中学生編
第三章。
9月末
AM5:00目覚ましが鳴る。
さてと起きるかー。目覚ましは3秒以内に止めるのが私の課した自分ルール。だって隣部屋にはパパとママがまだ寝ているのだ。起こしちゃったら可哀想。
ガバっとベッドから起き上がる。カーテンを開けても外はまだ薄暗い。
今日は晴れるのかな?半袖だと今の時間はちょっと肌寒い。この季節はホント悩むわ。
少し考えてジャージの上は置いていくことにした。
契約だから極力着ないとならないんだけどね。階下に降りてゼリー飲料とバナナでエネルギーチャージ。
洗面所で顔を洗い軽くブラッシング。小学生の頃より髪の長くなった私の顔があった。
現在中学3年生。身長は3年前から3センチしか伸びず153センチ。おっぱいばっかりが大きくなっていく。そんなものより私は背が欲しいのに。
ふぅー軽くため息をついてから髪を縛り、これまた頂き物のランニングシューズを履いて玄関を出る。
「おはよう」
「あ、おはよー」
家の前では真吾がすでに軽い準備運動をしていた。
一緒に体をほぐしてランニング開始だ。
私達は中学に入ってから毎朝5kmのランニングをしていた。
「寒くなったね。早いとこ身体動かさないと風邪引いちゃうわ」
「そうだな」
小さく頷く真吾の横顔を見上げる。もはや私を崇拝してた頃の姿はなく和風の締まった顔つきになっていた。
「野球部は来月初めに東日本選抜だっけ?」
真吾はリトルシニアには行かず、軟式野球をやっていた。順調に才能を開花させ中学ではピッチャーで4番をやっていた。
「そうだな。真奈は来月の予定は?」
「来月は月末まで試合ないよ。月末に中牟田杯って選考会を兼ねた試合がある」
「何の選考会だ?」
「来年春のジュニアフェドカップ。ぶっちゃけ私が選考落ちするなんて1万パーセントありえないので!つうわけで伏木真奈ちゃんオーストラリアに行ってまいります!」
ビシッ!敬礼してみると真吾が溜息をつく。
「真奈が世界で戦うって時に俺は東日本どまりか。差は開いていく一方だな」
「いや世界つってもアジア・オセアニア予選だよ。野球はさ競技人口多いし、しかも日本の中学一って世界一じゃん。何より団体競技だし、真吾がテニスやってたら絶対日本一取れてたよ」
そうなのだ。とにかく日本は野球人口が多い。スポーツで優秀な子供は全て野球をやってるような状況なのだ。小中高の日本一はそのまま世界一といえる。
「テニスやってあいつの影に怯え続けるのか?それは御免だな」
ああそういえば、一学年下に怪物くんが居ましたね…
「そろそろダッシュな」
私達は5kmをゆっくり30分掛けて走り、最後の〆で100mをダッシュをしていた。
「じゃあ、学校でねー」
「ああ、またな」
真吾はこれから学校行って朝練だろう。中学野球を引退しても野球人生が終わるわけじゃないのだ。
さてと現役の私も負けてられないな。家に戻って体幹トレーニングをしなくては。
AM6:00
リビングでバランスボールを使ったストレッチを始める。腹筋背筋脚部のインナーマッスルを鍛えるのが目的だ。
使い方によっては腕の体幹トレーニングも出来るのだが、腕は変な鍛え方するとテニス選手として取り返しがつかないため、トレーナーの居るクラブでのみ行なっている。
「お前胸でかくなったよなぁ」
仰向けに寝て脚部のトレーニングをしてると声がかかった。
こんなこと言う奴はうちに一人しか居ない。パパが起きてきたのだ。
「なぁに?朝の挨拶もなしにいきなり娘にセクハラ?とんだ変態オヤジも居たもんね」
「いいじゃねーか家族なんだし」
「いいわけないっしょ!普通の父親は、朝から娘のおっぱいに欲情しないんだってば!」
「してねーし!ちょっとエスプリの効いた挨拶しただけだし!」
「もう、朝からうるさいわねー真奈どうしたの?」
「ママおはよう。あのね。そこの野獣がなんか発情期みたい」
「あら、でもパパが発情してるのはいつものことよ。昨夜だって」
クスクスっとママが笑う。いくつになってもママは可愛らしい。発言はとんでもないけど。
「やーめーてー頼むから俺から家長の尊厳を奪わないでぇぇ!なんなのお前ら?そんなに俺が憎いの?」
パパは相変わらず阿呆だった。
「あーわたしもパスパス!やっぱアレだわ。朝から生々しすぎるわねママ。んじゃちょっとシャワーしてくるねー」
AM7:00
シャワーを軽く浴びてリビングに戻ると朝食の準備が出来ていた。
「いただきます」
毎日の事だが改めてママに感謝だ。
ちなみに私は家事の手伝いを殆どしない。そりゃ土日やオフの日は手伝ったりするけど同年代の娘たちからするとかなり少ないはずだ。
いや、山川やっていた時代一人暮らし歴10年なのでママみたいに上手には出来ないけど、それなりの物を作ることは出来る。
山川時代。とても懐かしく感じる。
昔はもっと山川的な物の考え方が出来た。でも第二次性徴が始まった頃から徐々に山川的な考えが出来なくなってきた。もちろん山川の記憶が消えた訳ではない。
私の自我と山川の記憶が混ざった状態。それが今を一番よく表せているのかもしれない。
パパも気づいているのだろうか?今度話してみよう。
「真奈?」
「う、え?なに?」
「何じゃないわよ。パパもう行っちゃったわよ。アナタも遅れるわよ。早く食べちゃいなさい」
「はーい」
私は急いで残りのご飯を食べだした。
7:50
「行ってきまーす」
学校までゆっくり歩いて20分の距離だ。普通に歩いても15分。
始業は8:25なので日直でもなければ、もっと遅く出てもいい。私が5分早めに出るのはちょっとした理由がある。
「あ…」
学校まで短い直線残すだけの交差点で、私は小さく呟いてしまった。
時間をずらしていた理由に遭遇してしまったのだ。
向こうも同じ気持なのだろう。阿久津勇太が少し困った様な顔をしていた。
「おはよう伏木さん」
勇太の隣に立つ女生徒が挨拶をしてきた。
「北条さんおはよう」
私は勇太の彼女と噂されるクラスメートに挨拶をした。北条亜希子は私から見てもスラっとしたかなりの美少女だった。チビな私とは対照的だ。
勇太もまだ幼さが残るが、ずいぶんとカッコ良くなってきた。しかも身長はすでに175は超えているのだろう。顔を見るのに見上げ無くてはならない。私よりチビの生意気なガキはもう居なかった。
「伏木さんって早いのね。いつもこの時間なの?」
「まあね。ほら私って早起きだからさ。時間余っちゃって早めに学校に来てんだ」
「へー何時に起きるの?」
「ん?5時」
「え?朝型で勉強してるとか?」
勉強か…やっぱ普通はそう考えるよね。私うちで教科書一度も開いたことないけど。山川やってて良かったよ。
「トレーニングだよ。俺も5時半に起きて5km走って筋トレしてる。真奈も似たようなもんだろ?」
「うん。大体一緒」
「えええ?毎朝5km走ってその上筋トレしてから学校来てるの?」
「うん。そう」
「ああ、更に言えば二休五勤で17:00-20:00まで壊れるくらい練習する。だからデートする暇がないのさ。判った?亜希子先輩。じゃ俺はここで」
勇太が昇降口で軽く手を上げる。
勇太の口からデートと言う単語を聞いてモヤモヤする。はーっやっぱ付き合ってんのかな?付き合ってんだろうな。いや、私には関係ないんだけどさ。
「勇太くんって頑張ってるんだなぁ。ああ、もちろん伏木さんも」
北条さん顔を赤らめてます。恋する乙女だね。とってつけたように私を追加するのは止めて欲しいよ。
「日本一なんだよね?」
「うん。あたしは一応だけど」
そう。正直今年はギリギリでフルセットの戦いが増えた。決勝なんかはタイブレークまでもつれ込んだ。山川の魔法が切れて周りに追いつかれつつあるのが今の私なのだ。
一方勇太は中学に入って爆発的に才能を伸ばしていた。全中で1セットも落とさずに完全優勝を果たす程に。
教室についても北条さんは私を離してくれない。
「勇太くんとの付き合いはいつ頃から?」
「私が小学校三年の時だったかな。それから二人で一緒に練習してた。あ、もちろん今は違うよ?クラブは一緒だけど練習は別にやってる」
キーンコーンカーンコーン。
やっとチャイムが鳴った。これで開放される。と、思ったのだが、去り際北条さんが言った。
「伏木さん。私テニスのこと色々勉強したいから、これからも教えてくれる?」
「うん。もちろん」
ってつい答えてしまったよ。ホントは関わりたくないのに。
13:20
「朝、北条に捕まってたな?」
「見てたの?テニスの事って言うか勇太の事を色々聞かれたよ」
お昼休み。私は真吾と教室の隅でボソボソ話してた。
「北条が阿久津を?何故?」
怪訝そうな顔をすんなよ。何であんたは朴念仁なんだ。
「付き合ってるらしいよ」
「らしいってお前は聞いてないのか?阿久津に」
真吾が驚いた顔をする。
「聞けるわけ無いじゃん!」
「そうか。言われてみれば最近ギクシャクしてる感じがしてたな。なあ、なんで阿久津と急に仲悪くなったんだ?」
「それは…」
言えなかった。こんな恥ずかしいこと真吾には言えない。
原因は判っている。
私は勇太に勇太の才能に嫉妬しているのだ。
我ながら浅ましいと思う。でも羨まずにはいられなかった。
なんで勇太ばっかり大きくなるの?なんで私はチビのままなの?ズルいよ。
テニスは身長が大きなウェイトを持つスポーツだ。
リーチが長ければそれだけ守備範囲が拡がる。サーブの打点も高くなる。20センチううん10センチでもいい。背が高ければ私だって自信が持てるのに!
