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Dungeon EX  作者: 金子十両
新たなる探険士たち
9/12

009

 猛吹雪を切り裂いて、豪腕白熊ポーラブロウの腕が振り下ろされる。

 蒼介は円形盾ラウンドシールドを使って正面から受けるのではなくその腕を受け流す。生まれた反動に逆らうことなく体を跳ね上げ、振り上げた刃は豪腕白熊の毛皮に覆われた首を切り裂いて大量の魔素エーテルを噴出させた。なおも食い下がる豪腕白熊の乱暴な一撃を後ろへ跳んで避けると、間を置かずに踏み込み、振り下された腕を逆に斬り捨てる。その傷が致命傷だった。豪腕白熊は己の身体を維持するための魔素を失い、積もった雪の中へと崩れ落ちた。

 蒼介の後方では若葉が杖を構えたまま、じっと立ち尽くしていた。

 そして、彼女に向けて一羽の短矢人鳥ロイヤルダーツが滑ってくる。若葉が認識した時点で、彼女への到達までおよそ七秒。この身で刻んで覚えた時間猶予であり、最適な詠唱開始タイミング。

 体内の魔素の流れを感じ取る。思い思いに行きかうそれらを意志ひとつでもって触媒を握る右手に収束。必要な分を淀みなく正確に。今の若葉ならそのイメージが明確に感じ取れる。そしてそれと同時に口は詠唱を開始している。触媒に反応する魔素が集まる最速最高のタイミングを計り若葉の目の前に鋭く長く太い水の針が形成される。あとは起動語を唱えれば、この呪文スペルは対象を貫く。

水針ブルースピナ

 短く簡潔。その一言によって解き放たれた巨針を避ける術を、短矢人鳥は持っていなかった。


「うん、合格ですね」

 二人の戦いぶりを見ていたピスティルがひとつ手を打って言った。隣ではいつも“世の中の全てがつまらねぇ”とでも言いたげなヘの字口の半蔵が珍しく獰猛な笑みを浮かべている。

「三週間の修行ご苦労だった。がっつり狩り込んだおかげで二人とも小遣いは貯まったろうよ」

 蒼介はこの三週間で豪腕白熊百十匹、短矢人鳥五十九匹。若葉はそれぞれ八十二匹と百十一匹を狩った。

 滅多打ち雪原は環境のせいか人気があまりなく、手に入る固着物の換金額は比較的高レートを保っている。今日倒した分も入れれば蒼介が二十三万、若葉が二十五万円ほどの稼ぎを得た事になる。

