【第1章】はじまりの風。
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桜が咲き始めるには、まだ少し早い季節。
空はうっすらと白く濁り、風には冷たさと、ほんのわずかな柔らかさが混ざっていた。
青斗はその朝、いつも通り早めに家を出た。
通学路に人はまばらで、人混みが苦手な青斗にとって、それは安心できる静寂だった。
心を落ち着けるためにいつも歩く裏道を選ぶ。道端に小さく咲くタンポポを見つけて、少しだけ立ち止まる。
その小さな黄色が、どこか懐かしい色に思えたのは、春のせいかもしれない。
「……ふぅ」
深呼吸をして、また歩き出す。
教室に近づくにつれ、心の中にひとつ、薄い膜のようなものが張っていく。
——今日も、誰とも話さずに過ごすんだろうな。
そんな思いが、彼の日常には当たり前のように存在していた。
始業のチャイムが鳴る数分前。
青斗は、静かに教室の扉を開けた。
ガヤガヤと話すクラスメイトたち。彼に気づく者はいない。
いつもの席に腰を下ろし、机の上に腕を置いて顔を伏せる。
目を閉じれば、世界の音が少し遠くなる。
「おはよう。えーっと、今日はみんなに話がある」
担任の先生の声と共に、クラスが少しざわついた。
「今日からこのクラスに転入してくる子を紹介するぞ。遠野春花さんだ。みんな、仲良くしてあげてくれ」
青斗は顔を上げた。
その瞬間、まるで世界の色が変わったような気がした。
春花——彼女は、透き通るような白い髪をふわりと揺らしながら、一歩前に出た。
制服はまだ少し新しい感じがして、彼女の繊細な雰囲気をより際立たせていた。
教室が静まり返る。
それは美しさに圧倒されたというよりも、彼女の持つどこか非現実的な空気に、皆が戸惑っているようだった。
「……遠野春花です。よろしくお願いします」
それだけの挨拶だった。だが、その声は不思議と教室にすっと馴染んだ。
柔らかく、でも芯のある声。冷たいようでいて、どこか温かい。
彼女の席は、青斗の後ろになった。
椅子を引く音、ふわりと香る甘い風の匂い。
青斗は、なぜだかわからないけれど、心臓が少しだけ早くなるのを感じた。
その日の授業は、あまり頭に入らなかった。
春花の気配が、後ろからじっと青斗の背中を見つめているような、そんな気がしていたからだ。
——なぜ、こんなに気になるんだろう。
昼休み、クラスの数人が春花に話しかけていた。
でも、春花は微笑みながらも、どこか一線を引いているように見えた。
誰かと楽しそうに話しているのに、心はそこにいないような、そんな不思議な印象。
「君、名前……朝比奈青斗くん、だったよね?」
その声に驚いて顔を上げると、すぐ目の前に春花がいた。
「……うん」
返事が一拍遅れた。
こんなふうに、自分に話しかけてくれる人なんて、ほとんどいない。まして、初対面の相手が。
「ごめん、突然。でも、なんか……君の名前、聞いたとき、すごく懐かしい気がしたの」
「懐かしい……?」
「うん。変だよね。私もよくわかんない。でも……なんか、昔、君に会ったことがあるような、そんな気がしたの」
青斗も、どこかでこのやり取りを知っている気がした。
でも、記憶にはない。
それでも、その「懐かしさ」は確かに自分の胸の奥でも微かに響いていた。
その日、帰り道。
偶然にも、春花と青斗は校門を同じタイミングで出た。
「私もこの道、通ってるんだ。」
そう言って並んで歩く彼女に、青斗は言葉を探しながら頷いた。
「……なんで、俺に話しかけたの?」
「うーん……なんでだろ。たぶん、君の目を見たとき、寂しそうだったから」
「……寂しそう?」
「うん。でも、それだけじゃないかも。きっと、もっと前に、どこかで君を見てた気がしたの」
春花の言葉は、どれも曖昧で、けれどどこか真っ直ぐだった。
青斗は、自分の胸の中にあった孤独の芯が、ほんの少し溶けていくのを感じた。
その夜。
青斗は、ベッドの中でずっと天井を見つめていた。
春花の声、目、匂い——どれもが頭から離れなかった。
名前を呼ばれたときの感覚が、何度も心の中を撫でていく。
「春花……」
名前を呟いてみる。
それだけで、心がふっと温かくなるのを感じた。
あの子は、ただの転校生じゃない。
きっと、何かが始まろうとしている——そんな予感がしていた。
ご視聴いただきありがとうございました。
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