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第4話「じいちゃん、小学校に入りたい」

 保育園デビューから一週間。

 桜井善朗は、帰り道の横断歩道で立ち止まっていた。

 春の空、ランドセルを背負った子どもたち。

 さっきまで一緒に遊んでいた園児たちも、いずれああいう姿になるのだ。


「——小学校、ですな」

『出たな』

 頭の中で、神がため息をつく。


『嫌な予感がします』

「嫌な予感は大体当たりますからな」

『それを誇らしげに言わないでくださいよ』


 善朗はしみじみと歩き出しながら、心の中で独り言のように続けた。

「小学校にも、行ってみたかったですなぁ」

『出た。“行ってみたかったシリーズ”。この流れ、もう分かりましたよ』


「ランドセルを背負ってみたかった。運動会、文化祭、クラブ活動。そういう“当たり前”を、ちゃんと体験してみとうございます」

『うん、気持ちは分かる。分かるんだけどね? あなたの外見、どう見ても“校長先生サイド”なんですよ』

「中身はピカピカの一年生です」

『概念の話を現実にぶつけるな』


 だが、この男はもう一度人生をやり直すと決めた男である。

 そして一度決めたことは、とりあえず相談に行く男である。



 市役所・教育委員会窓口。

「——えぇ? もう一度、小学校に通いたい?」

 デジャヴのような台詞を、べつの部署の人間が口にした。


 窓口の若い男性職員は、目の前に座る善朗と申込用紙(無記入)を交互に見て固まっている。

「はい。私、前回は保育園でお世話になりまして。次のステップとして、小学校にもですね」

「ステップて言いました?」

「はい。段階的に」


 背筋の伸びた白髪、穏やかな笑み。

 どう見ても“教育委員会側の人間”の風格だが、本人は真剣に「入学希望者」である。

「ええと……桜井さん、年齢は——」

「概念的には一年生で」

「現実的には?」

「八十くらいで」

「ですよね」


 職員は深呼吸した。

「ご事情を……伺っても?」

「子どものころ、学校に通う余裕があまりなくてですな。働きながら独学で何とか、という感じでして。ですので、一度“ちゃんと教室で学んでみたい”と思いまして」

 それ自体は、とても真っ当な願いだった。


「もちろん、正式な“児童”というのが難しいのは理解しております。ですから、可能であれば、“学習の場に同席させていただければ”と」

「……」

 職員は、隣の席の先輩を見た。

 先輩職員は「またこの人だ」という顔をした。

 善朗、すでに庁内で有名である。


「前回の“保育園さんの件”が問題なく進んでいるのであれば、今回は“特別学習支援ボランティア”という建て付けで、学校側に打診してみるのは……ギリギリ可能です」

「おお……!」

「ただし!」

 先輩職員が身を乗り出す。


「授業を邪魔しないこと。先生の指示に従うこと。子どもたちの前で“昔話講座”を延々始めないこと」

「努力します」

「“努力します”じゃなくて“守ります”って言ってください」

「守ります」


『素直でよろしい』


 こうして教育委員会内でちょっとした会議が行われ、

「高齢者の社会参加および世代間交流モデルケース」という立派な名目が乗り、とある小学校で試験的に受け入れてみる、という話がまとまった。


 なお、この間、担当者と課長と校長とPTA会長の頭には何度も「前例がない」という言葉がよぎったが、最終的にみんな「まあ、桜井さんだし」で押し切った。



 そして迎えた初登校の日。

「——本日は、新しくこのクラスに来てくれる人を紹介します」


 教室の前に立つのは、若くて元気そうな女性の担任・立花先生。

 教室にはピカピカの一年生たち。カラフルなランドセル。

 机と椅子は低い。


「どうぞ、入ってくださーい」

 ガラッ。

 入ってきたのは、ランドセルを背負った白髪の老人だった。

「よろしくお願いします。桜井善朗、八十……概念的には一年生です」


 教室が静まり返る。

「……」

「……」

「……じいちゃんだ」

