表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

知らないキモチ

作者: 桜木カオリ

「おはようございます。今日は二月十四日、金曜日です。今から、朝の放送をはじめます。今日も一日、元気に過ごしましょう」

 バックで流れる、モーツァルトのホルン協奏曲。

「空気の入れかえをするために、教室の窓を開けましょう」

 そんな呼びかけもむなしく、だれも教室の窓を開けようとしない。

「遊びたい人は、運動場に出て、元気よく遊びましょう」

「おっはよう!」

 バックで流れ続ける、モーツァルトのホルン協奏曲。

 それとはおそろしく不似合いな高い声に、あたしはその声が聞こえた方向から目を背けた。

「おはよう、(あおい)ちゃん」

 窓の外は、青空だった。

「おーい。どうしたの、葵ちゃん?」

 先程の高い声であたしの名前を男のくせにちゃん付けで呼び、さらに今、あたしの肩を軽くたたいてそう言ったのは、泉純也(いずみじゅんや)。六月にアメリカから転校してきたアメリカ人のクォーター。いわゆる帰国子女ってヤツ。

 あたしは小さくおはようとつぶやいて、泉に背を向ける。

 そのとき、あたしの頭上から低い声がふってきた。

「おはよう。純也、松川」

 今、低い声で声をかけてきたのは、忠野陸(ただのりく)。あたしの学年で一番背が高い。成長が早いみたいで、声変わりもしている。

 嬉しそうにあいさつを返した泉を尻目に、あたしは教科書を机の中に入れて、深いため息と共におはよう、と言った。

 忠野は驚いたように目を見張って、それから、ああそうかとうなずいた。

 今日はバレンタインデーなのだ。

 で、この二人はモテる。

 さっきから背中に感じる視線が痛い。

 別にあたしは二人に何もしてないし、するつもりも無いから安心しなよ。

 内心そう呟きながら、あたしはそそくさと教室の隅に移動する。

 忠野と泉へのチョコ渡し合戦にあたしは参加する気はない。

 あたしが二人から離れたのを見て、二人にチョコを渡すときを今か今かと首を長くして待っていた女の子達の目がギラリと光る。

 対照的に、忠野と泉はぎょっとした顔をした。そして、あたしに助けを求めようとしたけど、次の瞬間、女の子達が二人に群がっていったため、二人はそのまま女の子達に囲まれてしまった。

 残念、もうちょっと早ければ……。いや、もちろん二人を助ける気なんて毛頭ないけどね。

 ま、せいぜい頑張って。

 あたしは心の中でそう呟いて、忠野達に背中を向けたまま、ひらりと手を振って教室を出た。


 さて、自己紹介をしてなかったよね。

 あたし、松川葵。小学六年生。今年の春に私立の中学校に進学することが決まっている。

 ちなみにその中学校は結構難しくて、塾に行ってないと合格できないぐらいのレベルの学校だ。まあいわゆる「難関校」だね。

 ま、今のはただの自慢なんだけどさ。

 ちなみにあたしの行く予定の中学校、実はさっきの二人も一緒なんだ。話も合うから、受験前から結構しゃべってたけど、今日はあまりしゃべりたくない。

 チョコ渡し合戦の時に二人に助けを求められたらもう最悪。クラスの女の子達に恨まれるよ。ただでさえ同じ中学に進学するのをうらやましがられているっていうのに。

 それに恋の恨みって怖いからねえ。こっちにそういう気がなくても誤解されるし。正直面倒だし。

 だから、今日は、あたしはあんまりかかわり合いになりたくないんだ。


 昼休み後の掃除時間。

「疲れたー! もう帰りてぇー」

 忠野が雑巾を絞りながらそう漏らす。そして廊下に寝そべっている泉に視線を投げて言う。

「純也、廊下汚いから」

「分かってるけど……。しんどいんだもん……」

「じゃあ保健室、行けよ」

「それは、ヤダ」

 即答だ。

「せめて自分が寝るところだけでも拭いてから寝てくれ」

 忠野のその言葉に、泉はだるそうに体を起こした。

 あたしは泉の雑巾をしぼってあげて、手渡す。

 雑巾を受け取った泉は、早速床を拭き始めた。真面目だから、なんだかんだ言ったって、泉はちゃんと掃除をしてくれる。まあこのメンバー、基本的に真面目だから廊下の掃除ぐらいすぐに終わるんだけど。

