第286話 愛する言葉
読んでくださりありがとうございます。(≧▽≦)
ここは書かずにはいられなかったです
『いいこと? あなたにもきっと戦うことがあるでしょう。その時は足を使いなさい。足は非力と思われてる女性でも殴るより強い攻撃が出来て防衛になる』
『どうして拳は使わないの?』
『あなたに大切な人が出来た時に、人を殴って傷ついた手を見せるのは嫌でしょ? それに手は大切な人を放さず抱きしめるため、守るためにあるの。だから、戦いにおいて殴ることはしてはいけない。わかった?』
『うん、わかったわ』
在りし日の母リゼリアとの記憶。それが走馬灯のように一瞬にして蘇り、瞬く間に脳裏から過ぎ去っていく。
リリスの振りかぶった拳はリゼリアの顔面をしっかりと捉え、そのまま真下に向かって叩き落していく。
そう、リリスは初めてリゼリアの戦闘においての教えを破ったのだ。
―――――――ドガアアアアアン!
リゼリアが床に叩きつけられた瞬間、爆発のような音が空間内で反響する。それは耳の中に音を生々しく残していく。
リリスは古代化を解くと重力を使って真下にゆっくりと降りていく。古代化は思っているより魔力消費が多すぎてすぐにふらふらになる。
リゼリアが動く様子はない。床に仰向けに寝そべったままジッとしている。その姿に「もう最後なんだな」とリリスは感じていた。
リリスはリゼリアのそばまでやってくるとそのままそばで座り、リゼリアの体を抱えた。すると、リゼリアの顔がゆっくりとリリスに向く。
「全く.......最後の最後で禁じ手とは.......私の娘の反抗期はまだ終わってないのかしら......」
「愛のある鉄拳よ。拳骨と似たようなもん」
「ものは言いようね......でも、思いっきり響いたわ......あなたの想い」
リゼリアは覇気がなくかすれた声で言葉を紡ぐ。するとその時、リゼリアの足元は粒子状の光となって消え始めた。
リゼリアがこの世界に留まれる限界時間がやって来たのだ。リゼリアは元女神でわけあって、この世界に来たがそもそもこの世界には神が住むには不適合なのだ。
神は神が住む天界にしか現存できず、それはリリス達がいる世界に来てしまえば魔力体である体が魔素に還元されてしまうからだ。
しかし、それは天界からの魔力パスが繋がっている状態では別の話だ。しかし、リゼリアは神トウマによって天界を追われた身、当然そのようなパスはない。
ここまで生き延びられたのは色欲を司る神の使いを死に物狂いで倒し、その体を借りることで世界に留まっていたのだ。
神の使いの体がもとよりこの世界に適応する体であったことが幸いだったが、それでも魔力が体に適合することはなかったため、あくまで魔力の還元スピードを抑えるだけになってしまった。
そのタイムリミットは遥か前からリゼリアは気づいていた。そのリミットがたった今来てしまったのだ。
「これで顔を見るのは最後なのね......」
「.......気づいていたの?」
「娘だから。隠し事を見破る能力とかが受け継がれたんじゃない?」
「ふふっ、本当に......面白い子ね。でも、そんなに泣いてたら説得力ないわよ?」
リゼリアは頬の落ちてくるやや熱を持った涙を感じながら、リリスの顔を見る。リリスは必死に涙をこらえようとしているが、溢れ出しているのか全然堪えきれていない様子だ。
そんな愛しの娘にリゼリアはそっと頬に手を伸ばし、流れる涙を感じていく。すると、その涙に同調するように涙が溢れてくる。想いが溢れてくる。
「もう、もう......これで最後になってしまうのね......ああ、なんて悲しくて辛くて楽しくて嬉しい人生だったのかしら。でも、まだ.......まだ、死にたくないと思ってしまうわ。もっともっとそばでリリスの孫でも拝んでみたかったわ......」
「何、諦めたこと言ってるのよ。あんたは元神なんでしょ? なんとかできるでしょ!」
「ふふふっ、最後の最後まで無茶ぶりしてくる子ね。でも、もう.......わかっているのでしょう? だから、涙しているのでしょう? もう無理なのよ......どうにもできないの.......ああ、悔しいわ......」
「!」
リゼリアはその表情を初めて歪ませる。リリスはその表情に思わず目を見開いた。
これまでリゼリアが見せてきた表情は幼少期の頃から見てけばいろいろあった。しかし、その中で唯一一度も見せたことがない感情があった。それが「悔しさ」であった。
もともと泣くこともめったになかったので、泣いている顔というのも大変珍しいのだが、それ以上にリゼリアがリリスの前で弱音を吐露する姿は一度もなかった。
リゼリアは気丈で達観していた。それは元神であるためにさまざまなものを見てきたからと思われる。しかし、そう見えているだけでリリスは弱さもあることは知っていた。
そう例えばリリスが見つけた母の日記。そこにはリゼリアがリリスに会うまでの壮絶な悲痛とも呼べる叫び声が文章に変わって書かれていた。
それがどんな想いで書かれたものかはリリスには知る由もない。ただその感情はダイレクトに伝わってくることは確かだった。
