甘
行きつけの喫茶店の紅茶とミルクレープは僕のお気に入りだった。
香りの強い紅茶。ミルクレープの甘いクリーム。
毎日通いたいところを我慢して三週間に一回通うようにしている。(あまり食べると太るから)
店の主人とは随分と仲が良くなり、
僕が『いつものやつ』というと紅茶とミルクレープがでてくる程だった。(一回やったらものすごく恥ずかしかったから今はちゃんと注文している。)
今日はその三週間に一回の日だった。
喫茶店に入り、いつもの店の一番奥のカウンター席に座ると、
入口に近い方の席に見慣れない客が一人座っていた。
この喫茶店は街とは少し離れた所に立っていて、客は極めて少ない。
いつもは僕と、喫茶店の近くの家の老夫婦とたまにくる女の人くらいだと思う。
どうやってこの店を経営しているのか、気になるところである。
店の主人は物静かな人だ。
強面のヤクザみたいな人で、サングラスをいつもしている。
無表情で客の話を静かに聞いて、相槌をうつ。
僕も色々と話をした。
日常の話、政治の話、ゲームの話。
どの話をしても的確なアドバイスをくれる。人生相談なんかしたらいいのかもしれない。
そんな店の主人を僕は心の中でだけ、『剛さん』と呼んでいた。(強そうだから剛さん)
僕はいつものように紅茶とミルクレープを一つずつ頼んだ。
もくもくと剛さんが紅茶を制作している中、僕はあの新規の客に目を向ける。
ボブカットのセーラー服を着た、明らかに高校生か中学生、という少女。下を向いてもくもくとミルクレープを貪ってたまに紅茶を啜っている。(…僕と同じ趣味なのだろうか。)
なんだか表情はむ、としていて、せっかくの美味しいミルクレープが美味しくなさそうだなぁ、と思った。
僕が見ているのに気づいたのか、そのむっとした表情のまま少女がこちらを睨みつけてきた。
僕は慌てて目をそらす。
なんだろう、すごく機嫌が悪いのかな。
そんな事を思いながら、丁度でてきたミルクレープに手を付ける。
…あぁ、美味しい。
僕は今、世界一幸福そうな顔をしてミルクレープをほおばっていると思う。
美味しいものを食べ、好きに生きれるのが人間の醍醐味だ。
すごく恵まれた環境にいる事に感謝した。
少女はまだむすっとした顔をして紅茶を飲んでいる。
こんなに美味しいものを食べているのに彼女は幸せではないのだろうか。
「……さっきからどうして見てくるの」
少女が横目で睨みつけながらぼそっと僕に呟いた。
年齢が若そうな割には落ち着いた声だった。
なんだか本当に不機嫌そうだ。
僕は素直にさっき思った事を言う事にした。
嘘をつく必要もないからだ。
「…こんなに美味しい物を食べているのに、不機嫌そうだから、気になって」
「別に不機嫌じゃない」
「……でも美味しいなら頬が緩むはずだけど」
「貴方みたいに阿呆面して食べてなんていたくないけど」
少女はにまり、と笑み(笑みは笑みでもダークな方の笑みだ。)を向けてきた。
阿保面って…。
僕はミルクレープを食べられる幸せを噛み締めていただけなのに。
「私、表情にはでない方だから」
「あぁ、なるほどね…そうなんだ」
少女の納得できない理由に納得して、僕は一口紅茶を啜る。
すると用事が終わったかに見えた彼女がまた口を開いた。
「…それで、それだけなの?」
私を見ていたのはたったそれだけの理由なの、とでも言いたげな視線だ。
もっと理由はあるはずでしょ、と目で訴えてくる。
「…いや、それだけだよ…?」
それだけに決まってるじゃないか。でなければなんだ。
彼女が可愛いから見ていた、とかそういう理由が聞きたかったのか?
