Hang Up Philosophy! ー哲学なんかくそくらえ!ー
運命とも呼べる出会いの翌日、昼下がりの商店街にかの恋人たちの姿があった。ジュリアスとロミルダは寄り添って、仲睦まじく歩いている。
通りを歩く人々はそれを見ると苦笑したり、不機嫌そうに顔をそらしたりと誰もが二人の熱に当てられている。
ロミルダが一つの商店に目を付け、ジュリアスの腕を引く。装飾品を売っている露店のようだ。二人は互いに指輪を選びあった。それは庶民が購入するような物であり、仮にも伯爵家の二人が身につけるには貧相な指輪であったが、二人にとってはどんな宝石よりも価値のある宝物のように思えた。
ジュリアスがロミルダの耳元で何事か囁くと、ロミルダは頬を赤らめて恥ずかしげに俯いた。それでもその表情は嬉しそうだ。そんなロミルダを見つめてジュリアスは甘く微笑む。
その後も色々な露店を巡ったりと、二人は堂々と道を歩くことはできないはずの自分たちの立場も忘れ、逢瀬を心行くまで楽しんでいた。
◇
キャピュレット伯爵家の嫡子ティボルトは機嫌が悪かった。
昨晩のパーティーで腹違いの弟がどこの馬の骨とも知れない女に懸想したのは気付いていた。それがまさかモンタギュー家の者であったなど!
父からそのことを聞かされた時には縊り殺してやろうかとさえ思った。もとより弟などとは思っておらず、家族の情など欠片もなかったが、モンタギューとなれ合うなどキャピュレット家の恥晒しだ。
弟の愚行にむしゃくしゃしていたので、気晴らしにと従僕を連れて商店街をぶらつく。
すると恋人同士が戯れる声が聞こえた。きゃらきゃらと軟弱な笑い声が癇に障る。
自分が馬鹿にされているように聞こえ、八つ当たりしてやろうかとそちらを見ると、何と憎きあの二人である。腕を組んで時折幸せそうに見つめ合いながら露天商を冷かしていたのだ。
我慢の限界だ。
伯爵家の跡取りとして人目にどう見られるかを気にする余裕もなく怒鳴り散らした。
「貴様ら、こんなところで何をしている!」
街道にいた人々からティボルトは一斉に視線を集める。
ジュリアスとロミルダも驚いて振り向いた。その表情には恐怖の色が浮かんでいる。驚きすぎて状況を把握しきれていないのか、振り向いたままぴくりとも動かない。
さも理解できていないとでもいうようなその表情すら気に食わない。
ティボルトはずかずかと二人に近寄りながら大声を上げる。
「ジュリアス、その女はモンタギューだぞ!」
「あ、兄上…」
「そのような者と共にいるなど、キャピュレット家の者としての誇りはないのか!」
「ちがっ…、彼女は、」
怯えながらも声を絞り出すジュリアスを、ティボルトは鼻で笑った。
「はっ、聞く耳は持たん! まさかそいつがモンタギューだと知らなかった訳じゃぁないよなぁ?」
「そっ、それは…」
「まあ、阿呆なお前のことだ。知るはずもないか。それよりもだ、」
ティボルトはジュリアスの言葉を遮り、今度はロミルダに標的を移す。ロミルダは青ざめた顔で振るえ、ジュリアスにしがみついていた。
「おい、そこの女狐! こいつを誑かしていったいどうするつもりだったんだ? あぁ? どうせキャピュレット家の情報でも盗もうとしていたんだろ!」
ロミルダは否定しようとするが、その唇は恐怖に振るえるばかりで碌な音を出さない。
ティボルトは二人の様子を歯牙にもかけず侮辱の言葉を並べる。
「こんな女狐に誑かされるなど情けない! お前が半分とはいえオレと同じ血が流れているなど信じられんな!」
街道を歩いていた人々は貴族様の機嫌を損ねるわけにはいかないと遠巻きに怯えるばかりだ。