それを知った後に思い出を振り返っても、やはりリゼリアがリリスの前で弱気になった姿はなかった。いつでも明るく優しく、少しはしたないところもあって、怒ると怖いけど天真爛漫な笑みを浮かべるリゼリアこそ母の姿だと思っていた。
だが、その印象はたった今塗り替わった。リゼリアはたたリリスに心配されないように、母としての務めを必死にしていただけだったのだ。
リゼリアは自分のせいでリリスは村を、友を、両親を失ったという負い目があるのかもしれない。それ故に、自分が悲しい表情をしてしまったら、その時のことを連想させてしまうのではないかと思っいたのかもしれない。
けど、このような表情をするのが本当の母の姿であったとリリスは理解した。神であれ、人らしく感情を持って悔しさを持つことが。
「ああ、なんで.......どうして.......こうなってしまったの。もっともっとも.......もっと娘の成長を見届けるはずだったのに.......どうして?」
「母さん。酷いことを言うかもしれないけど、私は今まで生きていた人生にそこまで悪いと思ってないよ?」
「!」
「そりゃあ、小さい頃から泣きたくなったり、恐怖で倒れそうになったり、辛くて暗い気持ちになったりした時もあったけど、別にそれが私の全てを形作っているわけじゃないんだよ。悲しく苦しく辛い記憶ばっかでできているわけじゃないんだよ」
「.......リリス?」
「この時代は確かに酷い。この世界はもっと酷い。誰もが幸せに暮らしているという仮初に騙されて、この先死にたくなるような絶望が待っていることをほとんどの人が知らない。なら、その絶望を先に知ってしまった私はどうなのよ? 今はどう見える?」
「相変わらず可愛くて、素っ気ない自慢の娘よ」
「素っ気ないは余計よ。でも、それが、母さんには私がそう見えているのなら私は絶望に飲まれていないということ。こんな世界の時代であっても立派に二本の足を地面に突き立てて立っているということ。どう? 私がそんなに悲観的に見えるかしら?」
「.......ふふっ、見えないわね」
リゼリアは泣きっ面で気丈に振舞うリリスに思わず笑みがこぼれる。そのようなにこやかな笑みを浮かべた所で、流れる涙は止められていないのに。
少しずつタイムリミットが迫っていく。リゼリアの足先から消え始めて、現在はもうふとももの半分を過ぎている。もう下半身のほとんどは光の粒子となって消えている。
「何度も言うけど、私は存外この人生を後悔していなわ。だって、こうでなければこんな素敵な出会いができなかったもの。村も友達も両親も私の大切なものがほとんど消えてしまった悲しい人生に彩を与えてくれたのはあなたよ、母さん」
「.......」
「灰色になりかけていた視界に色をくれた。迷いかけていた人生に道を作ってくれた。募った負の感情の捨て場所を作ってくれて、正の感情を作り出すための居場所をくれた。皮肉だけど、こんな世界の時代でなければ、私は母さんに会うことは出来なかった。好きな人に出会うことはなかった」
「ダメよ......リリス。それ以上は.......」
「今は頼もしい仲間だっている。可愛くてモフモフしている誰よりも心の強い子や、変態だけどたくさんの知識や経験をている優しくて尊敬できる人や、シスコン拗らせてるけど誰よりも人に気配りができる人やそれからもっとたくさん......ね? この出会いは全て母さんがくれたものよ。私が母さんと出会っで生まれた繋がり」
「う"ぅ、ダメよリリス......ぐすん、もうこれ以上母さんをいじめないで.......うぅ......」
「いじめてるつもりはないわよ。でも、もう会えないとなれば伝えてきたい気持ちが溢れてくるだけよ。それにそんなに泣いていると別の意味でしっかり成仏できないわよ?」
「誰のせいよ、誰の.......う"ぅ、娘に言い負かされて逝くにも逝けないじゃないの.......」
「死ねない理由が変わっているじゃないの、全くもう」
リリスはそう言いながらも笑っている。しかし、同時に気付いている。リゼリアの消失が腰を通り過ぎて、もう腹部までやってきていることに。
ジリジリとリゼリアの姿が消えていく。後はもうどのくらい持つのだろうか。わからない。ならば、伝えるべきことはしっかりと伝えよう。
今までずっと言えなかった気持ち。年を重ねるごとに気恥ずかしさで言えなくなってくる気持ち。もっともいつか言う機会があるだろうと思っていたが、まさかこうなるとは。
「母さん。最後に何して欲しい?」
「.......う"ぅ、最高の笑顔」
「そう。なら、おまけにサービスしてあげるわ。しっかりと見て聞きなさい」
リリスはそういうと一度顔を上げてしっかりと深呼吸する。そして、リゼリアの方へ向くと輝くような笑顔で告げた。
「大好きよ、母さん」
「ええ、私もよ、リリス」
そう返答するとリゼリアも笑う。互いに相変わらず泣いたままであったが、とても眩しい笑顔であったことは確かだ。
この場が一面花畑のスッキリとした青天のもとで太陽の日差しの暖かさを感じながら、大きく生えた一本の木の陰に二人が寄り添う姿が幻視出来るほどに。
そして、リゼリアは最後にリリスの手を握るとその体の全てを光の粒子と変えて、リリスをいつまでも見守れる星となったのだ。




