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君の屍が視える  作者: 紫音みけ
第二章
8/20

3.赤い顔の僕ら

 


       〇




 店に入って席に着くと、彼女は慣れた様子でコーヒーとサンドイッチを注文した。


「あ、じゃあ僕も同じサンドイッチ。……と、あとカフェオレ」

「かしこまりました」


 注文が通った瞬間、僕の向かいでメニューに目を落としていた彼女は、ばっと勢いよく顔を上げた。


 僕が見ると、どこか驚いたような顔で彼女は固まっていた。


 僕、何か変なことを言ってしまっただろうか?


「……コーヒーは、頼まないんですね?」


 店員が見えなくなってから、彼女は内緒話でもするかのように言った。


「え? うん。僕カフェオレが好きだから」

「そ、そうですか……」


 しゅん、としたように視線を落とす彼女。


 そこで、ああそうか、と僕は合点がいった。


 そういえばここへ来る前に、この店はコーヒーが美味しいのだと彼女が言っていた。

 だからこそ彼女はここを選んだのだと。


 コーヒーを勧められておきながら、あっさりとそれを無視する僕。

 忘れていたとはいえ、なんて嫌な男なのだろう。

 これだから僕は友達ができないのかもしれない。


 変な空気のまま時間だけが過ぎて、やがてテーブルの上には注文の品がそろった。


「それじゃ、食べましょうか」


 久方ぶりに彼女が口を開いて、僕は頷いた。


 後ろめたさを感じながら、僕はカフェオレに口を付ける。

 しかし意識は向かいのコーヒーカップに集中していたので、味はほとんどわからなかった。


 そんな僕の視線に気づいたのか、


「……あの。一口飲みます?」


 出し抜けに彼女がそんなことを言ったので、僕はカフェオレを噴き出しそうになった。


「い、いいの?」


 これは、いわゆる間接キスというものになるのではないか。


 緊張する僕の心境には気づかない様子で、彼女はコーヒーカップを僕の方へと押し出した。

 どうぞ、という意味だろう。


 どうやら彼女はこういったことをあまり気にしないらしい。


 僕は一人心臓をバクバクさせながら、勧められるままにコーヒーを啜った。


「美味しいでしょう?」


 鈴の音のような声で、彼女が聞いた。


「う、うん」


 正直、緊張のせいで味なんてほとんどわからなかった。


 

 



       〇






 それから、他愛もないことをあれこれと話した。

 といっても、お互い持っている話題は少ないので、プロフィールを探り合うくらいでしかなかったのだけれど。


 彼女――橘逢生は、僕と同じ大学に通う二年生で、サークルなどには所属していないようだった。

 実家住まいらしいが、両親はもういないので、祖父母と三人で暮らしているという。


「それで、守部さんは――」

「結人でいいよ」


 僕がそう言うと、彼女はちょっと困ったような顔をした。


「え。でも……」


 年上の人間を下の名前で呼ぶのに抵抗があるのか、迷うような素振りを見せる。


「僕も、逢生ちゃんって呼ぶからさ」

「……じゃあ、結人さん」


 そう、小さく言った彼女は口元に手を当てて、ほんのりと頬を桜色に染めていた。


 そんな女の子らしい反応に、僕はドキッとしてしまう。


 まあ、お互いにもともと顔中が血まみれで、赤く染まってはいるのだけれど。


「結人さんは、何年生なんですか?」

「僕は四年だよ」

「じゃあ、就職活動は……」

「だめだった」


 僕は過去形で言った。

 けれど正確には、まだやろうと思えばいくらでもできる。

 一般の企業ならまだ募集している所はあるはずだ。


 でも。


「僕、教師になりたかったんだ。だから教員採用試験を受けたんだけれど、ついこの間、不合格の通知があって」


 そんな情けない結果を口にしながら、僕は自嘲するように笑った。


「……すみません」


 と、彼女――逢生ちゃんは申し訳なさそうに言った。


「どうして謝るの?」

「失礼なことを聞いてしまったから……」


 デジャヴだった。

 昨日もこうして同じようなやり取りをしたような気がする。


 だから、僕はそれ以上はつっこまなかった。


 昨日みたいに、「僕が勝手に話したのにどうして謝るの」なんてつっこめば、彼女ははまた居心地の悪い思いをしてしまうだろう。


 僕が黙っていると、やがてサンドイッチを食べ終えた彼女は、


「私も……教師になりたかったんです」


 と、呟くように言った。


「なりた、かった……? どうして過去形なの?」


 不思議に思って、僕は尋ねた。


 僕の場合なら、過去形で言ってもおかしくはない。

 すでに今年の試験は終了してしまったのだから。


 けれど、彼女はこれからだ。

 まだ始まってもいない。

 彼女が試験に挑むのは、まだ二年も先のことなのに。


「私……教師になるのがずっと夢でした。父が、教師でしたから」

「そうなの?」


 なんという偶然か。

 実は僕の母親も、教師の仕事に就いていたのだ。


 思わずその事実を伝えたくなったけれど、寸前で僕は思い留まった。

 ここで水を差してしまうと、それ以上彼女の話を聞けなくなってしまう――そんな気がしたから。


「私、最初は……自分はただ教師になりたいだけだと思っていたんです。それが夢だからって。でも、……違いました。私は、ただ教師になりたかったんじゃない。私は、教師になった姿を父に見せたかったんです。この世でたった一人の、私の味方である父に」


 言いながら、彼女はどこか一点を見つめていた。

 視線はテーブルの上に注がれていたけれど、そこに焦点は合っていないように見えた。


「でも今年の夏、父が亡くなって……私の目標は消えてしまいました。もう、見せる相手がいませんから。……生きる目的も、そこで失くしてしまったんです」

「だから、自殺するっていうの?」


 僕が聞くと、彼女は一瞬だけ僕の顔を見上げた。


 けれどすぐに視線を逸らして、


「いけませんか?」


 と、消え入りそうな声で言った。


「うん。いけないと思う」


 僕は素直な意見を口にした。


「確かに、君の目標は消えてしまったかもしれない。これ以上生きていても何の意味もないって、思ってしまうかもしれない。でも、君のお父さんはそうは思わないはずだよ。きっと君のお父さんは、君の夢を応援していたはずだ。教師になってほしいって。だから……今ここで君が死んでしまったら、それはお父さんのためにはならない。お父さんの気持ちを踏みにじって、君が自己満足するだけだよ」


 と、勢いでそこまで言ってしまってから、僕はハッと我に返った。


 向かいで僕の話しを聞いていた彼女は、斜めに視線を逸らしたまま、大きな瞳に涙を溜めていた。

 今にも零れ落ちてしまいそうなそれを、必死に堪えている。


「……ごめん」


 泣かせるつもりじゃなかった。

 けれど、何と言っていいのかわからなくて。


「ちょっと、外に出ようか」


 風に当たれば少しは気分転換になるかもしれない。

 食事も終わったし、ここに長居は無用だろう。


 僕らは秋風の吹く街中へと、二人並んで出ていった。


 

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