番外. 王様の心情・前
まさかこんなことになるとは思っていなかった。
自分は人間に比べれば鋼の理性と、南極並の冷徹さを持っていると思っていたからだ。
「ん…楓、さま…?」
全てを受け入れ名前を呼ばれる度に、どんどんと自分が落ちていくのを感じる。
底無しの沼のように、ひたすらのめり込んでいって浮上する気配もない。
厄介なものだ。
「まだ起きなくて良い。もう少し寝とけ」
「は、い」
俺の言葉の通りに眠る幸田。
いつも満足そうに笑って、こんな普通じゃない日常を受け入れている。
俺の糧となるためだけに連れてこられ、無駄に所有欲の強い俺にひたすら閉じ込められている少女。
それでもこいつは、不満のひとつも吐かずに笑って「好きだ」と言ってくれる。
正直な話、俺を甘やかしすぎだ。
そうして何でも許してしまうから俺が付け上がる。
…なんて言ったところで、自制も効かせず好き勝手やっているのだから俺も大概だ。
『楓様も愛には恵まれなかったんじゃないか』
幸田は俺のことをそう認識しているようだが、実際は少し違う。
確かに俺には愛というものははっきりとは分からない。
しかしそれは俺だけではなく、吸血鬼全般がそうなのだ。
愛なんてものは優先順位が低いもの。
この世界は力が第一で、力さえありゃ親子でも普通に主従関係が成立する。子の方が強くて親を奴隷のように扱うなんて話ざらだ。
世襲とか貴族とか、そんなもんここには存在しない。
一番強いのが王で、そこからも強い順にカテゴライズされていく。
殺傷沙汰も日常茶飯事、まさに弱肉強食だ。
それが当たり前だし、元来吸血鬼というものは人間のように感情豊かでも思いやりがあるわけでもない。
欲しいものは欲しいで、手にいれるにも殺しあい。
そんなことがこの世界じゃ常識だ。
「だから、一切外に出んなよ。幸田」
言ったところで聞こえてないだろうが、ついつい言ってしまう。
ぐしゃぐしゃと頭を撫でてやれば、嬉しそうに口許を緩めた。
「鬼王様」
外に出れば、待っていたとばかりに“父親”がひれ伏して声をかけてくる。
そう、これがここじゃ常識。
例え息子でも自分より強い以上、逆らうこともできず怯えたまま俺の命令を聞くだけ。
「今日はどいつだ」
「はい、南10区の“鬼神”が暴れております」
「神、ね。ふざけた名前名乗ってやがんな」
「誠に。我らの神は鬼王様のお妃様ただ一人と言うのに」
公務だなんて幸田には言っているが、実のところ不良狩りをしているだけだ。
調子に乗って規律を乱すものとの殺し合い。
気性の荒い奴ばかりの種族だから、狩っても狩っても出てくる。
幸田を本格的に従属させて定期的に血を得てからは、俺の敵などいなくなった。
そのくらいに人間の血は強く、鬼王としての俺も強い。
「すぐ狩ってくるか」
「は」
「お前はどうする」
「私は貴方様の僕、貴方様のご命令に従うのみです」
ただただひれ伏して意思もなく、それが当然のように言う父親。
この胸がむなしく感じるのは、俺が吸血鬼として欠陥だらけだからだろうか。
まだ暴れまわってる不良どもの方が、マシに思えてしまう。
当たり前の吸血鬼どもの感情の薄さが不気味に映る。
昔から、俺はどこか異質だった。
愛情というものを欲しいと思って生きてきたのだ。
それなのに周りの連中は、俺を見て恐怖にひれ伏すか、興奮して殺しに来るかのどちらかで。
人間のように、落ち着けるものが欲しかった。
鬼王としての俺ではなく、ただの“楓”として好いてくれる者を必要としていた。
平然と仲間を殺し、当たり前のように人間どもを脅し、気にくわない奴らを平伏させる自分もいる。
それなのに、あんな弱々しい人間を時々羨ましく思う自分がいた。
だからだろう。
求めたものを得た時に、それを手に入れたい欲と、手に入れてはいけないという気持ちがぶつかり合ったのは。
一番求めた存在を従属させることの恐怖など、味わうとは思わなかったのだ。