今度は、人を探しますわ
「お爺様の会社が持っている、工場と人と経験を少々」
玲奈がそう告げると、電話の向こうから聞こえていた御堂征一郎の深いため息が、途中で不自然に止まった。いつもの軽口に付き合うつもりで電話を取ったものの、今回は北辰電池を紹介してほしいという程度の話ではないと察したらしい。
玲奈は机の上に置いた資料を開き、公的機関からネクサリンクへ届いた問い合わせについて説明した。地震や土砂災害、建物崩落などが発生した際、人間がすぐには入れない場所へ小型機体を送り込み、内部の映像や音声、温度などを確認する探索ロボットを作れないかという相談である。
現在のネクサリンクには自律移動技術があり、東雲精機には小型モーターがある。北辰電池と相馬電子技研まで加われば、試作機を作るところまでは見えていた。しかし実際の災害現場へ投入する機械となれば、家庭用や工場用のロボットとは求められるものが違う。
「試作品を一台作って、動きましたから完成です、では済みませんの。災害現場で使うのでしたら壊れにくさも必要ですし、量産した場合の品質も揃えなければなりません。全国へ配備する可能性まで考えますと、故障した機体を修理できる体制も必要になりますわ」
『それで俺のところへ来たか。最初から全部やってくれじゃなく、自分らで足りねえところだけ持っていくあたり、前より面倒な小娘になったな』
「褒め言葉として受け取っておきますわ。ただし、もちろん無償でお借りするつもりはございません。必要な技術と設備、人員について正式に契約いたしましょう」
御堂は鼻で笑ったものの、その場で協力を約束することはなかった。
玲奈も、それを求めてはいない。
必要なのは御堂グループという名前ではなく、大規模な製造現場で量産設計や品質保証、保守網の構築を経験してきた人間たちである。御堂との個人的な関係だけで彼らを動かせば、以前の玲奈が嫌った「人間を数字や道具として扱う経営」と変わらなくなってしまう。
『資料を送れ。俺が面白そうだと思っただけで、グループの工場や技術者を勝手に使わせるわけにはいかねえ。こっちにも仕事があるし、工場にも予定がある。それに、本当に作れるのかも分からねえ段階だろ』
「ええ。ですから、まず見ていただきたいのです。使えないと思われましたら、そう仰ってくださいませ」
『三日後の午後を空けろ。産業機器の連中も呼んでおく』
短いやり取りのあと、通話は終わった。
三日後、玲奈が指定された御堂グループの研究施設を訪れると、会議室には御堂だけでなく、産業機器部門の責任者、量産技術担当、品質保証担当まで揃っていた。玲奈側からも瀬川、東雲精機の技術者、相馬電子技研の担当者が参加し、北辰電池からも技術者が呼ばれている。
高校の制服姿なのは玲奈だけだった。
しかし、その年齢を理由に会議を止める者はいない。
東雲精機を買収してから既に時間が経ち、《Aster One》や《Aster Mini》も市場へ出ている。御堂自身が玲奈を交渉相手として扱い、周囲の経営者や技術者も彼女の判断を待っている以上、見た目だけで扱いを変える方が不自然だった。
最初に説明を始めたのは瀬川だった。
ネクサリンクの施設用ロボットを、そのまま災害現場へ持ち込むことはできない。平坦な床を前提とした機体では瓦礫を越えられず、通常の無線通信も建物内部や地下では不安定になる可能性がある。粉塵や水分への耐性も足りず、何より転倒したときに自力で復帰できなければ、救助用機材としては致命的だった。
一方、《Aster Mini》の開発で蓄積した技術の一部には利用価値がある。
狭い場所へ入るための小型化、散乱物を認識する技術、人間が逐一操作しなくても進路を判断する制御。それらを家庭用のまま流用するのではなく、災害現場へ適応させるための土台として使うという考えだった。
説明の途中から、御堂グループの技術者たちは資料へ書き込みを始めていた。
想定している段差を尋ねる者がいれば、現在の車輪方式では不足すると指摘する者もいる。東雲精機側では必要なモーター出力について議論が始まり、北辰電池の担当者は高出力化による消費電力と稼働時間への影響を確認していた。
玲奈は、その技術的な議論へ無理に割り込まなかった。
