010
「深谷、回復は?」
「もう少し。目いっぱいまで魔素を溜めてから動く」
戦線を少し離れた場所で若葉は石樹にもたれかかる。ガラス管に満たされた魔素回復薬を飲み、石の実をかじった。先ほどの一斉射で部隊の魔術師はほとんど魔素を使い切り今は皆回復に努めている。
「こっからは俺の出番だ。ちょっと休んどけ」
「すぐ追いつくよ。とどめを一人で持ってかれちゃたまんない」
どちらともなく笑い合った。
白狼剣を手に蒼介は駆けた。強襲蛇蟲は体の前部を起こしている。体表を埋め尽くす無数の触手を支えにして、もはや元の蛇蟲とはかけ離れた魔種に見える。
「邪魔くさい!」
走りながら迫ってきた触手の一本を斬り捨て、断面から七色の魔素が噴出する。あちこちで重騎士や軽戦士が得物で強襲蛇蟲を傷つけている。最初の呪文攻撃と合わせて、かなりのダメージになっているんじゃないのか。それともこの巨体には蚊に刺された程度なのか。強襲蛇蟲の尻尾はここからでは見えない。“Dゲイズ”が討伐に向かう前に発表した体長は三キロメートルに達しようとしているという。どれほどの魔素を削り取ればこの脅威は倒れるのか。
「分かるもんか。倒れるまで斬るだけだ」
「その意気だクソガキィ!」
声は頭上からだ。
半蔵だ。強襲蛇蟲頭あたりに乗り、短剣を突き立てて足場にしている。よくもそのまま両手を振り上げられるものだ。何か呪文で補助しているのかもしれない。
半蔵は両手に握った短剣で強襲蛇蟲を滅多刺しにしている。触手だろうと皮だろうと構わない。口を大きく裂いて哄笑を上げ、残虐さを隠そうともせず、狂ったように攻撃を加え続ける。
「かははははははははは! 死ね、死ねよ! ズタズタに刻まれて石の地面にべちゃべちゃ崩れて落ちろこのクソ蟲が! かははッ!」
「危ないっ!」
半蔵の背中に触手が迫った。周囲の獲物を捕らえて喰らうためのそれが半蔵を絡め取ろうと飛び交う。半蔵は気づかない。というよりもまったく問題視していないように見える。あらゆる警戒を捨ててただ攻撃のみを行い続ける。あのままでは捕まる、そんな危惧は横合いから現れた岩の腕に払拭された。
ハンゾウの代わりに岩腕に触手がまとわりついて拘束する。
「ハンゾウ、あんまり一ヶ所にとどまり続けると囲まれますよ」
呆れ気味なピスティルの声も、半蔵には届いていないに違いない。岩腕を足場代わりに触手を斬り刻み、また別の箇所へと躍りかかった。
「あの、半蔵さんはあれ、いいんすか?」
困惑した様子の蒼介が問うとピスティルは眉尻を下げて笑った。
「私たちはそういう役割分担ですから。あれでいいんです」
苦労してんだろうなぁ……とは思ったがそれ以上は蒼介も聞かなかった。小隊には小隊の形がある。二人の間にあるものが不破でないのなら、口を出す筋合いでもない。
それよりも手を止めたら若葉になんと言われるか。
蒼介も攻撃を続けた。とはいえなかなか本体には近づけない。触手の数が多すぎる。強襲蛇蟲の体に近づけば近づくほど触手の攻撃は激しくなる。上下前後左右どこからでも触手は襲ってくる。さらに蛇蟲の巨体が蒼介を押し潰そうと揺れ動く。このサイズの物体に自ら近づくのは恐ろしいプレッシャーだ。だが、蒼介の心は躍らない。コイツの口の中のほうがよほど楽しめた。
戦況は混成部隊の有利に進んでいる。時間こそかかれど、こいつは倒せる。
行きかう探険士の中に、一真の姿を見つけた。不可解な事に一真は戦闘に参加していない。最初の一撃で派手な活躍を見せて以来、何もしていないようだ。ただ、油断なくあたりを見回している。
「……何か、探してる?」