 今は昼休みの後の掃除時間。何の曲かは知らないけど、クラシックが流れている。朝、流れていた曲とは違う曲だ。

 あたし達三人はいま、理科室の前の廊下を掃除している。この場所にいるのはあたし達三人だけで、他の人は教室の掃除と理科室内の掃除をしている。

「それにしてもすごい量だよね。去年の三倍ぐらいあるんじゃない?」

 あたしがそう言うと、忠野は頷いた。

「知らない人からも渡された。低学年からも」

「あれだね。運動会」

「あー。それでか。あんなに多いのは」

 忠野は納得したように頷いた。

 今年の運動会、忠野は応援団長になった。赤組だったかな。忠野があまりにもかっこいいんで黄色い声を上げた子達もいた。ちなみにあたしはその中には入らない。興味ないし。

 あの運動会の後、忠野のファンクラブが作られたという噂を聞いた。どうやらそれは本当だったらしく、今日はそのファンクラブに入っているという子達が目をハートマークにして忠野に群がっていたのだ。ファンクラブ以外の子もいたようだけど。

 確か忠野は大型スーパーの紙袋一袋分ぐらいチョコを貰っていたような気がする。泉はその半分ぐらい。

「あれ、どうするの」

「どうって……どうしようかな」

 えらく無計画なヤツだ。

「ていうか、俺いらねえって言ったんだけどな。好きなヤツ以外のチョコとか欲しくねぇって」

 ちょっ! つまりそれって渡してきた子の中に好きな子はいないってことだよね。よくもまあ堂々とそんなことを言えるよね。今のであたしの中でのあんたの印象はちょっと悪くなったぞ、忠野。

「いらないって陸が言っても、渡したいからって言って、押し付けていったんだよ。僕は好きな人……いない訳じゃないけど、皆からもらえるのは嬉しいから、全部受け取っちゃった」