自分より詳しい人間が揃っているなら、その人たちに考えてもらえばいい。
ただ、話を聞いているうちに一つだけ気になることがあった。
「皆様、一度だけよろしいです?」
議論が途切れたところで玲奈が声をかけると、技術者たちの視線が集まった。
「この機械は、何ができれば成功なのです?」
質問の意味を考えるように、室内が静かになった。
玲奈は完成予想図を指した。
「最も高い瓦礫を越えることでも、一番長く動くことでも、最高画質の映像を撮ることでもございませんわよね。目的は、人間がすぐに入れない場所へ入り、中に救助を待っている方がいるのか確認して、その情報を外へ届けることではございません?」
その一言で、議論の方向が少し変わった。
すべての性能を最大にする必要はない。
大型化すれば走破性能を高めやすいが、狭い隙間へ入れなくなる。大容量のバッテリーを積めば長く動けるものの、その分だけ重くなる。高価なセンサーを大量に搭載すれば得られる情報は増えるが、一台あたりの価格が上がれば配備できる数は減ってしまう。
何をする機械なのか。
そこを決めなければ、性能はいくらでも足せる。
御堂はしばらく黙って玲奈を見ていたが、やがて椅子の背へ体を預けた。
「掃除機を作った経験も、意外と無駄じゃなかったみてえだな、小娘。お前んとこの最初のやつ、あのセレスティアって配信者に重いって言われてただろ」
玲奈は一瞬だけ御堂を見た。
もちろん、御堂は知らない。
あの配信で《Aster One》を初めて持ち上げ、「少々、重くございません?」と口にしたセレスティア本人が、今まさに目の前へ座っていることを。
「ええ。良いご意見をいただけましたわ。そのおかげで、性能を足すだけでは良い商品にならないと、東雲精機も随分学べましたもの」
「会社の製品を案件で酷評されて、良い意見で済ませる経営者も珍しいけどな」
「直せる欠点でしたら、怒るより直した方が利益になりますでしょう?」
御堂は喉の奥で笑った。
それ以上、セレスティアの話を続けることはなかった。
事情を知らない周囲の人間にとっても、単に公開された案件配信と、その後の製品改善について話しているだけに聞こえる。玲奈も表情を変えず、再び災害用ロボットの資料へ視線を戻した。
その日の会議では、御堂グループが全面的に共同開発へ参加することまでは決まらなかった。
まずネクサリンクを中心に第一試作機を作り、東雲精機、北辰電池、相馬電子技研が必要な部分を担当する。御堂側は量産設計や耐久試験について助言し、試作機が一定水準へ達した段階で、製造や保守体制への本格参加を改めて判断することになった。
玲奈には、その形の方が都合が良かった。
最初から巨大な体制を作れば、開発費も意思決定に関わる人間も増える。まだ何が必要なのかさえ完全には分かっていない段階で規模だけ大きくしても、動きが鈍くなるだけだった。
そして翌月、公的機関との最初の正式な打ち合わせが行われた。
相手側から来たのは、災害対応装備の導入を担当する職員だけではない。実際の救助活動について意見を出すため、現場経験を持つ専門職員も同席していた。
玲奈は、その人選を見た時点で少し安心した。
机の上だけで仕様を決めるつもりはないらしい。
実際、会議が始まると開発側が考えていたものとは異なる要求が次々に出てきた。
最高速度はそれほど必要ない。
災害現場では速く走ることより、途中で止まらず、必要な情報を持ち帰れる方が重要になる。操作画面についても高度な機能を大量に並べるより、短時間の訓練を受けた人間が迷わず使える方がいい。
価格についても現場側は現実的だった。
一台だけ極めて高性能な機体があっても、災害発生地点から遠く離れた倉庫に保管されていれば到着まで時間がかかる。複数地域へ配備でき、定期的な訓練や点検にも使える価格でなければ、実際の装備として導入しにくい。
企業側が考える最高性能と、現場が必要とする性能は同じではなかった。
玲奈は説明を聞きながら資料へ書き込み、技術者たちの反応も確認していた。
現場経験を持つ職員は、完成予想図を見ながらカメラの位置にも指摘を入れた。
