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第5話:武士は食わねど高評価

初陣から数日が経ち、清十郎は幾度かの出陣を重ねていた。天の声にも、町の理にも、いまだ戸惑うことばかりであったが、持ち前の生真面目さと頑健な肉体で、一つ一つの務めを実直にこなしていった。


そして、初めての「給金」が支払われる日が来た。カイトが「はい、これ清十郎さんの初給料ね」と、銀行の通帳なるものを見せてくれた。そこに記された数字の羅列。それが己の働きに対する対価なのだと言われても、清十郎には全く実感が湧かなかった。


「金銭か……。武士の誉れは、禄高(ろくだか)にあらず。務めを果たし、主君に認められることこそが本懐」

彼はそう呟き、通帳にはさほど興味を示さなかった。その姿にカイトは「まあ、侍だしな……」と、またも妙な納得の仕方をするのであった。

清十郎にとって、金銭よりもはるかに心を動かすものが、他にあった。それは、務めを終えるたびに、辞令書に届く知らせであった。


『お客様があなたを「高評価」しました』

画面には、度々感謝の言葉が添えられていることがあった。「迅速な配達、ありがとうございました」「ご丁寧な対応に感謝します」といった、短い文面。それと、親指を立てた印。

初めは、その意味するところが分からなかった。だがカイトに教えられ、それが客人の満足度を示す「評価」というものであると知った時、清十郎の中に、静かな衝撃が走った。


これは、かつて仕えた藩主から、剣の腕を褒められた際の言葉に似ている。あるいは、困難な任を成し遂げた際に賜った、労いの言葉に。顔も知らぬ、名も知らぬ町人からの感謝。しかし、その一言一句が清十郎の心には、主君から賜る褒賞(ほうしょう)と同じか、あるいはそれ以上に、温かく、そして重い「誉れ」として響いたのだ。


ある夜、配達を終えて自室に戻った清十郎は、一人、辞令書の画面を眺めていた。そこには、今日得たばかりの評価と、「雨の中、ありがとうございました。助かりました」というメッセージが記されていた。

昼過ぎから降り出した雨の中、慣れぬ鉄馬で道を間違え、ずぶ濡れになりながら届けた一品であった。その苦労が、この一文で報われた気がした。


「……かたじけない」

思わず、そう呟いていた。誰に言うともなく、画面に向かって、そっと頭を下げた。

この令和の世には、藩主も、大老もいない。己が忠義を捧げるべき、絶対的な主君は存在しない。だが、己の働きを認め、感謝してくれる人々がいる。その一人一人が、己にとっての「主君」なのかもしれない。ならば、その期待に応えるのが、今の己にできる武士の務めではないか。


武士は食わねど高楊枝、とは言うが、この「高評価」という楊枝は、腹を満たす飯よりも、清十郎の魂を奮い立たせる力を持っていた。


「よし」

清十郎は顔を上げた。その目には、新たな決意の光が宿っていた。明日からの務めは、金銭のためではない。ましてや生活のためでもない。まだ見ぬ誰かの「かたじけない」の一言と、親指を立てた印。その「誉れ」を一つでも多く得るために、この鉄馬を駆るのだ。


橘清十郎の中で、令和の世における「働く意味」が、確かに変わり始めた瞬間であった。彼の武士道は、この奇妙な世界で、新たな形を得て生まれ変わろうとしていた。

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