ふとそのような印象を覚えた。この広大な樹林と、巨大蛇蟲と、多数の探険士。混沌を極めるこの戦場に、砂粒ほどの何かを探し求めて五感を集中させている。そんな風に感じられたのだ。
ふと、一真が首を振った。彼の視線の先には強襲蛇蟲の胴体――その向こう、尾の方だ。
「“断ち斬れ”」
それはほんの一言だった。
起動語と共にザ・セイバーの剣身を撫でると、膨大な量の魔素が吹き荒れる。経験の浅い蒼介にさえ肌で感じる強烈で濃厚な魔素の流れはめまいを覚えそうなほどだ。
そしてその感覚が過ぎ去った後に目を奪ったのは天突く光の柱だった。
ザ・セイバーから延びる魔素の刃が、恐ろしいまでに巨大に膨れ上がってできた光の剣。
「あ、あれが……」
「4レベル……鷹城一真の、本気ってわけかよ!」
蛇蟲の身体から飛び退きながら半蔵が忌々しげに言う。次にあの男が何をするか、一目瞭然だったからだ。
膨大な量の魔素を感知した強襲蛇蟲は体をうねらせ限界まで口を開いて一真へ突撃する。
「――りぃぃぃぃやぁぁぁぁ!」
一真はそれを待っていたとばかりに雄叫びと共にザ・セイバーを振り下ろした。
冗談みたいな光景だ。怪獣並みのミミズが、巨大な光に真っ二つに斬り裂かれた。
裂かれた蛇蟲の身体が地面に落ちるのを目の前にして、それが日常の中であるかのように悠然とザ・セイバーから光を消し、事もなげに一振りする鷹城一真に、誰もが物語の中にある英雄の姿を見た。
その思いは蒼介を激しく揺さぶった。感極まって叫んでしまわないように歯をがっちり噛みあわせるのは、酷く辛い作業だ。
強襲蛇蟲の巨体は半分以上が裂けて地に伏した。断面からは固着しきれない魔素が大量に漏れ始めている。
「た、倒し」
誰かがそれを口にするのを許さないとでも言うように、強襲蛇蟲の尾の方で光が立ち上った。
「あれは……ッ」
見覚えがある。蒼介が、この強襲蛇蟲の中で見たあの不穏な七色の光。
光は急激に膨張した。ザ・セイバーの光の剣同様、これも魔素の流れだ。だが、圧力はその比ではない。
そして、絶望的な光景を目の当たりにすることになる。
倒れ伏した強襲蛇蟲に光が走り、包み込み、一瞬にして固着。
たった今裂けて半分ずつになった強襲蛇蟲の身体はまるきり正常な二股の胴体になって復活した。探険士たちが斬り捨て、引きちぎった触手さえ一本残らず生えそろって、さらに倍増している。
「なぁっ!?」
「嘘だろ!」
「生き、い、っ……」
「生き返った……」
有り得ない。魔種の身体が再生するなんてこと。いや、目の前で起きた光景は再生とは程遠い。あまりに早すぎる進化。
そんな想いを打ち崩す一言を漏らしたのは、若葉だった。
「超魔爆発……」
だが、こんな偶然があるだろうか。強襲蛇蟲を追い詰めたこの瞬間に。まるであの化け物に神の加護でも宿ったかのようではないか。
「こ、こんな奴にどうやって勝てってんだよ……」
あの鷹城一真でさえも仕留められない。浅層の脅威と心のどこかで楽観視していた探険士たちは一瞬にしてその心をへし折られた。
そして強襲蛇蟲の二つに増えた口が降り注ぎ、逃げ惑う彼らを襲う。数名の探険士が触手に絡め取られ、絶望と共に強襲蛇蟲の口内へ放り込まれた。
冗談のようなその光景をもっていよいよ混乱が弾け、混成部隊の連携は瓦解し始めた。
「くそっ……慌てるな……決して倒せない敵では……」
鷲塚は攻撃から仲間を守りながら必死に激を飛ばす。だが、鷲塚の声にさえ迷いがある。そんな状況でも立ち向かおうとする者もいるが、決して戦況は芳しくない。
「鷹城ぉ!」
半蔵が突き刺すような金切声をあげた。
「あのクソ野郎! 何のつもりか説明しやがれ!」
