるように、鍵をあえて差しっぱなしにしておいた。
これでこの家の主も、戻りたければ戻ってこれるだろう。
もし、モンスターが入ってきたら。戻ってきた家主が、凶悪な人物だったら。
……不安はあるが、こればかりは諦めるほかない。悪いのはこちらなのだから。
あえて扉の方を見ないようにしながら、俺は隣の部屋に移った。