005
隻眼の潜灰犬はやはり手練だったらしく体積の半分近くが固着化して死んでいった。身体の大きさもあって取り巻きの潜灰犬の倍以上の収益が見込める。
「潜灰犬の牙は武器の材料として質が良いよ。このサイズなら相当高く換金できると思うし」
落ちた牙を二本差し出してくる。鋭く尖った白灰の牙は若葉の小さな手には余る大きさだ。
「こいつを倒せたのは深谷のおかげだよ。もらえないって」
遠慮する蒼介に、若葉は首を振った。
「高井君が潜灰犬に立ち向かい続けてくれたから倒せた敵だよ。私の作戦を信じてくれて、嬉しかった」
「……」
表情が少なく淡々とした印象の若葉がうっすらとだが微笑みを浮かべる。不意打ちだ。蒼介は二の句が告げなくなって、言われるがままに牙を受け取るしかなかった。
「それに、私はこの毛皮のほうが欲しいし」
潜灰犬の毛皮――石製なのに毛皮というのも不可解だが――は魔術師にとって有用な触媒防具になるのだという。
他にも固着化した部位を解体していると、若葉は少し離れたところにしゃがみ込んでベルトに差した円筒状の容器を取り出す。試験管を黒く塗りつぶしたような光沢のない質感を持った容器だ。
何をしているのか、と蒼介が覗き込むと若葉は地面に散らばったゲル状の魔素を、小石や埃がついていない部分を選り分け、掬い取って容器に詰めている。
このゲル状魔素は魔種の体内で変化しかけの中途半端な状態のもので、混蟲迷宮で狩っていた時に鷲塚は見向きもしなかった。
若葉はゲル状の魔素をたっぷり詰め込んだ容器を蒼介に差し出した。
「ちょっとこれ、思い切り振ってくれる?」
「振るの?」
「うん。力いっぱい。いいって言うまで」
言われるままに容器を受け取って。缶コーンスープを掻き混ぜる時のように思い切り振る。こんな事をして何になるのだろうか。
目いっぱい振り続ける事三分ほど。若葉から止める声が上がり、蒼介は大きく息を吐いた。
若葉は返してもらった容器を軽く振って中身の具合を確かめると容器をひっくり返し、底をスライドさせると、口をつけたまま煽った。
「い!?」
蒼介が目を見張る前で若葉は容器の中身を飲んでいるようだった。喉の通りが悪いのか、時折息苦しそうに喘ぎ、口の端からゲル状魔素が僅かにこぼれる。
「――ぅ、やっぱり、マズい」
「そりゃそうだろうそんなもん飲めば!」
当然といえば当然な感想に蒼介は呆れ返った。だが若葉は容器の中身をきっちり飲み干したようだ。
「体内魔素の回復」
「なんだって?」
口を拭いながら言う若葉に蒼介は首を傾げた。
「魔種は、他の魔種を食べることで体内に魔素を取り込んで強くなる。それって人間にも同じ事が可能なんだよ」
「――っていうと」
地下層で人間が魔素を取り込む方法は二つある。
地下に満ちている空中の魔素を呼吸と共に吸い込む事。二つ目は固着物や漏れ出した魔素を直に摂取する事だ。後者の場合、呼吸による吸入よりも短時間で多くの魔素を取り入れる事が可能だ。欠点は人間の胃袋が消化できないものも多い事と、味や見た目といった要素だ。
「極端な話、お腹壊す覚悟でこの辺の石ころで食べても魔素は補給できるけど、一番飲みやすいのはこのゲル状魔素なんだよね。とは言っても飲み辛いから、錬金術師は飲みやすくて効率の良い魔素補助薬を研究してる。この容器は錬金術師組合が作った簡易ろ過器なんだけど、直接飲むよりはマシって程度だね」
不純物をろ過して喉越しを多少は良くしてくれるだけでありがたいというが、それでも蒼介はこのゲル状物質を飲み込む気にはなれない。
「私だって普段はあんまりやらないけど……まだ先は長いしね」
「うん、そうだな……」
若葉はプロフェッショナルだ。生きて帰るために常に最善を選択し続けている。
自分もこの程度で物怖じしている場合ではないのだ、と意識を改めた。
「でも、これだけじゃ心もとないかな。高井君、その辺の石樹に木の実がなってるかもしれないから、探してくれる?」
「木の実が? それも食うの?」
「ん。硬めのおせんべいみたいでけっこういけるんだ。味はないけど」
それでいけるとは、地下層の食生活は中々厳しいもののようだ。
「私は少し休む。呼吸で魔素を貯えたいから」
「分かった。任せとけ。腹いっぱい取ってくる」
「それは、ちょっとイヤかも……」
蒼介は木の実探しに乗り出した。注意して見てみると確かに石の葉に混じってくるみのような丸いごつごつした木の実が生っていた。
手のひらに数個収まるような小さな実だ。これが地面に落ちて石樹になるのだろうか?