一体どこへ消えたのか、一真の姿はどこにもなかった。半蔵は今にも噛み殺しそうな顔で一真の姿を探し回る。それを慌ててピスティルが止めに入った。
「ハンゾウ、落ち着いてください。カズマだってまさかこんなことなるなんて……」
「思ってたに決まってんだろうこの大根頭!」
ピスティルが息をのむ。そんな、まさかと否定しようとするのを遮って蒼介もそれに同調した。
「俺もそう思います。鷹城さんは……何か、狙いがあってあいつを斬った」
半蔵は八つ当たりにこんなことを言う人間でなくことをピスティルは知っている。蒼介も、何か思うところがあっての言葉だろうと理解できる。
だが、なぜだ? 鷹城一真がこうなる事を予想して強襲蛇蟲を斬ったその理由が皆目見当もつかない。
「とにかく。今は脅威の討伐が先です。こっちも気合入れていきますよハンゾウ」
「はんっ。俺は最初から全開だ。昼寝が足りねえか大根。コイツをさっさとぶち殺して一真の狙いを暴く!」
「憎まれ口叩く元気が残ってるなら、限界まで暴れてきてくださいな」
ピスティルが呪文を唱える。せり上がった岩腕が半蔵の身体を掴んだかと思うと大きく振りかぶって、ぶん投げた。
「……」
蒼介が呆気にとられる中、投げられた半蔵は空中で姿勢を安定させ、触手を数本斬り裂きながら再び蛇蟲の背中に着地した。ああやって上に乗ったのか。
「なんて乱暴」
いつの間にかそばに来ていた若葉が呟いた。それを聞いてピスティルは頬に指を当てて少女のように可愛らしくウインクした。
「名付けて岩腕投法。どんな魔種の懐にも一瞬でご案内、ですよ」
強襲蛇蟲の背中で半蔵は哄笑を上げながら周囲の探険士に聞かせるように声を張り上げる。
「どうしたてめえら何腰引いてんだよ殺せ! たかが二本に分かれただけのクソ蟲にビビッてんじゃねえぞ!」
半蔵は強襲蛇蟲の胴を縦横無尽に駆け、投擲用短剣を足場代わりに次々突き刺す。その上を渡りながら進路上にある職種や皮膚を無差別に斬り刻み続けた。
「かはッ――」
端から見れば危険極まりない。半蔵は極端に攻撃だけに偏っている。自分の身を守ることなんてまるで頭にないのだ。
その仕事はピスティルが全力で担う。ピスティルは半蔵のみを見続けている。彼の一挙手一投足を見逃さず、彼に迫るありとあらゆる障害に目を光らせる。
横合いから触手が襲えば岩腕で庇い、死角に迫るそれを握り潰す。ピスティルは自身の持てる能力全てを、半蔵の盾としている。
彼女の能力を疑う事を、半蔵は知らない。もしも失敗があって半蔵が死ぬならばそれは自分の判断ミスだと割り切っている。その死は半蔵にとって受け入れるべき自然な滅びなのだ。
ピスティルもまた、半蔵の攻撃の気質を否定することはない。彼が死ねばその時は自分の命運尽きるときだろう。彼が立っている間は、どんな恐ろしい魔種だろうが必ず倒してくれる。だから自分は彼を守ることだけを考えれば良い。
互いに互いのただひとつだけの仕事を全うする。それが半蔵とピスティルの在り方だ。
攻撃に狂う半蔵はいつでも思う。仲間なんて作るもんじゃねえ。優秀すぎる仲間なんてものがいるから、俺はこんなに弱ぇ。攻撃しかできない、他の小隊に混ざれば輪を乱し混乱を招く雑魚でしかねぇ、どうしょうもないクズだ。
「だが俺はそんな俺を生き抜いてやるんだよ! だからてめえは俺の刃にかかって死にやがれぇ!」
この身は刃。敵を殺す剣。ただそれだけでいい。
短剣を握る両手を交錯させ、手の甲で撫でながら交互に叫ぶ。
「“刻め”、“刻め”ぇ!!」
起動語と共に両の短剣を振る。交差した軌跡は強襲蛇蟲の巨体を走り、無数の斬り傷を与えていく。その跡から大量の魔素が噴き出し半蔵の身体を打った。
