Virtue Turns Vice ー美徳も悪徳となりー
「昨夜の報告に参りました」
口火を切ったのはロミオだ。
王の執務室には王、王太子、第二王子、そして第二王子の側近二名がそろっている。王族三人は呆れた表情を隠そうともしていない。
「本当にやったのか? あの、子供だましとしか思えぬあれを?」
リアは信じられないものを見たように言った。
「街で両家の者を喧嘩させ、それを理由に王命を下して無理矢理に不仲をどうにかする、だったか。それにしては問題が起きたという報告は受けていないが?」
「はい、昨夜のパーティーではその火種を作っただけですから」
ロミオは涼しい顔をして答える。
王族親子とは反対に、ロミオとジュリエットは楽しげな空気を醸し出している。
「ほう、火種をか。まあいい、取り敢えず報告を聞こうか」
「昨晩、キャピュレット家でパーティーがあったのはご存知でしょうか。そこでジュリアス・キャピュレットとロミルダ・モンタギューがお互いに一目惚れしたようです。両人はそれほど人目を気にしている様子はなく、そのためそれを知るものは少なからずいると思われます」
「キャピュレット家もモンタギュー家もそれなり以上の家格の貴族です。おそらくすでにその噂と噂の人物の素性を手に入れていると思われますわ。事実にしろ、単なる噂に過ぎないにしろ、この様な噂が流れていることにはらわたが煮えくり返っていることでしょう。彼等からしたら、妾腹とはいえ互いの家長の子が馴合うなどあってはならぬ大罪ですもの」
「ですので後は渦中の二人がが仲睦まじげな様子でも目撃したら勝手に問題を起こしてくれるのではないかと愚考する次第です」
報告は以上になります、とジュリエットが告げると、聞いていた三人は何とも言えない表情をした。
——目惚れしたらしいって、それは自分たちのことだろう。
国一高貴な親子の心情が無条件で一致した瞬間だった。
「それで今後はどうするつもりなのかね?」
「はい、今日にでも件の二人の逢瀬をし、それを両家に目撃させようかと考えております」
それで兄達なら容易く怒らせることができるでしょう。
リアの問にロミオがそう答えると、クローディアスは怪訝そうに口をはさむ。
「とりあえず、それが失敗しようと取り立てて問題は起きないと判断したから実行を許可したのだけど……。仮にも建国の時から続く歴史ある伯爵家だよ、両家とも。そんな低俗な原因で大事を起こすとは到底思えない」
「それは買い被りすぎです」
「それは買い被りすぎです」
思わず、といったようにロミオとジュリエットが否定の言葉を発する。二人は顔を見合わせると、小さく頷き合った。
「確かにそう思われるのも無理はありませんが、今までは単に顔も見たくないほど嫌いあっていたために過ぎません。顔を合わせなければ喧嘩の起きようもありませんからね」
「モンタギューとキャピュレットの確執を甘く見ないでくださいませ。十数年そこで暮らしてきたわたくしどもが断言いたしますわ」
二人はクローディアスの言葉を真っ向から真顔で否定した。常識にとらわれて判断すべきでないと言外に語る。
そうなのか、と王族三人は顔を引きつらせた。
それほどに二人の言葉には力が込められていた。
そこまで修復不可能なほど仲が悪いなどというは想定したこともない。伝統と格式のある貴族がそんな子供の喧嘩以下のことをすると、誰が想像するだろうか。
「そ、そうか。まあ信じられぬがとりあえずやってみると良い。朗報を期待している」
「御意に」
「御意に」
ロミオとジュリエットは恭しく頭を垂れた。
「でもいいのかい? そんなことをしたら君たちが良い仲だって広まるよ。最終的に婚約って事態になるかもしれない。ここまで身を削る必要はなかったと思うのだが」
クローディアスが二人を慮るように言う。そんな手を取らずとも他にも方法はあっただろうに、ということらしい。
しかし問いかけられた二人は、きっぱりと言い切った。
「いえ、問題ありません。私はジュリエットを心の底から愛しておりますので」
「わたくしもロミオを愛しておりますわ」
いきなり惚気だす二人に、クローディアスが半眼になるのも当然と言えよう。
「ああ、そう、もとからそーゆー仲なわけ」
「ええ。今回のことで恋仲だと周知されるのは願ってもないことです」
王命すら利用する、そのしたたかさに王と王太子はこっそりと舌を巻いた。
しかし、とリアが試すように二人をからかう。
「それは残念だな。“ロミルダ”はハムルの側室候補の一人として考えていたのだが」
国王からの婚約の打診にどう対処するのかと、リアとクローディアスはにやにやと二人を見る。
そんな二人の身内とは対照的にハムレットは焦って場を取り繕おうとした。
が、ハムレットが何か言い出すより先に、ロミオとジュリエットが動いた。
「なっ、そんなっ」
ジュリエットが大袈裟に驚き顔を青ざめさせる。そんなジュリエットに、ロミオは安心させるように優しく微笑む。
その様は実にわざとらしい。
「大丈夫だよ、ジュリエット。私が愛するのはただ君一人だけだ」
「でも、わたくしは身分も何もかも殿下に及ばないわ」
「何を言うんだ。私にとって君以上に魅力的な異性などいない」