何を言ってるんだろうか彼女は。
今の発言を僕はよく意味が理解できなかった。
「……そう」
少女はそういうと、また紅茶を飲み始めた。(何故か悲しそうな顔に見えた)
僕もミルクレープを食べる作業に戻る。
それにしても見た目はすごく清楚そうな子に見えるのに、中身はすごく腹黒な性格(僕はまだ阿保面と言われた事を根に持っている)だとは。
人は見かけで判断してはいけないなぁと改めて思う会話だったなぁ。
「今、私の悪口を言ったでしょ」
「 !? …い、言ってないけど…」
僕の心の内を読んだのだろうか。
それとも表情にでていてわかりやすいのか。
「…そう」
少女はまた紅茶を飲み始める。
僕はミルクレープの最後の一口までを堪能して、余韻に浸る。
これで、あと三週間は来られないのだ。
あぁ、食べ物を食べても太るという概念がなかったのなら、毎日でもここに来るのに。
こうしてミルクレープを食べ終えて、紅茶に手を付ける。
紅茶の葉はダージリンだ。真っ茶色な液体に角砂糖を二個入れる。
僕は大の甘党なので、紅茶はかなり甘くする。
ふ、と視線を感じるので少女の方を向くと、少女がこちらをかなり凝視していた。
まるで肩に幽霊がいるわ、といいそうな程に。
「な、何見てるの…っ!?」
僕は思わずそう呟く。
「…いえ、別に。阿保面だなんて思ってないから」
「阿保面だと思ったんだね…」
「あら、口に出してしまったわ。ごめんなさい」
「絶対ごめんなさいと思ってないだろ!?」
「そんな事ないわ、心外ね」
少女はむす、とした顔をさらにむすっとさせた。
「私がまるで謝る事もできない貴方以下の存在みたいになるじゃない」
「僕だって謝る事くらいはできるよ…」
彼女の中での僕の評価はどうなっているんだ。
第一印象が悪かったからなのだろうか。
「あら、そうなの」
意外、というように驚く少女。
「なんだか腹が立つなぁ」
僕は口を尖らせながら紅茶を一口飲む。
良い様に彼女のペースに巻き込まれている気がする。
「そうそう、私、今日話があってここに来たの」
「話って…、僕と君は初対面だけど…」
「それがそうでもないのよ」
そうでもないって。
昔、会った事がある、という事だろうか。
「私が小さい頃の話よ」
そう言って彼女は、飲んでいた紅茶を机に置いて話し始めた。
△
「あれは私が小学生の時。
思春期真っ盛りの小学生の私は、少女漫画が好きだったわ。
“高校生”と付き合うという事がステータスになると信じて疑わなかった。
そこは天才の私、早速、獲物を探す事にしたのよ。
私の色気ならいける、と確信していたわ。
小学校の近くには高校があって、そこの校門で男子のチェックをしていたの。
毎日毎日、芋みたいな顔をした男子ばかりで飽き飽きしていたわ。
そんな時、貴方が現れたの。
友達と話しながら歩いていた制服姿の貴方を見た私は雷が落ちたわ。
私は即座に彼に告白をしよう、と決めた。
特訓も何回もしていたの。
毎日会いにも行ったわ。(私が一方的に見ていただけだけど)
…なのに、それなのに!!
貴方は、三年生だったのね…。
そうこうしている内に、貴方は卒業してしまって高校にはいなくなっていたわ…。
もう高校生と付き合うとかなんてどうでもよくなっていた。
貴方の事を忘れる日はなかった。絶対にいつか会えると思っていたの。
貴方が好きだから、貴方と結婚する、とずっと考えていたの。他の誰からの誘いも受けずに。
――それから数年。
大学生になった貴方を見つけたわ。
ここに三週間に一回通っていることも突き止めた。
…今日はね、リベンジをしに来たの」
にこり、―今度は本当の笑みだ――と、僕に笑いかける彼女。
なんだか恐ろしい事実を聞いた。
つまり僕は、ストーキングをされていた、という事だろう。
しかも何年も。急に目の前の彼女が怖くなった。
さっきまでは唯の知らない人だったのに。
「好きよ、壮太くん」
頬を真っ赤にしながら、しっかりと僕を見据えて言ってくる彼女は、
僕の名前をどうして知っているんだろう。
僕は彼女のことは全く知らない。
でも彼女は僕の事で知らない事はないんだろう。
不思議だ。
これは何年越し恋愛なのだろう。
彼女が小学生だからかなり経ってる。
一途な人なんだなぁ。とか、感心している場合じゃないんだろうけれど。
なんだか現実味がなくて、僕自身とは全く関係のない事のように聞こえる。