「石樹の実だから石の実か?」
試しに蒼介も一つ食べてみると、思いのほか簡単に噛み砕けた。なるほど、せんべいのような食感だ。味は無味乾燥そのもので、この灰一色の灰被りの樹林らしいと思った。
皮袋に十数個の実を詰め込んで、もう少し探してみるかと茂みを分け入る。
そこで、後方から鋭い悲鳴が聞こえた。
道中そんな声を漏らすのを聞いたことはないから、印象はなかったが、すぐに分かった。若葉だ。
即座に方向転換して走った。そんなに離れてない。すぐに若葉のいた樹が見えた。
若葉は白い糸にぐるぐる巻きになって宙吊りにされていた。その頭上には灰色の蜘蛛がいる。
白葉蜘蛛。潜灰犬と共生関係にあって、共に狩りを行う……忘れていた。あの隻眼の潜灰犬に他に仲間がいる可能性を、おそらく若葉さえも失念していた。先ほどの死闘で疲弊していたせいだ。ヤツはあそこに潜んで油断を狙っていた。若葉一人になった時を狙うような知恵があるのか。あいつの体も他の個体より大きく、脚の数も倍はある。隻眼の潜灰犬同様、修羅場を生き抜いた猛者なのか。
考えている暇はなかった。若葉は樹の枝の奥に連れ去られようとしている。葉の影に白葉蜘蛛の脚や胴体がいくつも見える。一匹じゃない。群れで若葉を食う気だ。
「させるかよ!」
蒼介は力いっぱい地面を蹴って跳んだ。そして若葉を捕える糸を切り捨て、彼女を救出する。そのイメージでいた。失敗だった。
白葉蜘蛛の糸はしなやかで強靭で、ファルシオンの刃を跳ね除けてしまった。
もう一度、と体勢を整えようとした蒼介の脚に通常サイズの白葉蜘蛛が絡みついてきた。何匹も何匹も。
「逃げて……!」
若葉が悲痛な叫びをあげた。
何言ってるんだ、お前が口にするのはそんな言葉じゃないだろう。俺を気遣ってる暇があれば呪文のひとつも詠唱して撃てよ。できないか。杖を取り落している。呪文は触媒が肌に触れてなければ使えない。詠唱している時間も与えられるかどうか。
じゃあなおさら俺が頑張らないと。
気持ちだけは逸るが実際、白葉蜘蛛を振り払うのに手間取って、若葉に近づくことさえできない。
白葉蜘蛛は蒼介の体にかじりつき、防護を削り取っていく。ある一瞬に不快な高音が聞こえた。ひどく不吉で、嫌な響きをしていた。それはGMアーマーの触媒が消失し、鎧としての形状を維持できなくなって一部が砕けた音だった。
鎧が壊れる。防護は完全に機能を失う。そうすれば白葉蜘蛛の牙は蒼介の柔らかい肉に牙を突き立てて食い破る。
死――。
「愛しの右岩腕」
聞こえたのはこの場に似つかわしくないひどく落ち着いた声音だった。気を付けなければ聞き逃してしまいそうなか細く、涼やかな女性の声。
次の瞬間にはその儚げな印象をすべてかき消すほどの轟音と共に若葉の吊るされていた石樹がへし折れた――いや、もぎ取られた。
石の巨腕が樹の幹を引っ掴んでもいだのだ。
新たな魔種、ではない。これは、呪文だ。
唱えたのは若葉と対照的な全身白の衣で覆った女だった。フードからはみ出した頭髪もシルバーブロンドで、肌も透き通るように白い。やや垂れ下がった瞳はコバルトブルー。長い杖を地面についてその豊満な胸に挟み込んでもたれかかるようにして、なんだかダルそうに唇をもごもごと動かしている。
石の巨腕を操っているのは彼女だ。みしみしと石樹が悲鳴をあげる。潜んでいた白葉蜘蛛はすべて手のひらの中で握りつぶされた。指の隙間から七色の粒子が盛大に噴き出す。
だが、圧力から逃れた者がいる。若葉を捕まえた多脚の白葉蜘蛛だ。耳障りな鳴き声と共に全ての脚を振り上げ、若葉に襲いかかる。
「往生際悪りーんだよハッパグモぉ」
幅広のバンダナを巻いた目つきの悪い男が、いつの間にか石の巨腕の中指にしゃがみ込むように座っていた。
「大体てめぇときたら犬ッコロの陰に隠れてこそこそと姑息な狩りしやがってしかも疲れて弱った女狙うとは雑魚根性丸出しで――要するに気に入らねぇ」