「さ、三週間毎日みっちり倒して二人で五十万いかないのか……地道っすね、探険士エクスプローラー

「普通三週間で五十万も稼がないよ高校生が。私、単独でやってた時は一ヶ月で十万円くらいだった」

「学校行きながらなら上等ですよ。まぁ、私たちで色々調整したからこその数字でもありますけど」

「調整……?」

 半蔵が鼻で笑った。

「お前ら、熊とペンギンがなんでわざわざ一匹ずつ適当に時間置いて襲ってきたと思ってんだ? 魔種モンスターがそんな親切なわけねーだろ」

 つまり、半蔵とピスティルは二人の元に適度なペースで魔種を送り込み、余計な分は自分たちで狩っていたのだ。

「俺らだっててめえらの訓練無給で続けるワケにゃいかねえ。ヒマだし。まぁぬるぬるやってたから普段に比べりゃ微々たるもんだろうがな。ピスティル、いくらだったよ」

「えーとですね。合計で八百二十匹ほど倒して、百三十万てところですか。人気がないだけあって固着具合のオイシイ獲物が多かったですね」

 愕然とした。

「ここ、普通俺らの成長ぶりを湛えてくれるとこじゃないんすか……?」

「逆に小物ぶりを実感させられた……」

 ピスティルと半蔵は蒼介、若葉への気遣いを含みながらそれだけの数を倒したのだ。これが差ということだろうか。

「ま、初心者にしちゃ上出来だ。だが忘れちゃいねえだろうな? ここまででようやく下敷きができた」

 半蔵の言葉に二人は顔を上げる。その表情には燃える闘志が溢れていた。

 今日は日曜日。時刻は昼の三時を回った。

「ようし……んじゃあ宣戦布告と行くか」



 支倉が蒼介から提出された脅威討伐隊への参加申請書類を見て発した最初の一言は『とんでもない』だった。

「君はまだ探険士になって一ヶ月程度でしょう? 脅威討伐なんて危険な依頼を請ける段階じゃないわ」

「おいおい姉ちゃん。そりゃねえんじゃないか。きちんとこいつらの能力を見て評価してくれや」

 カウンターに肘をついていやらしく笑う半蔵を支倉は見下したまま露骨に睨みつけた。どうにも探険士にはこの種類の輩が多くて困る。そしてそんな連中に負けているようでは探険士組合ギルドの看板を背負うことはできないのだ。

「桐谷半蔵さん。あなたが高井君をそそのかしたのね? 以前も鷹城さんにつっかかっていたし……どういうつもりなんですか?」

「どういうつもり? そりゃあこのガキに聞けよ。こいつは俺らを仲間に加えた挙句、自分らを鍛えてくれって押しかけてきた、最上のド阿呆だぜ?」

 支倉は信じられないといった目で蒼介を見た。

「支倉さん。俺、この討伐にどうしても参加したいんです」

 蒼介の顔つきは一ヶ月前とはまるで違って見えた。能天気な高校生でしかなかった彼が、どうすればここまで強い意志を持った瞳をできるのか。

「いいじゃないですか、支倉さん」

 困惑する支倉へ横合いから声をかけたのは鷲塚だ。

「高井君の現在の総換金額は支倉さんの定めた最低ラインを越えていますよ」

「それはっ……情報提供料とかでけっこう水増しされて……」

 蒼介に対して支払われた情報提供料は実際本人も驚くような金額だった。もっとも、装備品の修理と新調、そして母親に献上させられることを考えると手元にはほとんど残らないだろう。

 しかしそんな事は関係ない。あらゆる探険士活動で得た換金額は本人の能力を示すバロメータとなる。その情報だって蒼介が死ぬ思いで持ち帰ったものなのだ。

「僕も、出会った日の彼ならば止めていたでしょう。けれど今の彼は戦うだけの準備をしてきたと感じます。脅威に出会い、生き延びた経験を活かすだけの器ができた。戦い方を覚え、得た金銭で装備を整えることもできる。そして心強い仲間も手に入れた」

 若葉が小さく頷く。ピスティルが柔らかく微笑み、半蔵が舌打ちした。

「随伴する桐谷君たちは2レベルで実績も多い猛者だし、悪くないんじゃないかな」

「鷲塚さん~……」

 支倉の声が情けないものになる。安全な探険士育成を掲げる“初心者の館”の館長マスターたる彼の裏切りにもはや防衛の手段を失ってしまったようだ。

「すみません。でもね、支倉さん。僕は高井君のような新人をこそ応援したい。探険士たちの中でも未知なる地下の先を求める彼らのような若者の後押しをするのが、僕が小組織を立ち上げた理由なんです。危険から遠ざけるだけでは成長はない。なぜなら、地下層へ潜るというのは危険に飛び込むのと同義なんだから」

「身の丈にあった危険というのもあるでしょう」

「ええ。だからその道しるべを行う僕が保証します。彼はこの脅威に立ち向かう力がある」

「…………はぁ~っ!」

 その溜息は最後の抵抗だった。

 支倉は蒼介の手から書類をひったくるように奪うと、自分の机に放り投げた。



 半蔵たちと別れた蒼介と若葉はその足で堀井武具店に向かった。半蔵から装備の新調には糸目をつけるな、今の手持ちで最高の装備を用意してこいと念を押されたが、武器に関して言えば悩む必要はない。

