国が買いますの?
探索試作二号が完成したのは、中央政府との初めての面談から三か月後のことだった。季節は春へ移り変わり、玲奈も高校三年生へ進級していたが、天城ホールディングスの仕事は相変わらず増え続けていた。
東雲精機では《Aster One》と《Aster Mini》の販売が安定し、産業用モーターの受注も順調に伸びている。ネクサリンクでは従来の施設用ロボットに加え、災害探索ロボットの開発が新たな事業の柱になりつつあった。
そして、その開発を支えているのが御堂グループである。
最初の実証試験で横倒しになった探索試作一号は、もはや原形をほとんど残していなかった。走行機構は一新され、通信中継装置も追加されている。外装には耐衝撃性を考慮した素材が採用され、現場で交換できる部品も増えていた。
もちろん、改良には相応の費用がかかっている。
それでも玲奈は、必要な投資を惜しまなかった。開発費の上限と継続判断の条件をあらかじめ設定し、その範囲内で技術者たちに裁量を与えている。以前のように、細かな報告を受けるたび自分が判断する必要はなくなっていた。
そんなある日、玲奈のもとへ瀬川から一通の報告書が届いた。
探索試作二号が、社内で設定した主要な試験項目をすべて通過したという。
玲奈は報告書を読み終えると、隣で仕事をしていた橘沙耶香へ声をかけた。
「沙耶香様。来週の予定を少し調整していただけます? いよいよ国の皆様に、わたくしたちの成果をお見せすることになりましたわ」
沙耶香は予定表を確認しながら、少しだけ呆れたように笑った。以前なら新しい会社への投資を検討していたはずの時間が、今では政府関係者との打ち合わせや複数企業の共同事業に使われている。
それでも玲奈の表情は、初めて会社を買った頃とほとんど変わっていなかった。
面白そうなことを見つけたときだけ、ほんの少し楽しそうになるのである。
◇
実証試験当日。
訓練施設には、以前より多くの関係者が集まっていた。消防・救助の現場担当者に加え、中央政府の技術評価担当者、装備導入を検討する職員、御堂グループの技術責任者まで顔を揃えている。
玲奈は御堂と並び、安全区域に設置された大型モニターを眺めていた。画面には模擬倒壊現場の内部構造が表示されているが、探索対象となる訓練用人形の位置は伏せられていた。
「随分と人が増えましたわね。前回は、もう少し静かだった気がいたしますけれど」
「国の連中が来るんだ。試験結果によっちゃ、今後の予算にも関わってくる。そりゃ見に来る人間も増えるだろうよ」
御堂はそう答えながら、試験場の入口へ目を向けた。
そこには、探索試作二号が待機している。
低く平たい機体の左右には、不整地へ対応した新しい走行機構が取り付けられていた。外装は以前より頑丈になっているものの、全体の大きさはほとんど変わっていない。
開発チームが最も苦労したのは、その点だった。
耐久性を高めれば重量が増える。重量が増えれば走破性能や稼働時間に影響する。必要な機能をすべて搭載しながら、狭い場所へ入れる大きさを維持しなければならなかった。
最終的な設計では、東雲精機の小型モーターと北辰電池の電源制御技術が重要な役割を果たしていた。
玲奈は試験開始を待ちながら、隣に立つ瀬川へ視線を向けた。
「緊張していらっしゃいます?」
「そりゃしますよ。今日は失敗したら、会社へ戻って寝込むかもしれません」
「でしたら、寝込む前に原因を調べてくださいませ。お仕事は残っておりますもの」
瀬川が苦笑すると、御堂まで笑い始めた。
もっとも、玲奈自身も今回の試験を軽く考えているわけではない。社内試験を通過していても、異なる条件で同じ性能を発揮できる保証はなかった。
そして午前十時。
実証試験が始まった。
操作を担当するのは、今回も開発者ではなく救助担当者だった。事前に基本操作の訓練は受けているものの、機体の内部構造まで理解しているわけではない。
探索試作二号は入口からゆっくりと進み、最初の障害物へ近づいた。
前回なら転倒していた段差だった。
機体は一度停止すると、姿勢を調整して障害物へ乗り上げた。左右の走行機構がそれぞれ異なる動きを見せ、車体を傾けながら反対側へ降りる。
大型モニターには、機体から送られてくる映像が途切れることなく表示されていた。
瀬川は腕を組んだまま画面を見つめている。
玲奈は、その隣で試験記録を確認していた。
開始から八分後、機体は狭い通路へ入った。コンクリート片を模した障害物が複雑に配置されており、前回は通信が途切れた場所に近い。
画面の端に表示された通信状態が、一段階悪化した。
しかし、映像は止まらない。
探索試作二号は少し後退し、通信中継装置を配置してから再び前進した。操作担当者が慎重に進路を選び、瓦礫の隙間を抜けていく。
やがてカメラが、奥の空間を映し出した。
そこには、訓練用人形が横たわっていた。
操作担当者は周囲を確認すると、機体を適切な位置へ移動させた。カメラの角度を調整し、人形の位置と周辺状況を記録する。
「要救助者を発見。位置情報、映像ともに取得しました」
