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あの空の下で  作者: 風音
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「震災の傷跡」

千波市物語第一弾。

今回は、軸となる二人の物語です。

 空は青く、高い。

 つい昨日のことのように思われる夏休みからもう二週間が過ぎている。

 九月中旬。千波市千波高校二年C組出席番号三十六番柳緑慎は教室で一番窓側の列の前からよっつめの席で生物の授業を聞き流していた。

 頬杖をついて窓の外に広がる青空を眺めている。

 暑い。

 夏休みが終わったからといって夏が終わるわけではない。もう少し経てばこの日差しも睡眠を誘発する心地よい暖かさを提供してくれるだろうが、今はただ過ぎ去る夏の余韻をひたすら感じさせるだけであった。最も、夏休みの猛暑に比べると、今の暑さは尻尾のようなものだから問題なく耐えられる。むしろ楽しんでやろうとも思う。

 これから落ちていく生物の成績を気にさえしなければ、ただただ平和な時間になるはずだった。

 突然、隣のクラスで乱暴に机を動かす音がした。続いてドアの開く音、こちらのクラスとは反対側の廊下を走っていく足音。爬虫類を連想させる顔をした生物教師は見えるはずもない隣のクラスの方向、つまり背面黒板を見つめていたが、やがて「またか」という顔と声を出して肩をすくめてから、数秒間ストップした授業を再び進め始める。メンデルがどーのこーの、独立の法則がどーのこーの。

 他の生徒も特に気にした様子はない。日常なのだ。どんなにおかしなことが起こっても――そう、例えばこの村ではバークトゥーミル星人が村長なのです、ですから村人は必ず一日一回バークトゥーミル星人の家に行って挨拶をしてこなければならないのです――みたいなことがあったってその村の人たちにとっては日常なのだ。

 だから他の生徒は気にしない。先生も肩をすくめるだけ。そういう問題児がこの学校にはいる。だが他の村人が慣れていてもその環境に適応できない人というのは必ずいる。漫画やゲームにだってよくいる。そういう人が大体キーパーソンになる。故に自分は彼女にとってのキーパーソン。

 生物の授業が終わるまであと十五分。



 学校の屋上への扉は普段は閉まっているが、必ず開いていると確信するときがある。

 慎はドアノブを回し、屋上への扉を押し開ける。ここの扉に限って少し押すときに力がいるから困る。予想通り、扉は開いて新鮮な空気が流れ込んできた。

 屋上へと降り立つと、真っ青な空とその下に広がる山と海が飛び込んできた。

 その風景に混じって、制服のスカートが汚れるのも気にせずタイル地の床に座り込んで紫煙をゆらめかせる背中がある。その背中のある金網フェンスの近くへと歩いていく。ドアの音で誰か来たことは気づいているはずなのに、彼女はそんなことも気にせずに下界に広がる現代的な町並みを覗き込んでいる。肩まで伸びている茶色がかった髪が、風に揺られて色っぽく波打った。

 隣に立つ。彼女は何も言わない。右手に持っていた煙草を携帯用灰皿に押し込むだけだった。

「煙草、未成年は吸うのは禁止なんだぞ」

 まず何を言うべきか困ったが、当たり障りのない話題から切り込むことにした。

 なんでこいつに話しかけるだけで緊張せねばならないのだか。

「別にいいじゃない」

「ほう、校則を無視するアウトローな奴だとは思っていたが、法律を無視するくらいのアウトな人だとは思わなかった」

「……うるさいわね。むしゃくしゃするときだってあるのよ」

 開いた右手を差し出すと、乱暴に煙草のパッケージを寄こした。慎はポケットの中にパッケージをを突っ込みながら、

「で? 今日は何があったんだ?」

「ゆーとーせー様に言うほどのことじゃないですよ。それより授業はいいの?」

「次の時間、日本史なんだよね」

「ああ……」

 彼女はそれだけで納得したようだった。自分は日本史の大村が好きではない。だから一ヶ月に一回くらいは難癖つけて授業をサボる。今日は偏頭痛がするから保健室で休んでくると言ってきた。日頃どんなに真面目でいたって、どうしても相性が悪い教師と言うものはいる。逃げるのは気に喰わないが、教室という土俵で生徒と教師が相撲をとったときの結果なんてたかが知れている。今後のために、優等生の皮はまだ被っておくべきであると考えた上での行動だ。

「数学の、なんだっけあいつ、そう谷口だ谷口。あいつ授業始まってからずっと私のこと睨んでくるわけ。睨んでくるだけならまだしもネチネチと女みたいにしつこく当ててきてさ。ムカついたからハケた。そんなに私を悪者に仕立て上げて何が楽しいのかしら」

 谷口は悪く言えばいわゆる一昔前の頑固人間で、彼女――桧原恵の態度が気に入らないのだろう。しかも彼女は頭がいい。そんなのが学年トップという事実にむしゃくしゃしているに違いない。

「気持ちは判る。けどま、お前の普段の態度も問題なんだぞ。もう少し自粛すればいいものの」

「冗談。私は我が道を行くの。学校だって本当は来たくて来てるわけでもないし。一応将来のために来てるけどさ、――人間、いつ死ぬか判らないんだから」

 そう言って彼女はまた、目を遠くに向けてしまった。つられて自分も下界の町並みに目を向ける。

 千波市の歴史は浅い。

 海と山に囲まれた田舎なのだが、この町並みが納得できる事実として首を縦に振らせてはくれない。伝統的な田舎っぽい家などほとんどなく、都会の住宅街のような光景が広がっている。自分の家もそうだし、恵の家もそうだ。歩道はレンガでできているし、商店街もやたらパステルカラーな壁色が多い。町の中だけを覗いてみると田舎じゃない。町外れには教会だってあるし、巨大な総合病院だってある。極め付けがこの千波高校で、都市の学校にだって劣らない設備が施されている。

 しかしこれには大きな理由がある。

 慎は恵を見る。彼女の視線の先には未だ昔の町並みが見えているのか。

 十年前の冬、大震災が起こったのだ。震源は海底だったが、大地震の影響で津波、崖崩れ、雪崩という連続した災害のおかげで当時の千波市住人の約三割は亡くなった。自分も恵も、この災害を経験し、生き残った数少ない人間の一人だ。

 あの災害で、自分は兄を、彼女は両親を亡くした。国や地方の援助で生活には不自由していないものの、部屋の位置や、風呂の入れ方も判らない自分の家とは名ばかりの他人の家に放り込まれた当時の彼女の思いはどうだっただろうか。

 今の慎にも恵にも、広く言えば震災を経験した人は、胸の中に一生消えることのないしこりがある。慎の家族、柳緑家はそのしこりを胸の奥へと隠すのが他の人より数手早かったので家の近い恵の面倒を良く見てやっていた。慎と恵の付き合いはここに起因する。

 思う。

 自分はあの災害を過去のものとできているけれど、彼女はできていないのではないだろうか。正直に言うと、千波の大震災前は恵と深い交流があったわけではなかった。だから比べることはできないけれど、あの日から彼女は誰にも心を開いていない。その「誰にも」には自分も含まれているのが悲しかった。推測するしかできないが、もしも彼女があの日から一歩も前へ足を踏み出せていないとしたら、何もできない自分が歯痒かった。


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