 えへへ、と泉が照れくさそうに笑う。

「純也はチョコ、好きだもんな。それよりさ、松川は誰かにあげたのか?」

「女の子の友達にはあげたけど。それがどうかしたの?」

「いや……その」

 忠野が目を逸らして口ごもった。

「やっぱなんでもない」

 えぇー。ちょっと期待しちゃったじゃない。好きなヤツいるのかって聞かれるのかと。

「なんかホコリっぽいから、窓、あけるよ」

 泉がそういって窓を開ける。開けた瞬間、理科室の壁に貼ってあった紙がバタバタと音をたてる。

「うわっ。すごい風!」

 あたしは思わず声を上げていた。風で舞いあがって、髪の毛の形が崩れる。

 あたしが慌てて髪の毛をおさえたら、今度は目が痛くなった。

 まつげだ。すごく痛い。

 手で髪の毛をおさえながら目をぱちぱちとしていたら忠野が笑い始めた。

 こいつ失礼なヤツ! さっきから性格悪いの丸出しだぞ。

 でも忠野の視線の先には壁に貼ってあった紙には顔の上半分をおおわれている泉の姿。

「ぷっ」

 ごめん、泉。

 あたし、思わず笑いをもらしちゃった。

 すると、泉が不服そうな顔をして、あたしを軽くにらんで言った。

「葵ちゃんこそ変な顔、してるよ」

「たしかに」

 忠野が笑って頷く。

 仕方ないじゃない。風が吹き込んできたんだし。あ、そんなこと言ったら泉も仕方ないのか。でもおかしいものはおかしいし。

 そう考えると、どうでも良くなってきてしまった。

 あたし達は笑いながら掃除をしていく。五分程で廊下の隅々までピカピカになった。

 あたしは立ち上がってトイレに行き、鏡を見ながら髪の毛を整えて、ついでに使い終わった雑巾を洗う。

「松川、ついでに俺らの分も洗って」

「仕方ないなあ。今日は特別大サービス。めちゃくちゃきれいに洗ってあげる。感謝してよ」

「なんだよ。バレンタインだから?」

 忠野がにやにやしながらそう聞いてきた。

 普段なら、あたしはこう言う。

「だーめ。自分の雑巾ぐらい自分で洗ってよ」

 って。

 普通ならそんなことを言ったら舌打ちされて嫌われるから言わないけど、この二人は笑って何気なく押し付けていくタイプで、嫌味は言わない。結局はいつも、洗ってあげているからだ。

「ふふん。そう言うだろうと思った。でも残念だったね。ハズレだよ」

 さあ、どうしてあたしは特別大サービスなんかしたんでしょう?

「葵ちゃん、優しいもんね。きっと僕たちが疲れてるの、分かってるから、洗ってくれたんだよ」

 おお! アタリだよ!

 あたしがそう言おうとしたら、忠野がこんなことを言った。

「松川に限ってそんなことは無いだろ」

 えっ? なに、今の。さっきからホントこいつは失礼だ。いつもはそんなコトないから、たぶんイライラしてるんだろう。仕方ない……かな?

 あたしがぶすっとした顔で洗い終わった雑巾を手渡すと、忠野はあたしの顔を指差して言った。

「そういう顔、すると、ブサイクになるぜ。せっかく綺麗な顔、してんのに。台無しだぜ」

 ……人を指差してはいけません。

 忠野は泉を引き連れて階段のほうに消えた。

 ……いまの、あたしの聞き間違い……?

 うん。そうだ。きっとそうに違いない。

 うん、そういうことにしておこう。

 あたしは少しだけ火照った頬を冷えた手でペチンとたたいて、教室へと戻ったのだった。

 

 教室に戻ると、女の子達があたしに群がってきた。

「ねえ、忠野君の好きな人って誰か分かる?」

「松川さん、忠野君と同じ中学、行くしょ? 悪いけど、聞いてほしいんだ」

「別に……いいけど」

 別に興味は無いけどね。仕方ないし。

 あたしが忠野に聞くと。

「さあ、誰だろうな?」

 見事にはぐらかされたよ。

 あたしは隣にいた女の子達に顔を向けて肩をすくめてみせた。

 すると、一人がこう聞いてきた。

「松川さんは、忠野が好きな人って誰だと思う?」

 ……うーん。誰だろう。

「……泉?」

 あたしは首を傾げながらぼそっと、疑問形でつぶやいた。

「やっぱそう思うよね、松川さんも」

 ……え?

「松川さんから見てもそうなんだってことは、それが正しいんだよ」

「……あの、」

 と、あたしが言おうとする前に、ある女の子が忠野に聞いていた。

「忠野って泉のこと好きなの?」

 おーい、あたしのさっきの発言、冗談なんだけどぉ……。

 忠野があたしをジロリとにらむ。あたしは慌てて、先程言おうとしたことを言う。

「じょ、冗談だよ」

 そして引きつった笑顔を浮かべると、忠野はため息をついて言った。

「……純也は友達だ。ったく、バカか、お前らは。あんな冗談、真に受けんなよ」

「松川さん、嘘つきそうにないから」

「……気付くと思って……」

 あたしはその後にごめん、と付け加えて手を合わせて謝った。

 女の子達はなぜか気を悪くしたらしい。

 あたしは睨まれてしまった。

 冗談って嘘に入るの? というか、さっきの、普通、冗談って気付くでしょ。

 あー、もうホント、イヤになってくるよ。


 放課後。あたしは図書室にいた。

 あたしが本のページをめくる音以外、何も聞こえない。

 あたし達の学校に司書の先生はいない。いるのかもしれないけど、ずっと図書室にいる訳じゃないし、そもそも本の貸し出しだって全部コンピュータで行う。

 五、六年生の図書委員が貸し出しカウンターで、コンピュータに貸す本の名前と貸し出し期限を入力する。誰々がこの本を読みたがっている、とかいう情報も全部表示されていて、図書委員が毎日交代でチェックしているんだ。そんで、あたしが図書委員だから、こうしておとなしく座って本を読んでいるってわけ。