強襲蛇蟲の背で暴れ回り、笑い続ける半蔵の姿は異常だ。
だが、その異常な姿は周囲の探険士たちの逃げ腰だった心を引っぱたいていた。
もう一方の強襲蛇蟲の口を、呪文によって現出した女神が抑え込む。
「二度目はなかなか辛いがッ……抑えたぞ、河本君!」
鷲塚が盾を振り上げながら叫ぶ。背後には青い鎧で統一された小隊の姿がある。
「おうよ! “ブルーシールド”攻撃開始ィ!!」
河本の号令で“ブルーシールド”の重騎士たちが一斉に強襲蛇蟲へと躍りかかった。
各々の武器で触手を薙ぎ払い、強襲蛇蟲の身体へ攻撃をくわえていく。他の探険士たちもそれに続いて攻め立てる。
鷲塚が強襲蛇蟲の口を抑えているからこそ、最大の武器が封じられているからこそ探険士たちは残った勇気を振り絞れる。だが、強襲蛇蟲も黙ってやられるわけではない。
複数の触手が寄り合わさって太い鞭のようにしなり、河本に襲い掛かる。避けられない速度。だが、そこに別の青い鎧が割り込み河本を突き飛ばす。
「里崎!」
「隊長ッ、こいつを……」
青い鎧は砕け散り、重騎士の身体が宙に舞う。最後まで言い切ることなく、離脱の発動によってその姿は掻き消えた。
その向こうでは触手の先端が鋭く研ぎ澄まされ、別の重騎士の鎧を突き砕く光景がみられた。防護を貫き探険士の肩に突き刺さった触手が真っ赤な血に濡れる。振り下された触手に兜を割られた者もいる。
「くそ、このままでは……」
「皆、すまん。十秒だけ……頼む!」
鷲塚が女神の抱擁を投げ捨てた。その行為に誰もが青ざめた。起動型(エンチャントスペル)は魔素を注ぎ込む者が触媒を手にしていなければならない。鷲塚の手を離れたことにより女神の姿は消え去り、強襲蛇蟲が開放される。
鷲塚は背負った巨大戦槌、破砕滅槌を引き抜き、両手に握った。
女神の抱擁、女神の礼服。二人の女神に守られる鷲塚の持つ牙。仲間を守ることに主眼を置く彼は滅多にこの槌を振るう事はない。
二度にわたる呪文起動のあとで果たしてどれほどの威力が出せるかは分からない。が、敵の攻勢を止めるためには楔になる一撃が必要だ。
「“砕け”ッ!」
起動と共に、強襲蛇蟲の口に向けて横薙ぎに破砕滅槌を振り抜く。強烈な音と共に魔種の身体にクレーターができた、かと思うと槌を中心に巨大な紋様光が発生し、槌の面積の数十倍の規模を叩き壊した。
破砕滅槌は半径八メートルの範囲にある石の地面や石樹をも粉々に破壊しながら、強襲蛇蟲の頭部をずたずたに引き裂きながら千切り飛ばした。魔素をばら撒きながらその破片ははるか遠くまで吹っ飛び、石樹に叩き付けられた。
頭部の失われた蛇蟲の断面から噴水のように大量の魔素が噴き出してくる。
「お、おお……!」
「驚いている暇はないぞ……やつはまだ動く。攻撃を休めるなッ……!」
槌を担ぎ、盾を拾った鷲塚の声に探険士たちは走る。
探険士が、剣を、斧を振り上げ、高らかに声を張り上げながら強襲蛇蟲に向けて走る。
彼らとて、危険を好み地下層に挑みかかり、恐ろしい魔種相手に戦う事を選んだ酔狂な人間たちなのだ。戦いのスリルを求める者、大きな障害を乗り越え一攫千金を夢見る者、栄誉と名声を求める者。この程度で尻込みしてしまうようではこの先を戦う資格などない。それを知っているからこそ、武器を手に怪物へと挑みかかる。
「……すげぇ」
蒼介の手が震えていた。半蔵の苛烈な攻撃に、折れる事無く立ち向かう探険士たちの勇気に。この戦いに加われた今この瞬間が、楽しくてたまらない。
その背中を若葉の手が叩いた。
「見てるだけでいいの?」
そんなわけがない。その手に押されるように蒼介は駆け出した。
