64.ゆるし
どうしても。何を差し置いても。
ノルンは目の前の二人を見やる。
眉を寄せて苦しげに、悲しげに顔を歪める二人を。
(…アランやレオ。そして師匠まで、私のことで敬遠されるような事があってはいけない)
それがノルンの思いだった。
今回の事の原因がノルンだと知られれば、心を開いてくれた街の人たちでも、自分が居続けることで不安な日々を送ることになってしまうのではないか。
そして、何より。
(…また、距離をとられてしまえば…)
きっともう。自分の心はもう修復できないほどに傷跡を残してしまう。
ノルンがフローリアにフォーリオに連れてこられたのは、まだノルンが幼いときだった。
幼い子供相手だったからか、大人たちは直接ノルンに酷い言葉を浴びせることはなかった。
しかしその態度はよそよそしく、自分たちの子供にはノルンに関わらないようにと言って聞かせた。幼い子供でありながらもノルンは聡い子供だった。すぐに街の人から距離を置かれていることを理解した。
人の口に戸はたてられない。ノルンの存在に街の人が怯えていることもノルンはすぐに気がついた。
それからノルンの心は深く、深く閉ざされてしまった。そんな中、常にそばに居続け、愛情を注いでくれたのは、フローリア、アラン、レオ。たった三人の存在だった。
それから時間を経て、ヘレナの闘いから数年の時が経ち、ようやく街の人々も生活に安堵を見いだし、ノルンにも優しく接してくれるようになった。
けれど一度優しくされてしまったからだろうか。
この街の人の温かさに少しなりとも触れてしまったから。だからこそ。また突き放されるのではないか、と心の奥底で怯えている自分がいた。
(…いいえ、それならまだいい)
もし、それが自分の唯一の大切な人たちに向けられらたら___。そう、思うことが何より怖かった。だからこそ、今。そうなる前に此処を発ちたかった。
心残りがない訳では無い。
しかし何れはこうなる運命だったのかもしれない。
いつかは大陸を旅し、父を探し出したいと願っていた。そしてそれが今なのだ。
だからこそノルンにもう考えを改めるという選択はなかった。
けれど兄二人を悲しませたまま、苦しませたまま、此処を発つのは忍びない。
出来ることなら二人の了承を得て、出発したかった。
__だから。
ノルンはそっと二人に近づき距離を詰める。
そして二人の胸元に静かに顔を寄せた。
アランとレオは思わず目を見開く。
いつもアランがノルンを抱擁する事はあっても、ノルンから近づいてくることなどない。
そんなノルンが額を二人の胸に預けた。
「…お願いします。アラン。レオ。…いつも勝手ばかりしてすみません。ですが、ゆるしてください」
その言葉にアランとレオは言葉を詰まらせる。
結局は何処までいこうと、二人はノルンの兄なのである。二人の表情は何かと葛藤しているようだった。
しばらくの沈黙が流れる。
その後で先に動いたのはアランだった。
優しく、妹の背に手を当て優しく抱きしめる。
「………」
ノルンはただ黙って、瞳を閉じて、アランの言葉を待つ。
そっと身体を離したアランは眉尻を下げて口角を上げていた。
「…分かった」
「…兄さん」
「…アラン」
その言葉にノルンはそっとアランを見上げる。
レオは驚いたように、しかし、そんな兄の姿を見て眉を寄せ、苦しげに瞳を閉じたあと、いつもの様にため息をついた。
「…はぁ」
それがノルンにはレオなりの肯定に聞こえた。
そっとレオを見やる。
その瞳は何処か未だ迷いながらもノルンの思いを尊重しようと努力している様な気がした。
「…分かったよ」
「…レオ」
レオがぽつりと言う。
その言葉にノルンはレオを見たあと、アランを見る。
優しげな愛に満ちたいつもの瞳がノルンに向けられていた。
ノルンはそれを噛み締めるように、そっと瞳を閉じた。そしてもう一度二人の胸板に額を預けるのだった。
背には大きな手が添えられる。
そして頭にはしなやかな手が乗せられた気がした。
◇◇◇
アラン、レオの許しを得て、ノルンは自宅に帰り、すぐに旅立ちの準備を始めた。
年季の入ったトランクを開き、必要なものを詰めていく。粗方準備が整うと、ノルンは着用していた薄着を脱ぐ。そして普段少し遠方へ行く際に纏っている服に手をかけた。
リボンタイの真白いブラウスを着て、ダークブラウンの太腿の中間ほどのスカートを履く。スカートのプリーツは少なめで、どこか品がありながらも、可愛らしい印象を与える。
また黒地のタイツを履き、足先にはスカートと同じダークブラウンの編上げのブーツを履く。
最後に、グレーの生地にフードがついた美しい植物の刺繍が施されたローブを纏う。柔らかな絹の生地はさらさらとして心地が良い。
鏡の前で身なりを整えたノルンは、そこに立つ自分自身を見て、決意を確固たるものにするように、首元の細いチェーンに通されたリングを握った。
そして腰元に擦り寄るブランの頭を軽く撫でたのを合図に自分が育った家を静かに後にするのだった。