私は勝つことがどんどん難しくなってるのに、勇太はどんどん先に進んでしまう。その差はもう追いつくことが出来ないくらい開いていた。
それで私は勇太から距離を置いたのだ。一緒に居るのがとても辛かったから。
「真吾にも言えないよ。ううん真吾だから言えない」
顔を伏せた私の頭を軽くコツンと叩く。
「なら無理には聞かない。話したくなった時に話してくれればいい」
真吾が小さく笑った。はぁぁやっぱり真吾と一緒に居ると心が落ち着く。持つべきものは幼馴染だよねー。
「伏木さーん。ちょっといい?」
せっかく心がぽかぽかしてるのに、私を呼ぶ声が聞こえた。
「ん?なあに北条さん」
すっと真吾が離れていく。酷い。置いてかないでよ。
北条さんは真吾を見送ると口を開いた。
「伏木さんって菱川君と仲いいよね?付き合ってるの?」
「仲はいいけど付き合ってないよ。家が隣なのよ」
「ええ!幼馴染なの?知らなかった…」
「そうだよー真吾に野球を教えたのは何を隠そうこの私です」
「えーほんと?」
「うん。幼稚園の頃ばしばしボールぶつけてた。あいつ『マナちゃん捕れないよー』とか半べそかいてた」
「あははははっ!菱川くん可哀想」
「あの頃は可愛かったのよ。今じゃ武士みたいな顔だけどね」
「そうなんだー」
ひとしきり彼女は笑うと、急に綺麗な顔から表情を消す。
「なら盗らないでよね?」
ボソッと北条さんが囁いた。
盗らないよ盗れないよ。私には眩しすぎるもん。
16:00
「伏木ちょっといいか?」
終礼が終わると担任に呼ばれた。
「何ですか?先生」
「進路希望だが、お前だけ志望校書いてないんだ」
「あー適当ってことで。一般入試で適当に入るつもりです」
「特待は受ける気ないのか。なら大宮とか受けたらどうだ?お前の成績なら十分狙えるだろ?」
「あはは!私に進学校行きを勧めるのは先生だけです。バレたら協会やスポンサーに刺されちゃいますよ?私はどっか適当に潜りこんでテニス続けます」
「そうか。では進学組にしておくな。志望校は俺が勝手に選んでいいか?」
「ええ、お願いします」
あー時間食っちゃったな。
校門までダッシュしてOTCのマイクロバスに乗り込む。
「遅くなってすいませんでした!」
勇太は先に来ていて、何か言いたそうな顔をしていた。
何も言わないで。
思いが通じたのか勇太は黙ったままだった。
離れたところに座り、将来のことを考える。
高校か…そろそろ真面目に考えないとね。テニス一本でやっていける自信は全くない。ここは初心に帰って弁護士を目指した方がいいのだろうか?
それなら高校もちゃんとした進学校に行かないと駄目だし、進学校に行ったら今のテニス漬けの生活なんて無理に決まってる。
判ってる。テニスを捨てればいいのだ。当初の予定ではあくまで受験の体力づくりの為、テニスを始めたに過ぎないのだから。
でもU-16ランキング1位の選手が突然「弁護士目指すのでテニス辞めます」こんなの誰も許しちゃくれない。私の育成には国からもお金が出ているのだ。このまま辞めたら非国民扱いされる。
私だって、他人事だったら絶対にその人を引き止めるし。
うーん。
答えが出ないよ。苦しいよ。
17:00
「よーし!アップ終わった順にコートに入って」
松本コーチが指示を出す。
「今日は試合形式でどんどんやるよーマナ!入って」
「はい!」
OTCのAコートはプロを目指すジュニア選手の練習場だ。私はAコートで高校生と一緒に練習している。
Bコートが小中のトーナメントクラスだけど、さすがに今居る県レベルの中学生とじゃ練習にならないしね。
OTCに全国区の高校生はいないけど18歳以下の県レベルは何人か居る。
二歳上だとまずパワーが違う。そしてプレー全体が戦略を持つようになってくる。
どちらも私には欠けているものだ。
パワーはともかく、なまじキセキの右手と称されたリストの強さとタッチセンスを持っていた為、戦略眼などがまるで育っていない。
小学生の頃なんか、ベースラインで球種を変えて打ち返すだけで勝手にみんな自滅してたからね。
今だってそれは大して変わってない。
明確に足りないものが判ってるのだから、まだまだ私には強くなれる。そう思ってる。
「マナ!ドロップに頼らない!何度も言わせないで!」
うーまた怒られた。いや、判ってるんだけどさ。右手が疼くのよ。
「サイドスピン使いすぎよ!もっと前後に動いてコートを広く使って」
「集中して!漫然とラリーを続けない!一球一球に意味を持たせて!」
松本コーチ小言が増えてきたなよ…もう歳なのかな。
21:00
「ただいま」
「おかえりなさい。おつかれさま」
ああ、ママの笑顔に癒される。ふう、今日も疲れたよ。
「着替えてきちゃいなさい。ご飯用意しておくから」
「はーい」
部屋着に着替えて夕食を済ました私は、ここ数日頭を悩ます問題を口にした。
「ねえママ、私がテニス辞めたいって言ったらどう思う?」
「辞めたいの?」
「自分でも判らないの」
「そう…」
手にしてたお茶をすすりママが言葉を続ける。
「私はね真奈がテニスをしている姿を見るのが大好きよ。自分より大きな子達を薙ぎ倒して行くあなたの姿を見る度に勇気をもらえるの。私も頑張ろうってね」
「そんな風に思っててくれたんだ。ありがと」
「だから私はあなたにテニスを続けてほしい。これが私の気持ち」
ママがそっと自分の胸に手を置く。嫉妬するほど絵になってるよ。
「うん」
「でも一番大事な事は真奈がどうしたいのか?」
「そのどうしたいのかが判らないの」
「あなたは難しく考えすぎるのよ。もっとね女はシンプルに行くべきよ!」
小さくガッツポーズして微笑んでる。ん?どういうこと?