運悪く自分の店の前で喧嘩を起こされた商人は、店仕舞いもできずにティボルトを刺激しないよう息を殺している。
大声で罵りつづけるティボルトを止めることができる者は誰もいなかった。
「何とも短絡的な、キャピュレットらしい思考だな」
ティボルトの逆鱗を逆なでするような台詞と共に涼やかな声が割って入った。声の主は、従僕を連れた貴族らしい青年である。それも高位の貴族だろう。身にまとう服は子爵や男爵では手に入らないくらい上質なものだ。その声音も視線も、はっきりとティボルトを見下していた。
青年の姿を認めると、ティボルトは興奮で赤くなった顔をさらに赤くし怒鳴り返す。
「貴様、マキューシオ! キャピュレット家を侮辱するのか!」
「うちの妹を誑し込んだのはそちらだろう? うちの妹は少々頭が弱くてね。人を騙すなどできないさ」
割って入った青年、モンタギュー伯爵家の長男マキューシオは自らの妹を庇うように見せて、その実、貶める言葉を平然と紡ぐ。くすくすと、ティボルトを莫迦にするような嘲笑を添えて。
マキューシオの登場にティボルトは更に声を張り上げた。
「はっ、信じられんな! モンタギューは息をするように人を騙す。貴様の言葉なんか信用できるか!」
「それはむしろキャピュレットの方だろう。純朴な妹を言いくるめて何をさせるつもりだったんだい?」
「身内贔屓で目が曇ったか、マキューシオ・キャピュレット! そんな何の価値もない小娘なんかこっちから願い下げだ!」
「ふぅん。まるでそこの弟君にはそれなりに価値があるような言い方だね」
「貴様の妹に比べれば遥かにな! モンタギューとは違って我が伯爵家に役立たずは居ねぇんだよ!」
「まあ、それならそれでいいけど。身内贔屓はどっちだか」
そう言ってマキューシオは嘲るように肩をすくめた。ティボルトと対照的に冷静な態度を崩さない。それが余計にティボルトを煽るものだと分かっていながら。
いや、それとも伯爵家の者としての自制心の賜物なのだろうか。
どちらにしろ、ティボルトなど相手にしていない風を装いつつ、ティボルトの怒りに油を注いでいく。
マキューシオはティボルトに侮蔑の視線を投げかけると、ロミルダに視線を移した。
「お前もお前だ。キャピュレットごときの口車に乗せられるなど、モンタギュー家の恥晒しが。それがキャピュレットであることなど、その気色の悪い瞳の色でわかるだろう」
「っ貴様ぁ、キャピュレット家を愚弄するのか!」
ティボルトは怒りのあまり我を忘れてマキューシオに殴り掛かる。その拳はマキューシオの頬をまともに捉えた。マキューシオはその勢いのまま地面に口付けた。殴られた頬は真っ赤に腫れている。
「貴様、誰の顔を殴ったと思っている!」
マキューシオは起き上がると、先ほどまでの冷静な態度を殴り捨てて、拳を振りかぶる。悪鬼のような形相だ。
こうなればもう収拾はつかない。諍いの原因となった二人はもはや蚊帳の外だ。互いの従僕も入り乱れての大乱闘となった。
顔を殴られれば腹を殴り返し、ボタンを引きちぎられれば服を引き裂く。主の敵とばかりに従僕が殴りかかると、無礼だと殴り返す。
一部の隙もなく整えられた身なりの面影はとっくに消え去っている。セットされていた髪は乱れ、服は千切られ破られただの襤褸切れとなっている。顔や手は傷や腫れで元の肌の色が分からないほどだ。
それでも自分の姿にもまるで頓着せず、いや気づいていないのか、殴り合いは続けられる。もはや貴族やその従僕としての外聞は忘れ去っていた。
結局、警邏が止めに入るまでこの争いは続いたのだった。
◇
その晩、モンタギュー、キャピュレット両伯爵に王命が下された。
——両家の仲を至急改善せよ、と。




