【第2章】心の距離。
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教室の窓から差し込む午後の光は、だんだんとオレンジがかった色へと変わり始めていた。
青斗はノートにペンを走らせながら、ぼんやりとしていた。
それは、春花のことが頭から離れないせいだった。
転校してきてから数日。
遠野春花という名前も、白い長髪も、どこか懐かしいような、不思議な引っかかりを残したまま、青斗の心に居座っていた。
——まるで、昔どこかで会ったような気がする。
そんな馬鹿な話、と思いながらも、彼女がふとした拍子に見せる笑顔や、言葉の節々に漂う“親しさ”に、青斗の胸は少しざわついていた。
チャイムが鳴り、授業が終わる。
教科書をまとめてカバンに押し込むと、青斗は静かに立ち上がった。
今日も、誰に声をかけるでもなく、教室を出ようとしたそのとき——
「青斗くん!」
不意に名前を呼ばれて振り返ると、そこには春花がいた。
長い髪を揺らしながら、彼女は少し息を弾ませていた。
「……どうしたの?」
青斗の問いかけに、春花は少しだけ躊躇した後、ふわっと微笑んだ。
「もし、よかったら……一緒に帰らない?」
一瞬、時間が止まったように感じた。
こんなふうに誰かに“帰ろう”と誘われたのは、いつぶりだろう。
「……いいよ」
自然にそう言葉が口からこぼれていた。
並んで歩く帰り道。
人通りの少ない裏道を選んだのは、春花の気遣いか、あるいは青斗の無意識か。
「ねえ、青斗くんって、いつも一人でいるよね」
「……うん。人と話すの、ちょっと苦手で」
「そっか。でも、話してみると……優しいよね」
そう言って微笑む彼女の横顔に、青斗は思わず目を奪われた。
白い髪が夕陽に照らされて、金色に近い光を帯びている。
「春花は……」
ふと、青斗は口を開いた。
「春花は、どうして俺に一緒に帰ろうって声をかけてくれたの?」
その問いに、春花は歩みを少しだけ緩めた。
そして、空を見上げるようにして、ゆっくりと答えた。
「なんとなく……放っておけなかった、のかも」
「放っておけない?」
「うん。なんだか、青斗くんが、すごく寂しそうに見えたから」
誰にも気づかれないようにしていた“孤独”が、見透かされていた気がして、青斗は胸がぎゅっと締め付けられるように感じた。
「……俺も、たぶん、君のことが気になってた」
「えっ……?」
春花が少し目を見開く。
「初めて見たときから、どこかで会ったことがあるような、そんな気がして……」
言葉を濁すと、春花はほんの一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた。
けれどすぐに、優しく微笑んだ。
「私も、同じ気持ちだったよ」
それからしばらく、ふたりは沈黙のまま歩いた。
でもその沈黙は、不思議と心地よくて、無理に言葉を探す必要がなかった。
信号待ちの横断歩道の前、春花がふと鞄をごそごそと探り始めた。
「……あ、あった!」
彼女が取り出したのは、小さな紙袋だった。
「よかったら、これ……」
差し出された袋の中には、小さなクッキーが数枚入っていた。
「手作り?」
「うん。昨日の夜、作ってみたの。味は保証できないけど……」
「……ありがとう。嬉しい」
照れくさそうに受け取った青斗は、一枚だけクッキーを口に入れた。
サクッという音とともに、優しい甘さが口の中に広がった。
「……うまいよ」
「本当?」
「うん。君みたいな優しい味がする。」
言ってから、青斗は自分の口が勝手に動いたことに気づき、顔が赤くなる。
一方、春花も一瞬ぽかんとしてから、口元を手で隠して笑った。
「そんなこと言われたの、初めて」
そのまま角を曲がり、住宅街に入る。
「私、あの電柱のところで曲がるの」
春花が指差した先には、小さな路地があった。
「じゃあ、また明日」
「……うん。明日も、一緒に帰れる?」
「うん」
その約束が、胸の奥をじんわり温めた。
春花が小さく手を振って路地に消えたあと、青斗はその場に立ち尽くしていた。
空はすっかり茜色に染まっていて、冷たい風が頬を撫でた。
今日、彼女と過ごした時間は、ほんのわずかだったはずなのに、心は確かに動かされていた。
春花のことが、もっと知りたい。
あの懐かしさの正体を、確かめたい。
そして、もう少しだけ、彼女の隣にいたい——
そんな気持ちが、青斗の中で小さな灯火のように揺れていた。
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