蒼介は目を見張った。
男が白葉蜘蛛に向けて絶対通じない罵詈雑言を浴びせている間に、逆手に握った二本の短剣を操り片手間のように脚を切り落としていた。その動作が蒼介にはまるで捉えることができなかった。
最後に男は白葉蜘蛛の脳天に短剣を突き立て、もう片方で若葉を繋いでいた糸を断ち切った。
若葉が落ちてくる。咄嗟に蒼介は真下へ滑り込んで受け止めた。腕の中の若葉と目が合った。丸く目を見開いて、驚いているような顔で固まっていた。きっと、蒼介も同じ顔をしていたに違いない。
石作りの巨腕が崩れ去るとそこには砕けた石樹と白葉蜘蛛の残骸だけが残った。バンダナ男はそれをせっせと回収している。蒼介と若葉には目もくれない。
もう一人、白い魔術師の女はというと。
「このざらりとした感触……いい」
地面に寝転がって頬ずりしながら恍惚とした顔をしていた。
「何してんですか!?」
「ほっとけ。ピスティルは真性の土マニアで地面に寝転がって寝心地の良さを確かめるのがライフワークなんて豪語する変態だ」
背を向けたままそっけなくバンダナ男が言うとピスティルと呼ばれた白い女は不服そうに唇を尖らせた。
「やめてくださいよ本当の事言うの」
「本当の事なのか!?」
「ええ。あ、私はピスティル=ミリアル。2レベルの魔術師です。この広く力強い大地の如き堅牢な防御力がウリです。で、あっちの暴言細目さんが……」
「本当の事言うんじゃねえよ傷つくだろーが。俺ぁ桐谷半蔵だ。2レベルで軽戦士。そっちの白大根と小隊組んでる可哀そうな男だ」
「仲、良いんすね……」
「そいつは素人の発想だな……ところでテメーらこんなとこで何ウロチョロしてんださっさと上ぇ帰れ」
半蔵の鋭い視線は見たものを刺し貫きそうな迫力があるが、顔を背けたくなるのを我慢しながら蒼介は言い返す。
「できればそうしたいんすけどね……」
「ハンゾウ、無理言うもんじゃありませんよ。私たちだって仲間とはぐれて慎重に帰還中なんじゃないですか」
ピスティルに指摘されると半蔵は頭を掻きながらため息をついた。
「白大根が石樹に熱烈なハグなんかしてやがるから逃げ遅れんだよ。ちっ。しゃーねーな。行くぞ」
ぶっきらぼうに言って背を向けるとさっさと半蔵は歩き出す。それにステップを刻みながらピスティルもついて行く。
その背中を呆然と見守っていると、五メートルほど歩いたところで半蔵が虫でも見るかのような目で振り返った。
「なぁに突っ立ってんだボケ小僧にボケ小娘。てめえら魔種に喰われたいのか」
「え」
「ど、どういう意味っすか」
「いちいち説明さすんじゃねえよ。てめえらも来んだよ!」
「い、いいんすか?」
「いいんすかじゃねえ馬ぁ鹿。てめえら状況分かってんのか? 今ココにゃあ脅威が紛れ込んで他の魔種どももてんやわんやでセオリーは通じやしねえ。てめえらそれとも俺らナシでも余裕でこの層駆け抜けられる熟練か?」
「……いえ。私たち二人だけなら、さっきの白葉蜘蛛に殺されてたと思う」
若葉の言葉には苦々しいものが混ざっていた。自分の弱さを認めるのは悔しいのだろう。蒼介も、心中で同じ思いだ。
「俺たちは1レベルで、そっちの深谷はともかく、俺は今日初めて地下層に潜った素人っす」
半蔵の顎ががくん、と落ちたように見えた。
「まるっきりの初心者だぁ? 心底のアホかそんな奴がいくらヌルくても二層目に二人きりの小隊で出張ってくんじゃねえよ」
「事情があったんすよ」
「それに、高井君は力になってくれました。彼がいなければ私は白葉蜘蛛以前に潜灰犬からも逃げきれてなかった」
若葉の語調が強くなったような気がした。ひょっとして、かばってくれているのか。蒼介は胸の奥が熱くなるのを感じた。
「深谷の力がなけりゃ俺なんか蛇蟲の口から飛び出した時に死んでたよ、今更だけどすげえ感謝してるんだ本当」
「マテマテマテ」
見つめ合った二人の間に手刀を通すようなジェスチャーをする半蔵。