だって彼女にストーキングされている事は、彼女の口から聞いて初めて知った事実だ。
それまでは全く彼女の存在には気づかなかった。
「返事は聞かないわ、わかっているもの」
「………」
「答えはYesでしょう!」
自信満々に首を縦に振ってうんうん、と頷く彼女。
僕は彼女を刺激しないように出来るだけ、優しい口調で否定をする事にした。
ストーカーはあまり怒らせない方がいいとテレビや漫画では言うから。
「…僕は君のことはなぁーんにも知らない。好きとか、嫌いとか、そういう次元じゃないよ」
「……私は好きなの」
「僕は、…好きじゃない、…かな」
「私は好きなんだから、あなたも好きでしょう!?そうでしょう!?そうよね!?いやそうじゃなきゃいけないのよ!」
少女は席から立ち上がり、狂ったように頭を掻き毟る。
「い、いや、だから…僕はき」
「私は好きなの!!!!好きなのっ!!」
「…う、うん、それはわかってるから、、、でもぼ」
「好きなのよ!!!!」
床に置いてあったよく学生の持つ手提げバックから、小さな灰色に光る物を取り出した。
…ナイフだ。
どうやら怒らせてしまったみたいだ。
一体僕の発言のどこに怒りのスイッチが触れてしまったのかはわからないけれど、
なんだかヤバイ状況になってきたのは彼女の様子を見ると一目瞭然だった。
彼女は持っているナイフを僕の方に向ける。
「私を好きじゃない貴方なんていらないわ、私はこんなに好きなのに」
「…極論だね…」
僕はため息を付きながら彼女を見る。
「調子が悪い玩具なのなら一回壊してから直せばいいものね、ふふふ、ふふ」
…こ、壊す…!?…殺すつもりらしい!
なんとも恐ろしい子だ。
ゆったり、一歩ずつ僕に向かって歩いてくる彼女。
下手なホラー映画より怖かった。(僕は玩具なのか…!?)
僕は店の一番奥のカウンター席に座っていたから、逃げ場もなく唯呆然と座っていた。
唯一の入口には彼女が立っているんだから。
「ふふふ、すぐ良くなるから、ふふふ」
さっきとはうって変わってご機嫌だ。
「ふふふふふふ」
もう眼前に彼女は立っていた。狂った笑みでずっと笑う彼女。
さっとナイフを振り上げる。
「壮太くん、ふふ」
僕は、もうダメだ!と思い、ぐっと目を瞑る。まさか二十代半ばでこんな経験をするとは…!
こんな事ならもっとミルクレープを食べておけばよかった…!
「…店の中では静かにお願いします」
剛さんの静かな声が響いた。
それと同時に、からんっというナイフを手放した音。
僕はゆっくりと、目を開く。
剛さんががっちりと少女の腕を掴んでいた。…た、…助かった…。
「離してよ、壮太くんと私の邪魔をしないで」
「…立派な犯罪行為ですよ」
「私の愛が犯罪行為なんて、…言ってくれるわね」
「彼は迷惑だと思っているようですが」
「…私は壮太くんが好きなのに…じゃあ、一体どうすればいいのよ…」
少女はどさっ、とその場に座り込んで泣き始める。
そんな少女を剛さんは静かに見下ろす。
「新しい恋を探したらいいのです」
「…そんな事無理よ。私には壮太くんしかいないもの…!!」
「さぁ、ここは私に任せて、壮太さんお帰りください」
剛さんはにっこりと僕に微笑んだ。
剛さんは本当に強しさんだったんだ!(ダジャレ)
「…あー、えっと…、じゃあ僕帰ります…」
僕はそう言って紅茶を飲み干した。
こんな時でも僕の楽しみは堪能しておきたかったからだ。(ちなみにきちんと代金はカウンターの上に置いていった)
その後、急いで逃げ帰って今のマンションから引っ越したのは言うまでもない。
後日談。
今もまだ、三週間に一回の楽しみは持続している。
今日はその三週間に一回の日だ。
喫茶店の扉に一番近い席に座る。
どこかのセーラー服少女のせいで奥の席に座るのはトラウマになってしまったからだ。
そのお騒がせのセーラー服少女はこの店で働き出した。
僕の隣の席でにまにまして僕を見ている。怖い。
でも彼女は改心したのか、僕をストーキングはしなくなったみたいだ。
どうやらこの喫茶店にいれば僕に確実に会えるから、らしい。
警察につきだせよ、とも思うけれどそれは剛さんの仁義に反するらしかった。
とりあえず、僕の好きなミルクレープと紅茶は守られた訳だ。
僕はそれだけで良かった。
またこの美味しいミルクレープを食べられるなんて、幸せだ。
2013/08/08(木)に書き終えた小説。
砂糖菓子のようにしつこい甘さの愛のお話。