「好きか嫌いか。男もテニスも世の中なんでもこれで決めていいのよ」
「え?後悔しないのそれ?」
「私はしてないわよ?パパを選んだのだって後悔してないし」
それは後悔したほうがいいと思うよママ。
まー確かに難しく考えてたとこはあるよね。ふむ。
「今夜パパ貸してくれる?頭整理するのに使いたいの」
「いいけど壊さないでね」
「え?なんなのその『おもちゃ貸してよ?』みたいなやり取り?俺の取り扱いなに二人で決めちゃってるの?俺の意思確認なしなの?お前ら中世の奴隷商人かなんかなの?」
「ありがと、ママ。じゃあお風呂入ってくるね」
「私は上で仕事してるから、何かあったら呼びなさい」
「あるぇぇぇ?ひょっとして思いっきりスルーされちゃってる?俺見えない人なの?どおいうこと?俺いつの間にか電車に轢かれて黒い玉に呼ばれちゃった?これからネギ星人とか出てくんの?」
21:50
お風呂から戻るとパパが拗ねていた。牛乳を片手にソファーに座る。
「ちょっとしたジョークじゃん!拗ねないでよ。あ、お風呂に誘われなかったから拗ねてんの?やらしー!」
「俺さ、腹筋割れてる女嫌いだから」
「な!何で知ってんの?まさかお風呂にカメラ仕掛けたりしてる?」
「お前、自分の載ってるカタログ見たことないの?今年のプリンスのカタログでラケット振ってる写真へそ丸見えだったぞ」
「良く見てんね。そんなとこまで…」
「いや、前ねネットのまとめサイト見てたら『腹筋割れてる少女に萌えるスレ』とかあったのよ。何の気なしに開いたらお前の画像載っててさ、マナたんの腹筋ペロペロとか書いてあるわけよ。親としてさすがに微妙な気分になったわ」
脇腹の当たりに寒気がしたわ。
「キモッ!ペロペロって聞いてこの辺がゾゾゾってきたよっ!」
「だから将来はソフトオンデマウンドと契約して、『現役トップアスリートが脱いだ』にでも出ればいいんじゃね?」
「うんうん斬新だね。娘にAV出ろって言う親なかなか居ないよ?ちょースゲー」
「あながち冗談じゃないんだけどな」
バーボンをちびちび飲みながらとんでもないことを言ってくれる。
「は?怒るよマジで?」
「まあ聞けって。お前の悩み聞いてないけど大体判ってるつもりだ。進路とかそういうレベルじゃなく人生設計の話だろ?」
「うん」
「そして今重大な岐路に立っている。と少なくともお前はそう考えて混乱している。違うか?」
「そのとおり。うん混乱してる」
「混乱している事はとりあえず置いておく。だから原点に戻ろうぜ?お前が弁護士目指そうと思ったのなんで?」
「純白のメルセデスとプールつきのマンションで最高の女とベッドでドンペリニヨン」
「そこで浜省なの?いや俺も好きよ?でもパパびっくりしてるよ!まじめな話してたら茶化されちゃったから」
「いやいやいやいや根底はこれなのよ。ほんとに。その堅実路線バージョンが弁護士狙いだったってだけ」
「つまり上は見たらキリないけど、最低でも弁護士レベルの収入が欲しいって訳ね。改めて言葉にするとトンデモネー事言ってんなお前!」
「あはははは」
「でもお前なら簡単に出来るぞ?それ」
「え?」
びっくりして牛乳吹きそうになったよ。簡単にできんの?
「アレだけ入れ込んでたテニスに迷いが出てきたのは、このままではTOPランカーになれないと思ってるからだろ?」
「知ってる?シャラポアの年収22億なんだわ。まあそこまで行かなくても4大大会でシード貰えるぐらいにはなりたかった」
「悩みの原因は身長か?」
「うん。パパもママも小さくないし五歳から栄養管理して節制したから絶対背が伸びると思ってたのよ。ところがどっこい遺伝したのはココだけよ」
おっぱいをムニュムニュしてみる。
「夢はシャラポアとか言うと馬鹿みたいに聞こえるけど、小学生の頃私大きかったじゃん?高身長とこの黄金の右があれば世界取れると確信していた。でも伸びるはずだった身長は伸びなかった。確定的な未来と考えてた分だけ、失望がすごい大きかったの」
偽らざる本心だった。あまりに傲慢なので今まで誰にも話したことがなかったけど。
「判った判った。ともかくテニス続けろよ」
今、コイツすげー興味無さそうに言ったよ!
「は?」
「ここで序盤の話に繋がんだけど、お前はさこのままやってれば普通にプロになれるんだよ。いや判ってる判ってる。平凡なプロかもしれない」
口出そうとして遮られたし・・・確かに国内のツアー選手にはなれる。多分今でもなれるだろう。テニスの世界は複雑に出来ており、簡単に言うとグランドスラムを頂点とする世界中の大会を廻りWTAのポイントを稼ぐワールドツアーと、その下部組織であるJTAが主催する国内ツアーがあるのだ。
でも、私のテニスにおける夢はあくまでWTAツアラーだ。国内など考えたことすら無かった。
「んで?」
水を得た魚というか立て板に水とばかりにまくし立てる。なんか怖いよこのおっさん。
「平凡なプロでもそれなりに稼げる。んでな、お前ぶっちゃけ可愛いんだよ。おっぱい中学生なのにDカップ?マイクロボディーで腹筋割れるぐらいウェスト細いしケツでかいし、すっげぇエロい体つきしてるよな。待て待て待て待て話は最後まで聞け!殴るな!蹴るな!
普通にプロやってても引退したら、間違いなくTV局からスカウト合戦になるよ。更にお前しゃべり上手いじゃん。あっという間にお茶の間の人気者だよ。いっそ高校行かずプロになっちまえ!」
まさに得意満面。話し切ったパパは『俺すごい事思いついちゃった。褒めて褒めて』と全身で訴えてるようだ。
こいつ・・・ほんとに馬鹿なの?どこの世界に弁護士志望の娘に、中卒バラエティータレント勧める親がいるんだよ!
「何その崖っぷちみたいなライフプランは?それに不確実な人気商売はやだって前も言ったじゃん」
「バクチは打たない。堅実な人生狙いだからだよな?だがこのプランかなり成功率高いんだよ。改めてお前と話してて気づいた事がある」
「なによ?」
「お前ってテニスに対しては冷静に見れてるが、自分の容姿に対して過小評価しすぎ。なんで中学生なのにスポンサー契約してくれる企業が何社もいると思ってんの?何で中学生なのにカタログモデルのオファーが来るの?理由考えたことないのか?」
「学生テニスで無敵の女王だからじゃん。言うほど可愛いか私?」
「そりゃなアレだ。もちろん国民的美少女とかとは勝負になんねーよ」
けっ!当たり前だろこの小娘がって蔑みの目をしてます。このおっさん。
傷つくだろうフツーに。
「だ、だよね?」
「だけどテニス強いのにそのルックスってのはな、弁護士の生涯年収以上の商品価値があるんだよ。セットで考えろ。分けて考えるな」
そこで得心がいった。お?意外に考えてるじゃん。
「あー、ぜんぜん可愛くないのにバレーで何とか姫とか言われちゃったりする感じ?」
「そう。美人すぎる○○とかな。という訳でお前はテニスを続けろ。小さい体でデカイ敵を倒す技を考えろ!日本人そういうの大好きだから。大喝采間違いなしだから!」
「猫騙しと八艘飛び覚えればいいかな?」
「それ相撲だから!テニスでやっても効果ないから!まあいいや、お前今度の休みにでも野球君とデートしてこい」
ぶほぉ!やべっ鼻から牛乳でたよ。どういう話のつながりなのよ?
「ごほごほっ意味分かんなよ?なんで?」
「なるべく派手な格好していけよ?」
「だからなんでなのよ!」
「堅物の野球君が着飾ったお前を見てどういう反応するか?すれ違う男の視線はどこ向いてるか?こういうの身を持って体験してこい!大体最近のお前弱々しくって見てらんねーよ。エネルギッシュだったガキの頃の自信を取り戻してこいよ」
え?最後いい話で丸め込まれた感満載なんだけど?これって一理あるのかな?