「話が見えねえさっぱりだ。イチから詳しく説明しろ」
「いや、話すとけっこう長くてこれが……」
「いいじゃありませんか。ここから四人で地上目指す間の、道すがらに聞かせてくださいな」
これまで傍観していたピスティルが笑顔と共に割って入った。
「私たちもメンバーとはぐれて戦力減ですし、ここは協力し合いましょう」
「馬ぁ鹿。協力じゃねえよ、この1レベルのポンコツ共が生き残るには俺らについてくしかねえんだよ!」
「ハンゾウ、そういう時は心配だから連れてってやるって言えばいいと何度教えればわかるんです?」
「あと百億回言え!」
半蔵は先頭を切って歩き出す。
今度は、ピスティルに蒼介、若葉もその後に続いた。
※
道中は、言ってしまえば実に楽な道のりだった。
半蔵、ピスティルの能力は高い。半蔵が短剣を振るえば放浪石樹の幹が斬り落とされ、ピスティルが呪文を唱えれば頑強な岩が盾となり仲間を守る。戦力減などというが、ピスティルの呪文が重騎士の代わりに十分な盾役を務めることで、半蔵は何の気兼ねもなく敵へ攻撃を仕掛けられる。消耗した蒼介、若葉もわずかながら助力したが、「疲れてんのにでしゃばって足ひっぱんな」とのハンゾウの言葉でほとんど出番はなかった。
「あそこにある横穴から、上へ登れるよ」
若葉が示した穴は人工のようだった。中には縄梯子がかけられている。きっと他の探険士たちもこれを利用しているのだろう。
「魔種だけじゃなくて人間も穴を開けるんだな」
「地下に潜るんだし、そういうものじゃないかな。たまにあいつらが横から穴開けて使い物にならなくなるけど」
縄梯子を十分ほど登り続けて見えた混蟲迷宮の横穴に懐かしささえ覚えてしまった。
若葉は迷う素振りを見せずにすたすたと先を行く。横穴が何本も入り組んだ混蟲迷宮だが、何度も通ってこの道は完璧に把握しているのだ。
そうして出た先は、最初に蒼介たちが出くわした三本の通路の左側だった。
「……」
「どうしたの?」
地上へ向かう階段を見て瞳を揺らせている蒼介を若葉が怪訝そうに覗き込んだ。
「いやぁ……マジで生きて帰れたことに感動してる」
「うん、そうか……そうだね。すごいね、高井君は。脅威に出会って生きて帰れる初心者なんてさ」
「いや、俺がすごいっていうか、運が良かったんだよ。食われずに済んだのも、深谷さんに助けてもらったのも」
「運を掴んでチャンスに変えるのは、すごいと思うよ」
「ソウスケ君も初心者とは思えない豪胆な動きでしたしねぇ。あれだけ思い切りがいいと支援しがいがあるというものです」
「……ど、どうも」
照れくさくなって頬を掻く。その様子を横目で見ながら若葉がエクスホンを取り出した。
「一時か……今頃上では巨大蛇蟲の事で大騒ぎかも」
「え?」
「灰被りの樹林にいた他の探険士もあの光景をどこかで見てたろうし、それでなくても脅威の情報は速やかに組合に報告されて、懸賞金がかかる。そうしたら今度は競争が始まるから……」
脅威級の魔種を倒したと認められればそれは間違いない功績になる。得られる金も大きいだろうが、何よりもそれはレベルアップのためには必要なものだ。
「そりゃ困る! あいつは俺が見つけたんだぜ、俺の獲物だ!」
蒼介の抗議の声に三人は目を丸くした。
「1レベルで、初心者の君が、脅威を獲物って」
「な、なんだよ。悪いかよ。倒せるかもしれないじゃん? そうだ、俺はあの脅威から生きて逃げ延びたんだぜ!」
「前向きですねぇ」
「馬鹿ってのは前しか見えねえから手がつけられねんだよ」
ピスティルがころころ笑い、半蔵がため息をついた。
その隣で若葉の口元が柔らかく弧を描いていた。
長い長い階段を登っていくと、体が急に軽くなったように感じる。体にたまった魔素が排出されているのだ。固着化した物質でなければ地上に出る事は叶わない。その軽さを蒼介は不安だと感じた。今まで力となってくれていたものが抜け出てしまったような気がした。
