第2話「じいちゃん、バク宙で再起する」
桜井善朗は、しばらく天井を見つめていた。
(……ありゃ? 転生は?)
心臓の痛みもない。呼吸も楽だ。体はやたら軽い。
だが、手の甲はしっかりしわくちゃ。腕も細く、白髪もそのまま。
どう見ても「奇跡的に回復した老人」である。
(まあ、ありがたいことではあるが……老い先は、そう長くもなかろう)
ここから先、せいぜい数年。
死ぬ予定だったはずが「延長戦」になったのだろう、と善朗は勝手に結論づけた。
「……困りましたな」
思わず口から漏れる。
この年齢、この外見で、今さらなにを新しく始めるのか。
家族もいない。
まとまった貯金も、ほとんど寄付してしまった。
施設への入所を勧められていた矢先だ。
延長されても、たいして変わらないのではないか——と、ほんの少しだけ、珍しく弱気な考えがよぎる。
『なにをしれっと締めに入ってるんですか』
頭の中に声が響いた。
「……神様?」
『はい神様です。さっきぶりですね』
声の主は、間違いなくあのコーヒー片手の神である。
善朗はきょろきょろと病室を見回すが、それらしい姿はない。
代わりに心の中に、軽い咳払いが落ちてきた。
『まずはご報告を一つ。生きてます』
「まあ、この様子ですと」
『次にお詫びを一つ。盛大にやらかしました』
「やはりですか」
『はい。予定ではですね、“別世界で若くてチートでモテモテ人生”コースに送るはずだったんですが、送信先の世界線の指定をですね、こう……ちょっと……』
「聞きたくない予感がしますな」
『ミスりましてですね。同じ世界、同じ場所、同じ見た目でリスポーンしました』
「全のっけというやつですかな?」
『ただし!』
声が、やたら明るくなる。
『そのままだとさすがに私のメンツが持たないので、調整を入れております』
「調整?」
『まず、見た目はそのまま八十歳前後。しかし中身、性能面はフルメンテ&フルチューンです』
「フル……めんて?」
『寿命メーター、ゼロ歳からリセット。はい拍手。もう一回分生きられます。ちゃんと健康に過ごせば、今の外見のまましばらく維持で、その後も普通に歳は取りますが、今度は“本来の寿命”まできっちりお届けします』
「……は?」
思考が二歩ほど遅れてよろける。
『要するに、今のあなたは、“見た目老人体で中身はスタートラインに戻った人間”です。もう一周できます。おめでとうございます』
「いや、待ちなさい神様。私の見た目をご覧なさい」
『見てます。味わい深いです』
「今さらこの顔で、人生をもう一周と言われましても」
『そこですよね。なので、もう一つオマケがあります』
神の声が、さらりと言う。
『頭脳、反射神経、筋力、持久力、すべて常人の比じゃありません。』
「…………はい?」
『今のあなた、本気出したらそこそこのスポーツ漫画が打ち切りになるくらいの記録、量産できます。文学賞も、ちょっと頑張れば全部いけます。学問も芸術も、だいたい習得可能。まあ、やるかどうかはあなた次第ですけどね』
「いやいやいや、ちょっと待ってください」
『あ、ちなみに病気耐性と回復力も上げときました。前回盛りすぎた試練への反省会の結果です』
「だから若い人にそういうのを……」
『譲らない。これはあなたの、ご褒美です。今回は絶対に譲り禁止。反則です』
「……神様、反則と言うなら、そちらの手違いの方が」
『それはそれ。これはこれ』
理不尽だった。
が、善朗も八十年の人生で、上からの理不尽には耐性がある。
ふと、自分の体が「軽い」と思った感覚を思い出す。
(そんな馬鹿な……)
「神様、試しに少し動いても?」
『どうぞ。暴れすぎると医療スタッフがバグるのでほどほどに』
善朗は、ベッドの上で上体を起こした。
するすると、驚くほどスムーズに腹筋が起きる。息も上がらない。
(ほう……?)
そっとベッドから足を下ろす。
立ち上がる。ふらつきが、ない。
足が、若い。膝が笑わない。
「ふむ」
病室の片隅、点滴スタンドをどけてスペースをあける。
『ちょっと待ってちょっと待って』
「神様。少し、失礼して」
善朗は一歩下がり、軽く膝を曲げ——
その場でバク宙した。
くるり、と。
実にきれいな弧を描き、天井に触れそうなほどの高さで、ふわりと一回転し、そのまま音も立てずに着地する。
「…………」
『おお〜〜〜〜〜〜〜〜〜』
神の素の歓声が聞こえた。
「……これは、すごいですな」
膝が痛くない。腰も無傷。息も切れていない。
なんなら、もう何回でもいけそうだ。
その瞬間——
ガラッ!
ドアが勢いよく開いた。
「さ、桜井さん!!な、なんで起き上がって……!? え、どういう——」
担当医と看護師が飛び込んできた。
彼らは、ちょうど善朗が静かに着地したところを目撃してしまう。
「……」
「……」
「……」
「い、今、バク宙……されました?」
若い看護師が、信じたくないものを見た顔で問いかける。
担当医はカルテを落としながら、口をぱくぱくさせている。
「いえいえ」
善朗は穏やかに笑った。
「少し体が軽いような気がしたので、つい」
「“つい”でバク宙できる八十代いませんからね!!?」
医師の悲鳴に近いツッコミが、病室に響き渡った。
モニターは異常なし。
むしろ健康優良児のような数値を叩き出している。
先ほどまで心肺停止のはずの男が、ピンピンどころか体操選手顔負けのムーブを決めているのだ。
医師は額を押さえた。
「……すみません、一度、検査をフルセットでやり直させていただいても?」
「もちろん。お手を煩わせて申し訳ありませんな」
「いやいやいやいや、謝るのはこちらです!」
『いいですねぇ、善朗さん。順調にカオスです』
軽く笑う神の声に、善朗は心の中でだけ、ため息をついた。
(……本当に、どうしたものか)
けれど、その胸の内には、確かにあった。
——もう一度、生きてもいいのかもしれない。
そんな、ほんの少しの、高鳴りが。
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