「やっ。蒼介君。来たね」

「遅ぇよ蒼介。お前最近深谷とべったりしやがって、こっちはヒマもてあましてたんだからな」

 堀井親子がカウンターで出迎える。今日の来店はさっきメールで浩平に伝えておいたから、用件は浩太郎にも伝わっているはずだ。

「悪い悪い。強襲蛇蟲ストライクワームをぶった斬ったら、ぱーっと遊び行こうぜ」

「この新兵器でな」

 浩平が大きな布包みをカウンターに乗せた。

「感謝しろよ。俺も造るの手伝ったんだからな」

「お前が鍛冶師ってガラか?」

「ははは。自分の息子ながら手際悪かったなー浩平」

 浩太郎の他人事のような物言いに、後ろで若葉でさえ小さく笑った。

「うるせーよ二人とも! ほら蒼介、開けてみろ!」

 頷いて、布を解く。

 一目見て、蒼介は息を呑んだ。

 シルエットは以前のファルシオンと少し変わっている。以前は直線に近かった峰も緩やかな反りを持ち、峰の先端が弧状に抉れ牙を思わせるデザインをしている。

「銘は“白狼剣はくろうけん”としたよ。主材料にファルシオンに使ってた突撃鋼犀ラッシュホーンの角鉄。そして芯に例の牙を使った。これにより、この武器には攻刃チャージの向上の他にもう一つ、呪文が付与されたよ」

「もう一つ?」

「そう、起動させるためには手順がある。ここ見てごらん」

 浩太郎は白狼剣の剣身を指す。切っ先から根本にかけ、そこには呪言語が刻まれていた。

「起動型の付与呪文エンチャントスペルですね」

 蒼介の横から若葉が剣を覗き込む。

「うん。素手でこの呪言語を頭からなぞる。そして、同時に起動語を口にすれば呪文が起動する」

「ど、どんな呪文なんすか?」

 浩太郎は悪戯を企んだかのように歯を見せて笑みを浮かべ、白い狼に隠された牙について告げた。


 鎧も新調したいという蒼介は浩太郎とあれこれ相談を始めた。若葉は何の気なしに店内を眺めて過ごそうと思ったが、装飾品の棚でぴたりと足が止まった。

 若葉を射止めたのは吸い込まれるような深い青さを持った宝石のはまった首飾りだった。

 銀毒蛇シルバサーペインの銀皮をなめした鎖と、おそらくこの青い宝石は水精結晶ブルークリスタラの結晶体。魔術師にとって基本的な素材の一つだが、このように装飾品に用いられるほど大きく、純度の高いものなど見た事がない。これを精製したのはよほど腕の立つ鍛冶師だ。

藍原渚あいはらなぎさ、さん……。すいません!」

 浩太郎に首飾りを持って走る。

「ああ、それかい。ナギちゃんのだね。“大海の首飾り”。あの子は僕の修行時代の同期で、特に結晶系の素材の扱いが上手くてねー。他は並かそれ以下なんだけど……」

「これ、いくらですか?」

「十万円」

「買います」

「即決!?」

 横で鎧を手にしていた蒼介が驚いた。

「これ、凄いよ。水精結晶の結晶体は水に関係した呪文を使うための触媒なんだけど、こんな純度で、しかも大きい。私の白波杖はくはじょうも水系に親和性の高い触媒だけど、これつけてれば私の呪文はさらに一段階、強くなる」

 言葉が早い。若葉が興奮している。珍しいことだ。それほどこの首飾りは凄い代物なのだろう。十万で即決してしまうほどに。

「私、この鍛冶師の名前初耳……こんな凄い品を造れるのに、なんで名前が売れてないんだろう」

 浩太郎は苦笑しながら若葉から取り上げた首飾りを眺めた。

「言ったでしょ、他はてんでダメだったって。今じゃこの道を究めてるって言っても過言じゃないけど、当初は腕も良くなくて、大手企業からも袖にされて……ま、それで奮起して今があるんだけど。とにかく、良い物が必ず名を残すわけじゃない。けど、本当に良いモノは名前だけじゃ判断できない……僕はそういう“ちょっとした掘り出し物”的な商品が好きでね」