「正面だけでは、瓦礫の下だと困る可能性があります。横や上に要救助者がいることも考えられますから、周囲を確認する方法が欲しいです。それから音を拾うのであれば、機体自身の走行音をどう処理するかも考えてください」
瀬川がすぐに内容を書き留め、東雲精機の技術者も駆動音を抑えられるか検討を始めた。
そこで玲奈は、全員がその場で「できます」と答えようとするのを止めた。
「一度持ち帰りましょう。できることと難しいこと、それから実現できても価格や重量が大きく増えてしまうものを分けてお返事いたします。全部できますと申し上げて、実際の現場では使えませんでした、では意味がございませんもの」
職員は玲奈を見てから、静かに頷いた。
要求をすべて受け入れることと、良い機械を作ることは同じではない。
玲奈たちは持ち帰った要望を整理し、目的に必要なものから第一試作機へ入れることにした。
二か月後。
《探索試作一号》が完成した。
《Aster Mini》より一回り大きく、見た目も家庭用製品とはまるで違う。低く平たい本体の左右には不整地を進むための走行機構があり、前部には暗所対応カメラと照明、温度を確認するセンサー、周囲の音を拾う装置が搭載されている。
外装も滑らかな家電製品とは違い、傷や衝撃を受けることを前提にした無骨な形だった。
商品名も愛称もない。
まだ、人へ売れる段階ではない。
最初の本格試験は、訓練施設の一角に作られた模擬倒壊現場で行われることになった。
コンクリート片を模した障害物や傾斜した床、狭い隙間や暗所が作られ、その奥には要救助者を想定した訓練用人形が置かれている。外部から人形の位置は分からず、機体を送り込んで探さなければならない。
玲奈は安全区域から試験開始を見守った。
操作を担当するのは開発者ではない。
短時間の説明を受けただけの救助担当者だった。
開発者にしか扱えない機械では、現場で役に立たない。そのため操作性そのものも試験項目へ含まれている。
開始の合図とともに、《探索試作一号》が瓦礫の間へ入っていった。
最初の数メートルは順調だった。
小さな段差を越え、傾いた床でも姿勢を保つ。暗所へ入ると照明が点灯し、操作端末へ内部の映像が送られてきた。
やがて機体そのものが外から見えなくなる。
そこから先は、端末に映る映像とセンサー情報だけが頼りだった。
最初の問題は、開始から七分ほどで起きた。
大きめの障害物を越えようとした機体が途中で傾き、そのまま横倒しになった。
操作担当者が復帰操作を試すと、走行部分が空転する。
角度を変えようとしても、車体の一部が瓦礫へ引っかかり、自力では元の姿勢へ戻れなかった。
開発チームの表情が一斉に険しくなる。
瀬川が試験を中断しようとしたところで、現場担当者が待つよう求めた。
「実際の現場なら、回収するために人間が入れないこともあります。ここで自力復帰できないなら、それ自体を結果として残しましょう」
誰も反論しなかった。
第一試験は失敗だった。
しかし、その日の試験はそこで終わらない。
予備として用意していた二号機を別の経路から投入すると、今度は転倒せずに奥へ進んだものの、狭い隙間へ入ったところで通信状態が急激に悪化した。
映像が乱れ、数秒後には完全に止まる。
機体そのものは動いていても、外にいる人間が何も見られなければ探索機としての役割を果たせない。
通信が完全に切れる前に機体を戻し、二度目の試験も途中終了となった。
午前中だけで、自力復帰と通信という二つの大きな問題が見つかった。
昼休憩へ入る頃には、開発チームにも疲れが見えている。
玲奈は紙コップを手に試験場の外へ立ち、横倒しになった一号機が回収される様子を眺めていた。少し離れたところでは、御堂も技術者から試験結果の説明を受けている。
説明が終わったところで、玲奈は回収された機体を見たまま口を開いた。
「思ったより、駄目でしたわね」
「嬉しそうに言うな、小娘」
御堂が呆れたように返したため、玲奈は小さく首を横へ振った。
「嬉しくはございません。ただ、今日ここで転んでくださって良かったとは思っております。人を探しに行った機械が、自分を助けていただくことになっては困りますもの」
「そういう失敗を拾うための試験だ。壊さず綺麗に帰ってくるだけなら、試験場なんざいらねえよ」