「ピスティルさん、あなた達のやり方って、すごいと思う。でも、私は高井君と一緒に戦いたいから、行ってきます」
ピスティルが微笑んで見送る。若葉もまた強襲蛇蟲に向けて走り出す。その手に白波杖を握りしめ、胸元の大海の首飾りを感じながら、呪文を唱える。
「水針」
触手を薙ぎ払うには数がいる。呪文改訂された無数の水針が蒼介を追い越して触手を引きちぎっていく。
「やるなぁ深谷。けど、俺だって前のままじゃないんだぜッ!」
走りながら、蒼介は白狼剣の剣身を撫でる。そこに刻まれた呪言語に触れることで詠唱を代行し、魔素を注ぎ込み、呪文が形作られていく。
その剣を握りしめながら蒼介は強襲蛇蟲に突撃した。深谷の手で進路上の触手は排除されている。
「“噛み砕け”!」
白狼剣を魔素が包み込み、ゆらゆらと揺らめく白色の陽炎のようになる。刃を強襲蛇蟲に向け叩きつけると同時、陽炎は狼の牙のように蛇蟲の身体に喰らいついた。
魔素を送り込み続ける限り、敵を喰らう狼の牙。それが浩太郎の仕込んだだ。
剣を振り抜き残る傷跡はまるで大型の肉食獣に喰い千切られたかのようにずたずたになっていた。
「……ははっ、やるじゃん」
手の中の白狼剣を見て口端を吊り上げていると、背中に若葉の背が重なった。
「喜んでる暇ないよ。油断しないで」
若葉は水針で周辺を取り囲む触手を相手取っている。
「でも、いけるぜ。この調子なら」
蒼介の頬が勝利の予感に緩む。おそらくは混成部隊みんながみんな似たような心境だった。
それを打ち砕くような異変が起きた。
不意に目の前にある壁のような強襲蛇蟲の身体が動いた。左から右へ、長い胴体がずりずりと動く。電車の走るのを踏切の間際から見ているようだ。巻き込まれないよう、蒼介は二歩下がる。が、高速で動く壁はわずかずつ蒼介に向けて近づいている。
「なんだ……?」
「クソガキぃぃぃぃ!」
斬り裂くような声は半蔵だ。上を見上げると、蛇蟲の触手を引っ掴んで落ちないようにしている。その姿が胴体同様左へと流れていく。
「こいつはてめえらを押し潰す気だ…………ッ!」
そこまで言ったところで半蔵に向けて八方から大量の触手が襲い掛かった。岩の腕に乗る事で逃がしてもらいながら、半蔵は強襲蛇蟲の胴体の向こう側へ消えてしまった。
「押し潰す、って」
周囲を見る。そして気づく。
蛇蟲の胴体は大きく円を描くように動いている。蛇がとぐろを巻くように、その体で輪を作り、狭めているのだ。そして、輪の中には混成部隊の探険士たちが閉じ込められている。
「自分の身体で俺達を潰す気かよ!」
巨体を活かした強引な罠だ。広い所で多数の戦力で囲み削り取る作戦が、これにより逆転してしまった。
「怯むな! 輪が迫る前に削り取ってしまえばいい!」
誰かが叫んだ。その通りだ。この巨体を維持できないほどの傷を与えればこちらの勝ちなのだ。
だが、それはいつなのか。あとどれほど攻撃を加えれば強襲蛇蟲は倒れるのか。さっきの超魔爆発。あれのせいで強襲蛇蟲には大量の魔素が注ぎ込まれた。こいつは今、満タンとまではいかなくても、まだかなりの魔素を貯め込んでいるんじゃないか。
「うッ、風翼!」
一人の魔術師が背に魔素の翼を得て飛び上がった。飛翔する呪文だ。あれで逃げ出そうとしたのだろう。だが、強襲蛇蟲は読んでいる。空中では無防備になってしまう、その隙を突かれ魔術師の足を何本かの触手が掴んだ。引き剥がそうと奮戦した魔術師だが、触手はあとから何本も魔術師の身体を巻き取り、とうとう力尽きた魔術師は引きずられて胴体の口に消えて行った。
「……」
「……ッ、離脱だぁぁ! 小隊員を離脱させろぉぉぉ!!」