とりあえずもう寝よ。
こうして私の一日が終わった。
OTC練習場
「真奈ちゃん。今ちょっと大丈夫?」
振り回しから開放されてゼーゼー肩で息をしてると声を掛けられた。
「は、はい。あ、こんばんわ」
振り返ると阿久津夫人が立っていた。いわゆる勇太のママだ。
「ごめんね練習中に。でもすぐ済む話だから」
申し訳無さそうにしているけど自分の主張は通す。勇太ママはそんな人だった。
うちのママとは結構仲良しだ。押し通す勇太ママとのらりくらりと躱すうちのママの会話は聞いてると結構スリリングで面白い。
「別の人が振り回しやってるから、少しなら平気ですよ。どうしたんです?」
「勇太のことなんだけど。来年からNBTAに留学させようと思ってるのよ」
「凄いですね。いや、たしかに勇太にとってはその方が絶対いい」
NBTAとはフロリダにある国際テニスアカデミーだ。勇太はすでに国内では同世代に敵が居ない。でも、世界中の有望ジュニアが集まるNBTAならきっと勇太とやりあえる同世代の子がいるだろう。切磋琢磨なくして更なる成長はない。テニスの事だけ考えれば間違いなく行くべきだ。
「そうよね。真奈ちゃんもそう思うでしょ?でもね勇太が物凄く嫌がってるの」
「変な話ですね」
寝ても覚めてもテニスの事しか考えてない勇太なら喜んでいくはずなのに。
「やり残した事があるからまだ行けない。の一点張りなの。そのやり残した事については話してくれないの。もうおばさん困っちゃって」
やり残した事?まあアメリカ行っちゃったら日本のジュニアランキング稼げないし、なんかの国内タイトルかな?インターハイで団体優勝とか?うわ似合わねー。先輩に逆らって殴られそうだ。まあ、私らにとってインターハイ優勝なんて、殆ど意味が無いから多分違うだろうけどね。
「それでね。おばさん閃いたのよ。真奈ちゃんも一緒にNBTA留学しましょう」
うへ?何言ってくれちゃってんのおばさん?
「ほらあの子小さい頃からずーっと真奈ちゃんと一緒にやってたでしょ。だからきっと離れるのが嫌なのよ。真奈ちゃんが一緒ならきっと大喜びして行くはずなのよ。真奈ちゃんだって日本に敵いないし丁度いいんじゃない?」
「いやぁ、それはないですよ。最近あんまり話してませんし、それに勇太彼女出来たみたいですし。きっと彼女と離れたくないんじゃないですか?」
北条さんの顔が脳裏に浮かぶ。
「あら、あの子に彼女なんて居たんだ。あの子家じゃ何も話してくれなくて。それじゃ真奈ちゃんとのことはおばさんの勘違いだったのかしら?じゃあ、悪いけどあの子を説得してくれない?付き合ってる彼女とNBTA行きを天秤にかけるなんてどう考えてもおかしいもの」
関わりたくない気持ちもあるけど、こればっかりはおばさんの言うことが100%正しい。私らは学生らしい男女交際なんて出来る立場ではない。私らは小学生の時からJTAジュニアナショナルチームメンバーとして国の期待を背負っている。デビスやフェドそしてオリンピックで戦い優秀な成績が期待されている。付き合ってる彼女がいるから成長のチャンスを捨てます。そんなことは絶対に許されないのだ。
「判りました。ちょっと勇太と話してみます」
「お願いね真奈ちゃん」
なんとか機会を作ってみるか。
土曜日9時50分私は駅前に居た。
真吾との待ち合わせだ。結局パパの口車に乗ってしまったのだ。
黒の肩空きTシャツに白地のキャミに黒レースのティアードミニ足元は厚底のウェッジソールサンダルだ。我ながら露出高めに頑張ってみたのだ。
そして極めつけは、伏木真奈ちゃん生まれて初めてプライベートで化粧をしてみました!
いあ、ママにやってもらいました。だってどうやったら良いか分かんないもん。
崩れたらどうやって直すかも教わった。
もちろんブローも念入りにしてある。
うわ、なんか私ったらテンションやたら高い。
うん?結構チラ見されてるね。
さっきからウロウロ私の周りを行ったり来たりしてる男が数人いる。
何これ?ひょっとして私これからナンパされちゃう訳?
『ごめんねー待ち合わせしてるからー』
とか言えばいいのかな?
ヤバイヤバイ初体験の連続だわ。
「真奈またせた」
真吾の声が聞こえた。
急いで振り返り、私はそこで固まってしまった。
真吾も私の顔を見て固まってる。
「なんでアンタはジャージなのよ!!!!!!!ちょっとありえないんですけど!何なの?デートでジャージ?どこに行くにもジャージ着んの?アンタは体育の先生なの?首から笛ぶら下げてる?もー最低だよっ!」
『そうだそうだ!彼女カワイソーだぞー』ってヤジが聞こえる。
「映画見るだけなんだから別にジャージでいいだろ?」
『えーっそりゃないよ彼氏ー』辺りはブーイングの大合唱。
「う…ヒドイよ…」
「悪かった真奈。すまん。俺が無神経だった。だから泣かないでくれ。せっかく綺麗にしてるんだから勿体無い」
照れもなしに『綺麗』とかいうのってズルいよね。
なんか気分良くなってきたぞ。
「ん…許すっ!なのでちょっとこっちに来なさい!」
近くのカジュアルショップに引きずって行く。
「すいませんーん。このジャージ男に適当な服見繕って下さい」
「あ、はい。ご予算は?カジュアル系にまとめる感じですか?」
「予算は適当でいいです。そーですねーガイアが俺に囁いてるって感じで」
ぶぉっ!
わーい。店員のオニーサンにウケたウケた。
「真奈、俺そんなに持ってきてないぞ?」
「え、いいよいいよ私出すし」
「悪いだろう。さすがに」
「いいの。メジャー行ったら100倍にして返してくれればいいよ」
「判った。済まないな」
神妙に真吾が頭を下げる。ほんと根は良い奴なのだ。抜けてるけど。
「どうですか?彼女さんから見て」
青系のアンダーに白地の七分袖のアウター茶系のボトム。
無難な組み合わせで、さわやかな印象が真吾にピッタリだった。
「いいですねーこれでお願いします。このまま着ていきますね」
〆て22400円也、まあこんなもんでしょ。
あとは着ていたジャージを私のトートバッグに仕舞って…
「くさっ!汗臭っ!すいませーん袋下さい」
袋詰めしてからバックに詰めて店を出た。
「これからどうするんだ?」
「次の上映時間まで間があるから、そのへん歩いてどっかでお昼食べましょ」
「ねー真吾、今日の私どうかな?」
「いつもと違って見える。とても似合ってると思う」
「ほーっそれは嬉しいね。ありがと」
意識すれば、すれ違う人の視線を感じる。成る程、パパの言ってた事はこー言うことか。
まず私の顔を見て、次に真吾の顔を見て、最後に上から下まで私を見る。たまに胸を凝視している人もいる。
あはは、胸凝視してた今の人、彼女にひっぱたかれてる。
それってあの彼女が私に嫉妬したってことだよね?間違ってないよね?私は可愛いと自信を持ってもいいんだよね?
「ねー真吾。パスタでいい?」
「ああ、構わないぞ」
「んじゃここにしましょ」
雰囲気の良さそうなイタリアンレストランに入ると、カップルだらけだった。
食事が来るとすごい勢いで真吾が食べ始める。
体育会系の男ってこんなに食べんの?大皿パスタとラージサイズのピザ一人で食べるとは思わなかったわ。
「真吾ってすごく食べるようになったのね」
「まだ食べられるぞ」
「いや、もういいよ。見てるこっちが…」
私も下手な男子より食べる方だけど、ここまではねぇ。あ、そうだ真吾にも聞いてみよう。
「ねえ、真吾。わたしこの店に居る他の女の子と比べてどうかな?」
「少なくとも負けてないと思う。だが、どうした?今日の真奈は普段と違いすぎるぞ?見た目もそうだが話すこともそうだ。何かあったのか?」
「実はパパに『女を経験してこい』って言われててね。どーも私は女としての自信があんまりないらしい。テニス漬けだったからだけど。でね今日は頑張ったんだよ。だからさー気になっちゃうんだよね。他の女の子達みたく可愛くなれてるかなーって」
最後の方はゴニョゴニョ小さな声になってしまったのだが…
「そうか。じゃあ、訂正する。誰よりも可愛いぞ」
事も無げに真吾が言う。
「あっ…うん…」
顔から火が出るかと思った。あはは凄いな。こんなにドキドキするんだ。これさ、好きとか言われたらさ、どーなんの?