「……私、この人の作品を使います。もっと他にありませんか?」

「ああ、あるよ~。でもナギちゃんのは当たり外れ大きいから見極め難しいよ」

 その後、若葉は蒼介が装備を買い揃えた後も一時間ほど宝飾品を見比べて、悩んでいたが、結局予算の都合で最初の首飾り一つを買うのに留まったようだ。

「服は今のままでもいいかな……」

「岸谷玲奈だよねそのローブ。マリン・メイジの人気鍛冶師」

「はい。あの人の作品は品があって、派手派手しくなくて……」

 その後、鍛冶師についての談義で二時間も浩太郎と話し込んだ若葉を蒼介は律儀に待っていたのだった。


「ごめんね、つい熱中しちゃって」

「深谷は、なんていうか、意外とそういうとこあるよな」

「意外?」

「ああ、第一印象だと冷静で必要最小限の事だけ喋るって感じだったけど。探検の目的といい、けっこう熱いな」

「そうかな。自分じゃ、分からないけど」

「今はクールダウンしてる」

「変な分析しないで」

 眉根を寄せて見上げられて、蒼介はバツが悪そうに顔を逸らした。

「いよいよだな」

「そうだね」

 支倉より伝えられた集合時刻は次の土曜、朝六時。作戦説明の後に小隊ごとに地下層tへ突入、配置につく手はずだ。

「…………」

 戦いの時を予感して、自然と手に力が篭る。それに気づいた若葉は諌めるように蒼介の腕を叩いた。

「まだだよ。一週間あるんだから」

「そうだけどさ。深谷だってワクワクするだろ?」

「それは、否定しない」

「勝とうな」

「そうだね。今度は逃げないで、倒す。

「俺達二人でな」

「私達二人でね」

 沈む夕日に向けて、二人は揃って拳を突き上げた。



 決戦の朝が来た。

 この日、通常営業時に倍する数の探険士が吉祥寺支部に集い、準備を整え、施設内に所せましと待機している。参加予定の探険士全てが一堂に集える部屋が吉祥寺支部にはないので、各小隊長を会議室へ集め配置の説明や資料配布などが行われ、時間を区切って地下層へと向かっていく段取りとなっている。蒼介たちの小隊は後半の出発になるようだった。

「状況次第じゃすでに強襲蛇蟲が灰被りの樹林アッシュフォレストに落ちてるかもしれねえ。あるいは踏破途中で遭遇しちまう可能性もある。ヤツに狙われるのを避けるため、道中の移動は一人ずつだ」

 強襲蛇蟲は他の魔種同様、大きな魔素の塊に誘われるように動いている。集団行動しているほど魔素が濃く大きく感じられるため、突入を分けて感付かれるのを防ぐとのことだ。

「下にたどり着くまで死ぬんじゃねえぞ。そんな事になったらてめえら、今までの俺の苦労がパーなんだからな」

 半蔵なりの激励に、もう苦笑は漏れない。逆に挑発するような笑みで返してやった。

「そういや、結局どうやって強襲蛇蟲あいつを灰被りの樹林まで誘い込むんですか?」

 蒼介の疑問に半蔵は面白くもなさそうに答えた。

「なんのこたねえ。ただの釣りだ」


 混蟲迷宮カオティックメイズの最下部にしつらえられた半径二十五メートルの球状空間は、この作戦に向けて探険士たちが少しずつ掘った討伐作戦の最初の戦場だ。

第二小隊パーティ、全員所定位置につきました」

「第三小隊も配置完了です」

「うん、第一小隊も準備はできた。あとは待つだけだね」

 討伐第一小隊長である鷲塚は頷くと巨盾、女神の抱擁マーシィ・ホールドを構え空間の中央に陣取った。その周囲には数名の魔術師と思しき探険士。そして軽量な皮鎧に身を包んだ一村の姿があった。

