第200話 道化の原点#16
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相変わらずキリがいい数字で節目を迎える。
仁はしっかりと見た。その目に焼き付けた。彰の一撃が教皇の命を刈り取るところを。振り下ろした短剣が教皇の心臓に刺さっていく所を。
仁は思わず安堵の息を吐く。突然始まった命がけの戦闘であったが、なんとか最高の形で終わらせることが出来た。これ以上に喜ぶべきことはないだろう。
「う.......うぐぅ.......」
しかし、どういうわけか彰を掴む教皇の二本の左腕はいつまでもその手から離そうとしなかった。それによって、彰は未だ苦しそうな表情をしている。またそのことに仁は不信感が、不安が高まっていった。
すると、やはりというべきか、最悪な展開と言うべきか仁の目の前であり得ないはずの光景が起こり始める。
「今のは実に素晴らしい判断だと思いましたよ。それにまさか、彰君がそんな魔法を持っていたとはね~」
「ど......うして.......」
仁は自分の目を疑った。疑わざるを得なかった。なぜなら確かに心臓へと短剣が刺さったはずの教皇が生きているからだ。
教皇は化け物だ。それは確かに認識している。しかし、たとえ化け物と言えど人の形をなしているのなら、心臓を刺せば死ぬはずだ。
だが結果はそうではない。教皇はなぜか生きていて、状況は先ほどよりも確実に悪化していることは確かだった。
もう一度教皇から選択を迫られれば自分はどう動くだろうか。わからない。恐らく動けないかもしれないけれど、きっと言われた言葉を今度こそ鵜呑みにしてしまうかもしれない。
化け物は化け物であって、人の形をしていても違うのか。だとすれば、どうやって化け物を倒せる? どうやってこの場から二人で逃げさせる?
そんな答えも出ない疑問を頭の中でグルグルと考えていく。そして、終わらない迷走を続けていく。すると、そんな仁を見た教皇がこの空気にそぐわない喜びに満ちたような表情をした。
「『どうして?』ですか.......そもそも思うのですが、海堂君は私が本当に刺されたようにお思いですか? 自信をもって彰君が心臓を刺したと断言出来ますか?」
「.......え?」
仁はその言葉に思わず固まる。まさかあの教皇は自分が見ていたのはただの幻とでも言うのだろうか。だが、確かに刺したはず―――――――
「なら、どうして私の肉体に出血の一つもないのですか?」
「!」
仁は再び固まった。それは教皇が見せつけるように服の裾を引っ張ったことでわかる服にあるはずの、なければならないものの存在がないこと。
「どうして――――――血の跡がないんだ.......?」
教皇の胸の当たりには、短剣を刺した個所には刺し傷からも出血や服を切り裂いた跡すら何もなかった。
それはつまり攻撃が当たっていないということ。でも、確かに攻撃が当たった所を目撃したはず。けど、それなら血の跡がないのはおかしい。あれ? どっちが正解で、どっちが間違っているんだ!?
仁の頭はますます混乱していく。彰から聞いた衝撃の事実、教皇が人の姿をした化け物だとわかったこと、そして刺したはずなのに何もない跡。
迷いに迷って迷いまくる。どこへ進んでいいのかも、何を選択したらいいのかも、何が真実なのかもわからなくなってくる。
自分がこれまで信じていた自分という存在が足元から崩れ、真っ逆さまに落ちていくように。助けてくれる人は誰もいない。
「―――――それにしても、海堂君は約束を守ってくれました。その約束を果たさなければいけませんね」
「約束?」
突然不審なことを言いだす教皇に仁は思わず聞き返す。すると、教皇はいつの間にか生やしていた三本目の左腕の手に持つ短剣を右手に渡していくと告げる。
「私は君に選択を迫りました。そして、君はその選択を決めてくれた。私はてっきり撃てないと踏んでいたんですがね~。良い意味で裏切られた感じですよ。そのことに感謝を込めて私が勝手に約束を結んだだけです」
「待て―――――何する気だ.......?」
仁は思わず教皇へと手を伸ばす。だが、足はまるで彫像にでもなったかのように動かない。しかし、仁が見ている目にはしっかりと教皇の動作が映り込んでいた。
それは彰を掴んでいる左手を上げて彰を宙に浮かせ、右手に持った短剣を頭上へと掲げるというもの。そして、しっかりとその殺意の刃は彰の方へと向けられている。
やめろ........やめてくれ.......もう無理なんだ。もう致死のダメージを負ってしまったら復活できないんだ。
――――――まだ自分は恩を返していない。まだ自分は何も学びきれていない。まだ自分は何も.......何も知らない!
