01 僕と魔王
僕は今、扉も窓も無い部屋で一人、ソファに座りテレビを観ていた。
気付いたらこの部屋にいたので、どこから入ったのかは分からない。
テレビには僕、雪野大がこの部屋に送られる直前の映像が繰返し流されている。ドキュメント調で気恥ずかしい仕上がりとなっている。タイトルは『ある男の残念な死に様』。
……ええー。
映像は朝、夜勤を終えコンビニから出てくる僕の姿から始まった。自宅までのいつもの帰り道、車道で横たわる猫の姿を見かけた。傍らで仔猫が鳴いている。
おそらく車に轢かれ、親猫はもう死んでいるのだろう。仔猫の呼び掛けに応える様子はなかった。
路地で車の通りが少ないとはいえ、いつまでも横たわる親猫の側にいたら仔猫が親の後を追うのも時間の問題だろう。僕は仔猫に駆け寄り抱き上げた。俺の腕の中で親を求めて悲しそうに鳴いている。
親猫に触れる。目立った外傷は無く、まだ温もりは残っていたが、やはり死んでいる様だった。ここに置き去りにしたら無惨な姿になる可能性が高いので、一緒に抱き上げる。
そこに赤いスポーツカーが突っ込んできた。運転手は車道にしゃがみこんでいる僕の姿気付いていない。
僕は後方から車に轢かれた。衝撃で猫の親子が歩道へ飛んでいく。
そこで映像は終わり、画面には『Fin』の文字だけが大きく映し出される。しばらく経つと冒頭のコンビニのシーンから同じ映像が始まるのだ。
もう何度繰り返されたかは分からない。自分が車に轢かれる映像など観ていて楽しくもないので消してしまいたいのだが、消す手段が無かった。リモコンも無いし、テレビには電源スイッチは見当たらない。そもそも電源ケーブルもついていないのだ。
……ここは死後の世界なのだろうか。花畑とか、川の向こうから故人が手を振ってるとか何も無い。あるのは座り心地のいいソファ、テーブル、缶コーヒーがびっちり入った冷蔵庫と不良品のテレビだけ。
もしかしたら僕は気を失っていて、夢を見ているだけという可能性もある。というかそうであってほしい。
ここでこれから一生過ごすとか地獄だ。僕は地獄に来たのだろうか。色んな意味で嫌過ぎる。
する事も無いし悲観的になっていても仕方ないので、冷蔵庫の缶コーヒーを飲みながらダラダラと過ごす。しかしこれがいけなかった。
冷たいコーヒーを何本も飲んでいたらさ……当然訪れるよね。はっきり言おう。おしっこがしたい。
この部屋には窓も無ければ扉も無い。当然トイレも無い。
何となく生理現象とか無縁の空間なのかと思って油断していた。もういっそ、空き缶の中とか部屋の隅でいいんじゃないだろうか……いや、それは最終手段だ。そんな部屋で過ごしたくないし、これが夢ならタイミング良くトイレが現れるかもしれない。
…………時計が無いのでどれ程の時間が過ぎたのか分からないが、僕のダムは決壊寸前だ。トイレが現れる気配も無い。もう無理だ。俺は空き缶を片手に、おそるおそる部屋の隅に向かった。
その時部屋に変化が訪れた。壁だった部屋の一面が歪み、扉が現れたのだ。扉には『W.C』の文字が掲げられている。
ナイス妄想力! ビバ水洗!
慎重に扉へ歩を進める。焦ってはいけない。走ってはいけない。
扉の前に無事到着し、安堵の溜め息を吐く。夢だとしたら現実で悲惨な状況になるかもしれないが、今はそんな事気にしていられない。
僕はドアノブに手を掛けた。
……おや?ドアノブは動かない。押しても引いても扉が開く気配はない。乱暴にガチャガチャやってみる。
「フハハハハハ! 入っておる!」
中から居丈高な男の声がした。
誰だよ! トイレは望んだけど、乗組員なんて望んでないぞ!
この時力んだのが失敗だった。
僕のダムにヒビが入る。くそ、空き缶はテーブルの上に置いてきてしまった。今から引き返しても間に合わないだろう。
「待たせたな! 我こそは……」
水の流れる音と共に扉が開き、中から誰かが高笑いしながら登場するが、そんな事はどうでもいい。僕は乗組員を押し退け、念願のトイレに駆け込んだのだった。
「……ふう」
トイレが人間にとってかけがえの無い物だという事を改めて思い知らされた。先程までの悲壮感は今の僕には無い。爽快感に包まれながら、僕はトイレを後にする。
部屋に戻るとテーブルの上に男が立っていた。
無造作に伸びた赤髪。端整な顔立ちで青い瞳。ボクサーの様な均整のとれた体躯で、何故か上半身裸。さっき日本語を喋っていた様な気がしたが、外人だろうか。
「フハハハハハ! 我こそは『アース』最強と謳われた魔王ドルムントである!」
彼は反り返りながら自己紹介をする。
これからこの人とここで一生過ごすのは辛いだろうな。
ソファに座るように頼むと意外と素直に従ってくれた。言えば聞いてくれるんですね。
「それで、ドルムントさん。最強の貴方が何故ここに?」
一応話を合わす。もしかしたらこの部屋の事が分かるかもしれない。 トイレと共に現れた人物だしな。
「うむ! 勇者と戦って死んだ!」
あれ? 最強とか言ってたばかりだが。
彼の高笑いが部屋に響き渡る。死んだと言うのに清々しい人だ。
「勇者と酒を酌み交わした時に『転生者』であると聞いてな。あまりに楽しそうに異世界について語るもんだから奴には不憫であったが転生する為に殺されてやったのだ!」
……ええー。
どこからツッコむべきなのだろうか。
酒を飲み合う仲なのに殺し合う仲ってどういうことだよ、とかかな。いや、転生者とかどこのラノベだよ! の方が分かりやすいだろうか。
「生憎と我は不死なのでな。己の魂を改造して死にたての異世界者を待っておったのだ! サプライズに願い事と同時に現れたのだが、貴様は慎ましいな。好感が持てるわ!」
あまり悪い人ではなさそうだ。
というか僕はやっぱり死んでしまったのか。
「む……そうしょげるな。我の力で貴様も元の世界に戻してやる。その代わり観光案内位はしてもらうがな!」
豪快に笑いながら僕の背中をバンバンと叩く。
え? 生き返れるのか。しかも代償が観光案内って。
「その位させてもらいますよ! いやー、さすが魔王ですね」
僕も笑いながら答えた。一時はどうなる事かと思ったが、こんな簡単に解決出来るならそう悩む必要も無かったのかもしれない。
「フハハハハハ! 任せておけ。では早速行くぞ、我に掴まっておくがよい!」
言われるままに彼にしがみつく。彼は高笑いを上げながら眩しく光輝いた。
気付くと僕は猫を助けた車道に立っていた。足下で猫の親子がこちらを見ながら鳴いている。
「サービスでその動物も治癒してやったわ!」
背後からドルムントさんの笑い声が聞こえた。礼を言おうと振り返る。……あれ?
深夜、僕はいつも通りコンビニで仕事をしていた。確かにドルムントさんは現世に戻してくれた。約束は破ってはいない。
「フハハハハハ! 遠慮するな、弁当を温めてやろう!」
レジで高笑いを上げながら客の弁当をレンジに入れている僕がいる。その傍らにはひきつった表情でそれを見ている僕がいる。
なんて事はない。僕の肉体にはドルムントさんの魂が宿り、行き場を失った僕の魂は背後霊となったのだ。
こうして僕は現世に戻ってきた。背後霊として。