報告を聞いた政府側の担当者たちが、手元の資料へ一斉に書き込みを始めた。
ただし、試験はまだ終わっていない。
今回は、探索を終えた機体が自力で帰還することまで評価項目に含まれていた。
探索試作二号は進入時とは異なる経路を選び、途中で障害物へ接触しながらも進み続けた。一度だけ車体が大きく傾いたものの、新しい復帰機構が作動し、姿勢を立て直している。
そして開始から二十三分後。
探索試作二号が、模擬倒壊現場の入口から姿を現した。
瀬川が大きく息を吐いた。
周囲から拍手が起きたものの、玲奈はすぐに喜ぶことはしなかった。画面には、走行時間や通信状態、消費電力などの記録が表示されている。
今回の試験は成功した。
しかし、実際の災害現場で同じように動けるかどうかは、まだ別の問題だった。
玲奈は記録を確認しながら、隣の御堂へ話しかけた。
「ひとまず、最初の関門は通過できましたわね。お爺様の技術者の皆様にも、お礼を申し上げなければなりません」
「礼なら契約で払え。うちの連中も仕事でやってんだからな」
「もちろんですわ。適切な対価をお支払いしたうえで、お礼も申し上げます」
御堂は楽しそうに笑い、再び試験場へ視線を戻した。
午後には追加試験が行われ、通信障害を想定した環境や異なる段差でも、一定の性能が確認された。ただし、長時間運用や継続的な耐久性については、今後も検証が必要だという結論になった。
それでも、政府側の評価は明らかに前向きだった。
試験終了後、担当者から正式な協議の申し入れがあったのである。
◇
二週間後。
玲奈たちは再び中央政府の関係部署を訪れていた。
今回は、以前のように技術的な可能性を説明するだけの面談ではない。政府側から具体的な開発契約と試験運用について協議したいという連絡があり、玲奈たちも正式な事業計画を持参していた。
会議室では、最初に政府側の担当者が今後の方針を説明した。
探索試作二号の実証試験によって、小型探索ロボットの実用化へ向けた可能性が確認された。そのため、次の段階として複数の救助機関による試験運用を行い、異なる環境で性能を評価したいという。
今回提示されたのは、開発・評価業務に関する契約案だった。
正式な全国配備を決定するものではないが、国が費用を負担して実用化へ向けた開発を進めるという点で、これまでとは大きく異なっている。
玲奈は契約案を確認しながら、いくつかの条項へ印をつけた。
特に気になったのは、開発成果の権利と、将来的な保守業務に関する部分だった。
「一点、確認させていただいてもよろしいでしょうか。今回の契約で開発した技術について、既存技術と新規開発部分の権利は、どのように整理される予定ですの?」
政府側の担当者は、契約案の該当部分を示しながら説明を始めた。
今回の事業では、国が必要な利用権を確保する一方、企業側が従来から保有している技術まで取得することは想定していないという。ただし、共同開発によって生まれた成果については、契約上の整理が必要になる。
玲奈は説明を聞き終えると、隣に座る法務担当者へ視線を向けた。
天城ホールディングスでは、今回の案件に備えて外部の専門家を加えていた。玲奈自身がすべての法律を理解する必要はなく、重要な条件について専門家の確認を受ければいい。
法務担当者がいくつかの修正案を提示すると、政府側も持ち帰って検討すると答えた。
続いて、製造費と保守費用の話になった。
ここでは御堂が中心となり、試験運用に必要な機体数と製造期間、交換部品の供給体制について説明した。
政府側は価格を抑える必要性を示したものの、御堂も簡単には譲らない。
その様子を見ながら、玲奈は少し懐かしい気分になっていた。
以前、北辰電池を買収しようとして御堂に敗れたときも、この老人は相手企業の事情と長年の関係を重視していた。
今度は、その経験が同じ事業のために使われている。
やがて話題が、長期的な運用費へ移った。
政府側の担当者は、複数地域へ配備した場合の年間維持費について質問した。御堂グループが作成した資料には、定期点検や交換部品の供給、故障時の修理対応まで含めた概算が記載されている。
玲奈は、その数字を確認したうえで発言した。
「今回の機械は、普段から毎日使われるものではございませんわ。ですが、必要になったときに動かなければ意味がありません。製造価格だけを下げるより、長期間にわたって確実に運用できる体制を整える方が重要だと考えております」
担当者も、その考え方には同意した。
ただし、税金を使う以上、価格の妥当性を説明できる資料が必要になるという。
玲奈は頷き、製造費と保守費用の内訳をさらに整理して提出することを約束した。
交渉は、その日だけでは終わらなかった。
契約案の修正、技術仕様の確認、予算上の条件調整などを経て、正式な合意へ到達したのは、それから一か月後のことだった。
政府との開発・評価契約が成立したのである。
契約対象は、改良型探索ロボットの開発と複数地域での試験運用だった。全国配備については、試験運用の結果を踏まえて改めて判断されることになっている。