「どうだ、一村君。奴は来たかな?」

「……。まだだ」

「そうか。だが、今ここは奴にとっては格好の餌場に映るはずだ。遠からず襲ってくる。全員油断するなよ」

「本当にこんな単純な作戦で上手く行くのかね」

 一村はぼやきながら姿勢を低くし、地面に手をあて、耳を澄ませる。

「君たち“Dゲイズ”が調べた結果だ。その情報は信頼していい」

 作戦は単純。より大きな魔素めがけて襲い来るという魔種の本能に訴えるため、多数の探険士を一か所に集め、強襲蛇蟲をおびき寄せるというものだ。

 “Dゲイズ”の度重なる調査により、強襲蛇蟲はこの混蟲迷宮内部を上下に移動し続けている事が分かった。一キロメートルを越える体長をうねらせるようにして迷宮内を食い進んでいるという。

 鷲塚たちのいる空間は混蟲迷宮の最深部だ。ここに三つの小隊、三十人の探険士がいる。鷲塚を中心に魔術師メイジ四名、重騎士ナイト二十四名、軽戦士ソルジャーである一村。この構成は襲い来るであろう強襲蛇蟲を全力で受け止めるための布陣である。

 もちろん、周辺の坑道から他の魔種が襲ってくる可能性もある。それらを潰すために遊撃隊としてさらに三つの小隊が今も魔種を倒して回っているはずだ。彼らに対して襲撃があった場合は速やかに鷲塚のもとに退避するよう取り決められている。

 誰もが強襲蛇蟲の襲撃を受ける可能性のある、危険な役割だ。

「もっとも、一村君がいるおかげで僕たちはかなり安全に作戦を遂行できるけどね。君の耳の良さに感謝だな」

「耳が良いってだけじゃない気がすんだよな。なんかこう、魔素の動きが聞こえるっていうか」

 最近、地下層に潜ると魔種の迫る足音だけではなく、魔素が変な音を立てて寄ってくるように感じる、と一村は言う。

「それは、長く探険士をしていれば誰もが自然と身に着ける感覚だ。魔素の存在を、人それぞれ違った形で感じる。その技術を高めていけば将来君の大きな武器になると思うよ」

「へっ。魔素を感知するなんて、魔種になったみたいで気分が良くないね。こんな面倒事にも駆り出されて、踏んだり蹴ったりだ」

「まぁ、そういうな。これが終わったら盛大に打ち上げしようじゃないか。みんなでね」

「大宴会になるな…………ん」

 一村が地面に耳をあてる。周囲に緊張が伝播し、誰もが自ずと押し黙り、音を出さないよう、じっと構える。

「…………来る………………直上、三百メートル!」

「全隊盾構え! 防護プロテクト強化ぁ!」

 鷲塚の怒号と共に重騎士たちが盾を掲げ、密集させ、亀の甲羅のような陣形を取る。魔術師たちは重騎士に防護強化の呪文をかけ、半球状空間の端まで退避し、地面に手をついた。

 金属同士のこすれる音が重なり合い、騒音にも感じられ、それが止んだことによって訪れた静寂はあっというまに破壊された。

 天井を突き破って現れた巨大な口は、蒼介が見たものよりも格段に凶悪になっていた。蠢く無数の牙は太く長く、互いにガンガンと打ち鳴らされる音は地獄行特急の発射ベルだ。その口径は五メートルにも達するかもしれない。亀の陣形を取った探険士三十人を飲み込む勢いだ。

 だが、強襲蛇蟲にとっては初めての経験だろう、その進撃が阻まれた。

 無数の魔力紋が盾の頭上に出現し、強襲蛇蟲の口とぶつかり合う。魔素が火花にも似た輝きをもって弾け飛ぶ。魔種の身体と盾の呪文、双方が激しく削り合っているのだ。

「……だ、だめだ……押されるッ……!」

 盾を構えた重騎士たちの腕が徐々に下がっていく。盾から激しく散る魔素は彼らの寿命そのものだ。それが削り取られ、盾の隙間からは地獄の入り口が顔を覗かせている。この場に立ち続けるだけでも、その精神的疲労は計り知れない。逃げださずに受け止め、強襲蛇蟲の初撃を防いでてくれた事を、鷲塚は感謝した。

