6.説得
「ところでどうしてアトラスが師匠の家にいるんだ?」
話がひと段落着いたところでアランは不思議そうにアトラスを見つめた。
そこでアトラスは「あぁ。実は…」と口にしながら視線をノルンに向ける。
アトラスと視線が合うとノルンはアトラスの意図をくみ取ったようにフローリアに向き直る。そして先程言おうとしていた言葉の続きを口にした。
「師匠。実はアトラスから白狼の話を聞きました。キオンの村に夜、白狼が現れたとのことです」
ノルンがそう言うとフローリア、そしてレオ、アランもピクリと反応を示す。
フローリアはそっと口につけていた紅茶のカップをソーサーに置く。
先程の和やかな雰囲気から一変して少しの緊張した空気が流れる。
ノルンはそれだけを告げると静かにフローリアを見つめる。
フローリアの表情は先程の朗らかな様子から、少し眉を下げた悲しげなものに変わっていた。
「…ノルン。キオンに行きたいのね?」
そして確認するようにノルンに問いかける。
ノルンはその言葉に頷いた。
「はい。師匠」
ノルンが真っ直ぐフローリアの瞳を見つめる。
フローリアは何か言葉を紡ごうと口を開きかけ、しかし踏みとどまるように口を閉ざした。
「…白狼…ウルガルフのことか?」
フローリアが続けて言葉を発する前に発言したのは不安げな顔をしたアランだった。
ノルンはアランの言葉にこくりと頷いた。
それを見るとアランも眉根を寄せる。
「…ノルンがずっと白狼を探していることは知っている。だが…」
「………」
アランはそこまで言うと口を噤んでしまう。
ノルンにウルガルフを討伐する程の力はないと言おうとして言い淀んでいるのだろうか、アトラスはそう思った。
レオは何を言うでもなく静かに成り行きを見守っている。
ノルンはただじっとフローリアを見つめ、フローリアの判断を待っているようだった。
そしてしばらくした後、ふっと息を吐くようにフローリアが微笑んだ。
薄い皺が刻まれた目尻を優しげに下げ、ノルンと視線を合わせる。
「…えぇ。分かりました。いいでしょう」
「なっ…!師匠!」
ノルンはフローリアの言葉に瞳を僅かに揺らした。
そしてフローリアが承諾すると思っていなかったのか、アランは驚いたようにフローリアを見返す。
しかしフローリアはアランに向き直るとアランを宥めるように微笑むだけだった。
それに尚更焦ったようにアランは言う。
「ノルンはまだ1人であまり遠くに行ったことがありません。それにそのウルガルフがノルンの探しているウルガルフだとも限らない。もし行って襲われでもしたら…。それに、道中には危険な魔物も多い」
アランはノルンの身を深く案じているようだった。
ノルンもそのことを理解しているためかアランの言葉を遮ることはせず、ティールの瞳で静かにアランを捉え話を聞いていた。
フローリアもアランの言葉をしっかりと聞いた上で頷く。
「そうね。確かに心配は心配だけれど、貴方もわかっているでしょう。ノルンがずっと…ずっとその狼を探していることを」
アランがフローリアの言葉にぐっと口を閉ざす。
「それにノルンはここら辺の魔物なんて比にならないくらいちゃんと強いわ」
ふふ、とフローリアが柔らかく微笑む。
その時にはもう少し茶目っ気のある普段のフローリアの雰囲気に戻っていた。
「それはわかっているが…」
それでも尚渋るアラン。
そんなアランに口を開いたのは今まで黙っていたレオだった。
「いいんじゃない」
「…レオ」
淡々とした声が通る。
思いもよらぬレオの言葉にノルンは少し驚いたようだった。それはアランも同じく。
「兄さんも知ってるでしょ。ここで止めたところでノルンは行く。昔みたいに黙って行かれて迷子になられるくらいなら素直に行かせてもいいと思うけど」
「レオ…だが…」
