88.治療の日々
それからというものノルンはバルトの家の机に齧り付いて何冊もの本を広げては一日中瘴気に効く薬を探し続けた。
また違う日には魔道具や、薬を作るための蒸留装置のようなものや、小さな鍋、いくつもの小瓶、液体が入ったフラスコを広げては調薬をする事もあった。
今日もまた机に齧り付いて本を漁る。魔法薬の書。瘴気について書かれている本。植物、動物、魔物、あらゆる薬の材料が書かれている本。
もう数日がすぎたが、これといって有効がありそうな薬はやはり見つけることが出来ずノルンは小さく息をついた。
既にノルンの持ち物が散らかされたバルトの家は以前アトラスがよく見ていたノルンの家そのものだった。
しかしノルンの家よりも小規模なバルトの家の方が、散らかって見える。
ノルンの返事にアトラスもアオイも反対などすることはなかった。本来ならばすぐにコラル島に送っていくはずだったポーラもまた気にした様子はなく、リナと仲良くなっていた。
そんなリナは大分ノルン達に心を開いた様子で常にポーラと一緒にいる。
またノルンに対しても打ち解けたようでよくノルンの読む本を一緒にじっと見つめている。
「帰ったぜ〜。今日はイノシシがとれたぜ〜」
元気よく帰ってきたアトラスは相変わらずの散らかったノルンの荷物におおう、と言いながら慣れたようにその隙間を歩く。
「あ。おかえり。アトラス。イノシシかぁ。じゃあ今日はイノシシ肉の煮込みかなぁ」
アトラスにそう返すのはキッチンで何やら作業をしていたアオイだ。
ここに来てからというもの役割分担がきっちり分かれてしまった。
ノルンは専らバルトの治療。
アトラス、ブランが食料調達。
そしてアオイが食事を作る。
アオイは趣味でお菓子を作るだけあって、料理も好きなようで栄養バランスの整った、それでいて美味しい食事を振舞ってくれる。
すっかり皆アオイに胃袋を掴まれてしまったという訳だ。
バルトの家は調理器具はあるものの、ほとんど使っていないように真新しかった。
アオイが意識が戻ったバルトに聞いたところ快く貸してくれた。
ちなみにバルトの食べるものに関してはノルンの助言を元に消化に良いものをアオイが別で作ってくれている。
「どうだ?何かわかったか?」
アトラスの言葉にノルンは首を振る。
アトラスも分かっていたようで「まあ、そうだよな」と零した。
「やっぱり瘴気ってほとんど分からないことが多いんだね」
何やらアオイがことことと鍋に何かを熱しながら振り向いてノルンに言う。
ノルンはそれに小さく頷いた。
「…一応師匠にも手紙を送りましたが、師匠も完全に治す薬は分からないとの事でした。
その他にわかったことと言えば瘴気の治療には大陸の北西と中央あたりにあるとされる女神様の湖の聖水を飲むと治るというものや、女神様の使いである巫女ならば聖なる力で瘴気を滅せられるというものでした」
「女神様の湖に巫女かぁ」
「まるで伽話だなぁ」
信憑性も薄いがそれ以上に本当にあるかどうかさえ分からない湖に女神の聖水。そして聖なる巫女ときた。
湖に関しては求めていくにしろここからでは1年はかかる。
また詳細な場所もハッキリしない上、探しに行くという選択肢は無いに等しい。
聖なる巫女に関してはどうしようもない。
ぱたんと開いていた本をノルンが閉じて小さく息を吐くと同時にノルンの横にかた、と皿が置かれた。
ノルンがちらりとそちらを見れば小さな皿に美しく切り分けられたモモリコの実ときらきらと透き通るように輝くゼリーがあった。
(…おいしそう)
ノルンの瞳がかすかに輝いてアオイは微笑む。
「頑張りすぎもよくないよ。ちょうどいい時間だし皆でおやつの時間にしないかなと思って」
アオイの声に歓声を上げたのはポーラとリナだった。
リナは頬を染めて宝石のようなフルーツゼリーに目を輝かせている。
アオイに目を合わせてそう言われ、ノルンは知らぬうちに力が入っていた肩を落とした。
そして表情を和らげて頷いたのだった。
おやつの時間を終えてノルンは再び、気休め程度の薬を作り、また新しい本を開いては机にかじりつく。
おやつの際には人知れずもきゅもきゅと小さな口にゼリーを入れて目を輝かせ、幸せそうに花を飛ばすノルンをアオイは嬉しそうに眺めていた。
一緒に旅をするようになってアオイはノルンが食べることが好きだということを知った。
本人から聞いた訳では無いが、食事の際にノルンはいつも目を輝かせて幸せそうにしている。
雰囲気でいえばお花が飛んでノルンの周囲がぱああと明るくなる。
自分の作ったもので人が笑う顔が好きだった。
でも、とアオイは思う。
(…ノルンちゃんは明らかに笑顔になることはないけれど、)
それでも。幸せそうに食べてくれる姿を見る時間はすごく嬉しい。今までで一番幸せだ、とアオイは実感していた。
 