 おかげで女神の力は遺憾なく発揮される。

「――“抱け”」

 女神の抱擁の裏に刻まれた呪言語をなぞり、静かに起動語を口にする。盾から一回り大きな魔力紋が生まれ、その中心にあったペイントが抜けだした。

 現出した女神は強襲蛇蟲の口を赤子を扱うが如く優しく包むと、恐るべき膂力でもって握り潰さんばかりに抱きしめた。

 女神の抱擁の起動型付与呪文。高速で迫る強襲蛇蟲相手に使うには一度動きを止める必要があった。

「捕まえたっ!」

 鷲塚が陣形の中央で仁王立ちになり、強襲蛇蟲の口に突き入れるような勢いで盾を掲げる。功労者である二十四人は鷲塚から離れながらただ一人で強襲蛇蟲の巨体を支える威容を見て息を呑んだ。女神の抱擁の拘束は二十四の防護に勝る力を誇っている。

「い、いくら俺達が1レベルったって……なんて差だよ」

 “鋼女”篠崎麻耶によって生み出された盾の恐るべき力を目の当たりにして、一村も含めてその場の全員が一時、おぞましい化け物を抱く女神の凛々しき姿に魅入られた。

「――っ。魔術師、何やってる! 起動しろ!」

 重騎士の一人が叫んだ。我に返った魔術師たちは地面から顔を出している呪文符の表面を撫でた。

『“起爆”!』

 四人の声が重なる。地面に埋め込まれた使い捨て呪文符はそこに刻まれた効果を発揮し爆発を起こす。

 当然、鷲塚たちの足元は崩壊する。球状に掘られたエリア全体が崩れ落ちていく。

 鷲塚以外の全員は浮遊の呪文を起動させる靴を履いて爆発エリアから退避している。これにより、落下していくのは鷲塚ただ一人、いや。

「さぁ、主戦場へ案内しよう」

 今まであらん限りの力で前進しようとしていた強襲蛇蟲はブレーキがかけられない。鷲塚を口先にぶらさげた格好で、巨大な蛇蟲は灰色の空へと再び舞った。


 作戦第二段階開始の合図は上空の爆発音だった。

「落下位置補正、全隊に移動指示!」

 東雲は部下たちに叫び、眼鏡の位置を直しながら灰色の空に亀裂が入るのを観察した。強襲蛇蟲は真っ直ぐ突っ込んでくる。落下場所は想定の区域になりそうだ。

 灰被りの樹林には数十人の探険士が小隊毎に散らばっていた。鷲塚が強襲蛇蟲を落とすであろう位置を予想し、周辺の魔種を予め狩り、戦場を作り上げた。

 巣穴から出てきてしまえば何のことはない、ただのでかいミミズだ。

 だが、大きいという事実がもたらす威圧感をこの場にいた探険士たちはいささか見誤っていたようだ。何しろ、狭い坑道内では奴の全容をうかがうことなどかなわなかったのだから。落ちてくる巨大な怪物に、経験の浅いものほど体を強張らせる。

 上空から飛来する強襲蛇蟲は蒼介の記憶にあるものと同一とは到底思えなかった。一見すればそれは全身が毛に覆われているように見える。だが、その一本一本が独立した生き物のように蠢く触手なのだ。そんな触手に覆われた数キロメートルもの質量。