 一番前の男子が、素直な感想を口にした。


 立花先生は慌てて笑顔を繕う。

「え、えーっとですね! 桜井さんは地域の方で、“一緒にみんなと勉強したり、お話を聞いてくれたりする特別なおじいちゃん”です。今日はみんなと同じ教室で過ごします」


「すげー!」

「とくべつ〜!」

「わたしのおじいちゃんよりしわしわだ!」

「こらー、失礼でしょ!」

 教室が一気にざわざわと温かい方に傾く。


「席は、えっと……前の窓側、空いてるから——」

「先生」

 善朗が手をあげる。

「はい?」

「できれば、一番後ろの席を」

「後ろ?」

「いつも前か端っこで“見守る側”でしてな。一度くらい、“悪い子が座ると言われた席”にも座ってみたい」

「そんな説明、現代ではしませんけどね!?」

 笑いが起こる。


「じゃあ、特別に一番後ろ、窓側の席をどうぞ」

「ありがとうございます」

 善朗は嬉しそうに、子ども用の椅子に腰かけた。少し窮屈だが、それがまたいい。


(本当に……教室ですなぁ)

 黒板。チョーク。貼り紙。時間割。

 自分が「学ぶ側」でいられる場所。

 胸の奥が、少し熱くなる。


『よかったですね』

(ええ)



 一時間目、国語。

「じゃあ、この字読める人〜?」

「はい!」

「はーい!」

「さくらいさんもどうぞ」

「“学校”ですな」

「正解です!」

「“學校”と旧字で書くとですね——」

「はいストップ! 解説は先生がやりますからね!」


 立花先生、即座に制止。

「先生が止めなかったら、たぶん“教育制度変遷講座”が始まってましたよね……?」

「始まってましたね」



 二時間目、算数。

「1+1は?」

「2!」

「では、10×10は?」

「100!」


「さくらいさん、九九は分かりますか?」

「ええ。九九は百八十一通りほど——」

「先生より詳しそうだから、そのへんで!」

 クラス、爆笑。


「でも、分かってても、みんなと同じページからやります。ね?」

「はい。よろしくお願いします、先生」

 善朗は、ちゃんと“生徒として”頭を下げた。



 休み時間。

「よしろうちゃん、一緒にあそぼ!」

「鬼ごっこしよー!」

「ドッジボールー!」

「縄跳びも!」

 子どもたちに囲まれる。


「では順番に——」

 とりあえず校庭で鬼ごっこをすると、善朗は歩いているだけで誰もタッチできない。

 次にドッジボールをすると、ボールが全部よけられる。

 縄跳びでは三重跳びを決め、子どもたちが「すげー!!!」と叫ぶ。


 立花先生は職員室の窓からその光景を見ていた。

「……なんなんだろう、あの人」

「子どもたち楽しそうだから、まあいいんじゃない?」と同僚。

「でも、うちのクラスの運動会だけ戦力がおかしいことになりません?」

「それはそう」



 帰りの会。

「今日の感想を言える人〜?」

「はい!」

「よしろうちゃん、すごかった!」

「じいちゃん、はやい!」

「わたし、じいちゃんとなら算数きらいじゃない!」

 立花先生が笑顔でうなずく。

「桜井さん、一日どうでした?」

「……とても、楽しかったです」


 善朗は、ゆっくりと言葉を選んだ。

「前は、学びは“義務”で、“誰かのため”にするものでしたが。今日は、“自分も一緒に分からなくてよい”というのが、新鮮でして」

 子どもたちはよく分かっていないが、「じいちゃん楽しかった」を喜んでいる。


『いいこと言った』

 神の声が、小さく笑う。

『ね、桜井さん。こうして少しずつ、“自分のため”も混ぜていきましょう』

(ええ。少しずつですな)

 ランドセルを片付ける子どもたちの中で、善朗は小さく伸びをした。

 帰り道、自分もランドセルを背負ってみたい、と思っているのは——もう少しだけ秘密である。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

次回もよろしくお願いします!

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