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第4話:うーばー、いざ出陣

橘清十郎の初陣は、うららかな春の日差しがアスファルトを温める昼下がりであった。カイトから手ほどきを受けた「すまほ」なる辞令書を懐に忍ばせ、黒光りする鉄馬(てつば)にまたがる。その姿は、ジャージの上に羽織を引っ掛けた、まことにちぐはぐなものであったが、本人の気概は真剣そのものであった。


「清十郎さん、マジでその格好で行くの……?」

「武士が務めに赴くのだ。これでも略装よ」

呆れるカイトを尻目に、清十郎は鉄馬の踏み金に足をかけた。江戸の馬とは勝手が違うが、一度乗り方を覚えれば、これはこれで軽快であった。


と、その時。懐の辞令書が「ピコン!」と甲高い音を発した。慌てて取り出すと、画面に店の名と地図らしきものが表示されている。


「出陣の合図か!」

カイトに教わった通り、画面の「承諾」なる文字に触れる。すると、今度は辞令書の中から、女の声が響き渡った。

『二百メートル先、右方向です』

「なっ……!?」

清十郎は驚きのあまり、鉄馬から転げ落ちそうになった。この薄い板の中に、女が潜んでいるのか。妖術か、それとも。

「天の声だ……!」

これはきっと、仕官した『うーばー』の主が、天より与えし導きに違いない。清十郎はそう己を納得させ、厳かに頷いた。


「心得た。天の声よ、我が道を照らしたまえ」

天の声に導かれるまま、清十郎は鉄馬を走らせた。しかし、この未来の江戸の町は、あまりに(ことわり)が複雑であった。赤く光る灯籠の前では鉄の箱どもが一斉に止まり、青に変わると動き出す。一方通行なる掟に阻まれ、最短距離を進むこともままならない。道行く人々や他の鉄馬は、見えざる規則に従って動いているようだ。


魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)する、摩訶不思議な巷だ……」

まるで、目に見えぬ結界が無数に張り巡らされた迷宮のようであった。

なんとか指定された店に辿り着き、「まっくどなるど」なる異国の料理を受け取る。紙袋から漂う、揚げ芋と焼いた肉の香ばしい匂いに、思わず喉が鳴った。

再び天の声が、届け先の屋敷への道筋を示し始める。辿り着いたのは、天に届かんばかりにそびえ立つ、硝子の巨塔であった。彼がこの時代に来て以来、恐怖の対象であった建物だ。


「ここが、客人の屋敷……城か?」

入り口には、またしても見えざる壁が立ちはだかっていた。硝子の扉は固く閉ざされ、押しても引いても開かない。傍らの壁には数字の書かれた板と、小さな穴の開いた箱がある。

「これぞ、結界……! 容易くは通さぬという意思表示か」

途方に暮れていると、後から来た住人らしき男が、小さな札のようなものを壁にかざし、扉を開けて中に入っていった。なるほど、あれが結界を解くための「呪符」か。だが、己はそれを持たぬ。


悪戦苦闘の末、カイトに電話という術で助けを乞い、客人の部屋番号を押して呼び出す方法を知った。穴に向かって名乗りを上げると、スピーカーなるものからくぐもった声が返ってくる。なんというからくりだ。

やっとの思いで客人の部屋の前に着き、扉を叩く。現れたのは、部屋着姿の若い男であった。清十郎は、背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。


「『うーばー』の命により、お食事をお届けに()(さん)じました。橘清十郎と申す。お納めくだされ」

その古風な口上と、異様な出で立ちに、男は目を丸くして固まっている。

「……あ、どうも」

怪訝(けげん)な顔で商品を受け取る男に、清十郎は構わず、武士の礼を尽くしてその場を辞した。


城から脱出し、鉄馬にまたがった時、どっと疲労感が押し寄せた。たかだか一軒に食事を届けるだけで、これほどまでに心身をすり減らすとは。桜田門外の死闘の方が、よほど単純明快であった。


懐の辞令書に「配達完了」の文字が浮かぶ。これが、初陣の証であった。多難を極めたが、どうにか務めは果たした。しかし、彼の顔に安堵の色はなかった。この先、幾度となく、この難攻不落の城や不可思議な結界に挑まねばならぬのだ。


「……面白い。不足は、ない」

だが、清十郎の口元には、いつしか不敵な笑みが浮かんでいた。武士の血が、困難な務めを前にして、静かに(たぎ)り始めていた。

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