第6話:令和の食
『うーばー』の務めは、清十郎に奇妙な発見をもたらし続けたが、中でも彼の心を最も揺さぶったのは、運ぶ「料理」そのものであった。
ある日のこと、彼が受け取ったのは、平たく丸い、巨大な煎餅のような食べ物であった。表面には赤いソースが塗られ、とろりとした乳製品と、様々な具材が乗っている。その名を「ぴざ」と言うらしい。
「南蛮の円盤煎餅、か……。まことに奇怪な食べ物よ」
配達を終えた帰り道、カイトが「お疲れ! これ、俺の分だけど一枚食べる?」と、同じ「ぴざ」を差し出した。恐る恐る一切れを手に取り、口に運ぶ。その瞬間、清十郎の目は驚きに見開かれた。
小麦の香ばしさ、酸味と甘みのある赤いソース、濃厚な乳製品のコク、そして塩気の効いた肉。それらが一体となって、口の中に豊かな味わいを広げていく。江戸の食事が、素材の味を活かす引き算の料理だとすれば、これはありとあらゆる美味を詰め込んだ、足し算の料理であった。
「う、うまい……! なんだこれは、この世の物とは思えぬほどに……!」
夢中で頬張る清十郎を見て、カイトは腹を抱えて笑った。
「大げさだなー、ただのピザっすよ」。だが、清十郎にとって、それは文化的な衝撃であった。
それからというもの、彼は配達する料理に深い興味を抱くようになった。山盛りの飯の上に甘辛く煮た牛肉が乗った「ぎゅうどん」。滋味深い汁に小麦の麺が浸された「らーめん」。茹でた麺に肉や野菜を煮込んだソースをかけた「すぱげってぃ」。どれもが、彼の知らない味であり、驚くべき美味であった。
特に彼を困惑させたのは、「たぴおかみるくてぃー」なる飲み物であった。乳の茶の中に、黒く、丸く、餅のような食感の玉が無数に入っている。
「黒真珠入りの乳の茶……。これを飲むとは、この時代の人間は、なんとも風流なことを」
彼は真顔でそう評し、カイトに一口もらった際には、その奇妙な食感に目を白黒させた。
多様な「食」に触れるたび、清十郎は二つのことに気づかされた。一つは、この時代の驚くべき豊かさである。江戸では、これほど多様で、手の込んだ料理を、一般の民が日常的に口にすることなどありえなかった。飢えを知らぬどころか、人々は食を「楽しむ」ために、日々新たな味を求めている。彼が命を賭して守ろうとした「泰平の世」とは、一体何だったのか。そう考えずにはいられなかった。
そしてもう一つは、そこに生きる人々の、ささやかな幸せの形であった。誕生日を祝うための「けーき」を運んだ時。疲れた仕事帰りの一人分の「らーめん」を届けた時。恋人同士であろう男女に、二人分の「ぴざ」を渡した時。扉の向こう側から聞こえてくる、嬉しそうな声や、安堵のため息。
食は、ただ腹を満たすだけではない。人の心を慰め、人と人とを繋ぎ、日々の暮らしに小さな彩りを与えている。その当たり前の事実に、清十郎は心を打たれた。
かつての彼は、武士として、己の道を厳しく律し、食も眠りも、ただ生命を維持するための手段としか考えていなかった。だが、この未来の世の豊かな食文化は、彼の凝り固まった心を、熱いスープのようにじわりと溶かしていく。
その夜、カイトと共に卓袱台で「らーめん」をすすりながら、清十郎はふと呟いた。
「カイト殿。この『らーめん』なるものは、実に……心に染みる味だ」
「だろ? やっぱ疲れた時はラーメンっしょ!」
屈託なく笑う若者の隣で、清十郎は静かに汁をすする。塩辛い汁が、乾いた心に温かく染み渡っていく。それは、ただの塩味ではなかった。この時代に生きる人々の、ささやかな幸せの味が、するような気がした。