玲奈は契約書への手続きを終えると、隣にいた御堂へ微笑みかけた。
「お爺様。どうやら、国からお仕事をいただけましたわね」
「まだ入口だぞ、小娘。ここからが本番だ」
「ええ。ですが、入口に立てなければ、その先へ進むこともできませんもの」
御堂は小さく笑い、玲奈の肩を軽く叩いた。
東雲精機を買収した頃には想像もしていなかった事業が、正式に動き始めた瞬間だった。
◇
政府との契約成立から半年が経過した。
探索ロボットは、正式な製品名を《ARES》と定められていた。
災害現場での探索を目的とした小型ロボットとして、複数の救助機関へ試験配備が始まっている。御堂グループの製造設備を利用することで品質の安定化が進み、ネクサリンクは制御技術とソフトウェアの改良に集中できるようになった。
東雲精機も、重要な駆動部品を供給する企業として参加している。
ただし、事業が大きくなったからといって、玲奈がすべての仕事を抱え込むことはなかった。
天城ホールディングスには新たに法務と経営管理の担当者が加わり、沙耶香を中心とした管理体制が整備されていた。玲奈は各社の経営状況と重要な投資判断を確認しながら、学校生活も続けている。
そんなある日。
玲奈は自宅で夕食を食べながら、テレビのニュースを眺めていた。
画面には、災害対応技術の特集として《ARES》の映像が流れている。試験配備先で行われた訓練の様子が紹介され、実際に操作した救助担当者が機体の特徴について説明していた。
修一は箸を止め、テレビへ顔を近づけた。
「玲奈、これってお前のところのロボットだよな?」
「ええ。正確には、複数の会社で共同開発したものですけれど」
「すげえなあ。とうとうニュースにまで出るようになったのか」
父親の素直な感想に、玲奈は少しだけ笑った。
テレビでは、天城ホールディングスと御堂グループの名前も紹介されていた。ただし、玲奈個人について詳しく取り上げられているわけではない。
それで十分だった。
玲奈が欲しいのは、自分の名前を世間へ広めることではない。事業が成功し、関わった企業が利益を得て、開発した技術が必要な場所で使われることだった。
ニュースが終わると、修一は再び夕食を食べ始めた。
「でもさ、こういうのって海外でも欲しがるんじゃないか?」
「可能性はございますわね。ただ、海外で販売するなら、現地の制度や保守体制も考えなければなりません。簡単なお話ではございませんわ」
玲奈はそう答えたものの、その可能性については既に検討を始めていた。
実際、試験配備の情報が公開されてから、海外の企業や研究機関から問い合わせが届くようになっていたのである。
しかし、その日の玲奈は、仕事の話を続けるつもりはなかった。
食事を終えたら、久しぶりにセレスティアとして配信する予定がある。
経営者としての仕事が増えても、配信活動を辞めるつもりはなかった。自分が楽しいと思うことまで手放してしまえば、何のために自由を求めているのか分からなくなってしまう。
その夜。
セレスティアの配信が始まると、コメント欄にはいつものように視聴者たちが集まってきた。
【セレスティア様、ごきげんよう!】
【久しぶりの雑談助かる】
【そういえばAsterの会社、ニュース出てたぞ】
【災害用ロボット作ってるらしい】
【あの掃除機の会社が?】
【セレスティア様、前に案件やってたよね】
玲奈はコメントを眺めながら、思わず笑いそうになった。
もちろん、画面の向こうにいる視聴者たちは知らない。
今まさに話題にしている会社のオーナーが、セレスティア本人であることを。
「まあ。以前ご紹介した会社が、随分と面白いものを作っていらっしゃるのですね」
【知らなかったの?】
【お嬢様、ニュース見てない説】
【掃除機から救助ロボットはすごい】
【次はロボットの案件来るか?】
玲奈は少し考えたあと、楽しそうに答えた。
「災害現場で使う機械でしたら、わたくしがお部屋で試すわけにもまいりませんもの。専門家の皆様にお任せするのがよろしいかと思いますわ」
コメント欄が笑いに包まれる。
その反応を見ながら、玲奈は紅茶のカップを持ち上げた。
表では人気VTuber。
裏では、国と契約する企業グループの経営者。
随分と奇妙な二重生活になったものだが、どちらも自分が望んで始めたことだった。
そして翌朝。
天城ホールディングスへ、一通の連絡が届いた。
差出人は、以前から取引のある政府関係者だった。
内容は探索ロボットの追加発注についてではない。
国内産業の技術開発と、中小企業の成長支援に関する意見交換へ、玲奈にも参加してほしいという依頼だった。
玲奈は届いた文面を読み、少しだけ首を傾げた。
「……今度は、ロボットのお話ではございませんのね?」
隣にいた沙耶香が、思わず笑ってしまった。
どうやら国は、探索ロボットだけでなく、それを事業化した若い経営者の考え方にも興味を持ち始めたらしい。
玲奈は予定表を開き、空いている日程を確認した。
意見を求められるのであれば、答えることに異論はない。
ただし、相手が政府だからといって、遠慮するつもりもなかった。




