午前3時のサンドイッチ
中米の大半の国は、深夜の散歩など自殺行為である。
けれど、この国の首都は比較的安全で、夜間出歩いても何か起こる心配は少なかった。
もちろん、治安の悪いエリアを把握していて、そこに立ち入らないことが前提だ。
銀行や高級店の前は、夜間も警備員のおっちゃんがサブマシンガンを抱えて立っていて、暇している。
その暇しているおっちゃん達に声を掛けて仲良くなり、時々煙草を差し入れをすることで、深夜の散歩ルートの安全は確保してあった。
大通りの周辺には24時間営業のレストランやスーパーがある。
このアメリカ系の大衆レストランも、24時間営業の店の一つ。
この国の人達が食べる一般的な料理もあるのだが、このレストランにはサンドイッチがあった。
卵だのハムだのチーズだのを、やや歯応えのある丸いパンに挟んで、でかいアイロンみたいな機材で挟み込み押し潰して上下を焼く。
パンを載せた皿の上から、揚げたてのポテトをバラバラと掛けて完成。
ポテトなど皿の横に添えれば良いのに、上から掛けないと気が済まない雑なメニューである。
ポテトはケチャップをたっぷり付けて食べる。
挟む具材によって値段は変わるが、0.5~2.5ドルくらい。
マクドナルドやバーガーキング、サブウェイで食べるより、ずっと美味い。
この店には午前3時過ぎになると、売春婦のお姉さんが仕事を終えてやってくる。
彼女のお目当ては俺である。
正確に言えば、俺の持っているパナソニックのCDウォークマンが彼女のお目当てだ。
CDウォークマンは店に売っていないことはないのだが、実際にCDウォークマンをして歩いている人など、最初は一人もいなかった。
CDウォークマンは80ドルはするし、CDは1枚14.99ドルする。
何より、毎日、電池代が掛かった。
4本で1.5ドルだが10時間ほどしか再生できない。
そして、公務員の平均給料が350ドルほど。
CDウォークマンはなかなかの贅沢品で、俺は歩く音楽ステーションだったわけだ。
「いたいた」
彼女は店に入ると周囲をキョロキョロを見廻して、小さく手を挙げる。
金髪の色白でブラウンの目の彼女は可愛らしくて目立つ・・・・・・すまん、妄想が入った。
リテイク。
「いたいた!」
身長190cmもあろうかという大柄な彼女は、大きく手を振った。
金髪の色白でブラウンの目の彼女は、店員にビールとサンドイッチを注文すると、ノシノシとこっちへやって来た。
顔もスタイルも良い人だとは思うのだが、でかくて目立つ。
「ラウラのCDある?」
「あるぞ?どっちだ?」
「古い方」
俺達はヘッドホンを片方ずつ分け合って音楽を聴く。
彼女はあまり自分のことを話したがらなかった。
名前もどうせ偽名だろうし、年齢も聞いていない。
どの店で働いているかも、どこに住んでいるのかも不明。
ただ、そういう店で働いているだけあって地域の事情には詳しく、珍しい品を扱う店を探す際は、彼女の情報を元に探すと見つかりやすい。
色々な方面に顔が利く。
「小型のレーダーが欲しいんだ。船舶用じゃなくて、小さなボートに搭載するやつ。わかる?」
「この店に頼めばいいわ。」
ケチャップで汚れた紙ナプキンに店の名前と住所を書いてくれた。
何者なんだろう、このひと?
「これ、日本のペン? 可愛いわね」
「はいはい、もってけもってけ」
「ありがとう。愛してるわ」
「愛しているのは、CDウォークマンだろうが」
「うふふ」
この、でかくて、露出の多い派手な服を着た売春婦さんは、見た目に反して、内面は少女趣味の、お姫様扱いされたがるお嬢さんである。
お姉さんと書こうとしたのだが、脳裏に彼女が怒っている顔が浮かんだので、お嬢さんと書いた。
腕相撲をしたら負ける気がするが、心はお嬢さんであるということにすれば嘘にはならないだろう。
ラテン系のダンスミュージック大好きっ娘のような見た目のくせに、メキシコの少女アイドルの曲や、ロマンチックなイタリアのポップスを好む。
日頃、自分ではない誰かを演じて生活している人達が一息付ける場所が、深夜のこの大衆レストランでもある。ここの客は、彼女が誰であろうと気にしない。
「さて、そろそろ帰って寝るわ。」
彼女はハンドバッグを手に、ズサッと立ち上がった。
俺は二人分のトレーを店に返却し、駆け足で彼女の元に戻る。
駆け足ってのが何とも様にならないが、そうでもしなければ大柄な彼女の動きには追い付けない。
彼女は扉の前で、俺を待っている。
「はい、どうぞ。お姫様」
俺は彼女のためにドアを開けてやる。
彼女はニコニコとしてドアを通り過ぎる。
彼女はこれをやって貰いたくて、俺にレディーファーストの必要性を教え込んだ。
実に、子供である。
そんな小っ恥ずかしいことができるかと、拒んでいた俺ではあるが、口うるさく言うので、渋々ながらも付き合った。
最初は嫌々ではあったものの、雪だるまのような体型の、職場の秘書のおばちゃん達からは好評で、そのうち羞恥心も薄れ、勝手に身体が動くようになった。
今ではドアがあれば犬のように駆けていく。
人、これを洗脳という。
レディーファーストは、堂々と当たり前のように出来るかが肝だ。
茶化されたら「される側の女性のマナーや気遣いも試されている」と、呆れ顔をして言えばいい。
「空は綺麗だねぇ」
人気の少ない道路を歩きながら、お姫様兼お嬢さん兼お姉さん兼大女は言った。
夜明け前のつかの間の時間、空は吸い込まれそうな透明で深い青に満たされる。
この国のもっとも美しい景色だ。
「鳥になって飛んで行けたらいいのに」
俺の中で、鶏がバサバサとダッシュして飛ぼうとする映像が再生された。
まったく、このお姉さんはまったく。
念のため、書いておくが、この国の鶏は空を飛べる。
数十メートルほどではあるが、鶏は空を飛び、大きな木の枝の上で眠る。
最初に空を飛ぶ鶏を見たときは、驚いた。
似合わねぇ、とは言わないであげよう。それが大人の優しさというものだろう。
「鶏は大した距離は飛べないと思うぞ」
あっ。つい。
「どんな想像をしたんだ」
彼女は笑いながら、ちょっ、ちょっとまって、スリーパーホールドは止めて下さい!
日曜の夜、俺は夜行バスで住まいのある街まで戻る。
そして月曜の朝、ボロ車でジャングルの村へ行く。
月曜から金曜まで、事故も事件もなく無事に過ごすことができれば、金曜の夜、バスで首都まで出てくることができる。
土曜日の午前3時過ぎ、彼女はまたレストランに来るのだろう。