「わたし、お手洗い」
つい逃げ出しちゃったよ。メイク直さなきゃ。綺麗にしとかなきゃね。
それからの記憶があまりない。
映画は見た気がする。真吾と映画の感想を話してる時も上の空だった。
そして通りを歩いてる時、私は重大な決断を迫られていた。
腕組んで良いのだろうか?
いや、待て。手を繋ぐのが先じゃないのか?
子供の頃は手をよく繋いでたなー
それを言ったら私、ほっぺにキスしたことあんだよね。
よく出来たなー思い出しただけでも恥ずかしくて死にそう。
その時、結婚の約束をしたよね。
今言ってみようか?真吾覚えてるのかな?
でも忘れてたら悲しくない?私ピエロじゃん。
それにこっちから誘ってるようでヤダ。もう!なんで真吾がリードしてくんないの!
真吾が手を引いてくれれば嫌がったりしないのに。この鈍感唐変木。
幼馴染って腕組んだりしていいのかな?
付き合ってないとダメなのかな?
いいや、やってしまえ!
ギュ!
うへへへ、ヤバイ脳内麻薬出てりゅぅぅぅ。エンドルフィン…ドーパミン…
こんな事で幸せな気分になれる自分のお手軽さにビックリだよ。
「あっ!」
ビクゥゥ!体に震えが走った。幸せな気分が一気に冷めて暗い気持ちになる。
目の前に腕組んで歩いてるバカップルが居た。
阿久津と北条というバカップルがっ!
なにあの女?雌犬なの?ハアハアして男の腕にぶら下がってみっともない。
あら、よく見ると大したことないのねこの女。私なんでこの女のこと美少女だと思ってたんだろ?私のほうが可愛いじゃん。成績だって学年トップだしテニスだって日本一だし。
勇太なんでそんな女連れてるの?駄目じゃんアンタは日本テニス界の至宝なんだよ。こんなところでやっすい女とじゃれあってる暇はないはずだよ。マイアミ行かなきゃダメでしょ?そんな女とっとと忘れてアメリカに行きなよ。
「よう阿久津久しぶりだな!北条も。お前らもデートか?」
快活な声を聞いてハッとした。今私とんでもないこと考えてなかった?さすが真吾!空気の読まなさっぷりで私を救ってくれた。
「こんにちわ。菱川くん伏木さん。二人でお出かけ?」
勇太ってば会釈だけ?
「ああ、映画を見た帰りだ。真奈がどうしても見たいって言ってな。二人で行ってきた」
そう言って私の肩を抱き寄せてくれる。あーなんか全てがどうでも良くなってきた。幸せすぎるよ。
「ちっ!」
鋭い舌打ちが聞こえた。
「そうだったんだ。相変わらず仲良しね。バイバイ」
北条さんが勇太を引きずるようにして去っていった。
「真奈、大丈夫か?」
「え?何がぁ?私幸せだよ」
風に乗って真吾の汗の匂いがする。凄くいい匂い。
オスの匂い…たまんない。真吾が望む事ならなんでもしてあげたい。なんでも言って…
この時の私は真吾が何を考えて尋ねているのか理解できなかった。
月曜日 教室
「伏木さん。土曜日はラブラブだったね~普段はお化粧してあんな可愛くしてるんだ?それとも菱川くんの前だけ?」
「滅相もない。いつもはジャージ女子っす。この前は調子に乗ってましたっ!」
このところ北条さんとよく話すせいか苦手意識は無くなっていた。彼女も普段群れてるグループから離れてたびたび話しかけてくる。
「ねえ伏木さん。デビスカップってなんだか判る?」
これは・・・勇太から聞いたのかな?
「国別対抗戦。国代表の3選手で戦うの。男子がデビスカップ女子がフェドカップ」
「オリンピックみたいなものなのかな?」
「ワールドカップのテニス版って言った方が判りやすいかな。アジアオセアニア予選を経て本戦って感じ」
「国対抗だと大人の大会だよね?勇太君も出れるの?」
「デビスカップジュニアって言われるU16とU12があるからそっちだね。それの選考会が福岡で今月末に開かれて来年春に今年はオーストラリアで予選開始、来年の秋に本戦。順当に行けば勇太は来年春はオーストラリアだろうね」
「伏木さんも?」
「そのつもり。カンガルーと戯れてくるわ」
「凄過ぎて想像が追いつかない。勇太君とか伏木さんって当たり前に世界の話するよね」
小さく溜め息をついて、北条さんが不安そうに見る。普通の中学生の北条さんからすれば思考の枠外の話だろう。彼女が、勇太と付き合っていけるのか不安になるのも当然だ。
チャイムが鳴り一現目の授業が始まった。現国は読めるけど書けない漢字が多いので、書き取りだけは真面目にやらないとならない。厄介だ。
その後も、休み時間毎に北条さんが寄ってくる。私もずいぶん好かれたもんだね。それともなんか気になることでもあるのだろうか。
私は彼女に意地悪な質問をした。
「テニスは日本じゃいまいちマイナーだから、本気でやるなら十代のうちに留学しないと世界で戦えないんだよね。勇太もアメリカ留学するんでしょ?」
「あ、でも断ってるって言ってた」
へぇーあんたは聞いていたんだ?
心に闇が広がった。
「そっかー行かないんだ。もったいない」
「でも私は嬉しかったけど」
お前の感想なんて聞いてない。
「勇太は日本テニス界を将来必ず背負って立つ人間だから。早めに留学して世界のライバルと競いあって成長して欲しい。ってのが関係者の願いだよ」
お前なんかと付き合ってたら勇太の才能が潰されてしまう。
「あれ?どうしたの?」
「今日は早退する。これから東京に行かないと」
「テニス?」
荷物をまとめる私に北条さんが重ねて問いかけてくる。いつもの私だったらはぐらかして答えるところだった。面倒はごめんだし。
「今日は来年度のカタログ撮影があるのよ」
「撮影って?」
案の定飛びついてきた。
「私メーカーのカタログモデルやってんのよ。スポンサードの条件がこれなの。ほかにも2社あるよ。そっちはもう終わったけど。毎年秋に来年度の撮影が入るんだわ」
「なんなの伏木さんって…なんか凄すぎるよ同じ中学生とは思えないよ」
呆気にとられた表情の彼女。ふふふ、この顔が見たかった。
そう。私は別世界の住人。もちろん勇太もなんだよ?特別なのは。
「そんな事ないわよ。じゃあさようならー」
軽く手を振って教室を出た。
・・・嫌な女。
もちろん自分の事だ。
さんざん勇太と北条の立場の違いを自覚させて不安を煽り、わざわざ私モデルもやってますと自慢げに言う。
立場が違うと自覚させた上で追い討ちを掛ける。
これは彼女に「私じゃ勇太くんと付き合えない。勇太くんと釣り合うのは伏木さんみたいな特別な人」って思わせるための誘導だ。
勇太のためにも確かに別れて欲しいけど、今のは酷すぎる。
いつから私はこんなに黒くなった?