――――――まだこれからなんだ。これから学んでいって、これからも指導を受けたいんだ。だから、奪わないでくれ。その振り上げた手を止めてくれ。
「せっかくですから、特等席で見せて上げましょうか」
「!」
その瞬間、仁の目の前にいた教皇は初めからその存在がなかったかのように姿を消した。もちろん、彰ごとだ。
そして、仁は教皇の姿を探す――――――必要も無かった。なぜなら、気づいた時には背後から猛烈な寒気を感じるからだ。
長時間、氷水に体をつけていたかのような体の芯から震えが伝わってくる寒気。意味もなく緊張した汗をかいていき、その顔はゆっくりと青ざめていく。
だが、体は仁の意図せずに勝手に動いていた。そして、冷え切っていた顔に生暖かい紅い飛沫が降りかかる。
目の前に起こる光景は実に恐ろしく、残酷で、無惨で、絶望的な光景であった。
薄暗く感じる教会の中で、主神トウマの像の前で両サイドから刺し込むステンドグラスの鮮やかな色づかいの光に照らされながら、宙に浮く彰の心臓を一突きして引く抜く光景であったからだ。
時間がやたらゆっくりと感じる。まるで世界の速度が半分になったかのように全ての物事がスローに見えていく。
教皇の短剣を引き抜く軌道。その短剣から濡れて、空中に分離した血の滴。命が絶たれた様子を表すような彰の遠い目。
――――――そして時はもとの速さを取り戻す。
教皇は凶悪な笑みでもう一度か、確実に、しっかりと彰の心臓付近へと短剣を刺し込んだ。その数秒にも満たない光景を仁は一生の体験をしたように感じていた。
そして、教皇は彰の体をおざなりにその場に捨てた。彰の体は仰向けに落ちていきながら、地面に力なく叩きつけられていく。
「あ.......ああ........」
仁は言葉にならなかった。どう言葉にしたらいいかもわからなかった。ただわかることは自分の選択がこの結末を招いたということ。
あの時は彰を撃つということが正しかったかもしれない。だが、もし撃たなければこんな結果にはならなかったかもしれない。
しかし、教皇があんな化け物だとは知らなかった。知るはずもなかった。こうなってしまったのは自分のせいじゃない。
――――――いや、そんなわけあるか。たとえそれを知らなくても自分が撃つ前から化け物だと気づいていた。だとすれば、それを予測して考えるべきだったのだ。
そんなことが自分に出来たのか? あんな状況で、あんな精神状態で、そんな予測を立てる方が難しい。
だったら―――――
どうして―――――
他には――――――
何か別の――――――
あれだったら――――――
自分の考えがせめぎ合う。自己嫌悪と自尊心が不毛な争いを続けていく。もうこの時点で仁の精神はかなり壊れていたかもしれない。
仁はわなわなと震える両手でそっと彰を抱えていく。片方の腕を首に回し、もう片方の手を傷口に当てていく。
まだやんわりと温かい。だが、最初に顔に触れた時よりはだいぶ温度も低くなってしまっている。
わずかに心臓の鼓動を感じる――――――ような気がする。刺されてうんともすんともしない彰に仁は憎しみや後悔や恨みが抑えきれない。
するとその時、仁の頬にゆっくりと動いてきた彰の手が触れる。そのことに仁は思わず声をかけようとするとその前に一言告げた。
「お前は.......俺みたいになるなよ」
「彰さん!」
その言葉を最後に彰の手は力なく動かなくなった。何度もゆすっても全く動く気配がない。何度声をかけても全く反応する気配がない。
そのことに仁は初めて自らの意思で殺したいと思える相手を見つけてしまった。どんな手段を使っても、どんな方法を使っても殺したい相手を。
そんな憎しみの籠った瞳で仁はすぐ目の前にいる教皇を睨んだ。すると、教皇は涼し気な顔ををしながら笑っていた。戦う必要も無いのか、いつもの人の姿へと戻っていた。
「何を笑っているんだ! この人殺しめ!」
「いや~、実にその目が素晴らしいと思いましてね。なんとも、ここで殺してしまうのが惜しく感じてましてどうしようかと」
「ふざけんな! すぐにぶっ殺してやる!」
仁はこれまでにもないほどの凶悪な目つきで教皇を睨んでいた。その目はまるで睨んだだけでも人を殺せそうな目だ。
そして、恐怖よりも怒りや憎しみが勝っているのか声も五割り増しに強めの口調となっている。そんな仁に教皇はまたもや軽く笑う。
「うーむ、ここで君との戦いに興じるのもアリですが、いささか力不足でもあり、役不足でもあるんですよね~。加えて、それでは我らが主を楽しませるというよりも、私が楽しんでしまうような気がしまして........はてさてどうしたものか」
「何をさっきからわけのわからないことを!」
仁は自分の言葉が無視されているような気がしていきり立つ。仁の恨みや憎しみ、怒りは増々加速していき、青筋が何本か額へ走っていく。
するとその時、教皇は何かを閃いたように一回手を叩くと告げる。
「うむ、そうですね~。君と戦いのも山々ですが、どうやら君は運がいいらしいですからね~。その負の感情に全てを任せてもう一度会いに来てください。その時にはもう私の計画は実行段階に入っているでしょうからね」
「だから何を!」
仁がそう言うとふと教皇が自分から視線を外し、教会の入り口の方へと目を向けていることがわかった。
するとすぐに、響き渡る聞き覚えるある声。
「どうしたの? .......海堂君?」
「――――――橘っ!」
仁は知らなかった。まだそこが彼の絶望の序章に過ぎなかったことを。