 不意に、ガラガラと扉が開いた。

 あたしは顔を上げる。

「……よぉ」

 忠野はそういってそのままあたしの隣の椅子に座る。

 実は忠野も図書委員なんだよね。

「お前、昼、なんであんなコト言ったんだよ。おかげで俺はホモだって思われた。最悪だ」

「ごめん、ごめん。ちょっとした冗談のつもりだったんだ」

 すると、忠野は鼻であたしを笑って言った。

「お前、言っていい冗談と悪い冗談の区別、つかねえのか。ばぁか」

 ……あい、すいません。

「つーか、お前暗いよな。真面目だし」

 真面目で何が悪い!

「ガリ勉だし」

 ……もう、怒ったぞ。こいつ、言いたい放題、言いやがって。

「真面目に勉強して何が悪いのさ。あんただって人のこと言えないでしょ。塾、行ってたんだし。それにあたし好きで勉強していた訳じゃないんですけど」

 あたしがそう言って軽くにらむと、忠野は口角をつり上げた。そしてなぜか扉の鍵を閉める。

 あたしが首を傾げていると、廊下から声が聞こえてきた。

「今日の当番、忠野君だって」

「いるかな? あれ? 鍵、閉まってる」

「でも、電気はついてるよ?」

 そりゃそうだわな、中に人がいるんだから。

「開けてあげたら?」

 あたしは忠野にそう言った。

 が、忠野は動く気配がない。

 無視?

 ほんっと、サイテーなヤツ。

 あたしが鍵を開けてあげようじゃないの。

「ちょっと待って、今、開けるから」

 あたしはそう声をかける。そして右手で鍵を開けようとすると、忠野の手がそれをはばんだ。

「開けるな」

「なんで? 開けとかないと、先生に怒られるよ?」

「いいから」

 忠野が眉間にしわを寄せて、あたしの手をつかむ。

 あたしは反対側の手で鍵を触った。が、開ける前に、そちらも忠野につかまれてしまった。

 今、忠野はあたしの手を後ろからつかんでいる。けっこう強い力で。半分抱きしめられたような格好だ。

 ……うーん。何か微妙……。状況も理解できない。

 どうして忠野は鍵を閉めたんだろう?

「……誰かいるんですか」

 廊下から声が聞こえる。あたしが返事をしようとしたら、忠野は片手であたしの両手をつかんだまま、開いたほうの手であたしの口を押さえる。

 この行動の意図がつかめない。

 いやいやいや、そんなこと考えるより先に、早く鍵を開けなきゃ……。

 あたしは右足で、思いっきり忠野の右足を踏んだ。

「いっ」

 忠野の手の力が一瞬、弱まった。そのすきに、あたしは後ろでつかまれていた両手を、強く左右に引っぱって忠野の手から解放する。

 そしてそのまま体をねじって、左手で鍵を開け、廊下に飛び出した。

 ちょうど扉の前に、女の子二人が立っていたので、あたしはその二人の間をすり抜けて、扉と反対の壁に背を向ける。深呼吸を一つして顔を上げると、忠野は足の甲を手でさすっていた。

「お前な……本気で踏むなよ……めちゃくちゃ痛いんだけど」

「鍵を開けないあんたが悪い! だいたい、なんで閉めたのさ! 人が来るの、分かってたくせに」

「ちょっと遊んでたんだよ」

 鍵で? そんな幼稚なヤツだったっけ。

「じゃあ、何で開けようとしたあたしを止めたの?」

 遊んでいただけなら、あたしを止める必要はどこにも無い。

「……なんとなく」

 えぇー? なんとなくって……。そんな気分屋だったっけ?