北条さんは何も悪くない、ただの恋する少女だ。
中学生が自分の狭い範囲でしか考えられなくてもおかしな事じゃない。
違う違う!思考をわざとずらしてる。
そんな事じゃない。
私は彼女に嫉妬したのだ。
私は話すらしてないのに彼女には留学のことを話してた。
これが気に入らなかったのだ。
「駄目だ。私おかしくなってるよ」
ポケットから携帯を取り出す。
もうずっと掛けてないアドレスを眺めてみる。
近いうちにちゃんと話さなくては。
武蔵野TC 午後
「中牟田杯本戦まで一週間を切りました。同じく関東予選を突破した関東ランキング2位の全日本のランキングも2位の小学校時代から一度も伏木真奈さんに勝った事がない本宮佐和子さんの在籍する武蔵野TCにお邪魔しております。もちろん私にとって中牟田杯などフェド選考の為仕方がなく出てあげても良くってよレベルです。でも仲良しの佐和子さんの為なら練習には付き合ってもいいかなー?何より負けたくないし。そんでフェドも一緒に行きたいしさ。春はいっしょにオーストラリアだ!いっしょにヌーディストビーチで泳ごうぜぇぇぇ!!!うひょー!」
録画中のハンディーカムに話しかけてるとボールがぶつけられた。
「いったいなぁ!」
「何です?二位二位連呼して!人のビデオにヘンな事吹き込まないで下さい!大体春に海に入れるわけないでしょう。貴方ったらいつもふざけてばかりなんだから。早くコートに入って下さい!」
佐和子は誰に対しても敬語で話す。身長170cmでショートヘアで顔つきも少年っぽく、見た目とのギャップがとても魅力的の女の子だ。
そして小学生時代から何度も戦ってる私の最大のライバルでもある。
「悪かったよぉ試合形式?」
「はい一セットマッチで」
武蔵野のコーチが審判役だ。
「では本宮伏木一セットマッチ始めます」
佐和子は典型的なパワーストローカーだ。サーブとストロークの力強さが売りの現代テニスの申し子みたいな選手だ。
長身を生かした佐和子フラットサーブは中学女子最速。しかし、私はセンターに来た高速フラットをごく当たり前のようにドロップで決めた。
「0-15」
「おおおおお、なんだアレ?」
「何だよどうやってるんだよ?」
彼らが驚くのも当然で、普通なら高速サーブをドロップで返すことは出来ない。球速と回転を完全に殺す技術が必要だからだ。でも私の右手はそれが出来てしまう。
佐和子のビデオで好き勝手話したり、他所のクラブで気侭な行動が許されるのも全て『天才伏木がやることだから』と周りが済ませてくれるからなのだ。
それが無敵の女王伏木真奈の特権だった。
強く早いワイドをダウンザラインでリターンエース。
「0-30」
エースを取られ、リターンをライジングでがんがん押し込まれて「30-30」強いストロークを緩く返してタイミングをずらしパッシング。
左右に振られたが少し甘く入ったリターンにサイドスピン。
「ゲーム伏木1-0」
「うぉいきなりブレイク」
「すげぇスネークショットだスネーク!」
「テニヌだテニヌ技だ」
ギャラリー大喝采。うはははは。
さて、私のサービスゲーム。佐和子さん極端にワイド寄りに立ついわゆる『伏木シフト』
んでも、シフト敷いたぐらいで返せる程、私のキックは安くないってね!
「ふっ!」
大きく跳ねたボールが佐和子の胸元をえぐる。
「15-0」
「ツイストだツイスト」
「またまたテニヌ技炸裂だ」
「真奈ちゃん天衣無縫ヨロ」
「おっぱいすげぇ。マナたんマナたん」
おいっ!最後のは何!!
「ふっ!」
今度はリターンを返してくるが、残念ながら出来たオープンコートにスライスで〆。
「30-0」
「ふっ」
リターンがアウトになり「40-0」
さてと
「はっ!」
バックに渾身の全力フラット。サービスエース。伏木シフトの欠点を突いてやった。ふはははは。
「ゲーム伏木2-0」
「すげぇあの体で何キロ出してんだよ。ありえねえ」
「つええ。本宮が手も足も出ない」
「まなたんまなたんハァハァ」
このクラブ変なの飼ってない?ちょっと怖いよ。
その後サービスゲームをお互い譲らず「6-4」で私が勝った。
「最初のドロップが流れを決めましたね。貴方の手はどうなってるんですか?スプリングでも入ってるんですか?それに第4ゲームのリターン、あそこでオープンに返せるのが信じられません」
「ん?アレは手首で返すんよ。インパクトの時ちょっと待っててねーもういいよーあっち行け!って感じで」
「今の説明聞いても全く理解できません」
「感覚的なもんだから説明は無理よ」
「うらやましい話ですね。私もキセキの右手が欲しいです」
私と佐和子はちょっと休憩中。コートが空くのを待ってもう一ゲームやる事になっていた。
「それを言ったら、私はサワちゃんの体が欲しくて仕方がないよ。いいなーもう170あるんでしょ?まーサワちゃんの体に私の右手がくっ付いたら世界簡単に取れるよね」
「お互い様ですが、無い物ねだりでしたね」
「だね。今持ってる武器でどう戦っていくか考える方が建設的だわ」
シミジミ頷いていた佐和子がはっと気づいたような顔をする。
「武器といえば、何か新しいことにチャレンジしているのですか?真奈」
「えへっへーまだ秘密。ねえ、フェドカップいっしょに行こうね」
「最近危なっかしいんですから、私と当たるまで真奈もコケないで下さいね?本戦では積年の恨み晴らさせてもらいます」
「いーっひっひ!サワちゃんにだけは絶対負けてあげない!」
「ふう。いいですよ。120%の真奈に勝つのが目標ですからね。さ、コート空きましたよ真奈行きましょう」
あー楽しかった。
練習を終えて武蔵野から大宮へ戻る私の顔は綻んでいた。
やっぱりサワちゃんとか同世代のレベルが高い相手との練習はいい刺激になる。
毎日一緒に練習出来たら楽しいだろうな。
サワちゃん高校どこ行くんだろ?一緒の高校でテニス部入っちゃったりとか?
部活か…5歳からずーっとOTCでやってきた私に部活の経験はない。
いやいや無理だわ無理。部活って上下関係厳しいって話だし、全員私より弱いわけじゃん?そんなのに頭下げまくるなんて無理に決まってんじゃん!
