Consequence Having in the Sters ー運命を支配せし星のあいまにかかる成行きー
モンタギュー家の一室。
そこで令嬢とその侍女が言い争っていた。いや、無理を言う令嬢を侍女がたしなめている、と言った方が正しいだろう。
「ねえお願いよ、ベニー。わたくし、どうしても見てみたいの」
「パーティーに忍び込むなど正気ですか? ご自分が貴族の令嬢であるという自覚はおありで?」
「もちろんよ。本当なら正面から行きたいわ。でもお父様は許してくれないでしょう?」
「ですからロミルダ様、ご自分がモンタギュー家の者だという自覚はございますか? キャピュレット家の開くパーティーに忍び込むなど、もしバレたらどうなさるおつもりなのですか」
「大丈夫よ。モンタギュー家にロミルダという妾腹の娘がいること自体ほとんど知られてないわ。誰も気づきやしないわよ」
「それ以前に、部屋にいなければ家の者に気づかれるかと思うのですが」
「問題ないわ、これまでだって気づかれなかったし。そもそも貴女以外この部屋には近づかないでしょう」
侍女ベンヴォ—リアは少し憐みを覚える。このようなことをごく当然のこととして言ってしまえるというのはどういう心境なのだろうか。
だが、自分の雇主は当主であってこの妾腹の娘ではない。主人の意に沿わぬこのようなわがままをきくことなどできないのだ、本来は。
「それはそうですが……。ですが万が一ということがあります。ロミルダ様が参加なさることでキャピュレット家との間に新たな火種ができたらどうなさるおつもりですか」
「その時はその時よ。何とかなるわ。そんな細かいことより、わたくしはどうしても見たいのよ!」
だが、と侍女ベンヴォ—リアは内心ため息をつく。こうなったお嬢様はしつこいから、結局はこちらが折れることになってしまいそうだ。
「確か、ロザライン、でしたか。ロミルダ様ご執心の女優は」
「ええ、今度のキャピュレット家のパーティーが終わったら王都を出ていってしまうのよ。もう彼女を見るのはこの機会しかないの」
「どうしても、ですか?」
「どうしても、よ」
二人は見つめ合う。
先に折れたのはやはりベンヴォーリアだった。
「仕方ありませんね。どうせだめだといってもわたしの目を盗んでいかれるのでしょうから」
ロミルダはそっと目をそらす。
「ただし、わたしも同行いたします。それから、見たらすぐに帰りますよ」
「ありがとう、ベニー!」
「絶対にすぐ帰りますからね」
ロミルダは喜びのあまりベンヴォ—リアに抱き付いた。ベンヴォーリアの言葉は右から左に抜けている。
こんなにも嬉しそうな顔を見るのは久しぶりだと、ベンヴォーリアは悲しく思う。
家でいつも蔑ろにされているロミルダは、モンタギュー家と関係のないところでしか心から楽むことはできないのだろうから。
◇
キャピュレット家主催のパーティーはとても大規模なもので、沢山の貴族たちでにぎわっている。今回のパーティーの目玉、ヴェローナ劇団を目的に来た者も少なくないようだ。
その広い会場の壁際に、淡紫と淡黄のドレスを着た二人の令嬢がいた。
「ロミ……お嬢様、妙に忍び込むのに慣れてませんか?」
「や、やぁねぇ、そんなことないわよ」
「そうですか? 入場口で係の者にちらとも疑わせない、あの手口は実にお見事でした」
「ほめても何も出ないわよ?」
「ほめてません」
ベンヴォ—リアは疑わしそうに見つめる。しかしロミルダはそんな視線を気にもせず、きょろきょろと目的の人物を探している。
「あ、見つけた。見て見て、ベニー。彼女がヴェローナ劇団のロザモンドよ」
「ああ、彼女が。とても美しい方ですね」
「ロザモンドは美しいだけでなく演技も素晴らしいのよ」
ロミルダは自慢げに語る。
ベンヴォーリアは、見たことないでしょうに、と思ったが口には出さない。ただ、はしゃぐロミルダを目立たぬようにと、なだめることに専念するのだった。
「もうし、そこのご令嬢方。ずいぶんと楽しそうで」