ようやく漆黒の門を潜って地上へと帰還を果たした蒼介を待っていたのは無数の視線だった。
探険士や組合のスタッフがこぞって門を、蒼介を見つめている。
「帰還者だぞ!」
「おい、無事だったか!?」
「途中で化け物に出くわさなかったか!?」
若葉の言うとおりだった。すでに支部は脅威出現の噂で持ちきりだ。帰還した人間から新鮮な情報を求めて探険士たちはここで待ち受けていたのだ。
これは、蒼介が巨大蛇蟲の腹の中から出てきたなどと知られたら大変なことになる。そう思い適当に誤魔化す言葉を考えていた矢先、人垣を割って重厚な金属鎧に身を包んだ大男が現れた。
「高井君! やはり高井君だ……無事だったんだな!」
鷲塚は割れんばかりの大音声に目に涙まで浮かべて蒼介を力いっぱい抱きしめた。“鋼女”の鎧は敵を圧迫死させるのにも効果的なんじゃないか。
「すまなかった! 初心者の指導なんて言っておきながら君を守れずに……俺と一村君はあの後なんとか逃げおおせたのだが、君の事が気がかりでな……本当に無事で良かったよ! 怪我などはないか!?」
「え、ええ大丈夫です……」
「しかし驚きを隠せないよ、君は確実にあの化け物に喰われたと思ったのに。どうやって生き延びてきたんだい?」
大声をぶつけてくる鷲塚の肩を青銀の鎧に身を包んだ重騎士が叩いた。
「なぁ鷲塚。その子供、もしかしてお前の言ってた……」
まずい。
それは言わないでほしいのに、鷲塚はむしろ誇らしげに、大仰に頷いて蒼介の背中を押して全員に見せびらかすようにした。
「そうだ。彼は脅威級の蛇蟲に襲われて、見事に生還を果たした、奇跡の体現者だよ!」
だから、そんな、派手に。
「マジでか?!」
「どうやって帰ってきたんだ?」
「お、俺は小組織“ブルーシールド”の河本って者だが、情報料を払うからぜひ詳しく……」
鷲塚の言葉でいよいよ場は混乱の極みに至った。三百六十度を囲まれた蒼介は多数の探険士から矢継ぎ早に繰り出される質問の弾幕に押しつぶされそうになる。
「皆さん!」
そんな窮地を救ったのはそれらを上回る支倉の大音声だった。
「そこの高井君の身柄は組合が預かります! 過度な情報収集はお控えください!」
拡声器から放たれる支倉の暴力的な音量と、それ自体を振り回す乱暴な仕草で探険士の壁はあっという間に割れて蒼介はそこから抜け出した。
「横暴だ!」「ずるいぞ組合!」「伊予ちゃんのお節介焼き!」
探険士の質疑の声は支倉への半ば冗談を含んだ揶揄へと変わった。それも支倉自身のひと睨みで、全員が私はこの件には関与してませんよー、という表情をしながら顔を背けた。
「出現した脅威への対応は追って組合より発表されます。皆さん、それまで各自くれぐれも気をつけて。探険はなるべく控える事! それと事情を知らない探険士への無用な誤解を招く情報の流布は禁止です! いいですね!」
拡声器から流れる有無を言わさぬ言葉に、全員がはーい、と降参するように返事を返した。
支倉のおかげで嵐から逃れた蒼介はシャワーを浴びて、着替えをし、支部の三階にある職員用の会議室へと通された。吉祥寺支部は小さな支部らしく、この部屋も会議室と銘打ちながら半分は物置のように扱われておりそこかしこに荷物のはみ出たダンボール箱やら梱包された資材やらが置き去りにされていた。
蒼介が呼び出された理由は巨大蛇蟲に関する情報提供だ。それゆえ、鷲塚や若葉、ピスティル、半蔵も同席していた。原野と一村は鷲塚が先に帰したらしく支部には残っていなかった。
そこで、蒼介は自分の今日一日で行った探険の足跡を詳細に話した。支倉はレコーダーでその一部始終を録音しながら、自らもタブレット端末へ自分の所感や質問の答えなどを書きとめていく。
「五人とも、ご協力ありがとうございます。この情報提供に対する報酬は後日各自の口座に振り込ませていただきます」