「つーか、人の足踏んどいてそれかよ。一言ぐらい謝れよな」

「先にあたしを押さえつけたのはあんたじゃない。確かにちょっと……だいぶ痛かったかもしれないけど! でも正当防衛の範囲内だと思います!」

 あたしはそう主張した。すると忠野はギロリとあたしをにらみ、まだ呆然と図書室の扉の前で立ちつくしている二人を中に入れた。

 そしてあたしの荷物を廊下に放り投げる。

「お前、もう帰れ! 二度と話しかけんな!」

 そう言って、忠野はぴしゃりと図書室のドアを閉めてしまった。

 たぶん鍵はかけてないだろう。音がしなかったから。

 でも何となく、拒絶されたような気がして、あたしはドアを開ける気にはなれなかったのだった。

 というか、人の荷物を放り出す? ホントにむかつくわ、あいつ。


 次の日は休みだった。

 あたしは家でおとなしく本を読んでいた。

 でも何となく落ち着かない。

 昨日のことが頭から離れないのだ。

 もしかしたら、一言ぐらい謝っておくべきだったかもしれない。よく考えれば、忠野は暴力は振るっていない。つまりは悪かったのはあたしのほうで……。

 でも、あいつもあいつだよね。

 だいたいなんで鍵を閉めたのか。なんとなく、で行動するようなヤツじゃないし、忠野は。

 考えれば考えるほど訳が分からない。

 まあでも、月曜日に学校に行ったら謝ろう。

 今度から同じ中学校だしね。


 月曜日。教室の扉を開けると、冷たい視線が集中した。

 あたしに。

 もしかして、忠野が言いふらした?

