03 猫の恩返し
「ユキノよ、そんなに焦ってどうしたのだ?」
雑誌の検品をしていたドルムントに事情を説明する。うまく説明はできなかったが、彼は察してくれたようだ。
「うむ! 義理を果たそうとするその姿勢やよし!」
そう言うと彼は千葉先輩に早退の旨を伝える。
「フハハハハハ! 体調が悪いので早退する!」
呆気に取られている千葉先輩をその場に残し、コンビニを後にする。彼は僕を掴むと駆け出した。
僕の身体とは信じられない程の速度で、彼は駆ける。
「おや。戻ってこないかと心配してましたが、杞憂だったようで嬉しいですわ」
公園に到着する。そこには血まみれの姿で倒れる猫と、口元を赤く染めながら、歪んだ笑みを浮かべた女性の姿があった。
「この獣の魂だけでは全然お腹が満たされてませんの。お友達を連れて戻ってきてくれて本当に嬉しいですわ」
彼女はこちらに近づいてくる。
僕の襟首を掴んでいるドルムントの腕を振り払い、地に臥している猫に駆け寄る。
……酷い。
「ふん、雑魚めが。我には魅了など効かぬわ」
見ると女性がドルムントに近づき、ピンク色の霞の様な物を吐きかけていた。霞の中、ドルムントは腕を組み、平然としている。
「……人々から畏怖される私を雑魚呼ばわりとは。貴方が異世界から来たとか言う頭のおかしな魔王様のようですわね」
女性は肩を怒らせドルムントに凄む。
「うむ、我は魔王ドルムント! 貴様の様な雑魚ですら我を知っておるとは、有名になったのう」
彼は涼しい顔でそう言った。
その態度は女性の理性を飛ばすのに十分過ぎる程に効果があったようだ。
彼女の端正な顔が歪み、額には青筋が浮き上がっている。
「人間より多少霊力が強い程度でこの私、ダーキニーを雑魚呼ばわりとは。相当身の程知らずのようですわね!」
言うなり女性はドルムントの胸元に飛び込む。いや、飛び込むと言うより、彼の胸元に突然現れた。その動きはあまりにも素早く、僕の目では追いきれない。
彼女の腕がドルムントの胸を貫き血が吹き出した……ように見えたが、その場に崩れ落ちたのは女性の方だった。彼を貫いた様に見えた彼女の左腕が、付け根から白い液体を吹き出しながら宙空を舞う。
「思ったよりやるではないか。しかし、貴様の血は不味そうだのう」
主を失った左腕を拾い上げ、彼は滴る液体を口に流し込む。
「おお、意外と美味」
左腕があった箇所を庇いながら、彼女は後ずさった。驚愕の表情で彼を見上げる。
「貴様に恨みは無いのだがな。我をこの地へ案内し、肉体を貸してくれておる友人を手にかけようというのなら、死んでもらうしかないのう」
そう言うと彼は女性の胸元に無造作に右手を突き刺した。
貸したというより、乗っ取られたのだが、今は余計な事は言わないでおこう。
「ユキノよ、もう大丈夫じゃ。主を狙う悪党は我が成敗した!」
白い液体にまみれながら、ドルムントは僕に爽やかな笑顔を向ける。
なんだろう、表情と行動が全くそぐわない。右手は彼女の胸に穴を開け、未だぐちゃぐちゃと何かやっているし。
いや、今はそれは置いておこう。それよりも、猫を治して欲しい。
彼は女性の胸から何かを引き抜くと、僕と猫の元へ向かった。
「ふむ。残念だが、こやつはもう治癒できん。肉体の損傷を治しても、肝心の魂が無くなってしまっておる」
猫の身体に触れながら、彼はそう言った。
……僕のせいだ。折角ドルムントに怪我を治してもらい、仔猫と一緒に暮らせる機会を得たのに、僕なんかを守る為にその命を失ってしまった。
「縁の無い私達を助けたり、悲しんだり、貴方は不思議な人間ですね」
背後から声がする。振り返ると一匹の猫が佇んでいた。
いや、猫なのか? 見た目は猫なのだが、尾は三つに分かれ、その体躯は成犬と同じ位の大きさになっている。
「ほほう。親から我の魔力を継いだか」
……えー?
ドルムントが知っているということは、あの仔猫なのだろうか。
確かに白いし、面影はあるのだが。
魔王の魔力、恐るべし。
「ドルムント様、その節はありがとうございました」
猫は丁寧にドルムントに礼を言う。
「うむ! 元気そうで何よりである!」
彼は快活に笑う。母猫が亡くなっているのに元気そうというのもどうかと思うが。
猫は僕に向き直り、頭を垂れた。
「ユキノ様もありがとうございます。母も感謝していました」
母猫は結局、一日生き長らえただけだった。しかも僕のせいで命を失う事になってしまった。
感謝こそすれ、感謝されることなんて、僕は何もできていない。
”僕は……”
僕の言葉は、猫の行動によって遮られた。
猫は僕の霊体を組み敷く。
「おい、いつまでもウジウジしてんじゃねえ。感謝してるって言ってんだ。それでさっさと納得しろ」
幻聴だろうか。先程までしおらしく喋っていた猫から粗暴な声が聞こえてくる。
「納得できなきゃ強くなればいいだろうが。後悔する程の力があるのかよ、ミジンコ野郎」
幻聴じゃない!
猫は僕を見下ろし、フッと溜息をついた。
倒れている僕を後にすると、ドルムントの方へ歩を進める。
「恐れ入りますがあの獲物、食されないようでしたら私が頂いても?」
前足で女性の躯を指す。
「うむ、我は要らぬ。好きにせい。それと我を敬う必要は無い。お前の主はユキノだろう」
え? 僕があの猫かぶりの猫の主なのか。
そういえば、母猫が娘を宜しくお願いしますと言っていたような気がする。
猫は女性の躯に牙を立て、そして……喰った。
猫は食事を済ませると、その姿を変えた。足が伸びていき、体毛が衣類の様になっていく。
気が付くとそこには、白髪の綺麗な少女が立っていた。
「改めまして、ユキノ様へこれからお仕えさせて頂きます猫又のシロと申します。不束者ですが、宜しくお願い申し上げます、ご主人様」
こうして僕に猫又のメイドができた。猫耳もなく、本性を見た為全く萌えないが。