最後の脱出手段。仲間により強制離脱発動。探険士たちが本来の目的ではないはずの仲間に剣を、杖を差し向ける。
「い、いや、この状況で同士討ちなんかしてる場合か!?」
場は混乱の極みだ。蒼介は自分でもよく冷静でいられたものだと思った。以前、若葉に窘められた通りだ。上手く離脱が作動すればいいが、誰もがきちんと隣の奴の触媒残量を量っているとはどうしても思えない。下手すれば探険士同士で死者を出すはめになる。
「“抱け”ぇぇぇぇ……!!」
張り上げた声と蛇蟲の巨口を抱きすくめる女神の姿に全員が動きを止めた。鷲塚は単身うねり進む強襲蛇蟲の眼前に躍り出て、その進撃を止めていた。
にわかな期待感。だが、彼はこの戦いですでにかなりの魔素を消費している。現出した女神も強襲蛇蟲を完全に抑えきることはできず、わずかずつ、石の地面を割りながら鷲塚の身体を押し返そうとしていた。
その鷲塚の隣に走り蒼鋼の盾を突きだしたのは河本だ。盾から防護の魔力紋が浮き上がり、急速に削り取られていく。
「重騎士は集え! こいつを一秒でも長く止めるんだ! 攻撃できるものは全力をもってこいつの頭を潰せぇぇぇぇぇ……!!」
もはやすがるようにして探険士たちは強襲蛇蟲の頭に集う。
そんな中で蒼介は動かなかった。それを不審に思った若葉が視線を向ける。
「…………なぁ、深谷。今さ、俺、すごいこう……なんだ、予感? ていうのかな。ちょっと、思う事があるんだけど」
「言って」
訝しむでも無視するでもなく、若葉は蒼介の言葉を聞いてくれる。
「……。この場で留まって、いつでも最大威力で呪文撃てるよう準備しといてくれ、って言ったら、やってくれる?」
「やるよ」
「……ありがたいけどさ。そこまで言われて、ハズレだったら俺なんて言っていいかな」
あまりにも若葉が素直に頷いてしまうものだから、逆に蒼介が狼狽えてしまう。
「その時はあの大きな口を特大の水針で高井君ごと串刺しにするよ」
「俺もなの!?」
「集中できないから黙っててね」
「…………」
確かに頼んだのは自分なのだが。釈然としない思いを抱えたまま、蒼介は視界の全てに集中する事にした。
触手の草むらとも言えるような密度の中から岩でできた巨腕が一本、天に向けて突きだす。その手のひらには半蔵が乗っていた。
「ちッ、うざってぇ…………ん?」
周囲を把握しようと巡らせた視界に違和感を覚える。灰被りの樹林は一面真っ白な世界で、そこに動く異物、例えば探険士などは目立つのだ。
「ピスティィィィル!」
叫ぶと同時に半蔵が岩の手のひらから身を躍らせる。着地地点に新しい腕が生えて、半蔵は足場代わりにして灰色の地面へと降りたった。
「どこ行くんですか?」
そのまま走り出す半蔵へ追いつき、使い終わった呪文符を捨てながらピスティルが尋ねる。
「鷹城がいた」
半蔵は強襲蛇蟲からどんどん遠ざかる。なんで鷹城一真がそんなところにいるのか。戦闘の最中に弾き飛ばされでもしたのだろうか。
ピスティルは半蔵の走る方向に目を向け、記憶を掘り起こす。その方向には、二股に分裂する前の強襲蛇蟲の尾があったはずだ。
そこは、超魔爆発が発生した場所だったはずだ。
「あっちはいいんですか?」
横目で背後を見やる。強襲蛇蟲は、胴体の内側に囲った探険士たちを喰い尽くそうと蠢いている。
「俺達二人加わっても大勢は変わらねぇ。鷹城の眠気面を引きずり出すかあいつらでなんとかするかだ」
「乱暴な師匠ですねぇ」
「ならてめぇだけでも戻るか?」
「そんな事したら死ぬでしょ斬り刻み狂さん」
「本当の事言うんじゃねえよ傷つくだろーが」
肩をすくめてピスティルは前を向く。半蔵の背だけを見て、走り続ける。