壁の花を——大人しく、とは言えないが——していると、不意に声を掛けられた。そちらを向くとロミルダとさして変わらない年頃の少年がいた。
「ロザモンドの舞台は素晴らしいと評判ですからね。お二人は彼女をお目当てに?」
クスクスと笑いながら少年は続ける。二人は慌てて居住まいを正した。
「ええ、一度でいいから彼女を見たくて。無理を言って来てしまいましたの」
「おやそうでしたか。先ほどから何をするでもなく彼女に熱い視線を送っておられたので少々気になって」
ロミルダは思わず赤面する。
「お恥ずかしいことですわ」
「いえいえ、おかわいらしく思いますよ。……そうだ、よろしければ私と踊りませんか、黒紫の姫君」
少年はロミルダに手を差し出した。その視線には強く暖かな熱がこもっている。
「こくしのひめ?」
初めて呼ばれる名に、ロミルダはこてんと首をかしげた。
「ええ、その艶やかな黒髪と、紫水晶のような瞳と同じ色のドレスがとてもお似合いなので」
「まあ、お上手ね。では喜んで、白銀の君」
ロミルダは嬉しそうに微笑み、少年の手を取る。その視線に応えるように。
「はくぎん……、ああ、この髪のことですか」
「とても美しい御髪ですもの」
「そう言っていただけると、毎日の手入れも報われるというものです」
髪とはいえ己をほめられた気恥ずかしさを誤魔化すために、少年はロミルダの手の甲に口付ける。
それはまるで恋人同士のようであった。
「すいません、ご友人をお借りしますね」
「いえ、楽しんでいらしてください」
少年は淡黄のドレスの令嬢——本当は侍女だが——に一声かけ、ロミルダを会場の中央へと誘う。
二人の足取りは軽く、浮かれていた。
すぐに連れ帰るつもりであったがこの様子では無理そうだと、ベンヴォーリアは諦め半分で初々しい二人を送り出したのだった。
くるくると、クルクルと、軽やかに、舞い踊る。
まるで羽が生えているかのようになめらかに。
ステップは軽快に踏まれて、ターンは軽妙。
ふわりふわりと淡紫のドレスの裾が翻る。
それはとても息のあった理想の一組で。
少年は力強くもどこかかわいらしく。
少女は儚くもどこかきらびやかで。
互いを愛おしむ気持ちにあふれ。
若さゆえの危うさも包み込み。
絡み合う視線は互いを思い。
愛を語り合うかのようで。
見るからに微笑ましく。
華麗に、気品を持ち。
初々しくも堂々と。
恥らいながらも。
とても上品で。
大胆に舞い。
美しくて。
輝いて。
嗚呼。
気高く。
麗しくも。
華々しくて。
煌めきを放ち。
なんと清いのか。
黒と銀が入れ代る。
黒い髪がひらめいて。
白銀の髪がそれを追う。
ちらほらと人目を集める。
ああ夜空のようではないか。
彼らは星ではないのだろうか。
まるで暗闇に光る希望のようだ。
けれど彼らの名を知る者はいない。
見た者はみな感嘆のため息をついた。
あの優雅な少年はどこのご令息なのか。
あの優美な少女はどこのご息女だろうか。
なんと将来の楽しみな一組なのであろうか。
けれども彼らはただ眼を合わせて、踊るのみ。
彼らだけの世界には、何も、誰も、踏み込めぬ。
一曲踊り終えると、少年はロミルダをバルコニーへ誘った。
「白銀の君はダンスもお上手ですのね」
「壁の花をなさっていた方よりは上手でないと立つ瀬がありませんからね」
「もう、意地悪ですわね」
ロミルダは軽く頬を膨らませ、にらむように少年を見上げる。くすくすと少年は笑う。
「そのように拗ねられても可愛らしいだけですよ」
「拗ねてなどおりません」
ぷいと、ロミルダは顔をそむけた。
「ふふ、すいません。こんなにも楽しい時間を過ごせたのは初めてで。どうやら浮かれているようです」
少年はそんなロミルダを優しく見つめながらそう語る。
「だからといって姫君の機嫌を損ねるなど、私も未熟者ですね。どうかお許しを、黒紫の姫君」
ロミルダの手を己の口元まで持ち上げて口付けた。いたずらっぽくロミルダに微笑みかける。