「ねえ、松川さん。忠野君の足、踏んだってホント?」

「……う……まあ……」

 ああ……視線が痛い。金曜日とは別の意味で……。

 あたしはランドセルを自分の席に置いた。「金曜日は、ごめん」

 そう言って、頭を下げようと心に決めて、忠野の席に向かう。

 すると忠野は黙って立ち上がり、あたしの横を通り過ぎて教室を出ていった。そしてその後を、あたしをにらみながら追いかける女の子たち。

 後には困ったようにあたしを見上げる泉と、立ち尽くすしかなかったあたし、そしてあたしの数少ない友人である恵美子ちゃん、こういうことに興味の無い男子達が残った。

「葵ちゃん、たぶん陸、怒ってる訳じゃないと思う。それに陸は何も言ってないよ。現場を見てたっていう女の子が言いふらしたんだ」

 そうして、ふわりと微笑んでくれた。

 恵美子ちゃんもあたしの隣にやって来て、優しく肩を叩いてくれた。

「何があったのか、聞いてもいい?」

 あたしはこくりと頷くと、図書室での出来事を話した。

 話し終わると、泉と恵美子ちゃんが顔を見合わせて、同時に笑みを浮かべた。

 何だ、この笑みは。

 その意味深な笑みを突然引っ込めて、泉が真剣な面持ちで口を開いた。

「葵ちゃんも、たぶん謝ったほうがいいね、それ。さっきは謝ろうとしていたみたいだけど……」

 失敗に終わった。

 この様子だと、あいつはあたしと話す気なんて毛頭無いのかもしれない。いや、確実に無いだろう。

「大丈夫。時間が解決してくれるよ」

 そう言って、恵美子ちゃんはにっこりと笑ってくれた。

 ……本当にそうだろうか。

 疑問には思ったけれど、あたしは何も言わないでおくことにした。

「ありがとう、二人とも」

 あたしがそう言うと、二人はまた、微笑んでくれた。綺麗な微笑みだった。

 それからは、忠野のファンの子達もにらんではきたけど、気にしないことに決めて日々を過ごしていった。

 そして、卒業式の練習が始まり、三月に入った。


 その日あたしは、図書室で図書委員の仕事をしていた。

 忠野はあの日以来、図書室には来なくなった。

 だから、全て仕事はあたしがやっていたんだけど……。

 仕事はほとんどない。そして今日は最後の当番。

 最後くらい来るかなあーなんて期待していたけど、結局帰らなきゃならない時間になってもあいつは来なかった。

「ふぅ。帰るか……」

 あたしは何ともなしに呟いてランドセルを背負おうとした。

 突然、ガラガラと扉が開いた。

「松川、いるか?」

 びくりと心臓が跳ね上がった。扉を閉める音が遠くに聞こえる。うるさいぐらいに心臓がバクバクいってる。

 声を聞いた瞬間に忠野だって分かった。

 けど、なんであたし、こいつにドキドキしてるんだろ……。

「悪い、遅くなって」

「……もう帰る時間だよ」

「分かってる。……本当は、来ないつもりだったんだ。けど」

 ……けど?

 あたしは忠野に背を向けたままじっとしていた。

 扉の近くにいた忠野が、こちらに近付いてくるのが分かる。

「今更、かもしれねえけどさ、謝りたくて。単なる自己満足だ。迷惑な話だよな」

 忠野が自嘲している気配が背中から、耳から伝わってくる。

「この前、っていうか、バレンタインの日は悪かった。八つ当たりして……。ごめん」

「その上無視だもんね」

 あたしがそう言うと、忠野は少し寂しそうな顔をした。

 あたしはそれに気付かない振りをして、さらに畳み掛けるように言う。

「女の子いっぱい従えちゃってさ。いいよね、モテるやつは、」

「仕方なかったんだよ」

 忠野はあたしの言葉を途中で遮った。

「仕方なかったんだよ……」

 もう一度呟いた忠野は眉間にしわを寄せてあたしから顔をそらす。

 気まずい沈黙が舞い降りた。

 五時のチャイムが鳴る。

 あたしがランドセルを背負いなおして、ドアに手をかけたとき。

「……ただの……ど…かなあ」

 廊下から誰かの話し声が聞こえた。女の子だ。

 あれ…?この声聞き覚えがある。

「ほんと、どこ行っちゃったんだろ」

 声を聞いて、忠野の方がびくりと震えた。

 この子、あたしのクラスメイトだ。そういえば忠野が大好きだって公言してたっけ。

 気付けば、忠野が扉を開けて図書室から出ていた。

「何か、用か?」

「あっ、あのっ、い、いま、ちょっといいかな?」

 どうやら緊張で声が裏返っているみたい。告白でもするのかもしれない。

「ここで?」

 忠野が苦笑して言う気配がする。

「えっ? あのっ、じゃあ、もう帰る時間だよね、あの、その間に……」

「分かった、用意してくる」

 そう言って忠野が図書室に戻ってきた。

「悪い、先帰るわ」

 さっき私と話してた時とは比べ物にならないくらい明るい声で言って、荷物を取ると、忠野は出て行ってしまった。

 どんどん忠野達の声が遠ざかっていく。

 なんだかすごく気になる。

 胸の辺りがざわざわしてる。

 あの二人がこれからどういう話をするのか、とか、忠野がどんな顔をしてるのか、とか、そんなしょうもない考えが頭に浮かんでは消えていく。

 なんなんだろう? これっていわゆる恋ってヤツ?

 でも、どうして?

 私が忠野を好きなはずが、無い。

 だってあいつ、最低に性格悪いし、口は悪いし。だめだ。ホントにあいつの欠点しか思い浮かばないや。

 ってことは、単なる野次馬精神?