 おぞましい化け物が灰被りの樹林へと落ちてこようとしている。

「構え!」

 そんな中で鷹城一真の声は鋭く突き刺すように全員に聞こえた。体を覆う恐怖を無理やり引きはがされたような、強引に他者を引っ張っていく力を持った声だ。

 混成部隊レギオンのうち、遠距離への攻撃手段を持つ魔術師たちが杖を、本を、剣を上空に向ける。

「射程距離入り次第各個自由射撃! 体内魔素を撃ち尽くせ……!」

 魔術師たちはあらん限りの魔素を振り絞って落ちてくる強襲蛇蟲に呪文を放つ。炎弾が、氷刃が、雷槍が逆さまの雨のように降り注いだ。

「あんなに撃ったら鷲塚さんまで危ないんじゃ!?」

 出番のまだこない蒼介は降り注ぐ呪文の逆雨を見て目を剥いた。

「はんッ。ヤツにゃ女神が二人もついてんだ。問題ねえ」

 半蔵の言葉を証明するように、二人の前に隕石が落下した。

 女神の礼服の呪文を起動させ、全身を包んだ鷲塚だ。強襲蛇蟲を引きずり出した時点でさっさと盾の呪文を解除し、先に落下してきたのだ。

「いや、高井君。よくこんな高さを薄っぺらいポイントアーマーで飛び降りたね。僕にはとても無理だよ」

 朗らかに言う鷲塚だが、蛇蟲を引っ張り下ろしたあげくに自分から地面に激突するような真似こそ蒼介には無理だ。

「さて……第一段階はこちらの勝ちだ。次はどうかな」

「芳しくねえな」

 遠距離呪文攻撃には若葉も加わっている。初めてこの森で出会った時とは比べものにならない強力な水針は触手を引きちぎり、強襲蛇蟲の本体に突き刺さる。

 他の魔術師も懸命に攻撃を加えている。が、真っ直ぐ落ちてくる強襲蛇蟲には今だ魔素がみなぎっているように思えた。

「原野とかいうオヤジの言う通りじゃねえか気に入らねぇ」

 作戦立案の支倉はこの攻撃によって強襲蛇蟲がほぼ撃滅できると考えていたが、それを原野が否定したらしい。参加する探険士の詳細な実力を把握している原野には支倉よりも明確な戦闘の推移が見えていたのだろう。

「決着は、直接だ」

 半蔵が短剣を抜き放った。蒼介も剣の柄を握りしめる。左手には鉄人形アイアンゴーレム巨壁象ウォルファントの合金製円形盾。体を覆う軽鎧もより強力な黒鉄猿ブラックエイトの鉄皮製ポイントアーマーに替えられた。

 何よりも、苦戦の末に生まれかわった白狼剣がある。敵だったあの隻眼の灰潜犬が傍らで戦ってくれるような、奇妙な頼もしさを覚えた。

 もうすぐ強襲蛇蟲が落ちてくる。落ちてきてしまえばやつはただのでかい的だ。実際それはその通りなのだが、その挙動は探険士たちの予想を上回っていた。

 近くにいた者は地面に落着する蛇蟲が空中でうねる様に動いたのを見た。腹を下にして無数の触手が地面に向けて伸び、あろうことか数キロメートルの巨体、その前半分ほどの触手を総動員して、地面に着いた瞬間に真横に向けて跳ねたのだ。

「なっ、ああああああああ!?」

 その進行上には探険士の小隊と、攻撃によって休もうとしていた数名の魔術師がいた。

 石樹をへし折り、彼らの悲鳴すらも共に強襲蛇蟲は飲みこんだ。

 飲まれた探険士たちは死を覚悟し身体を丸め歯を食いしばりあらん限りの恐怖を吐き出した。その瞬間、彼らの網膜に光が差した。

「器用だな」

 鷹城一真。誰よりも早く強襲蛇蟲の挙動に気づいた彼は捕食の瞬間に“ザ・セイバー”を無造作振り下し、蛇蟲の巨口を叩き斬っていた。斬り離された先端にいた探険士たちが必死に這い出る。

「や、やっ……」

 最後まで言い切ることはできなかった。

 輪切りにされた蛇蟲はなんの痛痒も感じていないが如く、斬り口の部分を新たな頭として活動していた。

「やってはないな」

 淡々と言い切り、一真は強襲蛇蟲の本体に向けて走った。

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