探険士が地下世界から持ち帰るものは固着化した魔種の一部と、情報だ。固着物は鍛冶師組合によって、情報は探険士組合によって買い上げられる。これがそのまま探険士の換金額に加算されていき、金額は個人の実力を測るバロメータとして機能している。脅威種の発見ともなればけっこうな副収入になる事が期待された。
「しかも、高井君の場合は一度食べられて生きて出たんだからね……そんな体験、なかなかないよ」
「何度もあるようだとさすがに俺も生きてらんないっすね……」
「何か、弱点みたいなものとか、気になった事はない?」
「いや、しがみついて噛み砕かれないようにするんで精一杯でそこまでは――」
蒼介の記憶が呼び起される。あの光。
「……蛇蟲の体の奥に、光が見えました。なんなのかは分からないけど、なんか、薄気味悪い光でした」
支倉を含めて誰もが怪訝な顔をした。蛇蟲の生態は研究されているが、そういった現象を起こす器官があったとは記憶していない。だが脅威たる巨大蛇蟲がそもそも異常な存在なのだから、そこには何らかの差異があるのは当然かもしれない。
「しかしよく生きてられましたよねぇ」
「必死でしたよ本当。自分でも不思議なくらいで」
ピスティルに苦笑いしてみせる蒼介。本当、あの時間は生きた心地がしなかった。
緊張が解けて緩んでいる蒼介と反対に、真剣な顔をしているのは鷲塚と支倉だ。
「支倉さん。この脅威は討伐部隊を募って早急に倒すべきではないでしょうか」
「ええ、そうですね……」
「なんだって、そんなに急ぐんですか?」
横から蒼介が口を挟んだ。支倉は浮かない表情を浮かべながら初心者である蒼介にも理解できるよう順番を選んで、ゆっくりと語りだす。
「問題になるのは、場所。吉祥寺地下層の一日の探険士利用数は二百人前後で、その中には成り立ての初心者が多いわ。彼らでは脅威種に太刀打ちできない。君だって、鷲塚さんのサポートと運がなければ死んでいたでしょう」
「……」
「このままだと多くの犠牲が出るし、さっさと倒してしまわないとウチの営業にも響く……」
肘を着いて頭を抑える支倉の姿は気の毒に思うが、いささか問題の規模が縮小化してしまった感も否めない。
「は~ぁ、しばらく残業だわこれ……あ、ごめんね疲れているのに」
蒼介の視線に気付いた支倉が取り繕うように笑顔を浮かべる。お節介焼きと呼ばれていた。その通りなのだろう。けれど責任感の表れだろうその性格が蒼介は嫌いではない。
「皆さん、情報提供感謝します。今日のところはこれで切り上げましょう」
そう締めくくって、六人は会議室を後にした。
蒼介と若葉の二人は鷲塚が車で送っていくというので、三人揃って別れた。
残されたピスティルと半蔵は支部の隣にあるホテルに部屋を取った。はぐれた仲間が戻ってきたら支倉から連絡をもらうよう頼んでおいた。
「どうせ泊まるなら混蟲迷宮で寝てたのに」
「デカ蛇蟲の餌希望ならそうしてろよ白大根」
「その呼び名やめてくれませんか? 割とキズつくんで。呼ぶなら土マニアとかもっと土、地面、岩って単語をつけてください」
「お前に最適なあだ名は泥脳女だ」
「素敵かもしれない」
「救えねぇ」
「ね、ハンゾウ。あの脅威、討伐依頼出たら請けます?」
「はぁ? なんでだよめんどくせぇ。浅層に出た脅威なんざ1レベルそこそこの探険士共で十分だろ。俺らがあんなもん倒しても“功績”にゃなんねーよ」
ピスティルも半蔵も伊達でこの仕事をやっているわけではない。より高いレベル、より深い層を目指す生粋の探険士なのだ。
「じゃあ、当分の予定は白紙ですよね」
「……そりゃあ、明日の風向き次第、だな」
半蔵の眼が鋭く尖る。その先に見据えているものがなんなのか、ピスティルにも薄らと理解できる。
「風って言葉使わないでください。私、風って好きじゃないんですスカートめくれるし寒いし」
半蔵はあきれ果てて自分の部屋の鍵を手に取ると、ピスティルなど無視してエレベーターに乗り込んだ。