 でもそんなことなら、こんなに胸が締め付けられるような気持ちはしないはず、だよね。

 そう考えていると、足音がした。振り返ってみると、恵美子ちゃんと泉がいた。

 二人の姿を見ると、なんだかこう思えてきた。

 やっぱり、恋なのかな。

 ……いや、でも、なんだかそれはイヤだ。

 あいつに、忠野に負けたみたいで。

 ちくしょう。なんだかそう考えると腹が立ってきたぞ。

 あいつのせいじゃ無いから、余計に。

 自分が、あいつへの自分の思いを否定してて、認めたくないだけのような気がめちゃくちゃしてきて。

「葵ちゃん、忠野が校門で待ってるよ」

 恵美子ちゃんがそう言ってあたしの手を取る。

「なんで?」

 あたしは知らない内に、聞いていた。

「ちょうど、通りかかって。誰か待ってそうだったから。ひょっとして、って思って」

 泉はそう言ってあたしにランドセルを渡す。

「それだったらさっきの子じゃないかな」

「さっきの子?」

 二人が同時に顔を見合わせて聞いたので、あたしは二人に、クラスメイトの忠野を好きな子が、忠野と二人で帰ったことを話した。

「まあ、何にしてもね、僕たちがさっき通った時は、陸は校門にいたよ。さっきって言ったって、五分ぐらい前の話だから、もう帰っちゃったかもしれないけど」

 泉は窓の外を見つめてそう言った。

「たぶんまだいると思うよ、あの様子だと」

 恵美子ちゃんは笑顔で私を見つめた。

「ねえ、葵ちゃん、葵ちゃんは陸のこと、好き?」

 私は、泉に真剣にそう聞かれて、困ってしまった。

 自分が、忠野のことを好きだとは思えないけど、なんだか自分がだだをこねてる幼稚園児のように思えてきて。

 二人は優しく見つめてくるけど、その瞳の奥には答えを求める強い光があった。

「……わかんない」

 優しい静寂が、落ちた。

「だって、だってさ、あたしはこれまで二回ぐらい恋したことあるけど、こんな気持ちになったのは初めてで、無視されてた時はそんな気にならなかったのに、どうして突然、今になって、こう、ドキドキするのかなって。すごく疑問に思うんだよね。なんだか、勘違いしてるような気もするし」

「自信、無いんだ?」

 うん、そう言われてみればそうかも。忠野のことを友達として好きなのか、それともホントに恋しているのか。

「じゃあさ、とりあえず好きかどうかは置いといて、忠野と仲直りして来なよ。さっきだってろくに話してないんじゃないの?」

 ん?さっきって?

 あたしが首をかしげていると、泉が補足してくれた。

「陸と教室で話してたから。葵ちゃんと仲直りするって言って図書室に向かってったから。その後すぐに、あの、陸を好きな子がね、陸が何処にいるか教えてくれって言うから教えてあげたんだよ。だから、たぶんほとんど話してないだろう、って」

 なるほど、二人は知っていたのね。

「だから、たぶんはっきり謝りたいんじゃないかな、陸は」

 さっき謝ってた気がするんだけど……。

「ほらほら、行って来なよ!」

 恵美子ちゃんがあたしの背中をぐいぐい押して、廊下に出す。

 仕方ないね。

「もう。二人ともお節介なんだから」

 そういって私は歩き出す。

 二人の柔かな笑い声が背中から聞こえていた。


 校門前には、誰の姿もなかった。夕焼けの暖かい色があるだけで。

「やっぱり……」

 あたしは呟いて、歩き出した。

 少しだけでも期待してしまった自分が恥ずかしい。

 まだ、いるんじゃないか、って。

 いるはずがない。だって、さっき謝っていたから。

 そうだよね。

 あいつ、私に気があるわけじゃないだろうし、あたしも……。

 ホントに……?

 本当にあたしは。

 好き、なの?

 どうなんだろう。分からない。

 そのとき、影が正面から現れた。

「松川」

 その、低い声。

 その、影の形。


今から十年ほど前に執筆したものです。整理していたら出てきました。せっかくなので公開することにしてみました。なんだか恥ずかしい気もしますが、今よりこの頃のほうが上手く描けている気がするので複雑です。特に加筆・修正などせずにあげているので、何か間違いを見つけたら、お知らせ頂けると嬉しいです。

果たしてこれは恋愛ものでいいのか微妙なところですが(笑)主人公は恋なのかもという甘い期待を抱いているような感じがあるので、とりあえず恋愛ものとして出してみました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言]  本当の感情に気づいていない、そんな自分を想像してしまいました。
2016/11/18 10:02 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