うんうん。
同レベルでの練習。小学生の頃はそんな感じだったな。毎日勇太と練習して勝ったり負けたり繰り返して楽しかったな。
携帯がメール着信を知らせてきた。ドキッとした。
相手は今考えていた勇太だったから。
『会って話がしたい』
短いメールだった。
『判った。私もちょうど話したいことがある。今電車なの10分ぐらいで大宮に着くよ。どっかで待ち合わせしよ?』
よっと。
『西口の公園で待ってる』
ん…アメリカ行きの話しなきゃね。
駅を出て急いで公園に向かう。銅像脇のベンチに勇太は座っていた。
「勇太。お待たせ」
私に気づいた勇太はとんでもないことを言ってきた。
「ジャージかよ」
「え?だって武蔵野からの帰りだし」
「先輩と会ってる時はあんな格好してて、俺と会う時はジャージかよ!」
「ナニいきなりキレてんの?私がどんな格好しててもアンタに関係無いじゃん!話があるって言うから心配して急いで来たのに、なんでキレられなきゃならないのよっ!」
「ごめん。その、俺が悪かった。イライラしてて…」
私の剣幕に驚いたのか、うなだれて素直に謝ってくる。ここは年上として寛大な態度示さないとならないよね。
「別に怒ってないよ。勇太が短気なのは昔からだしね。んでどうしたの?」
「母さんと喧嘩して飛び出してきた」
留学の件だよね。やっぱり……
「おばさんから聞いてるよ。ねえ?どうしてフロリダ行きを嫌がるの?」
「真奈は行った方がいいと思うのか?」
「NBTAだもん行かない理由はどこにもないよ。一日中テニスが出来るんだよ?テニスの実技指導に戦術学習。英語の勉強だって出来る。勇太にとってこれほどの場所はないよ」
「お前は俺が邪魔なのか?俺を無視し続けて。お前は先輩とデートしてて、お前は何なんだよ!」
「私はこの話に関係ないでしょ。話を逸らさないでよ。勇太、不安なのは分かるけど行くべきよ。アンタは日本テニス界の宝なんだよ。世界最高峰の環境で磨けば絶対世界に通じるプレイヤーになれるんだから。行かなきゃだめだよ。ああ、判った原因は北条さんでしょ?」
「違う」
「違わないでしょ。彼女の為に夢を諦めるの?アンタの夢の近道はNBTAにあるんだよ?絶対後で後悔するよそんなんじゃ」
「だから違うんだよ」
「んじゃ説明してよ!サッパリ判んない!」
「お前が好きだからに決まってんだろ馬鹿!俺がアメリカ行ったら先輩にお前取られちまうじゃねーか。こんなんでいけるわけねーだろ!」
「……ん?あんた北条さんと付き合ってるじゃん?」
「いいんだよ!そんな話は」
「いや良くないっしょ?彼女なんでしょ?」
「亜希子先輩とはお前と同じクラスだから…告白された時、付き合えば三年のクラスに行ったりしてお前と話せると思った」
「何その理由?北条さん可哀想じゃん!つーか訳わかんないわ」
「俺だって判んねーよ。なんでオレのこと無視するんだよ。なんで俺と練習してくれないんだよ。俺はお前と一緒にいつまでもテニスがしたいだけなんだよ」
勇太が泣いていた。
ああ、私のちっぽけなプライドが勇太をこんなに苦しませていたんだ。
あああ私の勇太が泣いているよ。
一歩踏み出して座っている勇太の頭を抱きしめた。
「ごめんね。私のせいなんだね。ごめんね。私ね勇太に嫉妬してた」
「昔みたいにクラブで一緒に練習してくれよ」
「私じゃもう勇太の練習相手は務まらないよ」
「なんでそんなこと言うんだよぉ昔は一緒にやるのが普通だったじゃねーか。真奈と練習するのが楽しみで俺毎日頑張ったんだぞ」
あはは。私と一緒じゃんか。私もあんたと競うのが楽しくて仕方がなかったよ。
それが競えなくなって勇太が眩しくて…馬鹿だな私は。
涙が溢れだして止まらなかった。
「これからは、コーチに話して二人で練習出来る時間作ってもらおうね……」
「真奈ぁ…」
「なあに?」
「真奈好きだ!ずーっとずーっと好きだった。でも俺ガキだからうまく言えなくて」
ベンチから立ち上がった勇太が私の頭を胸に引き寄せる。
「ちょっ!勇太」
「真奈好きだ」
反射的に顔を背けた私の首筋に、勇太は唇を押し付けくぐもった声で言う。
「ダメだよ。こんなことしちゃ。それに私、練習後だから汗臭いよ…」
「真奈、いい匂いだよ」
うあ、だめだよ…そんなこと言われたら私だって…
「ダメだよ勇太ダメ…」
すっと勇太の手が私の胸に伸びる。
身体に電気が走った。人に触られるってこんなに自分で触るのと違うんだ。相手が勇太だから?
ヤバイヤバイヤバイ取り返しがつかなくなる。冷静になろうぜ!私!
「勇太、離してダメ。これ以上は本当にダメ、私の事好きならちゃんと話を聞いて。ね?」
渋々と勇太が離れてくれた。離れたら離れたでちょっと寂し気もするけどね。
「俺本気でお前のことが」
いや、もう判ったからもう判ったから。ストップストップ。
「気持ちは嬉しいけど、私だってちゃんと考えるけど、今はダメ。このまま深い関係になったらお互いに絶対に駄目になる。テニスに絶対悪影響が出る。付き合い始めたら一日中相手の事ばっかり考えるようになっちゃうよ。私らにそんな暇あるの?私ら恋愛なんかしてる場合じゃないじゃん」
「でもよう」
勇太情けない声出すな。それと股間のでっぱり隠してよ…
「今はまだ私は恋愛できない」
「先輩とデートしてたじゃねーか」
「ハッキリさせておくけど私、別に真吾と付き合ってないからね?この際だから宣言する。勇太が大人になってプロになるまで私も誰かと付き合ったりしない。だからね真剣にNBTA行きも考えてよ。勇太がアメリカ行ってる間に彼氏作るとか絶対にしないから。私の言うこと信じて」
「先輩と付き合わないんだな?」
「うん。誰とも付き合わないよ」
「判ったそれならいい。真剣に考えてみる」
「それと、北条さんの事ちゃんとしなさい。あ、いい?私の事押し倒せなかったから代わりにヤッちゃうとか絶対にナシだからね!んなことやったら絶対に許さない」
「しねーよ。あとでちゃんと話す」
「そうしてあげて。あとさ、ちょっとしゃがんで」
チュッ!ほっぺにキスをした。真吾には昔したことあるからこれぐらいはね…
「今はこれで我慢してね」
「真奈ぁぁぁぁ!!!!!」
だから抱きつくな!おっぱい揉むなっ!全くコイツは…
自宅
「んで?先週からの報告は?」
ご飯を食べ終えるのを待ってパパが偉そうに顎をしゃくる。
「あたしビッチかも?」
「娘から雌犬宣言されちゃったよ!親として聞きたくないセリフNO.1頂いちゃいましたよ!何なのその親不孝っぷり?なんでだよ?」
「先週真吾に誰よりも可愛いって言われて舞い上がった、んでさっき勇太に告白されて誰とも付き合わない宣言してきたとこ、正直なとこ言うとどっちも好きなの。選べない」
「うわ!お前出来の悪い携帯小説の主人公なの?不治の病にかかったりする?彼氏いきなり死んじゃったりすんの?チープすぎんだろー」
「チープ言うな!!私は悩み多き年頃なのよ!」
「ってお前さ、昔に比べて精神年齢逆行してるよな。五歳児の頃のお前ならそんな事でいちいち悩まなかったよ。あの頃のお前なら適当に受け流して『ねえ和真。将来有望な男二人手玉に取った魔性のおっぱい揉んでみる?プニプニだよん』とか言って俺の反応楽しんでた筈だ」
うん。確かに言いそう。お風呂場での情景が思い起こされた。
「鋭いね。言うの忘れてたけど山川はあたしの中にもう居ないんだ。溶けて混ざり合ってしまった感じ、知識は残ってるけど山川ならこういう時どうするか?ってのがまるっきり判らなくなっちゃった。人生を照らすサーチライト無くした気分だよ。今は闇の中を手探りで歩かされてる感じ」
「今までのお前が楽をしすぎてたんだ。人生なんて本当はそんなもんなんだぜ?みんな手探りで必死になって進む道探してるもんだ。しかし……」
ほんの少しだけ言い淀むと、絞り出すような声で続けた。
「しかし、あの稀代のロリ奸婦はもう居ないのか…何だろう?親しい友人を亡くした気分だ」
パパは本当に寂しそうだった。一気に老け込んだ感じがした。
「そろそろ10年だね」
「ああ。そうだな」
「じゃあ」
と言ってパパの隣に腰掛けた。
「和真おやじクサイ…洗濯物分けなきゃ」
ボソッと耳元で囁くと、一瞬キョトンとしてからパパにみるみる笑顔が拡がった。
「ははははははっ!それは言わない約束だったろ?」
10年前に交わした約束を反故にされたのにパパは嬉しそうに笑う。
「大丈夫。全部覚えてるよ。これからもずっと忘れない」
「おう!忘れないでくれ。俺も忘れないから」
グラスをテーブルに置き、屈みこむような姿勢でパパの肩が揺れていた。
博多。テニスパーク
「30-40」
疲れた。これ以上は動きたくない。でもここで決めなきゃ何が起きるかわからない。負けるのは嫌だ。絶対嫌だ。ここで決めてやる。
ワイドに来たっ!ぐっ!重い。終盤でこのパワーずるい!が、コントロールできる。ストロークでの撃ち合いになったら押し込まれる。クロスにリターン。スライスがクロスに。はは、戻り遅いよサワちゃんやっぱ疲れてんだね。
「んはっ!」
バックハンドでダウンザライン。
「ゲームセット!マッチウォンバイ伏木。カウント4-6 6-2 7-5」
ふはぁ!疲れたマジ疲れた。
「最後はやっぱり伏木か」
「それにしてももつれたな」
ネットにはもうサワちゃんが居る。
「負けました。おめでとう真奈」
「いやマジでありえないから。粘りすぎだから。おつかれサワちゃん」
握手してからハグしてお互いの健闘を讃えたよ。
荷物をまとめて引き上げると松本コーチが駆け寄ってきた。
「やったわね。真奈おめでと。だけど課題はやはりストロークね。戻ったらフェド杯に向けて徹底的に足腰の強化をするわよ」
「はい」
体力は人並み以上にある私だけど、それでもこの身体でやっていくためには足りないのだ。
望むところですよ。コーチ。
フェドカップジュニア選考大会。
優勝 伏木真奈 二位本宮佐和子
三位には大阪の一つ上の高校生、能登清美さんが決定戦を勝ち抜いてきた。
このメンバーでアジア・オセアニア予選に行くことになる。
翌日の休養日。
「あら、真奈ちゃん久しぶりね。大きくなったわねー」
いや、おばさん悪気がないのは判ってるけど、それタダの嫌味だから。
私は真吾に呼ばれて、菱川さんちにお邪魔していた。小さい頃はそれこそ毎日の様に行き来していた私達だったが、最近はこの家に来ることも珍しい。
幼馴染が毎朝起こしに行って、まだ寝ている男のベットに乗って無理に起こすなんていうのは都市伝説だ。
「こんにちは菱川のおばさん」
「それにずいぶん綺麗になっちゃって。ウチの真吾なんかもうメロメロなんじゃないの?学校でもモテるでしょ?」
「あはは、そんなことないですよー」
って…あれ?言われてみると私クラスメートに告白されたり、下駄箱にラブレターが入ってたりした事ないぞ?こんなんだから今まで自分が女って事あまり意識しなかったんだよね。
「真奈どうした?」
真吾が私の微妙な変化を感じて覗きこむ。コイツは変なとこだけは鋭いんだから。
「よく考えたらさー、私体育館裏に呼び出されて告白とかラブレター貰ったこととか一度もない」
「あらそうなの?みんな見る目がないわね」
おばさん何故かぷんぷん怒ってます。
「いや、逆だよ母さん。真奈は学校で一番有名な女子だから、恐れ多くて誰も近寄れないんだ」
なんだそれ?私は怪獣かよっ!