思わずレオの言葉にそんな事があったのか、とアトラスは内心苦笑を零した。
冷静沈着に見えるノルンだが、意外とその内面は奔放でアランやレオはその度に苦労をして来たのかもしれない。
(……兄さん。やっぱりそうか。…ということは…)
そしてまたレオがアランを兄と呼んだことにアトラスは少し驚きつつも納得したように頷いた。
性格は真反対とはいえ、よく似ている。
特にエメラルドの透き通った瞳が。
そしてノルンを見た。
アトラスはアランがここまで弱々しい姿を見たことがなかった。しかし、納得した。
ノルンとレオ、そしてアランは兄妹なのだ。
アランとは頻繁に会うことはなかったが会えば必ず可愛いという弟と妹の話を長々と聞かされた。
それは度を超えるほどでいつもアトラスとあと2人の知り合いがアランの兄妹話を聞かされていた。
弟妹の話をする時のアランはすごかった。それはもう可愛すぎて目に入れても痛くない、という感じに。
___アトラス聞いてくれ!ここへ来る前に弟が無理しないでゆっくり帰ってきて。絶対に急がなくていいから、って言ってくれたんだ!本当に俺の弟は優しいなぁ。急いで帰って怪我しないようにってことだよな!
___…それほんとにその解釈で合ってんのかぁ…?
___それに妹からも毎回お土産を買ってこなくてもいいと。俺のために使って欲しいと言われた!なんて優しい子だろうか。そういえば今日街で妹に似合いそうな服を見つけたんだ!見てくれ!
___…アラン…お前…。
___おい。こいつ、何も理解してねぇぞ…。
四人でひとつのテーブルを囲み意気揚々と話すアランに耳を傾ける。そんないつかの日々が頭に蘇った。アトラスは苦笑する。そして目の前で珍しく不安げに愛しの妹を見つめ葛藤する戦友を見た。
(……仕方ない奴だなぁ)
そう思った時にはアトラスの口角は上げられていた。
そして。
「安心しろよ。アラン。キオンへは俺が連れてく。それに帰りもちゃんとここまで送ってくる。それが俺からノルンへの恩返しだからな」
そう言うと気持ちのいい笑顔でニカッとアランに笑いかけるのだった。
「アトラスが…!?」
アランはアトラスの言葉に目を丸くする。
フローリアとレオも驚いている様子だ。
そしてその後アランにも軽くリアの街で起こったことと、アトラスが自分で着いていくと決めたことを話すとようやくアランは「そうだったのか」、と安心したように息をついた。
「アトラスさんも一緒に行ってくれるのね。それなら安心だわ」
「あぁ!アトラスがついて行ってくれるのならば俺も安心だ」
内心では心配だったのか、安心したようにフローリアも胸を撫で下ろした。
「それで出発はいつにするつもりなの?ノルン」
フローリアに問われノルンは少し間を置いて考えたあとアトラスが良ければ明日にでも、と言った。
随分急だとフローリアとアランは驚いた顔をしているがレオは頷いた。
「…いいんじゃない。行くなら早い方がいい」
「俺は構わないぜ。確かにギルドに依頼でもされたら他の奴らに取られちまうかもしれないしな」
「はい」
レオとアトラスの言葉にノルンは頷き、フローリアとアランも納得したように頷いた。
そしてその後すぐに家に帰るとノルンは旅の身支度を始めるのだった。
普段愛用しているトランクを開き、必要なものを詰めていく。
その途中でふとノルンの手が止まった。
(…違うかもしれない。…けれど、もしかしたら…)
___会えるかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
心臓が低く、少し早く鼓動を鳴らす。
少しの緊張に息が浅くなり、ノルンは一人ランタンだけが明かりを照らす静かな部屋で呼吸を落ち着けるように小さく息を吐いた。
深呼吸をした後もその美しい瞳は未だ揺れていた。