3.失った魔女
衛兵の怒声が遠ざかっていく。俺は彼女の手を引いたまま、必死に走る。
――逃げなければ。逃げなきゃ殺される。
『は、はなしてください!!』
不意に彼女の声が響き、俺は我に帰り立ち止まる。彼女の荒い息があたりに響き、衛兵はもう追いかけてきていないことを悟る。
「……あ、ごめん」
俺は、彼女の手から自分の手をほどく。
薄暗い路地裏に、僅かに差し込む陽光が彼女の蒼い髪の毛を照らす。
『あなたは誰なんですかっ!! いきなり、手を引っ張って』
(命の恩人に対しての第一声がそれっ、てのも……まあ、無理はないか)
突然こんな場所に連れ込まれて、知らない男に手を引かれたらーー
怖いに決まっている。
「俺は……タチバナ・ハルト」
『……』
場の雰囲気は最悪だ。二人の間に気まずさが漂い、沈黙が続く。
『なぜ、国の衛兵が私を狙っているんですか!?』
沈黙を破るように、彼女が問いかける。
『どうして、助けてくれたんですか??』
そんな時、彼女は自分の身体を見渡し、震えた声で言う。
『……これ、だれの身体……? 手も、髪も、何もかも私のものと違う……』
自分の手を何度も見つめては、震える指先に視線を彷徨わせる。
『普通に歩いていただけなのに、なんで……?』
立て続けに問いが飛んできて、俺は返答に困る。彼女が混乱しているのは誰がどう見ても分かるだろう。息は荒く、目には涙が溢れそうになっている。
『――どうして? 私が……こんな目に……』
その場に崩れ落ちる。頭を抱えて、彼女の顔は見えないが、小さく、しゃくりあげるような音が響く。
俺は、その場に残るのに妙な引け目を感じ、その場から去ろうと彼女に背を向けた時。
『……行かないで』
ほんのかすれた声だった。
――でも、
改めてこれまでの事を振り返ってみる。彼女は今追われている身であり、ここで見捨てれば、何のために彼女を助けたのか分からなくなってしまう。
「……名前は?」
『――二ーヴァ・レイシェル』
名前を聞いて、改めてこの世界は異世界であることを実感する。
「レイシェル……立てるか?」
俺はふりかえると、彼女に手を差し伸べる。
(俺の器はまだ小さい……彼女を完全に支えるなんてとうてい無理だ)
――それもこれも、
彼女の嘆きが、過去の俺の声と重なって聞こえた。それだけで、俺が手を差し伸べる理由には、十分すぎたのかもしれない。