驚きにロミルダは白銀の君を見つめた。このような言葉をもらえるなどまるで夢のようだ。思わず口元も緩み、やがて満面の笑みに頬が紅らむ。
その笑顔が愛しく思えて。
潤んだ瞳に引き込まれて。
薄く開いた桃色の唇に魅力を感じずにはいられず。
少年は思わず自らの唇でロミルダのそれにそっとふれた。
ゆっくりと少年の唇が離れていく。
ロミルダは呆然と己の口元を手でふれる。
星明りに映し出された少年の表情はこの上ない歓喜を湛えていた。
「貴女の瞳に映る星がとても美しかったので。貴女の眼には星がこんなに魅力的に見えるのかと思うと、嫉妬してしまいました」
少年が言葉を紡いでも、ロミルダの唇は震えるばかりで音を発さない。
「どうか、貴女のその可憐な姿に魅了されてしまった哀れな男が、貴女に愛をささやくことを許していただけませんか」
「……白銀の、君」
「ああ、なんと優美なお声か。黒紫の姫君、お慕い申し上げます。私を憐れんで下さるのなら応えてください。その鈴の音のようなお声で」
少年は優しく微笑みながらも、熱をはらんだ真剣な眼でロミルダを見つめた。
じっと二人は見つめ合う。一瞬とも、永遠とも思える時間が過ぎた。
満天の星空が二人を優しく見守る。
ロミルダはふっと力を抜いて、いたずらっぽく少年に告げた。
「わたくしも、白銀の君の優しきお心に、どうやら心をさらわれてしまったようですわ」
少年の眼が見開かれる。
「ああ……!」
夜も更けて、帰る者たちも出始めた。
「ああ、もうすぐパーティーも終わってしまいますね。ありがとうございます、黒紫の姫君。今夜はとても楽しかった」
「わたくしもですわ。今日はずっと壁の花だと思っておりましたから。誘っていただけてとてもうれしかったです」
二人は名残惜しむように睦言を交わす。絡む視線には隠しきれぬ熱い思いがあふれている。
最後に、と少年が緊張した様子で言い出した。
「黒紫の姫君、……名前を伺ってもよろしいでしょうか。またすぐに、お会いできるように」
その問いにロミルダは一瞬体をすくめる。
ここには正式に来ているわけではないのだから、あまり大きな声で名乗ることはできない。硬い声音で問い返す。
「……そうおっしゃる白銀の君のお名前は?」
「これは失礼を。私はジュリアス・キャピュレットと申します。当主の妾腹の子ですのであまり知られてはおりませんが」
絶望か、恐怖か、ロミルダの顔色は真っ青になり、体が震えるのを隠し切れない。唇から漏れる音は緊張のあまりかすれている。
「……ジュリアス、……キャピュレット、様とおっしゃるの、ですか?」
「ええ。黒紫の姫君のお名前はなんと?」
ロミルダの顔色にただ事ではないとわかるが、その理由を聞くにもまずは名前をと思い、少年——ジュリアスは何事もなかったかのように会話を続ける。
ロミルダは名乗る覚悟を決めた。自分とて彼を愛しく思い、離れがたく思っているのだから。
「……わたくしはロミルダ・モンタギュー。ジュリアス様と同じ、妾腹の娘です」
ジュリアスの瞳が驚愕に見開かれる。
「な……、モンタギュー家の。
……いえ、たとえそうであってもこの気持ちを消すことはできません。私は貴女を、ロミルダを、何よりも、誰よりも、お慕い申し上げます。永久にあなたを愛し続けると誓いましょう」
それでも自分に愛をささやいてくれるジュリアスに、ロミルダも思いを返さずにはいられなかった。
ロミルダは囁くように告げる。
「わたくしも……です。ジュリアス様。お慕いいたします。ずっと、何があろうと変わることなく。たとえこの思いが許されるものではないとしても」
ただ静かに口付けを交わす。
変わらぬ愛を誓って。
それは神聖なる儀式だった。
唇を離し、見つめあうその表情は今にも泣きそうで、しかし強い決意が見える。
涙を浮かべることも許されず、顔をゆがめてロミルダはジュリアスの許を去った。
ジュリアスはその後姿を見送ることしかできない。
そんな二人を姿を星々は眺めていたのだった。