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5.君を待つ

 


       〇




 暗い夜道を走りながら、僕は彼女に電話をかけた。

 しかし繋がらない。


 一体どこにいるのだろう。

 見当もつかないが、僕は自然と街の中心を目指していた。


 途中、人混みを掻き分けていると、あちこちに屍がうようよとしているのが目についた。


 血まみれの老人。

 全身が真っ黒焦げになった家族連れ。

 首のないサラリーマンにキスをする女。

 透明人間。


 今日はやけに屍が多い気がする。


 いや、それでなくとも。


 死は、常日頃から身近に存在するものなのだ。

 今はただ僕が過敏になっているだけで、特別なことは何もない。


 だからやはり、僕は彼女が心配だった。


 もともと他の誰よりも死に近い場所にいたのだ。

 そんな彼女が自分自身を責めるようなことがあればどうなるか。


 最悪の事態を頭に浮かべていると、ちょうど駅前の歩道橋に差し掛かったとき、そこから駅のホームが見えた。


 歩道橋と並列するようにして伸びる、高架上の線路。

 そこに鮮やかなピンク色をした物体が視える。


 そこで僕は、足を止めた。


 もしやという予感があった。


 そうして吸い寄せられるようにして、ゆっくりと歩道橋の端に寄る。


 そこから視えたのは、バラバラになった人の肉片と、かろうじて原型を留めている白い腕だった。

 線路の上に、人の轢死体が転がっている。

 その美しい屍には見覚えがあった。


「逢生ちゃん……?」


 駅で騒ぎになっていないところを見ると、この屍はまだ存在していないものなのだろう。

 おそらくは僕の目だけに映っている、近い未来の光景なのだ。


 思い返せば、逢生ちゃんと初めて会ったのもこの駅のホームだった。

 彼女は今度こそ、ここで命を絶つつもりなのかもしれない。


 確信めいたものを感じ取り、僕は駅の改札へと急いだ。


 

 



       〇






 それから、僕はひたすら待った。

 駅のホームの片隅で、それらしき人物をずっと捜していた。


 待ってさえいれば、彼女と会える――そんな予感があった。


 けれど、いくら待っても彼女の姿は見えなかった。


 まさかこんなときに限って僕の勘が外れるのではないか、なんて嫌な予想をしてしまう。




 そのうち終電時刻を過ぎ、駅員によって僕はホームから追い出された。


 

 



       〇






 仕方なく歩道橋の方へと戻り、そこから高架上を覗く。


 やはり、線路の上には人の轢死体が散らばっている。


 きっと、彼女はここへ来る――それだけを信じて、僕はじっと待っていた。




 歩道橋の端に腰を下ろし、スマホで時刻を確認する。


 午前二時。


 次第に気温はどんどん下がり、僕の全身を凍らせていく。


 寒い。

 辺りは静かだ。

 逢生ちゃんは来ない。


 再び電話を掛けてみたものの、やはり応答はなかった。


 彼女は今、一体何を考えているのだろう。


 そして僕は、一体何をしているのだろう?


 僕は彼女の何なのだろう。

 やはり、彼女を傷つける存在でしかないのか……。


 そんな考えがぐるぐると頭を巡っているうちに、時刻は朝方へと近づいていた。


 寒い。

 けれど、全身の震えはいつのまにか止まっていた。


 感覚がない。

 意識も段々と遠退いて――そして。


 声が、聞こえた。 


 ――結人。


 誰だろう。

 懐かしい声。


 ――結人。


 聞こえてるよ。


 でも、眠いんだ。




「結人……さん」


 三度目の呼び声に、僕は目を開いた。


 そこで僕は、自分がいつのまにか眠ってしまっていたらしいことに気がついた。


 そうしてゆるゆると視線を上げると、目の前には、今にも泣きそうな女の子の顔。


 白い肌に、ぱっちりとした瞳。

 長い黒髪は艶々として、ふわりと風に揺れている。


 待ち焦がれた彼女――逢生ちゃんの姿が、そこにあった。


「……いつから待ってたんですか」


 涙声で彼女が言う。


「風邪ひきますよ……っ」


 くしゃりと顔を歪めて、彼女は必死にこちらへと訴えていた。

 怒ったような顔をしているけれど、彼女なりに僕を心配してくれているようだった。


 できることなら、今すぐにでも彼女をこの手で抱きしめたかった。

 けれど身体が言うことを聞かない。まるで金縛りにでも遭ったかのようだった。


「っ……」


 声を出そうとしても、うまくいかなかった。


「え、何ですか……?」


 逢生ちゃんが耳を寄せてくる。


 僕は出せる限りの力を振り絞って、


「……無事で、よか……た……」


 あまりにも弱々しい僕の声は、彼女に届いたのかどうかはわからない。

 けれど、伝えたかった言葉の通り、彼女が無事でさえいてくれればそれだけで良かった。


 彼女の身体を見る限り、今はどこにも死相は現れていない。

 あの線路上に散らばっていた肉片も、今ごろは消えていることだろう。


 それにしても、眠い。


「結人さん……?」


 せっかく彼女に会えたのに申し訳ないけれど、僕はもう、それ以上起きている余裕がなかった。


「結人さん!」


 彼女の声を遠くに聞きながら。


 僕はそのまま、ずるずると深い睡魔の波に飲み込まれていった。



 

第三章 (終)

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