53.日々
柔らかな風が優しく吹き抜ける5月のある日。
フォーリオと呼ばれる山間部に位置する星が降ると呼ばれる美しい街の少し離れた森の中。
そこではある1人の少女が懸命に机に向かっていた。
「……………」
黙々と机に向かい続ける少女の前には、数々の瓶。瓶の中には木の実と思われるものや、中身不詳の液体。そして、天井から吊るされた乾いた草花。積み上げられた本。フラスコ。ぐつぐつと音を立てる小さな鍋。
少女は一言も発することなく、本に目をやりながらひとつの瓶をとってその薄く水色に光る液体を少量鍋に入れた。すると鍋が光り、ボンッと大きな音を立てたかと思えば、少女はそっと鍋を覗き込んだ。
(………………色が違う)
少女は鍋の中身を見て、少し眉を顰める。
そして手元の本に目を落としてはまた少し眉を顰めた。
その時だった。
バンッと音を立て勢いよく、部屋の扉が開いた。
ノルンは驚いたようにビクリとまるで猫の様に背筋を立てる。
「おーい!ノルン!俺は夕食の獲物狩りに行ってくるぜ!」
「………」
しかし扉から姿を現した者は、ノルンの身長より遥かに小さく、ふさふさの毛並みを持っている。彼の名はアトラス。ノルンと共に暮らしているウール族だ。
「…アル」
アルとはアトラスの愛称である。
振り向いたノルンは先程の反応はどこへやら、と言ったふうにいつもの様にピクリともしない表情筋でアトラスを見た。
「ん?あ、もしかしてまた失敗したのか?」
「いえ。しかし…」
アトラスの言葉に小さく首を振るとノルンはもう一度鍋を覗き込んだ。
そこには薄い黄色の液体が入っているが、どうやらノルンの思い描いたものではないらしい。
「ん?」
「どうやら材料が少し足りないようです。アトラス、森に行くのですよね」
首を傾げながらまん丸の黄金の瞳をノルンに向けるアトラスとノルンは視線を合わせる。
「おう!」
「…では、私も一緒に行ってもいいですか?材料を採取しに行きます」
「もちろんいいぜ!」
アトラスは元気よく笑いかけるとノルンも小さく頷いた。そしてノルンはその後、軽くローブを羽織って身支度を整えると、アトラスと、またノルンの家族であるウルガルフのブランを連れて森へと歩き出すのだった。
新緑の季節ということもあり、どこを歩いても爽やかな青々しい葉をつけた木々が心地よい風に揺れている。葉は太陽の光を透かし、葉脈がどこかみずみずしい。
そっと上を見上げたノルンは頭上の葉越しに眩しそうに、しかしどこか嬉しそうに目を細めた。
そんな彼女の瞳は太陽の光を受けて、まるで宝石の様に輝いていた。
「それにしても最近は気持ちがいいなぁ」
「そうですね」
「ここの冬はちとキツかったからなぁ…」
「アルがあれ程まで寒さに弱いとは思いませんでした」
「俺からしてみればお前たちの方が異常だぜ。こんな寒いとこでよく暮らしてるもんだぜ」
「そうでしょうか」
「おう。俺の生まれは年中暖かいとこだからな。寒さにはどうしてもまだ慣れねぇぜ」
「そういえば、アトラスはトトの島で生まれたのでしたね」
木々が連なる道を雑談をしながらゆっくりと歩く。
しかしそんな穏やかな雑談も次の瞬間、突如終わりを迎えることとなる。
「…アル」
「ん?」
突如、穏やかな空気を纏っていたノルンが目を鋭くする。ノルンは前方を見ている。
そしてアトラスの名を呼んだ時には既に片手に杖を持っていた。
「…魔物か?」
「はい。前方で魔力感知に引っかかりました。こちらに向かってきます」
「了解だ」
アトラスはノルンの言葉にどこか好戦的な顔をして笑うと腰に付けていたホルダーから拳銃を二丁取り出した。
そしてノルンが言った通り、すぐに前方から三体程の魔物がやって来るとノルン達を取り囲んだのだった。
それは嗅覚が優れていると言われている魔物、リザルドだった。体調はおよそ2メートルほど。緑と茶色を基調とした体色で、特徴的なのは背に連なる突起。また細長い手足の先にはいずれも鋭い爪があり、一度でも引き裂かれたら最後だと言われている。
「リザルドか。行くぜノルン」
「はい」
アトラスが舌なめずりをするリザルドを見て笑った瞬間勢いよく飛び上がり上空からリザルド向かって弾を放つ。その隙にノルンが魔法を発動し、ノルンを護るようにノルンの前にはブランが立ちはだかり、リザルドに噛み付く。
リザルドは今までに幾度か倒してきた魔物である。
しかし、今相対している魔物は、間違いなくリザルドであるに関わらず、その闘気は凄まじく、今まで戦ってきたリザルドとは比べ物にならないほどの力だった。
森にアトラスの銃声とノルンの戦闘音が響く。
そして、程なくしてノルン、アトラス、ブランは無事にリザルドを倒すことが出来た。
「ふぅ。終わったな」
「はい。アトラス、お怪我はありませんか?」
「おう。…にしても」
いつものように怪我の有無を確認するノルンに頷いたあと、アトラスは地面に倒れているリザルドを眺めた。アトラスの視線を追うようにノルンもリザルドの死体を見つめる。
「…こいつら、何かおかしかったな」
訝しくリザルドを見つめるアトラスにノルンも隣で小さく頷いた。
アトラスの言うように、明らかに普段のリザルドとは異なっていた。まるで何かに取り憑かれているように今のリザルドは動きも普段より素早く、また凶暴化しているように思えた。
「…そう、ですね」
アトラスの言葉に頷きながら、ノルンも静かに何かを考えるようにじっとリザルドの死体を見つめていたのだった。