54.会いたかった人
その後ノルンはアトラスと別れ、アトラスは夕食の獲物を狩りに、ノルンは薬草採取へと向かった。
ブランはノルンに着いてきていた。
暖かくも清々しい春の日を感じながら、ノルンは森の奥へと進んでいた。
(…確かあの薬草はこの辺りに)
目的の場所まで着くとノルンはお目当ての薬草を探す。するとひとつの茂みでノルンの目が止まった。
(あった)
ノルンはそこに生えていた植物を手に取ると、何本か切り取り採取した後、立ち上がった。
優しく心地の良い風がノルンの頬を撫で、太陽に照らされ透き通るホワイトブロンドを揺らした。
髪を揺らす風に身を委ねたあとノルンはブランを見つめてその頭を優しく撫でた。
「ブラン。もう少し奥まで行ってもいいですか?」
優しく問いかけるノルンにブランはただノルンの手に額を擦り寄せ、目を細めるだけだった。
ノルンはそれを肯定と受け取るとまた静かに足を森の深くへと進めるのだった。
森を進み続ける道中、木の実や果実を採取しながらノルンは歩き続けた。
段々と狭くなっていく道の中。
木々との距離が近くなりノルンとブランの頭上に葉の傘の影がさす。
ある所までくるとまるで行き止まりというように目の前を遮っているような大きな植物が聳えていた。
ノルンはそっとその大きな葉をずらし、奥を覗き込む。思わず眩しい光が目に飛び込んできてノルンは目を細める。
眩しさの中、そっと薄目を開く。
そこには辺り一面の青の絨毯が広がっていた。
(…今年も、すごく綺麗)
そこは不思議な空間だった。
1本の老木を囲むようにして、ネモフィラの花がまるで敷き詰められた絨毯の様に広がっている。
辺りから何故か数メートルほど地盤が低く、周りは木々と植物で覆われており、まるでこの場所を隠しているよう。木に覆われた側と反対は崖になっており、広く開けたその空間には雲ひとつ無い空が広がる。
ノルンはいつしか今日のように森で採取をしていた時に偶然この場所を見つけた。
それからはこの季節になると、毎年訪れては静かに一人でこの場所に身を委ねていた。
ゆっくりと花畑に足を降ろすとブランもそれに続く。
ノルンは優しい眼差しでネモフィラ畑を見つめた。
そしてその瞳をブランに向けるとゆっくりと口を開いた。
「…私、この場所が好きなんです。やっと…やっと、一緒に見れました。ブラン」
ブランに向けられたグランディディエライトが、細められる。少女の雰囲気が和らぐ。
ブランは静かに少女を見つめていた。
花畑の中央ほどまで歩くと、静かにノルンは腰を下ろし隣に座ったブランの毛並みを優しく撫でつけた。
ブランがノルンの言葉を理解しているのかは定かではない。
ブランは低くグルルルル、と目を閉じて嬉しそうに唸る。それは、この景色を見た事なのか、撫でられていることに対してなのか、ノルンには分からなかった。
それでもノルンは普段よりも大分気を抜いた優しい表情で青の絨毯の中、ブランとの一時を噛み締めていた。
しばらく穏やかな時間を過ごしていると、ふと森が騒がしくなる。
森に戦闘音が響く。アトラスだろうか。
それとも他の冒険者か。或いは魔物同士が争っているのか。
穏やかな時間を堪能していたノルンも少し気を引き締めたような顔つきになり、ブランもまた寝そべっていた身体を起こした。
2人が音のする方向を見つめていた時だった。
すぐ近くで甲高い剣の音が響いた。
(…近い。魔物と、恐らく人…)
魔力感知でノルンが状況を探っていた時だった。
大きな音が響いたと同時に、魔物の気配が消えた。
そして。その瞬間、
「え?えっ…?…うわああぁぁぁぁぁぁぁぁ…!?」
「…!?」
木々の間から誰かが、足を踏み外してノルン達のいる花畑に落ちてきたかと思えば、なだらかな斜面になっているこの花畑をそのままの勢いでごろごろごろと転がり落ちていった。
そして老木まで転がっていくと、鈍い音を立てて、老木にぶつかることでようやく動きを停止したようだった。
咄嗟の出来事にノルンも驚いたように、薄く唇を開き、目を見開いてぽかんとしている。
老木に頭をぶつけた何者かはぴくりとも動かない。
少しして、はっとした様子のノルンがその人物に急いで駆け寄る。
そこで目を回して倒れている人物を見て、ノルンは小さく目を見開いた。
「ぅぅぅ…」
目の前の人物が小さく唸り、眉を寄せる。
その人物にノルンは見覚えがあった。
柔らかな青みがかった黒髪に、どこか幼い優しげな顔立ち。
以前と違う点といえば、腰に剣をさしていることだろうか。
顔を歪める人物の顔に、ノルンが覗き込んだことで影が指す。
その人物はそっと、眉をひそめてゆっくりと蒼の瞳を開いた。
その人物を見据えて、ノルンは口を開いた。
「大丈夫ですか…?」
優しい透き通るようなソプラノが心地よく響く。
その声の人物を辿るように、瞳を開ければずっと会いたかったまるで女神のような少女がそこにはいた。
その美しい宝石眼が注がれる。
状況を飲み込めない青年を置いて少女は驚きを含んだ瞳で数回瞬きをしたあと、少し表情を和らげた。
そして淡く色づく薄桃色の唇を薄く開いた。
「お久しぶりです。アオイさん」
その声に答えるように、ネモフィラが優しく揺れたような気がした。