「でも……」
ジュリエットは何も言えずに、青い顔のままうつむく。ロミオはジュリエットを安心させるように両肩に手を置いた。
明らかに演技だが。
「そんなに私の言うことが信じられないのかい」
「そんなわけないわ。でもやはりハムル様は王族だもの」
「身分や権力には逆らえないのではないかって? 私が心変わりすると?」
ジュリエットはうつむいたまま黙りこくる。
「そうか、ならそんなことはないと証明しなければな」
「え?」
言うや否や、ロミオはジュリエットの唇を奪った。
「なっっ、何てことするの! しかも人前で……!」
「おや、これでは足りなかったのかな? もう一度証明しようか?」
「ちっ違っ。もうわかったわ。だからやめてっ」
「それは残念だ、まだまだ証明を重ねる用意はしていたのだが」
「ロミオっっ」
そして、唐突にいちゃつき始める。
見せつけられた三人は白けていた。非常に白けていた。この猿芝居が始まったときは面白そうに眺めていられたのだが、口付けしたあたりからいいかげん食傷気味だ。
やられたと言わざるを得ない。まさか馬に蹴られるとは。
ハムレットはだから止めようとしたのに、とでもいうかのように頭を抱えた。そして一矢報いるためか、場を治めようとしてか。理由はともかくハムレットの口から出た言葉は、火に油を注ぐ結果となる。
「普通に鬱陶しい光景だが、ジュリエットが男だとわかっている分すごく寒々しいな」
「確かに、男が恥じらっても気持ち悪いだけだね」
まったくだとクローディアスも弟に追従した。
そんな王族兄弟の感想に、それは残念です、とジュリエットが肩をすくめる。
だが声音と言葉があっていない。そして表情はまるで新しいおもちゃを見つけた子供のようだ。
「では……、
——ロミルダ、君がハムル様のものになるなど耐えられないよ」
「ジュリアス……?」
新しい即興劇がはじめられた。
ジュリエット——ジュリアスは思いつめたようにロミオ——ロミルダを見つめる。ロミオはあどけない表情でジュリエットを恥じらうように見つめる。
「僕は君を、何よりも愛している。君の隣に僕以外の者がいるなどゆるせない」
「それはわたしも同じよ。この身も、この心も捧げるのは貴方だけだわ」
「ああ、ロミルダ」
「ジュリアス」
二人は抱きしめあった。
リアはなんてことをしてくれたんだと息子たちをにらむ。その息子二人も後悔しきりといった表情だ。観客たちは砂を吐きそうな顔をしている。
「愛しているよ、ロミルダ」
「わたしも。愛しているわ、ジュリアス」
そして、どちらからともなく口付けた。
微妙だ。実に微妙である。
女にしか見えないものが男言葉を使って迫り、男にしか見えないものが女言葉で恥じらう。そんなものをだれが見たいというのだ。
精神的破壊力がとんでもない。最初の劇よりもあっさりした内容で、かつ短いというのに。
一部始終を見せつけられた王族三人は、理不尽な敗北感に襲われた。
この二人にはこの手でからかってはいけない。馬に蹴られることになる。それを肝に強く命じるのだった。
◇
「お前たちもすごい度胸だよな。父上を前にあんな態度をとれたやつは他に知らんぞ」
リアの執務室から退出し、三人はハムレットの私室に移った。
ハムレットは呆れて言う。
ロミオとジュリエットはようやく緊張から解放され、疲れ切っているようだ。
「どうやら今回のことで著しく評価を下げてしまった様なので、何とか少しでも上げようと」
「むしろ下がるようなことをしてどうする」
「とりあえず度胸という点だけは上がったでしょう」
「それはそうだが」
ハムレットの顔にはは不可解だと書いてある。より直裁に言うなら、莫迦じゃないのかこいつら、である。
「発想力という点では現時点で下がりようがないくらい最低でしょうし」
「ああ、俺も心の底から気がふれたかと思った」
ハムレットの率直な言葉にロミオとジュリエットの顔が引きつる。ジュリエットは八つ当たり気味に言った。
「そんな悲しいですわ、ハムル様。こんなにも長い付き合いだというのにわたくしたちのことを信じてくださらないだなんて」
「そうやってふざけたことを言うからすべての言葉を信じることができないんだがな」
まさしく身から出た錆である。ロミオもジュリエットも押し黙ることしかできなかった。
気を取り直してロミオが説明を続ける。
「なんでまあ後はどんな方法でもいいので、小さくとも価値をつかんでおこうかと」
「……それがあんなのでよかったのか?」
「あとは今後を乞うご期待です」
「今日の夜には結果が出ますので、そう急いで何か示す必要もありませんもの」
「そういうことで、これから私達は逢引に行ってきます。せいぜい羨ましがっててください」
ハムレットによる、こいつら莫迦かという視線が再び注がれた。
「誰が喧嘩を起こすための逢引をうらやむか」
「だってハムル様、まだそんなお相手すらいないじゃないですか」
「こんなことくらいはわたくしたちの愛を深める刺激ですわ」
「オフィーリア様に、気持ちに気づいてすらもらえていない人に言われても、負け惜しみにしか聞こえません」
すうっ
「大きなお世話だっ!」
第二王子の私室に怒鳴り声が響いたのだった。