98.眠れる粘土人形
星蒼花を見つけたノルンは、無意識に眉を下げて小さく息をついた。これでバルトの命が助かるかもしれない。そう思うと少しだけ今までの何も尽くすことの出来ない焦りや不安から開放されたようだった。
「これが…。綺麗な花だな」
「はい」
アトラスはノルンの傍らで屈んで一輪だけ、そよそよと咲く青い星を見つめた。
あとは星蒼花を摘んでバルトの元に帰るだけだ。
しかしそこで普段ノルンの傍らから離れることの無いブランが気づけばノルンから少し離れ、台座の前に膝まづくように造られた像の周りを訝しげに探るように回り始めた。
そして低く唸る。
唸り声が聞こえ、星蒼花を見つめていたノルンとアトラスが顔を上げる。
滅多に唸り声をあげることの無いブランに二人は顔を見合わせる。
「…ブラン。どうかしましたか?」
「珍しいな。ノルンの魔力感知じゃここに魔物は居ないんだよな?」
「…はい。そのはずですが」
ノルンはゆっくりと立ち上がるとブランのそばに歩みよる。ブランはノルンに気づくとノルンの足に擦り寄って、ノルンは自然とその頭を優しく撫でる。
そして、ノルンとアトラスは目の前の像に視線を向けた。
人間のように頭部があり、胴体があり、四肢がある。
まるで人間のようなそれは視線は地面に向けて、台座に向けて片膝を立てて跪いているようだった。
「なんだ?像かなんかか?」
「そうみたいです。…少し形は変わっていますが。ブランはどうやらこの像が気になっているようです」
頭を捻って角度を変えて像を見るアトラス。
ノルンもまた像を見つめて、不思議そうにブランを見たあと、何気なくその像へと手を伸ばした。
ノルンの手のひらが像へと触れる。
ひんやりとした金属のような冷たさがノルンに伝わる。
そしてそれは触れた瞬間だった。
ブゥンッ、という機械的な音が響くと同時にノルンの触れた像の丁度胸の中央当たりが眩い緑色に光輝いた。
「…っ…」
「うおッ…!?なんだ…!?」
思わずノルンは驚いて目を見開くと同時に手をぱっと離す。
しかし目の前の像はノルンが触れた胸を中心に身体の関節の至る所に血が巡るように光る緑の線を走らせる。
まるで息を吹き返すかのように。
新たにエネルギーを吹き込むように。
そして最後にぽっかりと空いた瞳であろう部分の窪みが緑色に光輝いた。
突然の出来事にノルンは少しばかり口を開け半歩後退する。
像は長年眠っていた固くなった身体を動かすようにゆっくりと俯いていた顔を上げようとする。
そして、ノルン達の状況把握が追いつかないままに“それ”は声を漏らした。
「…………アア。フレイヤ様。オ久シュウゴザイマス」
抑揚のない機械の声で。
けれどその声がひどく郷愁を漂わせていて。
ノルンの瞳は更に見開かれた。
ノルンの瞳に戸惑いが浮かぶ。
像の鮮やかな緑の瞳とノルンのグランディディエライトが混じり合う。
それは長きに渡り眠りについていた粘土人形だった。
「…まッ…待て待て待て待てッ…!!」
先に言葉を発したのはアトラスだった。
瞳孔を開いて目を見開いていたアトラスだが、しばしの間放心するとすぐにはっとしたように我に返って首を振った。
「な…んなんだ、こいつは一体…!」
アトラスはノルンの前に出て冷や汗を浮かべながら目の前で跪く像を見る。
身体のあちこちから草花が伸びて、身体の金属部分は色が剥げて錆びてしまっている。左肩と胴体の接続部分からは淡い桃色の大きな花弁をつけた花がゴーレムの顔の横あたりまで伸びて綺麗に咲き誇っている。
ゴーレムは手を動かそうとするが、ガガガガという錆び付いた音が響いてその動作はぎこちない。
「オヤ。毛のある動物ノ方デスカ。初メマシテデゴザイマスネ。私ハフレイヤ様の粘土人形デゴザイマス。以後オ見知リ置キヲ」
ぎこちない金属の片手を胸に当てて、またぎこちなく頭を下げるゴーレム。
抑揚はないが流暢に挨拶を交わすゴーレムにアトラスは余計にぽかんとして目をぱちくりさせている。
ノルンもまた状況把握が出来ていないままに少し開いていた口をきゅっと閉じて、突然の出来事に呆気にとられていた。
「…フレイヤ様。本当ニオ久シブリデゴザイマス。ズットオ待チシテオリマシタ」
再びゴーレムの瞳が未だ戸惑いで声を発せないノルンに向けられる。
ギギギギと音を立ててゴーレムがゆっくりと立ち上がる。
2m程の高さのあるゴーレムにノルンは目を見張っていた。
そこで未だ動揺しているアトラスがふとゴーレムの言葉を繰り返す。
「…フレイヤ…。フレイヤって…」
アトラスがノルンを見つめる。
ノルンもこくりと頷く。
何故このゴーレムが動き出したのかは分からないが、どうやら現時点では誰かとノルンを勘違いしているようだ。
ノルンは戸惑い揺れる瞳でゴーレムを見つめながらそっと口を開いた。
「…すみません。どなたかと勘違いされているのではないでしょうか。私はノルンと申します。よろしくお願いいたします」
そしていつもの様に丁寧に軽く会釈までするノルンをゴーレムもまた真っ直ぐ見つめていたのだった。
 




