66.レオの独白
ノルンがマレウスと名乗った男に襲われ、旅立った次の日の早朝。
レオはフローリアとアランと共に、家を出てフォーリオの街中へと向かっていた。
ノルンが旅立ったのはほんの数時間前___。
それから一睡も眠ることなどできず、気づけば朝を迎えていた。フローリアと兄であるアランもそうであった。
ノルンは素早く旅支度を終えると、自身の母の墓に花を添え、しばらく跪いて挨拶を済ませた後、あっという間に旅立って行ってしまった。
未だに信じ難い。あの家に行って、ノックをしたところでもう、ノルンが顔をのぞかせる事は無いのだろうか。
もう、あの無愛想な綺麗な顔で何かを言いたげに見つめてくることも無いのだろうか。
フォーリオから離れると聞いた時、思わず頭が真っ白になった。動揺して何も考えられず、思考が止まった。すぐさま、兄と共にノルンを説得にかかった。
しかし僕と兄さんの必死の説得も虚しく、ノルンはもう自身の行く道を決めたようだった。
それでも、不安でしか無かった。
此処で育ち、外の世界のこともあまり知らないまだ15歳の少女だ。
世界には優しい人ばかりではないし、純粋なノルンには酷なこともたくさんあるだろう。
それにアトラス、アオイ、ブランがついて行くからといって魔物の脅威も完全に除外されたわけではない。
最近ではどこかしこでも魔物が増大していると聞く。
どうやら凶暴化していたのは昨夜のノルンを襲ったマレウスという男の仕業だったらしいが。
それでも、旅をするともなれば強大な魔物と対峙する事もあるだろう。
心配のある事柄をあげればきりがない。
それでも、きっとノルンは止まらなかった。
それはノルンのかねてからの願いだった父親を探したいという目的も然り___。
そして、理由の中には恐らく、また街の人々に心無い対応をされるのではないか、という怯えが混じっていた。
だから、そうなる前に___。
今度は深く傷つく前に___夜のうちに、誰に挨拶をするでもなく。きっとノルンは此処を発ったのだろう。
思わず歯を噛み締める。
ノルンに昔、街の人々は酷く怯え、心無い態度をとった。
それは今でもノルンの心に深く傷を残している。
ノルンがフローリアに抱えられてきた翌日。
幼子には酷なことに、フローリアからノルンの母親たる女性は森で亡くなっていたということを聞かされる。
ノルンは呆然として、フローリアの言葉を理解できていないようだった。そして、理解ができた頃には、言葉も話さず、表情を動かすことも無くなっていた。大きな瞳からは光が消え失せ、この世に絶望したように、ただ一人取り残されたように、生気がなかった。
あの時のノルンはいつだって消えそうで、いつも、怖かった。ただ一人、小さな女の子は孤独に打ちひしがれていた。
更にはそんなノルンに追い打ちをかけるように、街の人々はノルンを避け、いつでも井戸端でノルンを話題にしては怯えた。
それからすっかり街に降りることも無くなれば、ノルンは気づけば誰にも心を開かなくなっていた。
それはまるで、意志を持たない人形のようだった。
そんなノルンをみて、幼いながらに心底街の人間を恨んだことを覚えている。
またこんな幼い妹を守ることが出来ない自分の非力さにも。
そして、昨夜、再びノルンに向かい傷跡を残した街の人間に対して、憤怒と憎悪が膨れ上がった。
けれど、何より。
本当に何より、レオを苦しめたのは___恐らくノルンが、そんな街の人間から自分たちを守るために此処を出るという選択をしたことだった。
恐らく、兄であるアランも、そしてもちろん、育ての親であるフローリアもノルンの意図に気づいていた。
だからこそ、止められなかった___。
もし、街の人間が今更ノルンを詰ることがあったとして、ノルンを擁護する僕らを責めたとして___僕らには何のダメージもないのに。
しかしもしそうなっとすれば、きっとどれだけアランやレオ、フローリアがノルンを擁護したところで、ノルンの心はまた幼い頃に逆戻りし苛まれ、苦しむことになるだろう。
そうなれば、どの道ノルンは此処を出ていく。
ならば___。
ならば___今、誰にも知られず此処を発つことがノルンを苦しめることもなく、最前の選択だったのかもしれない。
それでも。そうだったのだとしても___。
自分自身の非力さ。
突如ノルンを追い出すに至った男。
ノルンを苦しめた街の人間。
何に怒り、憎めばいいのか分からないほど、やるせなさにレオはずっと苛まれていた。
だから、せめて___どうか。
ノルンの旅路に光がありますよう。
もう誰に苛まれることもなく、自由に幸せな時を送れますように。
それだけを祈って、レオは静かに月道を行く妹の姿を見送っていたのだった。