玲奈はその言葉に頷いた。
午後からは成功させることではなく、失敗する境界を調べる方向へ試験内容を変えた。
段差の高さや傾斜角を少しずつ変え、通信距離や遮蔽物の条件も調整する。何度も機体を走らせるうちに、どの姿勢から転倒しやすくなるのか、どの位置で通信品質が急激に落ちるのかが数字として見え始めた。
最後に投入された三台目の予備機は、午前中とは異なる経路を進んだ。
大きな段差を無理に越えず、別の通路を探す。
通信状態が悪化すると一度後退し、接続が安定した位置から違う経路へ向かう。
最短ではない。
それでも止まらずに進み続けた。
開始から十二分ほど経った頃、操作端末の映像に瓦礫の陰から伸びた人間の腕が映り込んだ。
もちろん訓練用人形だと全員が知っている。
それでも試験場の空気が変わった。
操作担当者は慌てて機体を近づけるのではなく、周囲を確認してからカメラの向きを調整した。人形の上半身が映り、位置情報と映像が外部端末へ記録される。
「要救助者、発見。位置情報を確認しました」
現場担当者の声が試験場へ響いた。
玲奈は画面を見つめたまま、すぐには言葉を発しなかった。
一号機は転倒した。
二号機は通信障害で引き返した。
三号機が成功したからといって、完成したわけではない。経路が良かっただけかもしれず、実際の倒壊現場が同じ条件になる保証もなかった。
それでも、人間が入る前に内部へ機械を送り、要救助者を見つけて情報を持ち帰る。
最初に決めた目的だけは、この日初めて実際の動きとして確認できた。
試験終了後の会議では、成功を祝う時間より改善点を整理する時間の方が長かった。
自力復帰の方法をどうするか、通信を中継する仕組みが必要か、駆動部分を粉塵からどう守るか、カメラの視野をどこまで広げるか。さらに耐久性を上げながら重量を増やしすぎないことや、操作担当者が情報を見落としにくい画面構成まで検討対象へ入った。
玲奈は、その一つ一つへ自分から答えを出そうとはしなかった。
技術の問題は技術者へ、現場運用の問題は救助経験者へ任せればいい。
玲奈が最後に確認したのは、開発そのものの方向だった。
「次の試作へ進みましょう。ただし、今日の訓練施設を上手に走れる機械を作ることが目的にならないようにしてくださいませ。実際の災害現場が、わたくしたちの試験に合わせて壊れてくださるわけではございませんもの」
現場担当者が強く頷き、瀬川も次の試作では条件そのものを変えた試験を増やすと答えた。
御堂グループ側からも、自力復帰機構と耐久性の検討へ量産技術担当を本格的に参加させたいという提案が出た。
最初の試験で問題が大量に出たからこそ、御堂側も自分たちの経験を投入する意味があると判断したのである。
会議が終わったあと、玲奈は誰もいなくなり始めた試験場をもう一度振り返った。
《Aster Mini》は、散らかった部屋で人間に助けを求める回数を減らすために作った。
今度の機械は、助けを求めている人間を探しに行く。
使われる場所も目的も、失敗したときの責任もまるで違う。それでも家庭用製品で覚えた小型化や障害物認識、会社同士で協力する方法、実際に使う人間から意見を聞いて改善する習慣は、確かにここまで繋がっていた。
掃除機を作っていたときには、誰も想像していなかった使い道だった。
玲奈自身も同じである。
十四歳で東雲精機を買ったとき、欲しかったのは経営経験と、自分の判断で動かせる最初の会社だった。
それから家庭用掃除機を作り、ロボット掃除機を作り、複数の企業と組むことを覚えた。
その積み重ねの先で、今は災害現場へ入る機械を作ろうとしている。
玲奈は試験場から視線を外すと、瀬川たちが待つ廊下へ向かった。
まだ成功したとは言えない。
むしろ今日分かったのは、できないことの方が多かった。
だからこそ、次に何を直せばいいのかは昨日より明確になっている。
「次は、もう少し賢い子にいたしましょうか」
廊下で待っていた瀬川が笑い、御堂は後ろから「今度は倒れるなよ」と付け加えた。
玲奈は二人の間を歩きながら、次の試作機について話し始める。
家庭の床を掃除していた小さな技術は、ようやく人を探すための技術へ変わり始めていた。