「そういえば今度日本代表でオーストラリアに行くんだってね?」
「はい。お土産はカンガルー肉で良いですか?」
「え?食用なの?」
おばさんキョドってます。脂身が少なくて鹿とか馬に近いんじゃなかったかなー確か。
「じゃあ母さん、俺は真奈に話があるから部屋に行く」
二階の真吾の部屋に入るのも久しぶりだった。鉄アレイが転がってる辺り野球少年らしい部屋だ。もちろん窓を開けたら私の部屋がすぐ隣なんて事もない。
「適当に座ってくれ」
学習机の椅子に座った真吾が促す。
「はーい」
お許しが出たのでベッドに寝転んでみる。
うわぁ真吾の匂いがする。しゅごいしゅごい!ゴロゴロゴロゴロ!
「頼むから普通に座ってくれ」
「ふぇ?何?マーキングしてんだから邪魔しないでっ!」
「まずは優勝おめでとう。宣言通りにきっちり勝つ。お前は凄いよ」
「うん。ありがとぉ」
ふへへ。ご褒美くれるのかな?この枕カバーが欲しいよ。
「真奈来年はどうするんだ?普通に進学するのか?留学でもするのか?それともこのままプロになるのか?」
「んー決めてないよー多分普通に進学するよ。ちょっとアメリカに留学してもいっかな?とかは思ってるけど」
チラっと勇太の顔が浮かんだ。
うわ!男のベッドで転がりながら別の男の事考えるって…私すげー最低なんじゃね?
「真吾は浦学でしょ?あそこ野球強いもんねテニスも強いからあたしも行こうかなー」
地元の甲子園常連校に真吾は推薦されているのだ。
「それなんだが大阪桐蔭から誘われている」
「はいぃぃぃぃ?」
枕を抱えたまま慌てて飛び起きた。うそうそ聞いてないよそんなの。
「え?大阪なんて行く必要ないじゃん?浦学だって甲子園行けるじゃん?なんでそんな遠くに行っちゃうの?会いたい時会えないじゃん」
「大阪桐蔭監督の著書を読んで感銘を受けた。その指導を受けてみたい」
「おばさんたちは何て言ってるの?」
「俺が決めていい事になってる」
「ふーん」
いや越境入学なんだから子供に決めさせちゃダメだよぉ。いくら真吾が落ち着いてるっつってもまだ中学生じゃん。思わず菱川さんちの教育方針に口を出したくなったけど、口にしたのは別のことだった。
「ねえ?私が行かないでって言ったら行かないでくれる?」
う、調子に乗って変なこと聞いちゃったな。これで『お前なんか関係ない行く』とか言われたら私泣くぞ?
「…何をしてる?」
ゴソゴソとベッドに潜り込んでいると咎めるような口調で言う。
「だって、返事怖いんだもん。答え次第じゃ凹みまくるよ私」
「真奈出てきてくれ」
「ヤダこのまま私の匂いをベッドに染み込ませて忘れられないようにしてやるんだもん。ふふん。ヤリたい盛りの中学生がガマンできるかな?」
「今まで、どれだけ我慢してきたと思ってる?」
「え?」
絞りだすような真吾の声に押し出されるようにして、私は布団から這い出た。
「下で母さんに話した『恐れ多くて誰も近寄れない』って話だが、俺もその中の一人だ」
「真吾だってピッチャーで4番じゃん」
「たかが県選抜レベルだぞ?日本一のお前とは比べるのもおこがましい」
「いや、それは競技者人口が…」
「たまたま幼馴染だからお前と普通に話せているだけなんだ。お前に気後れせずに話せるのは阿久津ぐらいだ」
そりゃー逆に私が気後れしちゃうくらいだからね。
「俺は幼馴染という立場に甘えている今の自分が好きじゃない。自信を持ってお前の横に並び立てる男になりたいんだ」
男って面倒くさいね…変なプライド持ってて。
でもそこに拘らないと男として生きていけないんだよね。
「だから俺は大阪桐蔭に行く。俺は桐蔭で必ずレギュラーを取る」
「うん」
「プロになれたらその時お前を迎えに行く。阿久津にも他の誰にもお前は渡さない」
あう……顔が熱くなるよ。凄い直球だよ。
「もちろんこれはあくまで俺の都合だ。真奈は何の約束もする必要はない」
「そこまで言われて待たないわけにも行かないでしょーが!」
「そうだな。済まない」
神妙に頭を下げる真吾。やっぱり良い奴だよ。
ちゃんと言わなきゃだめだよね。
「あのさ……」
嫌われても言わなきゃだめだよね。
「私さ、サイテーの女なんだよ?この前勇太に告白されたの。でも私は付き合えないって言った。勇太が一人前になるまで待つからって言ったの。真吾にも今プロになるまで待つって言っちゃったよね?これって二股だよね?でも選べないよ。選べないのよ。だって、二人共大事だし二人共大好きなんだから!」
真吾の枕に顔を押し付け泣いた。最近の私はホント泣いてばかりだ。
「お前の阿久津への気持ちは知ってたよ。だからお前は何も気にするな。むしろ俺はあいつと同じぐらいに俺の事を大事に思っていてくれるのが嬉しい」
「なんであんたはそんなに物分かりがいいのよ…絶対貧乏くじ引かされるよ」
「くじの景品がお前なら大歓迎だ」
珍しく軽口を叩いて小さく笑う。
「ふふ。んじゃ私帰るね。真吾頑張ってね」
パタン
ふう…野球選手の奥さんって料理上手じゃないとダメだよなぁ。
これから少しずつでも休みの日はママに教えてもらおう。
中学3年の秋から冬に掛けて、私を取り巻く環境が大きく変わり始めていた。
真吾はそのまま一人で大阪に行き、勇太はフロリダには行かないことが決まったのだ。
「NBTA行かないと俺の才能が育たない?馬鹿言うな。俺は何処に居ようが世界に通じるプロになるよ」
おばさんの嘆きとは逆に、スッキリした表情の勇太が印象的だった。