62.少女の意思
ノルンの無事にアランが安堵した時だった。
「ノルン…?アラン…?」
心細げな声が聞こえ、ノルンが後ろを振り向けば、道の奥から二つの影がゆっくりと近づいてきていた。
杖をつきながら、不安げに駆けつけたのはフローリアだった。
フローリアの後ろにはフローリアを介助するようにレオが付き添っている。
レオの顔つきも普段より険しい。
二人はそこに佇むノルンらを見て小さく息をつく。
「…師匠」
ノルンがフローリアに近づきながら名を呼べば、フローリアは心から安堵したように表情を緩めた。
「…あぁ、ノルン。無事なのね。良かった、本当に…良かったわ」
フローリアが眉尻を下げ、ノルンの手を包み込むように握る。
ノルンもまたフローリアに会ってやっと気が抜けたように雰囲気をやわらげた。
「ノルン、一体何があった?」
レオもフローリアとノルンの傍に立ち、そうノルンに問う。ノルンは謎の男に突如襲われたこと。その男は魔法使いである自分を狙って此処へ訪れたのだということを伝えた。
その話を聞いた途端フローリアは再び表情を強ばらせた。そしてその瞳は何かを案じるように、また何かと葛藤している様にノルンには映った。
「魔法使いだと…?一体、何のために…」
「これじゃあ、まるで…」
ソフィアに続きアランも途中まで何かをいいたげに口にするが、その先は歯を噛み締めるようにして口を閉じた。
「…何でその男はノルンが魔法使いである事を知っていたんだ?」
「あぁ…それなら…」
眉を顰め考え込むようにぽつりと呟いたレオにアトラスが口を開こうとしたが、そっとアトラスの肩に優しく手が置かれる。
アトラスがそれに気づいて上を見上げればそこにはノルンがどこか切なげにアトラスを見つめ緩く首を振った。
アトラスは思わず口を噤む。
そしてノルンもまた何かを考え込むように視線を下にして口を閉じるのだった。
皆の間に沈黙が流れる。
誰もが顔を強ばらせていた。
そんな中沈黙を破ったのはそっと顔を上げたノルンだった。
月明かりに少女の美しいホワイトブロンドとグランディディエライトが輝きを放つ。
「…師匠。私この街を出ようと思います」
「え…?」
少女はいつもと温度の変わらない声色でそう、言った。思わず俯いていたフローリアも顔を上げ、まるで理解が追いつかないというように、思考が止まったように瞳を揺らす。
「なっ…何言ってるんだノルン!」
「…ノルンが出ていく必要なんかない」
即座に反対したのはノルンの兄であるアランとレオだった。二人は顔を歪め、到底理解できないという様にノルンに迫った。
アトラスも驚いたようだが、成り行きを見守るように口を閉じている。ソフィアも同様だ。
アオイは目を見開いてノルンを見つめている。
「…ノルン。そうよ、もう大丈夫よ。襲ってきた人はもう捕まったのでしょう?」
フローリアも動揺を隠せないままに、そっとノルンを宥めるように言う。
その言葉にノルンは緩く首を振った。
「…はい。師匠。しかし、どうやらあの者には仲間がいるようでした」
「…あぁ、そういえばアイツらに伝えるとか何とか言ってたな」
ノルンの言葉にアトラスが頷く。
その言葉でアランとレオははっとしたような顔をしたあと苦虫を噛み潰したように顔をゆがめた。
「…でも今捕まったんだしまだ連絡なんて出来てないんじゃ…」
アオイが恐る恐るそういえばソフィアが口を開いた。
「あの男はそうかもしれないが、あの男の仲間がアイツが此処に来ていることを知っていた場合、帰ってこない仲間に異常を察知する可能性がある」
ソフィアの言葉にアオイははっとして目を丸くした。
「…っ…だからと言って、ノルン。襲われたのはノルンのせいなんかじゃない。君が此処を出ていく必要など何処にもない。次にまたあいつらの仲間が此処へ来ようとも、俺が…俺たちが必ず護る」
アランが悲痛な声で告げる言葉をノルンはただじっと黙って聞いていた。
レオを見ればどうやら気持ちはアランと同じようだった。ただ黙ってレオも切なげに顔を顰めてノルンを見つめていた。
そんな兄二人を見たあと、ノルンはそっと目の前のフローリアに顔を向けた。
フローリアはじっとノルンを見ていた。
その表情は先程までの動揺はなく、代わりに苦しげに切なげにその慈愛の瞳がノルンに注がれていた。
「…師匠」
ノルンが透き通った瞳でフローリアを見つめる。
フローリアはその表情を見て、そっと目を閉じた。
この表情をするノルンが後戻りすることは無いと___フローリアはよく、知っていた。
「…ノルン。本当に、行くのね?」
そっと瞼を開いたフローリアが静かにノルンに問う。
アランとレオが息を飲む気配がする。
「…っ…師匠っ…」
微かにノルンの耳に小さなレオの声が届く。
しかしノルンはフローリアから目を逸らさず、そっと頷いた。
「___はい。師匠」
月明かりの下。一人の少女が少しばかり眉を下げ、そっと目元を和らげる。
真っ白な陶器のような肌。頬はほんの僅かに桃色に色付き、その大きな瞳から放たれる宝石眼は揺れることは無い。
まだ15歳の少女の放つ儚い美しさにフローリアはそっと目を見開いたあと、何かをその少女に重ねるように慈しんだ瞳を少女に向けた。そしてそっともう一度瞳をゆっくり閉ざすのだった。
切なげながらも、フローリアもまたその口元は小さく綻んでいた。




